よるうみはる。
2026-02-05 20:45:41
2878文字
Public 原作軸
 

叶式恋愛論。

Xから。
月が綺麗ですね、構文のれめしし。

「月が綺麗だね、敬一くん」
 世界一有名なベタな告白を恥ずかし気もなく吐けるもんだな、と獅子神敬一は目の前の奇抜な恰好をした男を見やった。
 例えば二人、月の浮かぶ夜空の下でのシチュエーションで言われた台詞ならば、獅子神も少しはときめきを覚えていた……だろうか。――まあ、それはその時にならなければ分からないことだろうが、少なくとも獅子神の邸宅、それもだだっ広いリビングで横並びになったソファーの上で言われるようなことでは無い。
 飲んでいる珈琲の苦味がさらに増すような気分で、叶に視線を合わせるも当の本人はスマートフォンの画面を見つめるばかりでこちらを見ようともしていない。
……なんだよ、とつぜん」
 獅子神としては、突然純文学に一石を投じられてもその分野に特別明るくもないので、議論の仕様もない。加えて、真偽不明な作者の逸話を伝えられたとて、なんだそれは、という程度だ。
 叶は、ふと顔を上げるといつもの鋭いアイラインの引かれた目を細めて笑みをかたどる。
「そこは敬一くん、『私、死んでもいいわ』って返さなきゃ」
――夏目漱石と二葉亭四迷はちがうだろ?」
 確かツルゲーネフの訳ではなかったかと記憶している。そも、夏目漱石に至っては作品にもなっていないので、対象が異なるのではないだろうか。【アイ・ラブ・ユー】の和訳で有名という点は似通っているだろうが、それ以外に共通点と言えば明治の文筆家、という程度である。
 叶の言葉を待つように続きを促すと「そういうのが流行ってるんだよ」とあっさり答えが与えられた。
「二つ繋げるとロマンチックだろ? そういう意味で返答に使われたりするのさ」
 なるほど、と獅子神は納得するもだからといってそれがこの男の発言と何が繋がるのかは理解が難しい。相変わらず、叶黎明を始めとする友人たち四人の頭の中身を正しく理解したためしはなかった。
 叶はスマートフォンの画面をくるくると回して、まるでそこに自分の言葉の正しさでも刻まれているかのように目を細めてみせる。指先が黒い画面を滑るたび、獅子神の胸のどこかがちり、と小さく火花を散らす。こいつが余計なことを言う前触れだと気付いたときには、眉間をしかめていた。
「で? それを俺に向けて言う意味は」
「ないよ、べつに」  
 即答。間髪入れずに。あまりにも当然のように。 むしろその潔さが、更に獅子神を思考の海へと沈ませていく。考えることは嫌いではないが、だからといって常に考えて話さなければならないのも辛いものだ。 
 プライベートであるならば尚更、叶とは明るく話をしたいとも思う。――が、そもそもネジの一、二本飛んでいるような男なので、まともさを求めるのも違うのかもしれない。「なんだよ、オレはいつだってヤサシイだろ?」だから思考を読むなよ、と顔をしかめると叶はまたおかしそうにきゃらきゃらと声を上げる。
……じゃあ今のはなんなんだよ」
 ひとつ、拗ねたような声音で獅子神は尋ねた。結局なんだというのだこの問答は。それとも他の誰かへと向けたものだったのか。獅子神の探る視線に、叶は「敬一くんに言ったんだって」とおどけて見せる。
「敬一くん、オレは気付いたんだ。オレって、ロマンチックってやつに欠けてるのかもしれないと思って」
「そもそもあんのか、お前に」
 ロマンチックやら情緒やらからは縁遠そうな男の語るロマンなど、実に白々しいだろうに。いやだが、どうだろうか。叶という男は、配信業を営んでいる際は多数に向けて夢を売っているような男だ。案外ロマンは兼ね備えているのかもしれない。
「失礼だな、敬一くん」また脳内と会話したらしい叶に、そろそろ突っ込むのも飽きてきた。きっと前世はサトリとかいう妖怪だったのかもしれない。まあ口を開かなくて良いなら、勝手に一人で話しててくれと思っていると「流石に敬一くん、それは冷たすぎるだろ」と呆れられた。
 仕方なく口を開き、「それで? ロマンがなんだよ」と尋ねてやる。最後まで語りたいであろう叶の話を促してやる。
「いや、単純に、こういうやつってさ、どう言ったら人は揺れるのか、どう返されたら心臓が跳ねるのか。そういうのって死ぬほど興味でるだろ? ねえ?」
 下から覗き込むように同意を求める声に、こくりと喉が鳴った。
 言われてみれば、叶黎明という男は恋愛感情よりも、心が揺らぐ瞬間そのもののほうに執着している節があった。そこに愛があるかどうかは重要ではない。脳の奥で何かが反射的に動く、その一瞬だけを見たいだけなのかも知れない。要するにこの男は根本として――自分の視界に許すだけの――人間のことが好きなのだろう。
 性格の良し悪しとかではなく、人そのものを好んでいる節がある。
……おまえさ」
「ん?」
 果たして、どう伝えればこの叶黎明という男の答えとして満足がいくのだろうかと、獅子神は思案する。反射的なものを欲するのか、それとも熟考の末を待っているのか。獅子神は、続きの言葉を紡ぐ。
「人の心臓って、玩具じゃねえからな」
 言ってから、ずいぶんつまらない返しをしてしまったなという憂慮さが渦巻いた。だが叶は喜ぶでも落ち込むでもなく、むしろその曖昧さこそが狙いだったと言わんばかりに唇の端を上げた。
「玩具じゃないから面白いんだよ。壊れたら戻らない。ひびが入ったら、もう二度と元の形に戻らない。そういう脆い構造物のほうが、おもしろいだろう?」
 ぞくり、と背筋をなぞる感覚が走る。
 叶の言葉には毒がある。けれどその毒は、獅子神の神経のどこかに妙な快楽を滲ませる。理解不能で、解毒の方法も分からないまま、身体の中心に沈んでいく類のものだ。
「ロマンってさ、要は死ぬか生きるかの境界線だと思うんだよね。踏み外すか、踏みとどまるか……その瀬戸際の揺れが、オレにはたまらない」
「おまえの感性はやっぱり奇特だよ」
「すごいな、めちゃくちゃ褒め言葉だ」
 叶は軽々と言い捨て、また視線をスマートフォンに視線を戻した。
 が、その指先は止まっている。画面は見ていても、文字を追ってはいない。意識は獅子神の方にわざと向けているようだ。なるほど、何かを期待されているらしい。
 獅子神は、ひとつふたつと思案してマグカップをひとつ置いた。
「なあ、叶」
 ゆっくりと、視線を向け、叶の横顔を射抜く。
――月が、きれいだな」
 お前はどうしたい。どうする?
 彼に習ったばかりの言葉を繰り返すだけのつぶやきは、叶の心に響くものなのだろうか。ここには月もなく、空はまだ青く広い。夜の気配もしない部屋では、ずいぶん間抜けたやり取りだろう。
 叶はゆっくりと顔を上げた。こちらに向けられた視線は、冗談めいた色を削ぎ落とした刃のような透明さを帯びていた。
「オレは前に答えてやっただろう?」
 腹立たしいほどに笑みを浮かべた、毒の華がそこに咲いている。赤く、百合の花の雌蕊のような、赤色がこちらを観ていた。

「心中するのも悪くないって」