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いまさら
2026-02-04 21:05:38
3439文字
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その後
寺川さんとアメフト部の部長 原作リレー後
正攻法では勝てない。
ずいぶん幼い頃に知った真理だ。〝少なくとも〟寺川の人生において、それはセオリーだった。
もちろん、この世には正攻法で勝てる人間もいる。寺川はそうではない。それだけの話だ。
しかし、寺川は自身が持つ才能──例えば、ルールの抜け穴を見つけるのが得意だとか、多少の逸脱に躊躇いがないだとか。そんなのも言いようによっては才能だろう──を適切に用いて有利に物事を進めているので、これはこれで正攻法とも言えるのかもしれない。まあ、単なる屁理屈だ。
何でもそれっぽくお喋りすれば案外容易に他者をその気にさせられることも、寺川はよく知っている。自分の頭で何かを考えるのは思いのほか疲れる。皆、道を示してくれる言葉に従って、楽がしたいのだ。そしてそのことに無自覚な人間は多い。寺川はとうの昔に人間の習性に気がついていて、抜け道を利用するのに罪悪感もない。生きるのは十分楽しい。トラブルも嫌いではない。
トガシのことは以前から知っていた。本人がどう思っていたのかは知らないが、彼は地元の有名人だ。寺川もテレビや動画サイトでトガシの走りを見たことがある。100mなんて、正攻法以外が存在しない競技だと思った。作戦勝ちが存在しないスポーツなど楽しいのだろうか。アメフトのフィールドでは小細工はいくらでもできる。力で押し通すことも可能だ。勝ち方は様々で、それなりに面白い。
100mには複雑さがない。足が速いものが勝つだけ。圧倒的な誰かがいたとして、そいつにはきっと努力では勝てない。となると、邪魔者は消すに限るが、小細工の効かない競技ならトラック外で手を回す必要があるだろう。シューズを隠すとか、精神的にダメージを与えるとか。まあ、いくら勝ちたくとも暴行は避けた方が無難だろう。たかがスポーツで人生は棒に振れない。
トガシは正攻法で勝つ方の人間だった。少なくとも100mに関しては。
圧倒的がゆえに世間知らず。つまり、才能のない人間への想像力がない。簡単に丸め込むことができる。そう思って声をかけた。結果は先日の通りである。
軸がないことは、芯がないことを意味しない。
リレーの後で、そんなことを考えた。脅迫なんて、この世のルールに明るいからこそ、寺川は躊躇する行為だ。視野が狭く、後先考えない奴の方が強くて恐ろしいこともあるのだと妙に感心した。将棋やチェスも、ルールを知らない素人の方がプロは戦いにくいと聞く。
トガシは寺川にとって相性の悪い敵だった。何を考えているか、分かるようで分からない。一つ年下の少年を掌握できないことに妙に苛立ってしまったのも敗因か。
彼の提案、あるいは脅しに乗ってしまった時点で負けだったのだ。
「同好会を作る。立ち上げから協力してくれる奴は来てくれ」
リレー後、アメフト部は部に残留するものと、元部長が作った同好会に所属を移すものとで真っ二つに分かれた。部長は人望があった、というのを寺川はそのときに知った。ぞろぞろと部員を引き連れていったうえに、新入部員の勧誘にも皆熱心で、元の部活と同じくらいまで部員を増やしていた。
驚くべきことに──愚かともいうべきか──部長は柏木や寺川など陸上部との対立に関わっていた部員にも声をかけてきた。寺川たちの戸惑いをよそに、同好会レベルのため公式の大会に出場できないがアメフトをやりたいなら、やり直したいなら来てくれと頭を下げて去っていった。
「あいつ、馬鹿なのかな」
三年生の一人がぽつりと言った。皆、無言だった。
もちろん馬鹿だ。
寺川は先輩に同意した。だが、馬鹿にも色々いるらしい。
部長を務めるだけあり、彼は競技に必要な技術や知識を十分に持っていた。恐らく精神性も競技に向いているのだろう。格上の相手にも怯まない。相手より弱いことを認めたうえで果敢に挑んでいた。寺川が持っているような姑息さは一切なかった。それは、フィールドの上に限った話ではない。
アメフト部が強いといっても、都大会優勝までだ。全国大会ではあっさり敗退した。そうだ、全国では姑息な真似は通用しなかった。それまで誤魔化せていた弱みは晒され、練習不足が否めないプレーは簡単に足を引っ張った。なかなか得点が取れずチーム全体が半ば諦めかけていたとき、部長だけが必死に得点に執念を燃やしていた。
正攻法では勝てない。それは寺川のセオリーであり、多くの人間に適用されるものだった。部長も良い選手ではあるが、そのルールから外れる程の天才ではない。しかし、正攻法で勝てないのを知っていてもなお、正攻法で攻め続ける人間がいるのだと、寺川はそのとき初めて知った。そして、全国大会での部長のプレーを見て生まれた感情から目をそらした。
部長から同好会に誘われたせいで、寺川の中に選択肢が生まれてしまった。あんな誘い、一蹴すればよいものを。部長だって建前上声をかけてきただけだろう。筋を通すというやつだ。本気で寺川たちが同好会に入ると思っているわけではない。
帰宅後、リビングのソファに沈み込んでテレビを見つめるが内容は頭に入ってこない。
『走りましょうよ、必死に』
奇跡としか言いようのない速さで走り去る背中が思い浮かんだ。柏木も速いが、それとはまた違う走りだった。違う畑でも、トガシのすごさは分かる。
あのとき、地面に叩きつけられたような気分だった。才能に恵まれている奴は嫌いだ。だからトガシに目を付けた。世間に合わせて形を変えることなく、意志を貫く奴の図々しさも嫌いだ。だから余計にトガシの存在が癪に障ったし、もっと遡れば貞弘が陸上部に籍を置き続けているのも気に食わなかった。
全員、この世の容赦なさに苦しんで傷つけばいいと思う。横暴なのは分かっている。思うだけなら自由だろ。いや、手はちょっと出てたけど。
諦めるのは楽だ。何でも自分の思い通りにはならない。身の程をわきまえて一歩引いて俯瞰していれば傷つかずに済む。それに気がついたのはいつだったか。
「寺川、入会は考えてくれたか?」
翌朝、登校すると廊下で部長と鉢合わせた。顔を見るなり勧誘だ。寺川は嫌そうな顔を隠しもしなかった。部長もそれを見ても何も言わない。
「入ると思って声かけてるんですか?」
そんなわけないだろう。分かっていながら質問すると、部長は真剣な顔で頷く。
「もちろんだ。同好会も人数は揃ってきたがお前の足の速さがあればもっと強くなれる」
「はあ」
それこそトガシくんでも誘えばいいんじゃないですか。そう言おうとしてやめた。
部長もトガシも自分には合わない。自分が納得したいから、という理由で動く。世間の都合や言い分は通じない。寺川は、自分は彼らのようなタイプと話していると調子が狂うのだと最近知った。
「それに、同好会に入れば全教科の試験の過去問もついてくる。各学期の中間、期末、作成する教員別の傾向と対策。毎年受け継がれてきた秘伝のノート。これは俺がアメフト部から持ち出した。元部長の権限で」
「
……
そんなの、アメフト部のときに聞いたこともありませんけど」
「そうか? お前たちが真面目に部活に参加してなかったからじゃないか?」
寺川は自身の記憶を探るが、やはりそんなノートの存在は知らなかった。
高校は義務教育ではないので、出席日数や試験の点数で進級の基準を満たす必要がある。もしその過去問やノートが実在するのであれば正直魅力的だ。しかし、部長が嘘をついている可能性は?
「信じるか信じないかは自由だ。入会して確かめてみればいい」
そう言って部長はようやく笑った。寺川には覚えのある悪い笑みだった。きっと自分もよくそんな笑い方をしているのだろうな。他人事のようにそう思った。
どうやら自分はこの男を侮っていたらしい。正攻法しか知らないのだと、そう決めつけていた。が、実際はそうではないのだろうか。なんせ、アメフトは頭を使うチームスポーツだ。どこかの誰かがやっている個人競技とは違って。
「体験入会って、可能ですか?」
ノートを理由にして入会してしまえば、寺川も初めてフィールドを本気で走ることができるかもしれない。困ったことに、そのときに見える景色に、少し興味がある。
「放課後は第二グラウンドで練習してる。見学も体験もいつでも歓迎だ」
そう伝えてその場を去る部長の背中を寺川は少しだけ眺めて、すぐに目を逸らす。朝の廊下は光で満ちていて、その明るさがなぜか煩わしかった。
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