梶間
2026-02-04 09:32:20
2664文字
Public カブライ
 

八百通りの調理法

人魚をテーマにした短編です。

 それはとても美味しそうな魚料理だった。大きな切り身を、赤や黄色、緑といった色とりどりの野菜が囲むようにして並んでいる。魚は、元はどれほど大きかったのか、切り身なのに皿の半分以上を覆っていた。それらが乗せられた陶器の大皿は、うっすら碧く、まるで温かな海の色を写し取ったかのよう。海で獲れた魚が、海色の皿の上で泳いでいるような、楽し気な一品だった。
 その楽し気な料理に一本のフォークが差しこまれる。フォークを突き立てられた切り身は、ほろりと崩れて赤い肉をさらしていた。魚の赤い肉はフォークに乗せられ、持ち主の手によって掬いあげられていく。その肉を、フォークに乗せたまま、じっと黄色い瞳が見つめていた。
 フォークを持った男は赤い肉じっくりと観察した後、ようやくそれを口に入れた。一口、二口、と噛んだ後、なにか考える素振りをして咀嚼を止める。少し後、大皿の上から真っ赤なトマトや黄色いパプリカを取り分けて、まだ肉が残る口の中へと野菜たちを放り込む。肉のうまみと野菜の爽やかさが合わさり、口の中が満足したのか、男は実に嬉しそうに微笑んだ。
「うん、美味い。料理が上手くなったな」
「ありがとうございます。センシさんに教えてもらって結構頑張ったんですよ」
 ライオスが微笑むと、それを見たカブルーも安心したように笑った。くつろいだ表情でカブルーも大皿へフォークを伸ばして手前の皿へと取り分けた。
「美味い。自分で言うのもなんですが、これはかなり良い感じにできました」
「本当に美味いな、このアクアパッツァ」
「メインの処理が一番手間取りましたが、それさえできれば後は野菜と一緒に煮るだけなんで。一度覚えたら結構簡単でしたよ」
「他の魚のときは焦がしたりしてたのに」
「あれはまだ習いたてだったもんで……おかわり要ります?」
 過去の失敗を誤魔化すかのように、カブルーは空になったライオスの皿へと手を差し出す。ライオスはカブルーの気遣いを感じながら、んー、と悩んでから自分の皿を差し出した。
「いただこうかな。どれくらい食べたらいいのか分からないし」
「じゃあ多めにしときましょうか」
「君も同じくらい食べることになるけど」
「調理してるときに散々味見をしたんで大丈夫ですよ。もうこの切り身の倍以上は食べました」
「それは随分練習してくれたんだな」
「恋人のためにせめて美味しい料理を食べていただこうかと思いまして」
 パチン、と音が鳴りそうなくらい軽やかなウインクを飛ばすカブルーに、ライオスがわずかに苦笑する。苦笑といっても、それは愛おしさが滲んだ表情だった。
「どうぞ」
「ありがとう」
 ライオスがカブルーから取り皿を受け取ると、ライオスはぽつぽつと喋り始める。
「人魚ってさ」
 大皿と同じ色の、碧い取り皿の上で食材たちが食べられるのを待っている。丸のまま煮られたミニトマトが、半分に崩れて皿の上に力なく横たわっていた。肉は、物言わずに静かに座している。
「食べたら不老不死になるとよく言われているじゃないか」
 銀色のフォークが、昼間の陽光を受けてキラキラと光っていた。大きく開け放たれた窓からは爽やかな潮風が吹き込み、カーテンを大きく揺らしていた。
 キラキラと光るフォークが、皿の上の肉を軽くつつく。
「でも、人魚自身は不老でも不死でもない。ただ人間の上半身と、魚に似た下半身があるから幻想的な生き物に見えるだけだ。それにあの魚の部分だって、魚類のヒレではなく鰭脚類のヒレじゃないか。アシカに似た魔物が人間の形を獲得したとか、人間に似た魔物が水中で生きるうちに後脚がヒレになっていったとか諸説ある。あるけれど、不老不死なんてのは人間が作ったおとぎ話でしか出てこない」
 ライオスがフォークで肉を掬い上げる。野菜のうまみを吸ってよく味がついた肉は、赤身が濃くおいしそうだった。
 ライオスはその肉をまた一口、食べた。
「そんなおとぎ話を信じるのはどうかと思もってたんだが」
「おとぎ話でもいいじゃないですか。確証も実証もなくたって、人間はなにかにすがりたいときってあるんですよ」
「ふうん。実際不老不死になったって人間がいるって確証を得てから食べた方が良かったと思うけどな。あんなに得体の知れないものは食べるなって言ってたくせに」
「それは毒があるかどうかも分からないうちにあんたが食べるからでしょう」
「毒はなさそうだと判断した上で食べてる」
「それで倒れた回数は?」
 カブルーに呆れながら聞かれたライオスは、明後日の方向を見ながら、また、料理を一口食べた。
「これは良いんです。俺が毒見も味見もしましたから」
「魔物嫌いの君がそこまで体を張らなくたって良かったのに」
「一番信頼できる毒見役が俺だから仕方ないですね」
 部屋には、二人分の談笑が響いていた。ばさり、ばさり、とカーテンが揺れる度に、大皿の上の料理は消えていく。それがすべて消えたころ、ライオスは腹がいっぱいになった、とつぶやき伸びをした。
「ふー、食べた食べた。それじゃ今年の昼食も済んだし、行こうか」
「今日は誰のところから行きます?」
「どうしようか。そろそろ石自体の整備が要るところからがいいかな。石とはいえ結構朽ちるのってあっという間だよな。もう少し長く持たないかな」
「石碑がこの世で一番長持ちする素材ですよ」
「それかアダマンタイトとか」
「アダマンタイトを石碑にしたら浪費王とか贅沢王とかに名前が変わりますよ」
「それはちょっとやだな」
「石が一番コスパもタイパも良いんで」
「コスパはようやく覚えられたけど、タイパ……?君は相変わらず新しい言葉を覚えるのが早いな」
「あんたはもう少し早く覚えてください。いつも時代に馴染むのが遅すぎます」
「世の中の流れが早すぎる」

 わいわいと、二人は軽やかに会話を交わしながら片付けを進めた。食器を片付け、二人そろってでかける準備をし。やがてすっかり準備を終えると、玄関を開けて二人は外に出ていった。
 
 そうして後に残された家に、分厚い埃が積もっていく。何年も、何年も、何十年分も。
 何度目かの嵐で窓が割れ、家が軋み傾き始めたころ、ようやく玄関の扉が開かれた。

「ただいまー……すっかり荒れてるな」
「だから早く帰ろうって言ったじゃないすか」
「ヤアドに長く生きるコツをもっと聞いておけばよかったなあ」

 玄関の前には、昼食を終えたばかりのときと同じ姿の二人が立っていた。