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よるうみはる。
2026-02-04 22:01:16
8666文字
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原作軸
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落日。
思いつきで書いたので、取り留めない文章と、場面転換が超早いです。
東京事変の落日が好きなんだ。
獅子神敬一が、ひとりきりで恋に落ちてしまったと自覚したのは五分前のことである。
目の前の男が配信者の顔でもなく、友人としてでもなく、果たしてゲーム中の挑戦的な笑みでもなく、ただなにかを見つけてふと笑みを浮かべたのを見つけてしまったときだった。
スマートフォンの画面、獅子神の位置からそれは見えないが、目を細めてゆっくりと口元をほころばせたその仕草に、すとんと恋を自覚した。
――
同時に、失恋をしたのだと気づいた。
そんな顔をする相手だ。きっと、恋人や好きな相手であることは明白だった。彼に恋人がいるなどと、確かに聞いたことは無かったが、そのルックスでいないはずもない。
仕方がない。こればかりは、好きになる順番もあるし、そもそもの前提として男同士だ。土台、獅子神が告白をするのも気持ち悪がられる可能性だってある。
この恋は秘めておこう。誰にも言えない場所に押し留めておこう。
――
実は、獅子神にだって一つ得意なことがある。
それは自分の好意を隠せることである。他人のことを好きになっても返してもらえることは少ないということを知っている。だから、獅子神はそれに期待もしないし、自分の感情で誰かを振り回す気もない。そうした恋心と呼ぶべきものや、母への愛情の求心も、全て押し留め、それがバレたことはなかった。
心臓が不格好に跳ねるのを、深呼吸一つで胸の奥へと沈め、オレはいつもと同じ顔をして目の前の男に話しかけたのだ。
「何かいいことでもあったのか?」
冷えたエナジードリンクの缶を差し出しながら、努めて平坦な声で話しかける。叶は「ありがとう」と短く礼を述べると「ちょっとね」と、余韻を噛みしめるように笑った。
「話したくないことなら、話さなくていいぜ」
獅子神も無理をして聞き出したいわけではなかった。会話の延長、ただ少しの興味。少なくとも、表面上はそう取り繕う。
叶は、ゆっくりと瞬きをすると、自慢の宝物でも見せるかのように言った。
「実は、お願いしてたものができそうでさ」
「お願い?」
「うん。ブレスレットなんだけど」
ひらりと画面を見せてきたそれは、細いチェーンだが、品のいいブレスレットだった。小粒の宝石がいくつか散りばめられている。オーダーメイドなのだろう。叶のデザインなのかもしれない。
「仕事関係か?」
「ううん、プレゼント」
その言葉に勝手に傷つき、胸の奥がつきりと、鋭利な刃物で撫でられたように痛んだ。
「プレゼント?」
普段通りに出来ていたか、わずかに不安がよぎったが、目の前の男が訝しむ様子もない。踏み込んでいいのかそのラインを、冷静さを装う仮面の裏で必死に探る。けれど叶は、そんなオレの葛藤など露知らず、慈しむように目を細めてゆっくりと笑みを浮かべた。それがいかにも大事なのだと言うように。
「うん、ちょっとね」
少し言葉を濁された。それ以上は、オレのような人間が踏み込んではいけない聖域なのだと、脳が冷徹に判断を下す。
「喜んでもらえるといいな」
頬の筋肉を器用に動かし、祝福の笑みを形作る。叶も「そうだね」と短く笑った。こいつの世界のより深い場所に入れてもらえる相手は誰なんだろうと考えたが、今そんなことを考えても仕方がない。
「獅子神さん、オレンジジュースある?」
真経津の気の抜けた言葉に意識が弾かれ、そちらを向く。
「自分で注ぎに行けよ」
呆れたように笑うと「なんか獅子神さんがいれたほうがおいしいから」と、どこまで本気か分からない調子のいい言葉を吐かれた。集まっていた他の面子同様に、飲み物やお菓子を用意しながら、獅子神はひっそりと吐息のような笑みをこぼした。
……
友達でいい、友達が楽しい。
彼の世界に特別な枠として入れる人間を考えてはみるけれど、きっと獅子神と違ってピカピカに違いなかった。ピカピカしている周りは常にピカピカとしている。
ふとリビングを見やると、叶と天堂が何かを話している。人に言えない趣味が似ている二人は、ああやって話し込んでいることが多かった。
二人の間に流れる空気は、獅子神が立ち入ることのできない、暗黙の了解に満ちている。
(
……
やっぱりそういうもんなのか)
もしあのブレスレットが、似たような趣味を持つ誰かや、あるいは今隣にいる天堂のような人間に贈られるものだとしたら。勝手に、ひとりで好きになってひとりで傷ついている。バカらしいことこの上ない。
恋愛なんていつもこんなもんだ。好きになったところで、獅子神は自ら「脇役」の立ち位置へ滑り込む。それが一番安全で、誰にも迷惑をかけないやり方だと知っていた。叶が誰を想い、誰に宝石を贈ろうとも、オレはここでこうして飲み物を用意し、世話を焼き、適当な冗談を言い合う「都合のいい友人」でいればいい。
「ほらよ、真経津。
……
飲みすぎんなよ」
「ありがとう。あれ、獅子神さんなんかテンション低い?」
「お前が小間使いさせるからだろーが」
嘘をつくのは慣れている。心臓が嫌なリズムを刻んでいても、喉の奥が焼けるように熱くても、顔に出さなければ存在しないのと同じことだ。
獅子神は台所の隅で自分の分の飲み物をコップに注いだ。透明な炭酸水の中で、弾けては消える泡が、まるで今の自分そのもののように思えた。少しだけ視線を上げると、また叶が楽しそうに笑っていた。その視線の先に自分がいないことを、冷徹なほど客観的に再確認して、獅子神は静かにコップを煽った。
喉を通る刺激だけが、今のオレを「友人」の枠に繋ぎ止めてくれる唯一の錨だった。
胸の中にある、生まれたばかりの、そして既に死にゆく恋心を、誰にも見つからないように深く、深く、閉じ込めた。
(だって、オレじゃそんな風にわらってくれないだろ?)
――
なんて。女々しいことを思ってしまう自分の醜さが笑えてしまった。
■ ■
……
なるほど。地獄というのは、案外身近に転がっているものらしい。
数日後、獅子神は叶に誘われるがまま都内にある宝飾店が立ち並ぶ通りを歩いていた。叶は、普段のツノ付きパーカーではなく、カジュアルなタートルネックにダッフルコートを合わせた普通の格好だ。ただ身長とビジュアルの強さがあるため、普通の格好をしていても様になっている。
(まあ、宝飾店なのにあの格好はないもんな
……
)
例のブレスレットが完成したから、受け取りに付き合ってほしい。そう言われたとき、断る理由はいくらでもあったはずなのに、獅子神の口は勝手に「いいぜ」と承諾していた。
「友人」という役を完璧にこなすためには、不自然な拒絶は許されない。それが獅子神敬一という男の、不器用な矜持だった。
高級感の漂う店内に入ると、叶は迷いのない足取りでカウンターへと向かった。叶が内容を伝えると、少しして店員は奥の部屋へと案内される。ソファで待っていると、恭しく差し出したベロアのトレイ。その上に鎮座していたのは、数日前に画面越しに見た、あのブレスレットだった。
実物は、画像で見るよりもずっと、誰かの体温を待っているかのように美しく輝いている。
「
……
綺麗だな」
喉まで出かかった「これを誰に渡すんだ」という言葉を押し留めて、獅子神はただ一言、感嘆だけを漏らした。それ以上を口にすれば、自分の声が醜く歪んでしまうような気がしたからだ。叶は満足げに目を細めると、ふと思いついたように獅子神を見た。
「ねえ、敬一くん。ちょっとつけてみてくれない?」
「
……
は? 何言ってんだ」
「サイズ感が知りたくてさ。相手も、敬一くんと同じくらいの体格だからさ。手首の感じも、似てると思うんだ」
その言葉は、獅子神の胸に鋭い楔を打ち込んだ。
(相手は、オレと同じくらいのガタイのいい男、なのか?)
一八三センチある自分と並んでも遜色ない体格。まさかこんな女なわけもないだろう。それとも少しぽっちゃりとしているとか? もしかして、女というわけではないのか。
(おとこ?)
そこまで考えて、胸がざわついた。もしかして本当に天堂だったりするんだろうか。あるいは全く別の「特別な誰か」なのか。
自分ではない「誰か」のための贈り物を、自分の手首で試される。これ以上の拷問があるだろうか。
断りたかった。けれど、叶の期待に満ちた瞳に見つめられ、獅子神は無言で左手を差し出す。
叶の指先が、獅子神の手首に触れた。骨張った、男らしい自分の手首。叶の指の熱が、皮膚を通じて心臓まで届きそうだと、そう思った。
叶は至近距離で獅子神の手首を覗き込み、丁寧に留め具を嵌めた。逞しい腕に、繊細な輝きを放つ宝石が絡みつく。
「
……
うん、ぴったりだ」
叶は獅子神の手を掴んだまま、慈しむような、それでいてどこか切なげな笑みを浮かべた。
その視線は、確かに獅子神の手首にあるブレスレットを見ている。けれど、獅子神にはそれが、叶が想う「大切な誰か」の幻を重ねているようにしか見えなかった。
自分のような無骨な男に似合うものを、あいつは「誰か」のために誂えたのだ。
獅子神は、耐えきれずに自嘲気味な笑いをこぼす。
「
……
そうかよ。そいつに渡すとき、サイズが合わねえなんてことにならなきゃいいな」
わざと突き放すような言い方をした。そうでもしなければ、今すぐこの手首を振り払って、この場から逃げ出したくなりそうだったからだ。
「そうだね。喜んでくれるといいんだけど」
叶はそう言って、名残惜しそうに獅子神の手首からブレスレットを外した。
熱が消えた後の手首が、酷く寒々しく感じられる。
叶が会計を済ませている間、獅子神はショーケースに映る自分の顔を盗み見た。いつも通り、わがままに付き合わされた「友人」の顔ができている。
(
……
完璧だ、ろ?)
心の中で自分を褒め称える。死ぬほど惨めで、吐き気がするほど空虚な達成感だった。
店を出ると、夕闇が街を包み始めていた。
「敬一くん、この後時間ある? 少し飲んでいかない?」
叶の誘いは、今の獅子神には毒でしかなかった。これ以上、この男の傍で想い人の話を聞かされるのは、もう限界である。ちらつく影の先を考えると、吐き気がしそうだった。
「悪い。今日はこの後、まだ仕事が残ってんだ」
「
――
そう」
叶が少しだけ寂しそうな顔をした。それが演技なのか、それとも友人としての親愛なのか、今の獅子神には判別がつかない。足早に駅へと向かう獅子神の背中を、叶が見ていたことなど、知らなかった。
自宅に着いた獅子神は早々にソファに身を投げ出し、暗い天井を見上げていた。
カーテンを閉め忘れた窓から差し込む街灯の光が、無機質な部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。静寂だけが、今の獅子神には耐え難いほどに重かった。
手首には、まだあのブレスレットの冷たい感触と、叶の体温が残っているような気がしてならない。身体を丸めるようにして、獅子神は深く、重い息を吐き出した。
「
……
クソっ」
隠すのは得意だ。
好意も、嫉妬も、そしてこの、胸を掻きむしりたくなるような絶望も。
あのブレスレットが、叶の手から誰かへと手渡される瞬間を、
……
オレはまた平気な顔で眺めるのだろうか。
獅子神は、まだ熱を帯びたままの、無骨な自分の手首を、痛いくらいに強く握りしめた。
一八三センチの恵まれた体躯は、今の彼にとって、逃げ場のない檻のように感じられた。どれほど身体が大きくとも、たった数グラムの金属と、その奥に潜む失恋の重みにさえ耐えられない。金属の冷たさよりも、叶が触れた熱がいつまでも消えず、皮膚の裏側をじりじりと焼き焦がしていた。
こんな風に、独りでに盛り上がって、勝手に傷ついている自分が心底情けない。
何より、何も知らずに隣で笑っている叶が、こんな執着心を向けられているのだと知れば、どれほど気味悪がるだろうか。そう思うと、叶が可哀想で仕方がなかった。
ピカピカしている男に、自分のこんな泥のような感情は相応しくない。
友人の枠を飛び出さないように、しっかりと線引きをしなければならないのは事実だ。
避けたり、不自然に距離を置くのは却って逆効果なことくらい分かっている。そんなことをすれば、聡い叶は必ず「どうしたの?」と、あの赤い瞳で覗き込んでくるだろう。そうなれば、今度こそこの仮面は耐えきれずに割れてしまう。
――
いつも通りをこなすのが、一番だ。
明日になれば、また自分は叶の「敬一くん」として笑い日常を過ごすだけだ。真経津や、村雨、天堂たちとくだらないことで笑い合い、バカだなと囃し立てながら、ギャンブルでいつか殺し合う日までを楽しく過ごすのだ。
喉元までせり上がってくる熱い塊を飲み込み、獅子神は強く目を閉じた。
まぶたの裏には、店内でブレスレットを嵌めてくれたときの叶の笑顔が、焼き付いたように離れない。
「
……
ぴったりって、なんだよ
……
」
掠れた声が、暗いリビングに虚しく響く。
自分ではない誰かへのお墨付きとして利用されただけの言葉。それを一瞬でも、自分に向けられた真実だと信じたかった自分が、殺したいほどに疎ましい。
叶にとっての「特別」な人間は、きっとこの薄暗い部屋でうずくまっている男ではなく、もっと眩しくて、誇らしい誰かなのだ。
獅子神は、手首を締め付けるように握りしめたまま、朝が来るのを待った。
この痛みも、この熱も、夜が明ければ全て「なかったこと」にしなければならない。
誰にも言えない場所に、この醜い恋心を押し留める。
それが、獅子神敬一が叶に捧げられる、唯一の、そして最後の手向けだった。
夜の底は、どこまでも深く、冷たい。
明かりもつけずにソファへ沈んだ獅子神を包んでいたのは、自ら築き上げた強固な「拒絶」の城だった。手首に残る熱を呪い、叶が誰かのために浮かべた笑みを反芻しては、己の内に湧く泥のような独占欲を一つずつ丁寧に押し殺していく。
誰かを好きになることは、こんなにも惨めで、孤独な作業だったか。自分のような男が、あんな眩い光の中にいる男に手を伸ばすなど、土台あってはならないことなのだ。壊したくない。今の、この「友人」という、仮初めであっても隣にいられる特権を失うくらいなら、心など枯れ果てた方がいい。
そうして暗闇の中で幾度も自分に言い聞かせ、呪文のように諦めを唱えていたそのとき、
――
静寂を切り裂くようにインターホンが鳴った。
最初は無視をしようかと思ったが、インターホンは途切れることなく部屋に響く。なんとなく、思い当たる人物があったので、余計に開けたくはなかったが、仕方がないと、重い足取りで向かう。玄関の先、扉を開けた瞬間に流れ込んできたのは、凍てつく夜気と、それ以上に鮮烈な叶の体温だった。
「
……
叶。仕事だって、言っただろ」
絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たく、硬い。だが、叶はその拒絶を撥ね退けるように、獅子神の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、今まで見たこともないような熱と、逃げ場を奪うほどの決意が宿っている。叶は無言のまま、獅子神の大きな掌を、壊れ物を包むような慈しみを持って両手で包み込んだ。
「敬一くん、逃げないで」
叶の指先が、微かに震えている。その震えが、獅子神の強張った心臓に直接触れたような気がした。
「これ、受け取ってほしい」
差し出された小さな紙袋。それは、獅子神が数時間前に、己の失恋の証として見つめていたあの箱だった。
「は?」
一瞬理解ができない。まさかふたつ用意していたとか? ありもしない妄想が脳裏を過った。すぐにあれはひとつだったと、自分の頭が否定する。叶の顔を見つめ「なんの冗談だ?」と問いかけようとするが、何も出てこなかった。
かわりに、無理くり口角を上げて友人の仮面をつける。
「それ、お前が誰かに
……
、お前の、大切なやつに渡すもんじゃねえのか?」
声が震えないよう、叶に掴まれていない手をきつく握る。握られている方は、獅子神はなんとか必死に手を引こうとした。もしこれを受け取ってしまえば、今度こそ自分の中の何かが完全に壊れてしまう。だが、叶は離さなかった。それどころか、獅子神の指を一本ずつ解くようにして、その掌に無理やり、けれど優しく、それを乗せる。
やめろ。なんだよ、意味がわからない。
目の前の叶のことが分からず、獅子神は今にもここからいなくなってしまいたかった。
「そうだよ、大切な相手だよ。オレが、この先ずっと、オレの世界にいて欲しい相手だよ」
握られた手の熱に、獅子神の思考は白く弾ける。ぽたり、と自分の目から涙が滑り落ちたことに気付き、乱暴に手の甲でこする。けいいちくん、と叶のやわらかい声が聞こえた。
「店で敬一くんにつけてもらったとき、本当にぴったりでさ。自分の観察眼もまだまだいけるなぁって。まあ、でも本当はサイズなんてどうでもよかったんだ。ただ、敬一くんがこれを嵌めたときに、何を思ってくれるか
……
。オレに、少しでも踏み込ませてくれる隙があるかどうか、確かめたかったんだけど、もっと動揺するかなとか
……
」
叶の言葉の意味がわからなくて、目の内からどんどん涙があふれて止まらなかった。外は寒いのに、目の奥だけどんどん熱くなっていく。不意に、頭を引き寄せられ、とんと何かにぶつかった。そこで、獅子神は抱きしめられたのだと気づく。
叶の香水の匂いが、まとわりついて、余計にどうにかなりそうだった。
「
……
なんだ、よ、それ
……
っ」
嗚咽で震える声に、叶の手が手のひらから離れ、獅子神の背を引き寄せる。とうとう抱き込まれる形になり、叶の吐息が耳元にかかる。
「敬一くんずっと普通なんだもん。だから、オレのこと友達としか思ってないのかなとか思ってた。でも、別れ際さ、すっごい辛そうな顔してたから、これもしかして別のこと考えちゃってるなって」
「そしたら案の定」と、叶が笑う。なんだよ、意味わかんねえよ。獅子神の悪態はすべて喉奥に蟠ってひとつも言葉にならなかった。ひっと引きつるような嗚咽ばかりが出て、何かを伝えるのが難しい。
抱きしめられた肩から、叶の微かな震えが伝わってきた。それは恐怖からくるものではなく、ようやく捕まえたという安堵と、切実な情熱が混ざり合ったような震動だった。
獅子神の大きな体躯が、叶の腕の中で小さく丸まる。隠し通すのが、優しさだと信じていた。自分の汚い感情で、叶のピカピカした世界を汚さないことが、唯一の愛だと思っていた。けれど、そんな臆病な自己犠牲は、恐らく叶には必要なかったのかもしれない。
叶は獅子神の背中を、まるで迷子をなだめるように優しく、けれど絶対に逃がさないという確固たる意志を持って撫でる。
「敬一くん。オレが欲しいのはさぁ、居心地のいい友人の席じゃないんだよ」
耳元で囁かれる言葉が、獅子神の心臓を直接掴み、揺さぶる。
「オレの隣にいて、一緒に笑って、たまに怒って
……
。そうやって、オレと同じ景色を見てくれる、対等な相手が欲しい。魅力的で、ずっとドキドキさせられてるそれが、敬一くんなんだよ。
……
他の誰でも、替えがきかないんだ」
獅子神は、顔を叶の肩に埋めたまま、嗚咽を漏らし続けた。
自分が独りで築き上げてきた、高く、冷たい絶望の城。それが、叶のたった数言の、あまりにも無防備な愛情によって足元から崩れ去っていく。
なんて馬鹿だったのだろう。独りで勝手に失恋したつもりになって、独りで「脇役」の立ち位置へ滑り込んで。叶は最初から、スポットライトの当たる場所へ、獅子神を招き入れようとしていたのだ。
叶が少しだけ体を離し、獅子神の濡れた頬をその掌で包み込んだ。
赤い瞳が、ひどく慈しむように、壊れ物を扱うような眼差しで獅子神を映している。
「もう、泣かないでよ」
そう言って、叶は箱の中から銀色のブレスレットを取り出した。街灯の光を反射して、それは一週間前よりもずっと、温かな輝きを放っているように見えた。
叶は獅子神の無骨な左手を取り、あの店で見せたときよりもずっと丁寧に、愛おしそうに、その手首に鎖を巻き付けた。
カチリ、と小さな音がした。
それは、獅子神を不自由にするための鎖ではなく、彼を「友人」ではなく、叶の「特別な一人」として繋ぎ止めるためのような所作だ。
「
……
返さ、ないからな
……
」
獅子神は、掠れた声でようやく言葉を絞り出した。
「だめだって、いっても、かえして、やんねえからな
……
っ」
嗚咽混じりの、ひどく不格好な独占欲。けれど叶は、それを待ち望んでいたかのように、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「うん、返さなくていいよ。
……
ずっと、敬一くんのものだよ」
二人の影が、玄関の淡い光の中で重なり合う。
夜の底はまだ深い。けれど、獅子神を包んでいた孤独な静寂は、もうどこにもなかった。
獅子神は、まだ涙で滲む視界の中で、自分の手首に輝く宝石を見つめた。それは、自分が汚いと思っていた感情さえも、全て包み込んで肯定してくれるような、優しくて強い光だった。
終。
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