ミラレオ

鍛錬について。

 ペンを持つのが得意か、剣を持つのが得意かと訊かれれば、ミランはペンを持つほうが得意な人間である。
 文官である弟と聖職者である弟に負けることはないのだが、武官である弟には分が悪い。
 ましてや、唯一の方のために幼い頃から励んでいた兄になど、とてもとても敵うことがない。
 補佐として、仕えるものとしての能力は兄の下で磨いていた。だから、ミランは現在の立場にあるのだ。
 レオナールの側近。
 王太子殿下直々に声をかけられその地位に収まったミランは、当初から求められていたように補佐としてレオナールを支えるべく日々を過ごしていたのだが、そこでふと耳にした話。
 ミランよりも長くレオナールへ仕えている側近のモイーズが、水属性の愛子と恋人の関係を結んだらしい。
 あの彼が、と意外に思うミランであったが、確かにモイーズの愛子のもとへ向かう頻度は多かった。剣の鍛錬などもつけていたらしい。
 剣の鍛錬と聞き、ああ、とミランは思ったものだ。
 ああ、自分ももっと早く彼に願い出るべきであったと。
 レオナールはミランに対して護衛の役割を求めて声をかけたわけではない。あくまで兄の補佐をするミランの姿を見て、その能力を求めてのことだ。よって、ミランが剣の腕に秀でていなくとも問題はない。問題が起きるような事態になってはならない。
(でも、それで可しなどとはできない)
 天性の麗質に、本人の弛まぬ努力によって更に伸ばされる優れた文武の才能。王太子として立場を確実なものとするレオナールの側近でありながら、ミランが不得手をそのままにしていいはずがない。万が一にもレオナールの瑕疵になるようなことがあってはならないのだ。
 そう思ったのもあってモイーズに愛子が羨ましいと零せば、いつでも相手をすると剣の鍛錬を快諾された。忙しい身だろうに優しい方だとミランは思ったのだが、ここで思いも寄らぬ言葉がレオナールからかかる。
…………俺も剣の扱いは得意なんだが」
 レオナールの寝室でふたりきりの時間。側仕えにも任せずレオナールの濡れた髪を乾かし終えたミランに、愛しい主は幾分かの不満と圧を込めて言った。
 まず、ミランの胸に込み上げたのは愛おしさであった。
 この方は自分を独占したいのだ、と感じて、それに覚える深い喜び。
 ミランはレオナールの放つ威圧感がむしろ嬉しくて、動じることはなかった。
「ふふ、存じております。ただ、レオナール様にお相手願うには私の腕がまだまだなのです」
 だから、レオナールと共に鍛錬をするのであれば、モイーズから多少なりとも錆を落としてもらってからになる。情けない話をしているのに嬉しさが滲んでしまう自身はどうしようもない、と側近としての在り方に嘆かわしく思う部分がないわけではない。でも、ミランが冷徹に側近としての本分のみを果たそうとすれば、それで悲しむひとがいる。なによりも大切な主が顔を曇らせ、それを抑えようと堪え、ミランは一番守りたいものを傷つけることになるのだ。
「知っている。じゃなきゃ俺の傍に居なかっただろう……分かっていても、でも……全部俺がいいのに」
 拗ねたように言いながら、ミランへ向かって伸ばされたレオナールの腕がぎゅうと体を抱きしめて頭をぐりぐり当ててくる。言葉にされた独占欲に頭の奥でかちん、と音がして火花が散るような錯覚。夜の帳が下りる薄暗い室内が先程よりもよく見えるようになった気がするのは、きっと集中に瞳孔が散大したからだろう。ミランの意識はレオナールへ過集中し、彼の銀色の髪は星が宿ったようにさえ見える。
……レオナール様がそうお望みであるのなら私は喜んで従いますが」
 我儘にはなるが、あまり無様な姿をレオナールに見せたくはないのだ。そう、真面目に思い答えるのにミランの声は弾んでいたのが隠せない。
 レオナールを抱き返して、背中に流れる髪に指を通しながらミランは彼の耳元に口付ける。
「別に、どんな姿を見たって……いや、いい。俺だってそういう気持ちはあるから分かる、し……それこそ俺が我儘なだけだ」
 恥ずかしさを隠そうとするようにレオナールがミランの肩に顔を埋める。その顔を見たいな、とミランは思う。滲む我欲と己を律してそれを呑み込むレオナールが、ミランにとっては愛おしくてならないのだ。自分の言葉がミランをどれほど喜ばせていることか、レオナールは知っているだろうか。
「レオナール様が私に望むものは全て思うがままですよ。どうか我儘などとは仰らないでください」
 自分の全てはレオナールのものだ。彼が望むのであれば、ミランはその願いを叶える理由を幾つでも考える。
 例えば、一度レオナールと手合わせをすれば、その実力を伸ばすように、とモイーズに命じる理由ができるだろう。その結果がどうなったのか、レオナール自身が確かめる理由にもなるだろう。モイーズには手間をかけさせてしまうが、これなら補佐であるミランがレオナールと鍛錬をする理由ができる。
 そう提案すればレオナールは「分かった」と明るい声を出し、更に力を込めてミランを抱き締めてくれた。
 嬉しさに幾度もレオナールの蟀谷や頬へキスをするミランだが、さて、とも思う。
 さて、ほんとうに無様な姿を見せるわけにはいかないぞ、と。
 ミランの立場ではレオナールに勝ってはならない。だからといって手も足も出せずに地面へ転がるのは問題だ。レオナールは幻滅したりなどしないだろうが、愛しい方に格好つけたい気持ちはミランにだってある。
(反則がないわけではないけど……
 ミランはレオナールの腰に手を這わせ、そのまま下へと撫で下ろす。びく、と跳ねたレオナールの体。ぐに、と尻を鷲掴みにすれば「ぁ……っ」とレオナールが困ったような声を上げた。混じる困惑は触れ方が唐突に感じられたからだろうか。
 反則。
 レオナールと手合わせをする前日に、彼を抱き潰すまでいかずとも、影響が残るように抱くという手段がミランにはある。動くのに支障がなくとも、ずくずくと腹が疼くよう丹念に腹奥を責めて、じっくりと形を覚え込ませれば。
 反則なだけあって、流石にずるすぎる手段だろう。ミランはそういう抱き方をした翌日に、自身をじとっと見つめるレオナールの目を思い出して軽く笑う。
「ミラン……?」
「いいえ、なにも。お休みになる時間だというのに申し訳ありません」
 手を下ろし、そっと体を離そうとすれば服の裾をレオナールが柔く掴む。その頬は薄暗がりにもじんわりと紅潮しているのが分かる。
……お召しいただけますか?」
 小さく口を開いては閉じ、と繰り返すレオナールにミランが問えば、彼はぱっと顔を上げてから恥じらうように目を逸らしながら頷いた。
「あ、ああ…………今日は、泊まれ」
 小さな声を聞いて、ミランはレオナールの花も恥じらうほどに美しい顔を両手で包む。この潤む目を見れば月さえ身を隠すことだろう。
 大切な主。愛おしい方。
 レオナールが望むのであればミランはどんなことでもしよう。
 顔を寄せればレオナールが瞼を閉じた。長い睫毛に震える花唇。ミランは花を盗むような心地になりながらレオナールの唇から吐息を奪う。
 ミランはレオナールに水を注ぐ存在でありたい。ミランはレオナールを守る棘でありたい。ミランはレオナールを誰よりも愛する存在でありたい。そのために、まだまだ足りないものが多くある。
(その全てを身につけることができたなら……
 そのときは。
「レオナール様、御身を私にください」