Mogamo0830
2026-02-06 23:41:44
5789文字
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『その火を知るは』(敢高Webオンリー展示作品)

『その火を知るは』
――敢助君も火傷の一つや二つ、負ってしまえばいいんです

高校三年生のバレンタイン当日。私こと小橋葵は、同じクラスの諸伏高明に突然呼び出された。彼から告げられたのは、この先も彼が敢助にとっての唯一であるための思いもよらない策で…?高明の一筋縄ではいかない決意と、そんな高明を呆れつつも応援する葵さんの話です。

※注意※
葵さん視点です。
敢助は出てきません。
高明と葵さんはあくまでも仲の良い友人です。

 一歩踏み出すと、薄氷が体にぶつかって割れた心地がする。そんな冴えわたった冬の朝。太陽が顔を出したばかりの時間に私は、家の近くの公園へ向かっていた。というのも、昨日高明くんから突然メールが届いたからだ。話したいことがあるから来てほしいと。高校の図書室に通うのが習慣の私と高明くんは、週に一度は顔を合わせる仲だった。けれど取り立てて待ち合わせたりすることはなく、会えるかどうかは自然の成り行きに任せていた。だからわざわざ約束をしてまで会うなんてと私はしきりに首をひねったが、用件はさっぱり見当がつかないままだ。
 待ち合わせ場所に指定されたのは、ぽつぽつと生えた木がブランコとベンチを取り囲む小さな公園。昼間は子供たちが賑やかな声をあげているけれど、日が昇ったばかりのこの時間では誰もいなかった。
 公園の一番奥にあるベンチに腰を下ろす。座面はしっとりとした冷気を放っていて、思わず鼻までマフラーにうずめた。家族が三組もいればいっぱいになってしまう遊び場をあてどなく見渡していると、公園の入口に高明くんの姿が見えた。制服に身をつつみ、高校生には珍しい革製の鞄を肩に掛けた彼は、まだ淡い日の光に照らされていた。

「葵さん、お待たせしてすみません。寒かったでしょう」

 私が座っているベンチの右隣にある、自動販売機の前に高明くんが向かう。

「何が良いですか」
「いいわよそんなの」
「でも朝早くに呼び出したのはこちらですし。葵さんはもう登校する必要もないのに」

 それもそうか、と思い直す。そうなのだ。先月末に高校での授業はすべて終わり、自由登校になっていた。県内の大学受験を控えているであろう彼をはじめ、これからが本番の面々はまだ登校を続けている人が多かった。しかし大学推薦ですでに進路が決まっていた私は、家で進学先から出された課題をこなしたり読書に勤しんだりしていた。悠々自適な生活を送っている身にとって、今日の突然の早起きは少々辛いものがあった。

「じゃあ、お言葉に甘えようかしら」

 彼の後ろに立って自販機のラインナップを眺める。冷え込む季節に合わせ、あたたかい飲み物が下半分を占めていた。緑茶、紅茶、コーヒー、はちみつレモン、コーンポタージュ。

「せっかくですから、ココアにでもしますか」

 笑い交じりに聞かれ、珍しいなと思う。私は大概ミルクティー、彼はストレートの紅茶を選んでいたからだ。そこまで考えて、はたと思い至る。そうか、今日は。

「ええ、そうするわ」

 共犯者みたいにめくばせした高明くんは自販機に向き直り、ぐっとボタンを押し込んだ。ゴトンと落ちてきた熱々の缶を彼から受け取り、両手で包む。手袋越しでもしっかりと伝わる温かさに、思わずほっと息をついた。高明くんも同じものを買い、並んで座る。自然と生まれた拳三つ分の隙間が私たちのいつもの距離感だ。物語や思索の海にひとしきり潜り、息継ぎのように現実に意識を戻すとほのかに相手の気配が伝わってくる。そんな静けさを分かち合うような彼との時間を私はとても気に入っていたのだけど、一月末に授業が終わってからその機会は減っていた。こうやってあったはずのものはすり減っていって、いつしかないことに慣れてしまうんだろうか。今、彼の隣で見ているこの景色も朝靄のように消えてしまう予感がして、私は慌ててまだ熱い缶を握り直した。
 手の中の熱源が完全に体温と溶け合った頃、一足先にプルタブを開けていた高明くんが、ココアを一口飲んで話を切り出した。

「葵さん、僕、ずっと言っていなかったことがあるんです」

 なんとも不穏な出だしに少し慄く。

「言ってなかったこと?」

 水を向けると、彼はゆっくりと頷いた。力強い瞳と目が合う。

「僕、東京の大学に進学します」

 両手から缶がすっぽ抜けた。ころころ転がった缶はベンチの脚に当たり鈍い音をたてたが、この際そんなことはどうだっていい。

「え!?高明くん、県内の大学じゃなかったの!?」
「ええ、実は。黙っていて申し訳ありません」
「嘘、だってそんな素振りなかったじゃない!」

 彼がとっていた授業は県内一の大学向けのものだったし、過去問だってそこの大学のを解いていた。オープンキャンパスにも行っていたはずだ。判断材料としては少ないけれど、彼の好敵手がそこへ行くと宣言している以上、私は彼もそうだと信じて疑わなかった。

「敵を欺くにはまず味方から。僕は味方と、ともすれば自分をも欺きたかったんです。ですから学校ではあたかも県内の大学に行くように振舞っていました」

 騙すような真似をしてしまいすみません、と彼は眉を下げる。そんな彼を横目に、混乱のさなかにいる私はひとまず落ち着こうとそのままだった缶を拾い上げた。丁寧に砂を落としてから、プルタブを開け一口飲む。程よい温かさの液体からカカオの香りと甘さを感じられるようになった頃、ふと気が付いた。

「このこと、大和くんは知っているの?」
「いえ、まだ言っていません。恐らく勘づいてもいないはずです」
「それはつまり、大和くんには絶対に気づかれたくなかったってこと?」

 彼は少しだけ目を瞠った。

「そうです」

 なるほど。つまり私は、大和くんに見破られる可能性を下げるために今まで告げられなかったということか。カカオの風味を口の中で転がしながら考えを巡らせる。

「どうしてもっと早く言わなかったの?最近決めたわけでもないんでしょう?」
「ええ、かなり前に。高校に入学した時にはもう決めていました」
「じゃあ、なんでこんな時期まで黙っていたの?」

 彼が口元に手を添えた。そのままゆっくりと彼の親指が唇をなぞる。言葉を選んでいるのだろうか。彼がどう答えるのか興味をひかれ、私は彼の唇が動くのをじっと待った。彼がひとつ大きく息を吸い、口を開く。

「敢助君に、忘れてほしくなかったから」

 その響きに切実なものを感じ、私は息を詰めた。

「葵さんは高校を卒業した後、クラスメイトと会うと思いますか」
「会わないと思うわ。これまでは毎日学校に来ていたから顔を合わせていたけど、卒業したら約束をしない限り会えないもの」
 高明くんは深く頷く。
「そうですよね。卒業すれば散り散りになってしまい、何か理由がないと会えなくなる。学校の同級生など、この先思い出しもしない人がほとんどでしょう」

 まだ日の出のやわらかな金色が残る空を見上げる。自由登校になった後に一度だけ入った教室も、こんな光で満ちていた。クラスメイトはまばらに座っていたから、ぎっしり席が埋まっていたあの頃よりも、カーテンがつくり出す光のさざ波がよく見えた。黒板の右端に書かれていた「日付」と「日直」の文字は消され、掲示物もすべてなくなっていた。なんだかよそよそしい教室の片隅に、もう誰も書くことのない学級日誌がひっそりと佇んでいる。その時初めて私は、当然のようにこのクラスに収まっていたそれぞれが、どうやら違う道を歩んでいくらしいとわかった。冬の朝の澄み渡った空気はあまりにまっさらで、かえって将来への不安が頭をよぎった。

「ご存じの通り、僕と彼の関係性はああですから。卒業後も会う約束をするような、面映ゆい言葉はどうしても言えませんでした。ですが僕は、彼の記憶の中でぼんやりと漂う何かになるのが耐えられなかった」
「だから、ここまで進学先を伏せていたの?」
「ええ。こんな時期に告げられたら、敢助君は怒るでしょう。それこそ、怒髪天を衝くように」

 高明くんはくつくつと笑う。身勝手さに混ざった甘えと切なさの気配に目眩がした。大和くんはきっと腹の底から怒る。当然だ。ずっと嘘をつかれていたこと、大切なことをここまで伝えてもらえなかったこと、そして自分が怒るとわかった上で仕掛けられていたことに。でも大和くんはどんなに怒っても、高明くんが相手なら見放したりしない。「仕方がねぇな」って苦々しそうに言いながら、隣にいることを許してくれる。それがわかった上で振る舞っている高明くんは本当にたちが悪い。

「そうね、大和くんなら怒ってくれるでしょう。彼、やさしいもの」

 じっとりとした私の視線を、高明くんは満足げな表情で受けとめる。大和くんの代わりに私はこれ見よがしにため息をついた。こんな所業が許されるのは、高明くんだけだろう。大和くんとの間に積み重ねた思い出の厚さにおいて、誰も高明くんには勝てない。本人たちは認めないけれど、大和くんにとって高明くんが大切な存在なのは確かだ。だけどそのまま仲の良い友人の座に収まるのではなく、それを逆手にとってかけがえのない存在になるのが高明くんの望みらしい。彼のねじ曲がった決意にくらくらしてきて、思わずこめかみに手をあてた。大和くんの怒りに薪をくべ、その火で自分を焼きつけようとしているのか、この人は。

「この先の敢助君の人生で、いつだって鮮やかに目の前に蘇る。それくらい深くまで、彼の心に僕を刻み込みたかったんです。だからこの時期まで、彼と同じ進学先であるように振舞っていました」

 空を見上げる彼を、朝日がまばゆく照らす。

「ですがそれもついに終わり。この後僕は、敢助君に告げに行くんです」

 高明くんは、待ち望んでいた本の一ページ目をめくるときの高揚感に満ちた顔をしていた。身を切るような風が青空へ吹き上がる。ひとしきり話して気が済んだらしく、機嫌よくココアを愉しむ高明くんをよそに、私はあることに引っかかっていた。手慰みに缶を揺らすと、残り少ないのかちゃぷちゃぷと軽い音を立てる。その水位を感じながら、私は胸にわき上がった疑念について切り込んだ。

「高明くん、それだけじゃないでしょう」

 彼の目を覗き込む。彼は虚をつかれたようで、少し幼い表情を浮かべていた。いつも彼には驚かされてばかりだから、その様に少し胸がすく。

「それだけだったら何も、今日言わなくていいじゃない」

 そう。大和くんに想いを寄せる子たちが、勇気を振り絞って好意を伝えるだろう、今日に。
 高明くんはまるく目を見開いた。晴れやかだった表情にさっと影が差す。目線を下げて両手で缶を握り直した彼の背が珍しく丸くなる。意味もなくプルタブを上げ下げする彼は、打って変わって迷子のような横顔をしていた。たっぷり呼吸の五つ分の間を置いて、高明くんはぽつりと零す。

「僕も、理由はよくわからないんです」

 じっと飲み口を見つめたまま、彼は静かに告げた。

「ただ僕は敢助君に、誰かから想いを告げられた後に、僕の話を聞いてほしくなかった。まっさらな彼の心に、一番初めに跡をつけたかった。そして願わくば」

 高明くんの喉がごくりと鳴った。とうに空になった缶を音が出るほど握りしめる。 

「願わくば、告げられる好意を聞いている間も、僕のことを心においたままにしてほしかった」

 彼の瞳の奥で、じり、と何かが揺らめいた。ひとたび外に出たそれは、風に煽られてまたたく間に大きくなる。

「敢助君の、体も、心も、すべて僕に向けてほしい。そのような想いを、何と呼べばいいのでしょうか」

 まさに情熱だった。封じ込められていた火は嬉しそうに、周りの空気を食べて燃え上がる。めらめらと揺らめく炎の中で、彼は困り果てたようにうすく笑った。その火を見て私は、在りし日の教室での二人を思い出した。狭い机にノートと教科書を何冊も広げて、あれこれ議論していた高明くんと大和くん。高明くんは普段の穏やかさが嘘みたいに意地悪く、でも生き生きと大和くんをやり込めようとしていた。二人の間でわいわいと交わされる授業の範囲をはるかに超えた会話は、大和くんが廊下から呼ばれて遮られる。背を向けた大和くんを黙って見送る高明くんの顔を見たとき、私はあれと首を傾げた。何かノイズのようなものが走った気がしたのだ。それは一瞬の出来事だったけれど、今思うとあれは内側で燃えさかっていた彼の炎だったのかと腑に落ちた。
 私はどうすれば良いのだろうか。その感情が何と呼ばれるものかはわかるけれど。それで簡単に終わらせていいものじゃないと強く思った。

「高明くん。私は、呼び名なんてない方が良いと思う。名付けると、どうしても何かが削ぎ落とされてしまうもの。それよりも今の想いの熱さを、まるごと味わう方が素敵じゃないかしら」

 私は彼の感情にチープなラベルを貼りたくなかった。高明くんと大和くんの関係だからこそ生まれた苛烈で切ない気持ちは、高明くんがそのまま抱えていてほしかった。聡明でいつも飄々としている彼が持て余すほどの感情なのだ。世間との折り合いを気にしてかたちを歪めることは、彼の友人として何としても避けたかった。
 高明くんはふっと息を吐いて、「ありがとうございます」と呟いた。彼の目の荒々しさは治まり、暖炉のようなまろい灯りを宿していた。私は大きく伸びをしてから立ち上がる。

「けど大和くんには熱すぎるかもしれないから、ほどほどにしてあげてね」
「いいんですよ。敢助君も火傷の一つや二つ、負ってしまえばいいんです」

 拗ねながらも軽やかに告げる彼に、私はさっきより深くため息をついた。難儀な子に捕まったわね大和くんも。底に残っていたココアを一気に飲み干す。

「早く大和くんに言ってきなさい。待ってるんじゃない?」
「ええ、そうですね。そろそろ」

 その前に、と彼は鞄を探る。出てきたのは手のひらに収まる大きさの焼き菓子だった。

「僕の我儘に付き合ってくださり、ありがとうございます」

 チョコレート味のそれをこともなげに渡された私の気持ちを考えてほしい。まったく高明くんは。肝心な人には渡さないくせして。

「お返しをしたいから、いつか会ってくれない?」
「ええ、もちろん」

 私のささやかな意趣返しにも、高明くんは和やかに笑う。彼と仲が良いと自負している私としては少しだけ面白くなかった。けれど彼らが出会うことができて良かったと、心から思う。燃え盛る道を行く彼の幸せを願って私は唱えた。


「ハッピーバレンタイン!」