みすみ
2026-02-05 00:26:32
4364文字
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最後のピース

GQ本編後シャアム(シロアム)※捏造過多注意

 その美しいひとにアムロが出会ったのは、ひとも疎らな朝の海岸だった。
「おはようございます」
……おはよう」
 アムロは隣人に頼まれて犬の散歩をしていた。友好的で、賢く、身体の大きな犬だ。忙しい隣人に散歩を頼まれるのも初めてのことではなく、アムロと犬の足並みは揃っていた。ひとりで暮らすアムロの近所付き合いは、自分でも驚くほど良好だった。
 こういう面をアムロは母とふたりで暮らしているうちに学んだ。ひとに近づきすぎないように、遠ざけすぎないように、困った時には助け合うこと。
 母のことを思い出す時、遠い昔に家を出て宇宙に上がった父のことも同時に思い出す。幼かった自身のおぼろげな記憶と、酔った時に限り母の口から涙とともにぽろぽろとこぼれる父の思い出話。もし父に手を引かれ宇宙に上がっていたとしたら、自分は他者との距離を上手くとることができないまま育っていたのではないだろうかとアムロは思う。母とは違い、父はあまり他者との付き合いが得意な人間ではなかったようだから。
 よく晴れた、風が気持ちいい波が穏やかな日、真っ白なスーツ姿で海岸に座り込む男は目を引いた。朝日を浴びてきらきら光る金髪が眩しい。この辺りの人間ではなさそうだったが、観光を目的にしているようにも見えなかった。荷物も持たずに脱いだジャケットを放り出しシャツの袖を捲った姿に首をかしげ、アムロは男の前で立ち止まり恐る恐る声をかけたのだった。「おはようございます」と。
 訝しげにサングラスを外し「……おはよう」と律儀にアムロを見上げた男の瞳があまりにもきれいで、その日の海よりも空よりも澄んだ青色に、わずかな警戒はあっというまに解けてしまった。
 我ながら……と呆れてしまう。我ながら、昔からきれいなものに弱い。
 美しい男は、シャアと名乗った。話を聞くと、朝早く目が覚めてしまいスーツに着替えなにも持たずにホテルを出て散歩をしているうちに道に迷ってしまったらしい。本当かどうかはわからない。ただアムロのほうから声をかけた手前このまま置いていくこともできず、アムロは隣人の犬とともにシャアをホテルの近くまで案内した。
「ありがとう。助かった」
「いえ、無事に着いてよかったです」
 プライベートビーチがついた立派なリゾートホテルをぽかんと見上げ、アムロは隣人の犬と一瞬だけ顔を見合わせた後、ホテルに背を向けた。




「あれ、シャアさん?」
「やあ、アムロ君。偶然だな」
 二度目の邂逅はすぐに訪れた。アムロが仕事帰りに家に向かって賑やかな通りを歩いていると、向かいからシャアが歩いてきた。自然と目と目が合い、挨拶をする。先日のお礼に食事でもと誘われ、断る理由もなかったアムロはシャアが泊まるホテルに併設されているレストランへのこのことついていった。
 シャアとの食事は楽しかった。勧められるままに少しだけ辛口の白ワインを飲んだ。しかし、そのまま腰を抱かれてエレベーターに乗り、男の泊まる部屋で眠ることになるとは。気恥ずかしさを誤魔化すために「ずいぶんと手慣れていますけど、あなたっていつもこうして誰かを連れ込んでるんですか?」と目を伏せたアムロに、シャアは「黙って」と笑いながら軽い口付けをした。隙だらけだったことは認める。もしかしたらこうなるかもしれないと期待もしていた。その機会が会って二度目の夜に巡ってくるとは流石のアムロも思わなかった。
 連絡先を交換したアムロとシャアは、そんな夜を何度か繰り返した。一度だけアムロがひとりで暮らす家に招いたこともある。雑多な部屋の中をぐるりと見回して「ごちゃごちゃしているな」と居心地悪そうにするシャアがおかしかった。ふたりは会うと決まって穏やかに会話と食事を楽しみ、同じベッドで眠った。
 シャアの泊まるホテルの部屋はアムロの家とは比べものにならないほど広く、清潔で、快適だった。瀟洒なインテリアには気後れしたものの、大きな窓から海を見下ろしているうちにどうでもよくなってしまった。「ほら、あなたが座り込んでいたの、あの辺りですよ」とアムロは指差す。窓からは隣人の犬と歩き慣れた、シャアと出会った海岸までよく見えた。背後からアムロを抱きしめたシャアは「君は目がいいな」と抱きしめる腕の力を強めた。
 大きなベッドもアムロは気に入っていた。アムロが手足を伸ばしてもまだまだじゅうぶん余裕があるベッドの上で、シャアはアムロを抱え込んで眠ることを好んだ。隙間がないほど触れ合い、このひとはこれまでもこうして男も女も誑し込んできたのかな……と疑問に思いながらも、アムロもその腕を振り払わなかった。シャアの腕の中で、アムロは人生でいちばん安心して眠ることができた。
 気がつくと、いつからか夢を見るようになっていた。家でひとりで眠る時には見ない。シャアとふたりで眠った時にだけ、アムロはその夢を見た。宇宙に上がる夢だった。悲しくて、苦しくて、寂しくて、怖い夢。でもそれ以上に大切で、忘れたくない夢。
 ふたりで眠ることが当たり前になり始めた頃、アムロはシャアにそろそろ宇宙に戻らなければならないのだと打ち明けられた。
「そうなんですね。あなたがいないと寂しくなります」
「私もだ」
 本心だった。出会ってたった数週間しか経っていないにもかかわらず、シャアはアムロの生活にするりと溶け込んでしまった。生まれも育ちもなにもかもが違うのに、ふたりは不思議と惹かれ合った。
 ベッドに腰かけ、バスローブを羽織っただけのアムロは足をぶらぶらとさせる。足の爪先に視線を落とした。家に帰ったら足の爪を切ろうとぼんやりと考える。
 静かに隣に座ったシャアが、アムロの肩をそっと抱いた。シャアはいつも存在を確かめるようにアムロに触れる。初めて腰を抱かれた時もそうだった。一瞬の躊躇いと、優しい手つきと、強引なやり方。
「アムロ君は宇宙に上がったことはないと言っていたね」
「ええ。僕はずっと地球で暮らしていますから」
「地球から出たいとは思わないのかい?」
 アムロが曖昧に笑うと、シャアは小さくため息を吐いた。
 初めてふたりが肌を合わせた日にシャアが「出会ったばかりでこんなことを言うのはおかしいかもしれないが……」と前置きをして口にした「いっしょに宇宙に上がらないか?」という真っ直ぐな問いかけにアムロはうなずくことができず、この類いの話題はいつのまにか避ける傾向にあった。察しがいいシャアとの会話は楽だ。踏み込まないし、踏み込ませない。それがふたりにとって最善であるのかは別にして。
 アムロもシャアも相手への好意を明確に言葉にしたことはない。ふたりの関係にはいまだに名前がついていなかった。今後どうなるのかもわからない。自由で、責任のない、目には見えない好意だけで維持される不安定な関係。
 目を閉じて身体の力を抜き、シャアの肩にもたれかかる。手触りのいいシャアの髪が頬にあたりくすぐったい。ふと、隣人の犬の姿がまぶたの裏に浮かんだ。ささくれ立った心に、わずかな安寧をもたらす。
 シャアはアムロよりも友好的で、賢く、身体が大きい。ああ、と。この時になってようやく既視感の正体に気がつく。ああ、そうだ、隣人の犬に似ているのだ。髪の毛が細く柔らかなところも、アムロに甘えるのが好きなところまで。
「あなたは? ずっと宇宙に?」
「ああ。地球でこんなに長く過ごすのは今回が初めてだ」
「地球はどうでした?」
「君に出会うために訪れたようなものだったよ」
 シャアの言葉選びにアムロは大笑いしてしまった。
 うれしいが、おもしろい。だってそんなはずはないのだから。アムロとシャアの出会いはあくまでも偶然だ。あの日、シャアが気まぐれに散歩に出て道に迷わなければ、アムロが隣人に犬の散歩を頼まれなければ、海岸に向かわなければ、ふたりはすれ違うことすらなかった。シャアの柔らかな笑顔も、アムロよりも高い体温も、夢に見る宇宙や訪れたことがないコロニーの光景も、なにひとつ知らずに生きて、知らないまま死んだだろう。
「君は笑うが本当だよ。ずっと君とこうして過ごせたらと思うが、離れて暮らしている妹からそろそろ顔を見せるようにと連絡があってね」
「妹さんがいるんだ。きっとあなたに似て美人でしょうね」
「昔はかわいかったな。いまは……そうだな、美しくなった。ずいぶんと苦労をかけたから私はあの子に頭が上がらない」
「仲がいいんだ」
「私に信用がないだけさ」
 父が出ていった後、アムロは家を出てひとりで暮らし始めるまで、ずっと母とふたりで暮らしていた。兄弟はいない。ひとり立ちをしてからは遠く離れた宇宙のどこかにいるであろう父にも、同じ地球のどこかにいるであろう母にも、一切連絡をとっていない。向こうからも連絡はなかった。寂しく思う日もあったが、いまの距離がちょうどいいことも事実で、アムロにとって家族とはそういうものだった。
「妹に会って用事を済ませたら、またすぐに地球の君に会いに来るよ、アムロ」
「待ってます」
「いい子だ」
 アムロの頬を包んだシャアの大きな手のひらに、細い指に、擦り寄る。シャアを顔を見上げると微笑んでいた。シャアの瞳は確かにアムロのことを強く求めている。強く求められている。いるはずなのに。
「あなたって、隣にいても遠くにいるみたいな時がある」
 アムロの呟きに、シャアは息を呑んだ。
「それは、……君が私と宇宙に来てくれたら解決するかもしれない」
「そうなんですか?」
 優しくて誠実な美しい男。
 アムロがシャアを好きだと感じるように、シャアがアムロへ抱く気持ちも言葉も本物だろう。彼は嘘を吐いていない。同時に、決して真実をすべて教えてくれるわけではないのだ。アムロがシャアにすべてを教えないように。なんとなく、シャアという名前も彼の本当の名前ではないのだろうなと思った。
「あなたが僕のもとに戻るまで考えておきます」
「期待しても?」
 許しを乞うようにシャアは恭しくアムロの手をとった。手の甲に唇を落とし、上目遣いでアムロの反応をうかがう姿がいじらしい。
「どうだろう。あなた次第かな」
 夢の中でアムロと同じ顔をした少年は、優しくて誠実な美しい男の命を奪う。何度も何度も。優しくて誠実な美しいシャアと同じ顔をした、違う男。彼の命は必ず宇宙で散る。アムロと同じ顔をした少年の手によって。
 夢の中の男と、目の前の男は別人だ。別人なのだから、宇宙に上がる彼を見送りたくないこの気持ちは幻覚でなければならないのに。悲しくて、苦しくて、寂しくて、怖い。大切で、忘れたくない気持ちを、アムロはもう知ってしまった。