つきりま
2019-04-11 11:22:38
2644文字
Public サングラ
 

乞いを食む

陽だまりの休日、特別なマグカップの話。

 サンダルフォンの訪れはわかりやすい。ハイヒールを履いている者が、他に誰もいないというわけではないのだけれど。彼の立てる足音は、気取らないくせに妙に嫌味っぽくてすぐにわかる。神経質とはまた違う、カツンと床を叩く硬質感。うん、好きだ。言ってしまったら彼のことだ、歩き方を変えるくらいしそうなので、グランはずっと内緒にしている。
 部屋の前で足音が止まり、引き継ぐようにノックが三回。開いてるよと声を掛けると、ぎこちなく扉が開かれる。入って来たサンダルフォンの両手はマグカップで塞がっていて、手伝えとばかりの視線がグランを射抜いてきた。
「何? 言いたいことがあるなら口で言ってくれなきゃわかんないよ」
……。別に、何も?」
「そう、ならいいや」
 グランがベッドに横になるのと、サンダルフォンが室内に入ってしまうのはほとんど同じタイミングで。廊下を歩いていたときより、明瞭に聴こえる三歩分が心地いい。もっと聴いていたいけれど、あいにくここでおしまいだ。
 サイドチェストにマグが置かれ、ベッドが軋むほどの勢いをつけてサンダルフォンが掛けてくる。おかげで今度はグランのほうが、彼を恨めしげに見上げる羽目になった。
「おや、何か言いたいことでも?」
「べーつーにー?」
「それは結構」
…………意地が悪い」
「お互い様だろう」
 サンダルフォンの手がマグを取る。コーヒーの湯気はゆらゆらと揺れていて、室内を馥郁と満たしていた。
 この間、依頼で立ち寄った街で開かれていた骨董市にて買い求めたマグカップは、グランが選んでやったものだった。いい加減共用の物ではなくて、自分の物を持ってもいいだろうという、ある意味お祝いとして、贈ったものだった。
「僕のも取って」
 身を起こし、ねだる。サンダルフォンは仕方ないとばかりにマグを寄越してきた。こちらも同じ市で、彼がグランに選んでくれたものだった。
 当然、グランのマグカップはずっと以前からあったし、いまだって現役だ。ルリアとビィとお揃いで、とても気に入って愛用している。そしてそんなことは、サンダルフォンだって当然知っていた。知っていて、彼は、グランにマグを選んだのだ。
 無駄遣いはいけない。一度は突っぱねたものの、結局こうして買い求め、休日の昼下がり、やわらかい陽だまりがグランの私室にまあるく形づくられるひと時のためだけに、そのマグは使われている。
 気に入らない、わけではない。大きさも、質感も、あまりにしっくりと手に馴染んだときはさすがに驚きこそしたものの、だからこそむしろ好ましくて。
 ――そう、だから、少し、
「困るんだよなあ」
 ぽつりこぼした言葉はコーヒーに溶けた。一口含むと、一部が内側に返ってきた。おかげで胸が重たくなる。
「砂糖とミルクが必要だったか?」
「なっ! いらないよ。そんなに苦くないし」
「そんなに、ということは苦いんだろう。別に見栄を張る必要はない」
「見栄なんかじゃないってば! もう、ほんっとに意地が悪い」
「ことあるごとに人の罪悪感を刺激してくる君に比べれば可愛いものじゃないか」
 グランは一瞬言葉に詰まった。けれど、最近は言わないでいるじゃないか、と即座に返してみせることも本当は可能だった。だからこそ、あえて、黙った。
 わざとらしくむくれてみせて、コーヒーを啜る。サンダルフォンが愉快そうにくつくつ笑う声がして、今度は体ごとそっぽを向く。
「図星を突かれて拗ねたのか?」
 拗ねてもないし、怒ってもいない。ちょっとむっとはしたけれど、どちらかというと本当は、ちょっと笑ってしまいそう。グランはマグを持つ手に力を込めた。笑ってしまったら、負けだ。
「おい団長、なぜ黙る。いつもの威勢はどうしたんだ。何もそこまで拗ねるようなことではないだろう」
 動揺している。言葉尻が窄んでいくのがかわいいだなんて、言ってはいけない。しばらく口をきいてくれなくなってしまう。
「聞いているのか。いい加減に……! ――……、くそ。悪かった、ナンセンスだったのは俺のほうだ。これで満足か? どうなんだ、団長」
 ちら、と首だけで振り向くと、サンダルフォンは眉根を寄せてじっとこちらを見ていた。二千年を生きているはずなのに、どうして彼は、その見目よりもさらに幼く映るときがあっていけない。
 冗談だよと言ってやれば、いつものように皮肉げに笑ってくれるだろうか。軽いげんこつくらいは、もらうかもしれない。からかった自分が悪いので、グランだって、罰を受ける準備はちゃんとある。
 でもその前に、もうひと声。わがままを言わせてもらうとしたら、
「名前で呼んでよ」
「は?」
 また、グランは少しむっとした。首を正面に戻して、コーヒーの水面を見下ろす。いたずら好きでいじわるな、ガキくさい顔と目が合った。誰って、もちろん、自分自身だ。
 楽しいんだよなあ、からかうの。いちいち反応がシンプルで、まっすぐで、歪んでいなくて、むずかしくなくて。――名前を呼んでほしいのも、ほんとうだけど。
「グラン」
 すとん、と落とされて自然、口元に笑みが引かれた。
「なあに、サンダルフォン」
「君が呼べと言ったんだろう」
「あはは。そうだね」
…………――! からかったな!」
 声を上げて、笑う。コーヒーをこぼしそうになるくらい、抑えが効かなくなってしまう。やだなあ、せっかく換えたばかりのシーツなのに。汚したら洗濯当番に怒られてしまうじゃないか。
 察してくれたのか、手からマグを奪われて――、いや、違った。そのままベッドに引き倒される。
「うん?」
 目尻に涙を浮かべたまま、グランは首を傾げてみせた。
「君は、本当に」
「ナンセンスだって?」
「違う。本当にどうしようもないなと思っただけだ」
「違わないじゃない。ふふっ」
 ぐすぐす目尻を擦る手を、サンダルフォンにつかまれる。つかむというよりやさしく掬われたような、触れられている感覚があまりに稀薄で、妙にくすぐったい。逃げようとすると撫でられて、またそれが、あんまりなほどにやさしかった。
――。華奢、でもないのか。タコばかりで武骨だな……
 音もなく、やわらかく、手の甲に髪が触れ、涙で濡れた指先には、唇が掠めていく。
「え?」
 くすり、と。一つ、サンダルフォンが笑った。
「仕返しだ」
 昼下がりの陽だまりは、いまだたっぷりと、その室内に蓄えられていた。