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ねぶくろ
2026-02-07 14:12:56
4260文字
Public
Skeb
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猫の尾ゆれる
Skebにて納品した作品です。
防衛組織であるエルピスキューマは、都市の中心にそびえる白亜の塔を拠点本部としている。
都市の中央に本部を置くのは、外敵がどこから攻め入ってきても平等に出動できるように、という住民への配慮であったり、代表が維持している巨大な結界が滞りなく都市の全域を覆うための配慮であったり、様々な思惑があってのことだ。
当然、鍛錬場や食堂などの多様な施設をすべて塔の内部に詰め込むことは困難なので、塔の周辺に敷地を取って、関連施設が設置されている。隊員数が多いこともあり、拠点の敷地面積は広大で、噂によれば小規模な村のそれに匹敵するほどだという。養成学校も拠点に付属しているため、中心部の防衛力は都市郊外のそれをはるかに凌駕している。
しかし、近隣住民の中には、
防衛拠点
エルピスキューマ
を都市の外縁に移動して欲しいと思っている者もいるらしい。──防衛力が集中していれば、当然外敵から狙われる危険性も高くなる。襲撃のリスクを遠ざけたい、と思う住民がいることは、考えてみれば当然だった。
そのような近隣住民の声を受け、『エルピスキューマに対する理解を深める』という名目で、拠点関連施設は年に一度、一般開放を行っている。
エルピスキューマの隊員は都市防衛を使命としているが、その役割を市民が広く理解していなければ、有事の際に十全に力を発揮することは難しい。そして、理解は親しみや共感から育まれるものだ。──エルピスキューマの隊員たちも、一人ひとりが懸命に生きている個人なのだと分かれば、風当たりも弱くなり、活動への理解も深まる。
この一般開放は、俗に『感謝祭』と称されている。隊から近隣住民への感謝を伝える祭りであり、同時に、住民たちから隊員の働きへ感謝を伝える祭りということだ。
祭りの日には、隊員たちが日ごろの訓練の成果を演舞の形で披露したり、養成学校に志願する若者たちへの説明会が開かれたり、出店や展示があったりと、様々な催しが企画される。住民からの人気も高く、賑わいを見せる祭りである。
* * *
今年も始まった『感謝祭』を横目に、リヒト・ハイデッガーは一人で敷地内を歩いていた。
市民を拠点内に受け入れるとあって、今日の警備は平時の三倍以上の厳重さだ。それでも、隊員たちが祭りを楽しめるようにと、警備や巡回のシフトはしっかりと組まれている。リヒトの出番は、午後三時からとなっていた。
時刻はまだ昼下がり。今のうちに出店でも見て回ろうか、とリヒトは出店が立ち並ぶ中庭へ向かって遊歩道を歩き始めた。拠点は広大な敷地を有しているので、棟と棟との間に遊歩道が整備され、街路樹やベンチなども設置されている。祭りで初めて敷地内に足を踏み入れる住民たちは、思いのほか牧歌的な雰囲気に、意外そうな顔をするものだ。
歩いていれば、親子連れが手を繋いでリヒトとすれ違う。慣れ親しんだ風景の中に、当然のように見知らぬ老若男女が存在しているのは、何度見ても違和感が拭えない。
入隊から数えて、リヒトが祭りに参加するのはこれで三回目だ。あと何度同じ季節を迎えれば、自分はこの景色を当然のものとして受け入れることが出来るのだろうか。
そのようなことを考えながら、人混みを避けて裏道に入る。一挙に人の気配が遠のいて、リヒトはかすかに安堵した。元より、あまり人の多い場所は得意ではない。祭りを厭う気持ちはないものの、不特定多数が集まる場では楽しさよりも緊張が先に立つ。
出店を軽く見て、後はシフトまでのんびりしていよう。あまりはしゃぐ性質でもないし、馴染みの隊員たちと何か約束をしているわけでもない。
そのように考えながら緩やかなカーブを描く道を歩いていれば、「ミィ」とか弱い泣き声が頭上から降ってきた。見上げれば、街路樹の枝に仔猫が座り込んでいる。遊んでいて降りられなくなったのだろう。困り果てたような眼差しがリヒトを捉えて、「ミィ」ともう一度同じ声が繰り返される。──助けてと言われているような気がして、リヒトは立ち止まった。
「
……
おいで」
木の下に立って、両の手を伸ばす。いくら長身のリヒトでも、その手の先は木の枝に遠く及ばない。背伸びをして目いっぱい腕を伸ばしても、指先は虚空を掴むばかりだ。仔猫は「ミィ、ミィ」と困ったような声を上げるばかりで、飛び降りてくる勇気は持てないらしい。
リヒトは諦めて、木を観察した。比較的大きな木で、人一人が登ったところで折れる心配はないだろう。木登りの経験はないが、仔猫が立ち往生している枝までの道筋も、なんとなくは見つけられた。──問題は、とリヒトは自身の制服を見下ろした。
後方で戦況を支援するための装いは、およそ木登りには向かない。高いヒールや、たっぷりとした袖などは、完全に邪魔だ。
使用武器が中距離戦闘を想定した銃剣なのだから、動きやすさが前衛のそれに劣るのは仕方がない。オルカ隊に属していても、接近戦を得意とする隊員であれば少しは身軽な格好をしているが、生憎とすぐに呼びに行ける当てはなかった。そもそも、警備をしている仲間の手を煩わせるほどの緊急事態ではない。
仕方がないか、とリヒトがブーツを脱ごうとしゃがんだところで、人の気配を感じた。顔を上げれば、面識のない男性が、先ほどのリヒトと同じ道のりを辿ってこちらにやってくるのが見えた。オルカ隊の隊員ではないが、服装から見て、エルピスキューマの隊員であることは間違いがない。
年はリヒトと同じくらいだろうか。肩のあたりまで伸びた茶色の髪の毛を無造作にハーフアップにしており、大きなジャケットを肩にかけている。──動きやすそうなインナーから察するに、彼は前線に立つ者だろう。
身軽さに期待して、声をかけようと立ち上がる。その気配に気づいてか、彼が眠たげな目をリヒトへと向けた。一瞬だけ視線が交わり、すぐにその視線が木の上へと注がれる。彼は猫とリヒトとを見比べて、何も言わずにこちらに近づいて来た。事情を説明する隙さえ与えないまま、彼が「持ってて」と肩にかけていたジャケットをリヒトに寄越す。
「え」
放り投げるようにして押し付けられたジャケットを受け取る。
「っしょ、っと」
彼は軽く腕を伸ばすと、少しの跳躍と共に手近な枝に手をかけた。隊長よりも大柄な割に動きは軽やかで、音がしない。素早いとは言えない身のこなしだが、彼が極力枝を揺らさないように配慮していることは分かった。男性は静かに木を上り、──仔猫のもとにたどり着いて、その手を伸ばした。
木登りに際して垣間見せた気遣いはどこへやったのか、無造作に仔猫の首根っこを捕まえる。雑な手付きに、「ミャウン」と、猫が不服そうに声を上げた。それに頓着する素振りさえ見せず、男性はリヒトを見下ろした。
「ほい」
男性は、猫、と相変わらず無造作な所作で仔猫を突き出す。リヒトは彼のジャケットを抱えたまま、両の手を差し出した。怯えた様子の猫を受け取って、抱きしめる。仔猫は「ミャア」と声を上げて、大人しく腕の中に納まった。小さな体から、軽い震えが伝わる。──それが、木の上に取り残されていた恐怖によるものか、男性に掴まった恐怖によるものかは、判断がつかない。
動物の扱いには慣れていないが、ぎこちなくその体を撫でてやる。男性はひょいひょいと木を揺らしながら地面に降り、リヒトの腕の中にいる猫を一瞥した。静かに様子を眺めて、不意に興味を失ったようにリヒトへ向き直る。
「ジャケット、返してもらえる?」
問われて、リヒトは気圧されるように頷いた。猫を抱きかかえたままジャケットを返し、頭を下げる。
「ありがとう。助かった」
礼を述べれば、彼は動じたように目を瞬いた。感謝されることは予想外だったのか、頭を掻いて小首を傾げる。
「
……
。別に、あんたの猫じゃないだろ。それに、感謝されるほどのことはしてない」
「しかし、私が困っていたのは事実だし、貴方がそれを助けたことも事実だ」
リヒトが言葉を返せば、彼は「まぁ
……
」と曖昧な相槌を打った。
「別に感謝するなとまでは言わないけど。
……
あんた、律儀なんだな」
平板な声から、それが本心なのか世辞なのか、あるいは揶揄なのかは計り知れない。真意を測ろうと彼の目を見るが、そこにも大した感情は浮かんでいなかった。元より感情の起伏が表に出ない性質なのだろう。表情の薄い顔を見つめてから、笑みを返す。リヒトは「助けられたのだから当然だ」と応じて、彼を見上げた。
「貴方の名前を聞いても?」
「ロエノス・エコーだ。
……
あんたは?」
問い返されて、「オルカ隊のリヒト・ハイデッガーだ」と答える。彼はゆっくりと目を瞬いて、「そうか」と頷いた。
「その猫はあんたが逃がしといてくれ」
もう用は済んだ、とばかりに彼が背を向ける。リヒトはその背中に、「分かった。ありがとう」と声をかけた。彼が背を向けたままゆらりと手を振り、──思いついたようにこちらを振り向く。
「余計なお世話だったら聞き流してくれて構わないんだが、」
彼は立ち止まり、半身でこちらを向いて、言いづらそうに言葉を紡いだ。
「そんな律儀じゃなくても、誰もあんたを咎めないと思うぞ」
じゃあな、と彼が再び背を向けて歩き出す。リヒトはその背中を見送って、目を瞬いた。
律儀じゃなくても、と残された言葉を呟いて、苦笑する。──彼は、リヒトよりも早くからエルピスキューマにいたのだろう。名前を聞いて思い当たることがあったのかもしれないな、と気恥ずかしさにも似たくすぐったさを感じながら彼とは反対の方向へ歩き出す。
リヒトは、仔猫を抱きかかえたまま裏門へと向かった。祭りの入り口として開放されている正門は、人がごった返していて、猫が踏みつぶされてしまう。
人の気配がない、静まり返った一角で「ついたぞ」と猫に声をかける。すっかり落ち着いて、震えも収まった彼女が顔を上げ、「ミャア」と心得たように返事をした。
リヒトが仔猫を下ろしてやれば、彼女はゆっくりと確かめるように地面の匂いを嗅いで、そのままトコトコと歩き出した。一度立ち止まり、こちらを振り返る。丸い瞳に向けて頷いて見せれば、仔猫は最後にミャア、と声を零して、駆け出した。尾が揺れて、その背中が遠のいていく。
その姿が見えなくなるまで見送って、リヒトは小さく微笑んだ。
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