雪成はす子
2026-02-04 22:02:56
3192文字
Public 💛関連
 

冬幻境

全く怖くないハートのホラー、旗揚げ組+春夏秋冬の冬の話。
雪景色の中に誘われるローさんの話。
支部に投稿した書き下ろし単品をピックアップしました。
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 瑠璃色の空が、白く濁る。
 白い、白い嵐がやってくる。

 何処までも続く雪原を歩いていた。
 隣町へ、そう導いたあの人の声に従って、凍える体を叱咤して歩き続けた。
 涙なんて、とうに枯れ果てていた。
 かちかちと震える唇を噛み締める。
 瑠璃色の空が、白く濁り始めた。ちらちらと白い断片が空から舞い落ちて、ひゅう、と冷たい風が頬を撫ぜる。

 白い、白い嵐がやってくる。

 辺りは一瞬で真っ白になった。前も、後ろも、右も、左ももう何も分からない。
 白く濁る視界、それはさながら白い闇だ。視界も何もかもを塞いで、何も見えなくなっていく。

 ――――否。

 びゅう、と風が薙ぐ。
 白い雪が顔に吹き付けられ、俺は思わず目を瞑った。
 再び目を見開くと――そこには。
……ッ!!」
 白い闇の中。
 いつしか俺は、懐かしい白い街の中に佇んでいた。
 屋根も外壁も道路も、街の全てが真っ白に覆われた白い街。
 かつての美しい故郷――フレバンスの、在りし日の姿。
「あ……っ」
 手を伸ばそうとして、けれどあり得ない、と俺はかぶりを振った。
 故郷は、既に滅びた。
 攻め込まれた周辺国に街の全てを焼かれ、街の住民は全て殺されたのだ。
 こんなものはあり得ない、全ては幻でしかない――そう思っていた矢先に、俺の手を誰かがぎゅっと握った。
 どきりと心臓が大きく跳ね、どくどくと急激に血が巡っていく。俺は目を瞑り、再びぶんぶんと首を振る。惑わされるな。これは全て幻だ。惑わされるな、惑わされ――

「お兄様!!」

 次いで聞こえて来た声に、俺は心臓を鷲掴みにされたような気がした。
 あり得ない、そんな筈はない――そう心の中で否定する。
 けれど再びぎゅっと握る手が、俺を掴んで離さない。
 これは全て幻だ。そうに決まってる。
 だが。

 ぎり、と唇を噛み締め、俺はゆっくりと後ろを向こうとして――


『振り返るな』


 また、別の声が聞こえた。
 俺の迷いを断ち切るような、あの人の声。
 俺は振り返らず、再び白い闇の中を歩きだした。

 俺の手を握っていた手は、いつの間にか何処にも居なくなっていた。

  ***

 スワロー島の冬は長い。一年の半分、いや四分の三は冬だと言っても過言ではない。
 穏やかな天気の日も無いわけではないが、一年の半分は確実に雪で閉ざされる。視界すら奪う程の白い闇は、昼夜を問わず訪れる。

 白い、白い嵐がやってくる。

 その度に、俺はあの幻を見ていた。白い闇の中に、かつて滅びた筈の白い故郷がぼう、と浮かび上がる。ごう、と風が薙ぐ度に、懐かしい声が俺を呼んでいる気さえするのだ。

「駄目だよ」

 静かな声が、俺の足を止める。
 振り返ると、そこには凪いだ瞳をしたペンギンが、じっと俺を見つめていた。
「ローさん、そこには何もない。だからそっちに行っちゃ駄目だ」
「ペンギン……? お前、何を言って」
「ローさんこそ、そっちには何も無ェって分かってンだろ?」
 ペンギンの言葉に、俺はぐっと言葉に詰まる。はあ、とペンギンはため息を吐き、こめかみを押さえた。
「シャチだけならまだしも、ローさんも同じなんてなぁ……
 ぽつりと呟かれた言葉は、どうやら独り言のようだ。ペンギンはやれやれとかぶりを振り、それからまた言葉を続けた。
「ローさん、雪ってのはたまに幻を連れて来る事があるんだ。追い詰められてれば追い詰められてるほど、そういう幻を見ちまう。あり得ない、でもあり得たかもしれない、そんな幸せな幻を見せてくる事がある。だから雪の中で何を見ても無視しなきゃならない。あいつらは、道連れを探しているから」
……あいつら?」
「そ、あいつら。ローさんは経験無い? 手を引っ張られたり、名前を呼ばれたりさ」
 その言葉に、俺は再び言葉に詰まる。俺の沈黙を、ペンギンは答えだと見做したようだった。
「ソイツが一番懐かしいと思う人の声で呼んだり、手を引っ張ったり……そうやって、あいつらは引きずり込むんだよ。自分と同じ所にさ。でも、無視していればいずれ消える。だから、ローさんはそっちへ行ってはいけないよ」
「ああ……分かっているよ」
 俺が頷くと、ペンギンは満足そうににこりと笑った。そのまま踵を返したペンギンの後を追い、俺も家の中に戻る。
 もう、幻を見る事は無かった。

  ***

 いかつい鉄の建物の中は暖房が効いているのに、この場所はいつも何処か寒々しかった。
 仲間たちと別れ、このパンクハザードに身を置いてからもうじき半年になる。半分は灼熱のマグマに覆われ、半分は永遠の冬に閉ざされたこの島の気候は、生物にとってはあまりにも過酷だ。研究所から出たら最後、まともな装備が無ければきっと生き延びられはしないだろう。
 研究所の建物の中は、けれどそんな外の気候などお構いなしに気温も湿度もしっかり管理されている。快適な筈の屋内は、けれど何処か寒々しく、そして重苦しかった。
 扉を開くと、びゅう、と冷たい風が頬を撫でる。空が白く濁り、俺の視界を白い闇が覆い尽くした。

 白い、白い嵐がやってくる。

『ローさん!!』

 懐かしい声が、俺の耳朶を叩いた。

――――っは」
 思わず、笑みが零れる。そこにあった幻は、かつて見た白い街ではなかった。
『ローさん見て!! 森でオオヘラジカ捕まえたよ!! 今日はオオヘラジカのシチューにしよう!!』
『ローさん、畑でいっぱいジャガイモとサツマイモが収穫出来たよ!! スイートポテト作るから楽しみにしてて!!』
『ローさん、今日ね、おれの職場の人にお米貰ったんだ!! あと、街の魚屋さんで大きなサーモンも買って来た!! またシャケのおにぎりいっぱい作るね!!』
 温かくも小さな家で、かつてのペンギンが、シャチが、ベポが俺を手招く。
 あまりにも温かな、あまりにも手を伸ばしたくなる幻だ。懐かしい声と、懐かしい彼らの笑顔。
 ふらり、と手を伸ばしそうになり――

『ローさん、本当に行くんですか?』

 背後から、また別の声が聞こえる。
……ああ。俺がずっと追っていた本懐を遂げる為だ。ペンギン、シャチ、ベポ。お前たちならきっと、俺が居なくてもゾウに辿り着ける。……俺も、後で必ずお前たちの元に戻る』
『本当ですか?』
『ああ、本当だとも』
……信じていますからね』
 振り返った先に居たのは、かつての俺と、あいつらの幻。
 ――ああ、そうだ。あの時のお前たちは。
 振り返らずに雪原を歩き出した俺の後ろで、シャチがぽろりと涙を零す。
 ベポは既にぼろぼろと泣いていた。雪の中を、小さな嗚咽が追いかけて来る。
 そしてペンギンは――ぐっと唇を噛み締めたまま、俺の背中をずっと睨み続けていた。
 俺の姿が雪原に見えなくなるまで――俺を、ずっと睨み続けていたのだ。


 目の前の、細やかだが幸せな幻が消えていく。
 今更あんなものに惑わされたりはしない――が、俺にとっての懐かしい故郷が変わっていたという事実には少し、驚かされた。
 この建物の中は快適な温度と湿度を保ってはいるが、ここは少し寒々しい。
……あいつらの声が、聞きたいな」
 誰にともなく呟く。はあ、と白い息がたなびいて消え、俺は踵を返して扉を閉めた。


 あいつらの声は、まだ遠い。
 本懐を遂げたとして、俺が生き延びられる保証はない。
 あの時、あいつらと別れた時も――もしかしたら今生の別れになるかもしれない、とは言えなかった。
 ――最も、あいつらは気付いていたのかもしれないが。

……会いてェな」
 また、ひとつ呟く。
 その言葉は寒々しい空間に吸い込まれ、誰に聞かれる事も無く消えていった。