コーヒーのおかわりを求めてのそのそリビングにやって来たロナルドを、呼ぶ声がある。声量こそ控えめながら、ロナルドくんロナルドくんとせわしない。
「ンだよ、また瓶の蓋か……ってドラ公?」
声は、確かにドラルクのものだった。しかし彼が確実にいる筈のキッチンにその姿がない。即座にたちの悪いイタズラを考慮に入れたロナルドがサッと視線を走らせた先、キッチンマットの上に何かが居る。縦方向に溝が走る、ラグビーボールのような形。500ミリのペットボトルよりも少し大きいくらいの、カカオ豆の莢だった。色は紫色をしていたが。そこに目鼻がくっついており、針金みたいな手足もちょろりと生えている。
「いやあなんか、チョコレートと一緒に居すぎて……?」
「だからってなんで未加工状態の原材料まで戻っちまうんだよ!」
「何を言う、大事な出発地点だろうが!」
どうやらイタズラではなかったが、これは。
身の丈約30センチ、二本足でマットの上に立ち、腕を振り上げぷりぷり怒ってみせるこのカカオ豆の妖怪は、ロナルドの恋人である。今回もまあけったいな姿になったものだと思う。ただ、重たげな瞼の様子や、尖った鼻がつんと突き出ている所などは可愛い、ともロナルドには映る。
「ともあれナイスタイミングだぞロナルドくん。焼き上がり時間が迫ってるのにうまく死ねなくて困ってたんだ」
ロナルドはこれまで一度も許可を出した覚えなどないのだが、毎年二月も十日を過ぎると、ここロナルド吸血鬼退治事務所のキッチンはチョコレートの香り豊かな菓子工房へと姿を変える。なぜか? 勿論、バレンタイン間近だからだ。その日ドラルクは、友人知人にせっせチョコ菓子を配り歩く。感謝の言葉を方々で浴びてはうきうきと、お代は畏怖で結構、とかなんとか返しながら。
そういうわけでドラルクは今日も今日とてここで菓子作りに精を出していて、どういうわけかカカオ豆に変身してしまい、さらにはデスリセットにも失敗してロナルドに声を掛けた、と言う状況らしかった。
ちなみに現在不在のジョンは、一時間ほど前からラッピング資材の調達に出かけている。ロナルドは同行を申し出たのだけれど、原稿をしなきゃだめでしょう、と大人の態度で窘められ置いて行かれたのだった。
「さ、一思いに殺してくれ」
声に促されるまま、自律歩行するカカオ豆を両手で捕まえる。繰り返すが、これはロナルドの恋人である。そして今はバレンタイン前でもある。瓶の蓋を開けてほしい、みたいな真っ当でときめく理由で頼られるのなら大歓迎なのだが。
「ったく、人のこと便利な殺鬼マシンみたいに扱いやがって」
「えっ真理だろ。怖、突然記憶なくした人?」
こういう男なのである。小憎たらしくテンポのよい返しに乗せられてやることにしたロナルドは、両手でフンっと圧をかけかけて、はたとそれを止める。ある考えが頭をよぎったからである。
「なあ、カカオ豆ってチョコだよな? 広い意味では」
「それで行くと君、タンパク質が人間てことになりそうだけどいいのか」
「ここでは俺がルールなのでよいとする」
「なにその、ただし摩擦はないものとするみたいな……それで?」
「ドラ公は俺のこっここ恋人だ。そして今はチョコ(広義の)である……それってつまり、お前が俺のバレンタインチョァァアァ何でもないです調子乗りました!!」
矢も楯もたまらずロナルドはドラルクに、ヘッドバッドをお見舞いした。私がプレゼント、あるいは私を食べて、などという浮かれポンチ行為を恋人に強請ってしまった己の浅ましさを恥じて、つまりは謝罪として頭を下げたのだったが、客観的に見ればそれはヘッドバッドだった。
ロナルドのその誠意溢れる謝罪によって無事、声をあげる間もなく砂となって飛び散ることの叶ったドラルクは、普段より少々時間をかけてから本来の姿を取り戻した。その顔は不機嫌そのものであったのだけれども。
「……あるけど。君のチョコ」
「あるの!?」
「あるわアホ! 毎年作ってるだろアホ!! なんなら今君の分の材料冷蔵庫の中だわアホ……それはそれとして」
「ッハイ、」
「ンンン、まあそのなんだ、丁寧に繊細に味わってくれるというなら? 君専用のチョコになってやるのも? やぶさかではないというかだな……」
ドラルクは最早カカオ豆の姿をしておらず、逆立ちしたってチョコレートの括りには入らない。しかし、チョコとは何であるかをここで定義するのはロナルドであり、ドラルクはまた、それを許すという。ロナルドがそうと決めさえすればドラルクは今から、ロナルドのためだけのチョコレートなのである。それも、バレンタインの。
「ッ、ドラ公……!!」
今この場においてのみ世界とは、愛し合う二人が向かい合って立つ、半畳にも満たない広さに限られる。少なくともロナルドの頭の中ではそう定義されている。
至近距離で見つめ合う、いわゆるバカップルであるところの二人が顔を傾けたその時。
「ヌヌイヌー!」
帰宅を告げるかわいらしい声にロナルドは2センチほど宙に浮き、ドラルクは我に返って羞恥死をした。チョコレートをふんだんに使った焼き菓子の、馥郁とした香りに満ち満ちるキッチン内であっても、お約束展開ばかりは平常運転なのであった。
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