悠環 彰
2026-02-05 20:21:55
3434文字
Public MCU:バキサム
 

傍らのポーラスター

お見舞い帰りのサムと、お迎えにきたバキの、バキサム。

※ミニイベント【#月いち36の日】掲載作



「サム!」
 呼び声に顔を上げると、片手を軽く振りながらバッキーがこちらへ歩いてくるのが目に入った。手元のカップを傾け、もうほとんど残っていなかったコーヒーを飲み干すとくしゃりと潰しながら立ち上がる。
「悪いな、わざわざ」
「これくらいなんとも」
 並んでパーキングまで歩く。やたら芝居がかった仕草でバッキーが助手席のドアを開けるのを呆れたように笑いながらサムは車に乗り込んだ。運転席に座ったバッキーがサムの分のシートベルトもかけ、エンジンをかける。
「今朝までブルックリンにいたんだろ。疲れてないか」
 午前中のフライトでD.C.に戻ってきたはずのバッキーは真っ直ぐにサムの自宅へ向かったらしく、不在と分かるやいなや迎えに行くと連絡を寄越してきた。突然「どこにいる」とメッセージが入ったのには仰天したし、キャブを呼べば済む話なのでサムとしては家でゆっくりしてればいいのにと思ったのだが、この通り押し切られてしまった。
「超人兵士は疲れとは無縁なんでな」
「それは、羨ましいことで」
 軽口を叩き合い、サムはシートの背もたれにぐっと体重を預けた。そして、閉じた瞼の裏に先程のホアキンの顔を思い浮かべてほうと息をつく。
……様子はどうだった」
 そっと、サムの纏う空気を伺うように慎重そうな響きの問いかけ。
「やっと意識もハッキリしたみたいで、途中から笑顔も出てた。本調子になるのはまだまだ先だろうけどな」
「そうか、良かった」
 ニュースにもなったし、実際に手術中に様子を見に足を運んだこともあるので、サムがこの病院に誰を見舞いに行ったかなんてのは聞かなくてもバッキーには分かるだろう。無事に目を覚ましたのだという返答に、車内の空気がほっと緩むのを感じた。
 それからはしばらく、家までの道すがらお互い無言だった。狭い車の中、だけれど決して嫌な雰囲気ではない。ふー、とサムは自身の肩から力が抜けていくのを感じていた。
「腹は? 事務所の奴らがデリを持たせてくれて」
 自宅につくとバッキーはキッチンカウンターに置きっぱなしだった袋から中身を取り出した。横から覗き込めば、この辺では見ない店名がプリントされている。恐らくブルックリンの店なんだろう。
「少し食べる」
「わかった、温めるから待ってろ。夜は何か頼もう」
 そうだな、と頷きながらスーツのジャケットを肩から落として脱ごうとする。それに気づいたバッキーがさっと寄ってきて手伝い、そのままダイニングの椅子を引いてその背に掛けた。
「見舞いにスーツで行ったのか? 他に用事が?」
 引かれた椅子に座ると目の前に蓋を開けた水のボトルを置かれる。全く、至れりつくせりでどうにも座りが悪い。どうも、と礼をいいながらボトルを手に取る。すうと喉を流れる水が心地よくてほうと息が溢れた。
「ちょっと、アーリントンにな」
 それだけで意味を察したバッキーは、そうかとだけ言って黙った。やがて温め直されて湯気の立つデリが食卓に並び、お互いに黙々とそれを口に運んでいく。
 片腕が使えないことは不便ではあったが、この数日でだいぶ慣れたことではあった。だというのにバッキーはやたら世話を焼きたがり、多少口論めいたやり取りが起こったりもしたが、結局はサムが折れて好きにさせた。思えば改めて盾を持つようになってからここまでの怪我をしたのはほとんどなかったのだ。きっと、サムに関するニュースを画面越しに見ているしかできないのが中々に堪えたんだろう。
「なぁ、バック」
 軽く夕飯を食べ、シャワーを浴びて、並んでカウチに座る。どちらからともなく寄り添って、触れた腕からほんのりと熱が通う。
「ワインが飲みたい」
「いや、ダメだろ」
 サムの要求をバッキーは一考の余地もなく却下した。医者にも止められてるんじゃないか、と厳しい表情を浮かべている。
「大丈夫だろ」
「ダメだ」
「ケチなこと言うなよ。少しだけ」
「腕折れてるんだぞ。他にも大小全身怪我だらけだろ」
 このやろう。取り付く島もないというような様子に、思わずサムもムキになってむっと眉を寄せ唇を尖らせる。そして、少しの間の後に体勢を変えてずいと身を乗り出し、斜め下ぐらいからじっと見上げるようにする。
「なぁ、頼むよバック」
 バッキーがこちらを見下ろす。よし、視線が合ったならこちらのもの。
「一杯だけ……寝酒に、いいだろ?」
 じぃ、とブルーグレーの瞳を覗き込むようにしながら強請ると、ぐっと眉間に皺が寄り、せめてもの抵抗と言わんばかりに表情を険しくする。だが、視線を外さないようにしていると、しばらくして低く唸り声を上げながら顎を反らせて葛藤に天を仰ぎ、それから深いため息とともにがくんと項垂れた。
「一杯だけだからな」
 苦々しげにそう言って、立ち上がりキッチンへと向かう。その背中を見送りながら、サムは勝ったとばかりにニヤリと笑った。全くもって、彼はサムに甘い。グラス一杯分のワインを差し出して、少しずつだからなと言い含めるので今日はこれで我慢してやるかと「はいはい」と頷いてグラスを手に取る。
 久々に飲んだからか、ホアキンの意識がハッキリしてほっとしたからか、いつもより遥かに少ない量のアルコールはぐんぐんと体中に回った。ほんのりと全身が熱くなり、思考がふわふわとしている。気づけば自然と口を開いていた。
「俺ってのは完璧なんだと」
「怪我だらけで絶対医者にNOを言われるだろうワイン飲んでるのに?」
 確かにと思って笑いが漏れる。そして深い吐息を一つ。
「ホアキンがさ……故郷のマイアミでは、ヒーローはネットかテレビの中にしかいなかったって」
 バッキーに体重を預け、肩に寄りかかるように頭を傾ける。
「俺も、そうだった。博物館、テレビ、ネット……そもそも俺が子供の頃は、リアルタイムでヒーローを見ることなんてなかった」
「ああ」
「世界を変えてやるなんて言って故郷を飛び出して……相棒を喪って、軍を辞めて」
 取り留めもなく話すサムの言葉を遮ることなく、バッキーはじっと耳を傾けてくれる。目を伏せると、じっとこちらを見つめる、涙の滲んだ瞳が瞼の裏に浮かぶ。いつか、弟があなたに憧れて空軍にと笑ってくれた顔が。兄のようにあなたの力になれるような男になりますと言った強い瞳が。炎が燻る瓦礫だらけの戦いの跡に、自分を助けるために足を踏み入れてくれた人々の心配そうな顔が。
 たくさんの視線が、差し伸べられる手が、サムをヒーローにしてくれる。
「俺を見て、俺みたいになりたいって、そんなこと言ってくれるやつが、本当にいるんだな」
 サムがアベンジャーズとして活動していたほんの二年にも満たない期間に、スティーブでも、ナターシャでも、ローディでも、ワンダでも、ヴィジョンでもなく、サムを見て、サムのようになりたいと。静かに、しみじみと、どこか独り言みたいに話すサムを、少し間を置いてバッキーが軽く小突いた。
「だから、俺が言っただろう。お前は目標になれるって」
「あぁ、そういや言ってたな」
「俺の言葉だけじゃ信じられないなんて、ちょっとショックだ」
 拗ねたような声音を作るから、思わず笑ってしまう。
「あれはスピーチライターが書いたんだろ」
「俺の言葉だ、素直に受け取れよ」
「だってさ、お前って俺の採点すこぶる甘いんだもんよ」
「そんなことないだろ」
「あるって」
 ふと、労るように額にキスが落ちる。サムが瞼を開けて視線を向けると、優しげに細められたブルーグレーがこちらを見ているのに気づく。吸い込まれるみたいに少し顎を上げれば、当然のようにバッキーの顔が近づいてきて唇同士が触れた。ちゅく、とお互いの唇を食むような甘いキス。
「眠そうだな」
 穏やかな笑顔の彼に、有無を言わさず背中と膝裏に腕を差し込まれて抱え上げられる。バック、と言外にもう少しここで話していたいと告げるが、今度は聞き入れられずそのまま歩き始めてしまう。危なげない穏やかな揺れは、記憶にないがまるで揺りかごみたいで眠りを誘った。
「明日もいる。ゆっくり一晩眠って、疲れが取れたらまたお前のマシンガントークを聞いてやるよ」
 そうか、明日もバッキーはいるのか。なら、いいか。
「おやすみ、サム。いい夢を」
 穏やかで優しいその囁きが合図のように、サムの意識はとろりと眠りに溶けていった。