kaede
2026-02-01 21:50:55
4207文字
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一彩くんが悲しんでたと聞いて心配する燐音くんのはなし

天城兄弟
⚠️一彩くんのルームボイス 冬-夜の話題6 のやつです

 一彩が悲しんでいたらしい。どうせ周りが大袈裟に騒いでいるだけだろう。
 とは思いつつも、だからこの話はこれで終いだ、と切り捨てられるほど俺は薄情な人間ではなかった。当たり前だ。一彩は俺のたった一人の大切な弟なのだから。自分が弟に対しては、心配性とか過保護とか、そういう分類にカテゴライズされがちな人間だという自覚はそれなりにあるが、それを抜きにしても、普通に心配にはなる。兄なのだから当然だ。
 それに、心当たりがまったくないわけでもない。ある、と言えば、ある。ある、しかない。
 何かの折に小耳に挟んだ焼き菓子の店にわざわざ足を運んで弟が好みそうなものをいくつか買って、仕事先でもらったが一人では食べきれないので一緒に食べてくれ、と使い古されて擦り切れ混じりの言い訳をそれでも使って部屋に誘う理由としては非の打ち所のないものが。

「あー……、こないだのことなんだけどよ」
「この間?」 
 クッキーを頬張りながら、一彩がこくりと首を傾げる。口角がゆるやかに上がっているのは、口に合ったからだろう。弟が美味そうに食べる顔を見るだけで幸せになれるのだから、我ながらお手軽な人間だ。
「兄さんがもらってくるものはいつも美味しいね」
 一彩は口の中のそれを綺麗に咀嚼して満足げに微笑んでから、言葉を続けた。
「ええと、何かあっただろうか」
「ほら、その、アレだよ」
 言いづらい、というほどではないが、きまり悪さはそれなりにある。俺もクッキーをひとつ口に放り込んで、なるほど当たりでよかった、と論点からわずかに目を逸らすことで体裁を保ちつつ、言葉を継いだ。
「零ちゃんと出かけようとしてた時によ……
「ああ、一緒に連れて行ってほしい、と言ったら、断られたやつのことかな?」
 ただ淡々と事実を述べました、とでもいうような、さっぱりした調子で一彩が言う。俺への当てつけではなくて、本当に事実以外の要素が入り込む余地はないんだろう。この子はこういう子だ。
 だから、噂を疑ってしまったわけだが。
 だが、済んだこと、として今は処理しているだけで、俺が断った時点ではまだ未処理だった感情が、この子にどう作用したのか、についてはその後を見ていない俺には知りようもない。少なくとも第三者から見ても常とは異なる反応ではあった、ということを伝聞で知ったくらいで。

 あのあと、本当に文字通りに悲しんでいたのか?

 と想像するだけで、胸の奥に発生した灰色に汚染されて吐く息まで重くなる。
 なら最初から断るな、という話ではあるんだが。
 だがよ。

「一彩」
「何? 兄さん」
「いや、その……

 あの時断ったのには、ちゃんと理由があるんだ。
 大人には大人の付き合い方、ってもんがあって、あの時その場に未成年のおまえを連れて行くことを正しい選択だとは思えなかった。大人には、子供には聞かせたくない話のあれやこれや、というものが多分にあるんだ。

 なんて、今さら釈明したところでみっともない言い訳でしかないのだろうが。

「その、なんで弟を悲しませるんだ、っていろんなやつらに責められてよォ……
「いろんな?」
「まず、『王さま』くんから話を聞いたらしいこはくちゃんだろ? あとどこつながりなのかわかんねェけど、ウリちゃんにもお小言言われたし、双子にもいじられて、あとなぜか宗くんにまで説教喰らったなァ」
 つらつらと名前を上げながら、これでは当てつけみたいだ、と気づいて口を閉じる。一彩は特に気分を害した様子はなく、むしろどこか嬉しそうな、それでいて困ってもいるような顔をして薄く笑った。
「確かに少しがっかりはしたけれど。みんなに心配をかけていたとは思わなかったよ。悪いことをしてしまったな……
 俺は許しを乞う立場の人間だ。だからこれは不当な非難だ。それは承知の上でそれでも、苛つくことを止められなかった。
 弟のその、他人事みたいな笑い方に。
「兄さん。みんなに悪気はなかったと思うから、どうか僕に免じて許してあげてほしい」
「いや、別に怒ってるとかはねェよ」
「そう? それならよかった」
「何もよくないだろ」
「え?」
「今は、『みんな』でも『兄さん』でもない。おまえの話をしてるんだ」
 
 俺が傷つけてしまった、お前の心の話を。

……責められた、って言い方は良くなかった」
 謝罪に来た人間が使っていい言葉ではなかった。
「当然の報いなのに、保身に走ってまるでおまえに非があるような言い方をしたのは謝る。ごめんな」
「うむ……
「それを踏まえて聞いてくれ」
 一彩は返事はしたものの、その流され具合から察するに今ひとつ腹落ちしてはいないようだった。俺の言葉を濁りなく受け取ってはくれたようだが、うまく飲み込むことはできなかったんだろう。だが、賢い子だ。すぐに理解できるはずだ。
「おまえには俺に対して怒る権利がある。なのになんでそれを行使しないんだ、って話をしてんだよ」
「別に、怒ってないから……
 一彩の反応が、少し、戸惑いの混ざったものになる。
 この期に及んで他人事として片づけるようならどうしたものかと思っていたが、少なくとも、話の主題が自分にあることは理解できたらしい。その点については、ほっとした。
「でも、がっかりしたんだろ」
「それは…………でも、だって」
「『だって』、なんだよ」

 弟は兄に逆らわず、諾々と従うのが道理だからか?

…………だって」
 いつも真っ直ぐに相手の目を見る一彩が珍しく、俺から視線を逸らす。
 その、わずかにむくれたような顔で、俺の不安は杞憂だったことを確信した。
「本当は連れて行って欲しかったのに断られたのだから、僕だって悲しくなるよ。それなりに」
「やっぱ悲しんでたんじゃねェか」
「あの時、少しの間だけだよ」
「そーかそーか」
……なんで兄さんは嬉しそうなの?」
 そう不服そうに言いながらも、一彩は頭を撫でる俺の手を嫌がらなかったから、余計に嬉しくなってしまう。

 どうして嬉しそうなのか、って?

 そんなの、『だって』の続きが、おまえ自身を蔑ろにするものでなくてよかったからだよ。


「ごめんな、一彩。あの時はおまえを連れて行ってやれなくて。急におまえが増えると、零ちゃんも何かと気を使っちまうだろうって思ったんだよ。悲しませるつもりなんてこれっぽっちもなかった。本当だ」
 都会に来てから構築した天城燐音をこの時ばかりは解除して、一彩のたった一人の兄の顔に戻す。
『俺』の気持ちを誠実に伝えるために。
 一彩は視線をうろうろと彷徨せ、俺の真意を見定めているというよりは、どう返答すべきかを選びあぐねているような仕草をしたあと、ふいに何かに思い当たったらしい。
「もしかして兄さん、僕を心配してくれてる?」
「会話の流れ的にそれしかねェだろ」
 確かに、俺の性格が捻くれているせいで、賢いのに鈍感なこの子には伝わりづらい話法を取ってしまったところはあるが。
 まあ、伝わったのだから結果オーライだ。
 いや、開き直るところじゃないな。
……ふふ。ありがとう」
 ようやくすべてが腑に落ちた、というすっきりした顔で、一彩が笑う。
「本当に、もう気にしてないから大丈夫だよ。というか、僕の方こそ、ごめんなさい」
「何がだよ」
「兄さんには兄さんの予定があって、僕が関与することではないのに、我が儘を言ってしまって」
 都会に来てから、どうにも好奇心を抑えられない事柄が増えてしまって。
 そうぼやきながらも、一彩からは、そのことについて困っているような雰囲気は感じない。多分、学びがあったり楽しく過ごせることの方が多いからだろう。
「いいじゃねェか。弟ってのは、我が儘を言うのが仕事なんだからよ」
「そんな話、聞いたことないよ」
「そりゃおめェが弟の役割を履き違えてたからだろ」
 おまえはずっと、俺の道具として使い潰されるために、その異常性をかけらも疑わず生きてきたのだから。
 兄のために人生を差し出すことを是とするなんて、そんなの、弟とは言わない。
 だから俺は、弟が、おまえが、自分のしたいことを優先するのも、我が儘を言ってくれるのも、嬉しい。

 だからと言って、言い分を聞き入れるかどうかは別問題だが。

 誰よりも遠慮なく深いところまで入り込めるつながりを持ちながら、だが一番大事なものは互いに尊重し守り合う独立した人間。それが、兄弟、ってもんだろう。


「手が止まってるぞ」
「え?」
「せっかく買ってきたのに、余らせるつもり……いや、今のは聞かなかったことにしろ」
……ウム。僕は何も聞いてないよ」
 そう答えて、一彩がクッキーをもう一枚、口にする。
「ありがとう、兄さん。とても美味しいよ」
 何もかも了解しています、という得意げな顔が少々癪ではあったが、弟の幸せそうな笑顔を見ていると悪い気はまったくしなくなるのだから、兄という生き物はつくづくコスパ良くできている。
「弟くん、次の休みは?」
「休み? ええと、ちょっと待ってね」
 ポケットからスマホを取り出す弟を横目で見ながら、一彩が気に入っているだろうものは避けつつ、クッキーをひとつまみ。
「たまにはよォ、お兄ちゃんとのランチに付き合ってくれよ。おめェ、俺っちが誘ってもいっつもあっさり断るだろ」
「それは先約があるからであって、僕だってタイミングさえ合うなら兄さんと一緒に出かけたいよ」 
 こちらに非はないのに責められるなんて心外だ、とでも言いたげに一彩が唇を軽く尖らせる。
 弟の小さな反抗をかわいらしく眺めながら同時に、うん?と思い当った。

 それって、俺がおまえにしたことと同じじゃねェか?

「あー……改めて思うと、結構前からすげェ弟ムーブかましてたな、弟くん」
「弟ムーブ?」
「弟くんはかわいいなァ、ってこと」

 面倒くさくて我が儘で、でもそんなところがいっとうかわいくて愛おしい、たった一人の俺の弟。

 一彩は、真意は理解できずとも、はぐらかされていることはわかったんだろう。訝しげに俺を見ていたが、すぐにその顔をくすぐったそうに緩ませた。


 どうやら、コスパ良くできているのは兄だけではないらしい。