君がくれるなら、なんでも

足立誕生日おめでとう2026

夕飯を食べ終え、食器を流しに運びながら、鳴上は何気ない調子で口を開いた。
「もうすぐ二月。ということは……足立さん、誕生日ですよね。何か、欲しいものはありますか?」
ソファにだらしなく身体を預けていた足立は、きょとんと瞬きをしてから、すぐいつもの調子で笑った。
「ええ……?いいよそんなの。君もそろそろ歳を重ねることにおめでたさ感じなくなってきたでしょ?」
冗談めかした声。軽く肩をすくめる仕草。それは紛れもなくいつもの足立だった。鳴上は洗い終えた皿を水切りラックに置いたまま、立ち尽くしていた。
……そう、ですか」
そう返した鳴上の声が低くなっていたことに、足立は気づいていただろうか。

足立は終始悪気なく笑っている。ただ“自分には必要のないもの”として受け流すように。
その仕草が、鳴上にはどうしても引っかかった。

足立は自分を大事にしない。それだけじゃない。
鳴上にとっては、自分が足立を祝いたいと思っていること、共に過ごす時間を特別な日にしたいと思っていること、その気持ちごと軽く笑って流されたような気がして。胸の奥がふっと熱を帯びる。
拗ねたわけでも、怒ったわけでもない。差し出した手を軽やかに避けられたような、そんな拍子抜けの寂しさと、ほんの少しの苛立ちが、胸の奥にじんと残る。
鳴上は皿を拭く動作を途中で止め、唇を引き結ぶ。視線を落としたまま、何かを飲み込むように息を吐いた。

「特別欲しいものなんてないよ。あったら君にたかるし」
その一言が、鳴上の胸に再び小さな棘のように刺さる。彼は背を向けたまま、なおも続けた。
……本当にないんですか?」
「うん。ないない」
「なんでもいいですよ。食べたいものでも、行ってみたい場所でも、日用品でも……
「んー、じゃあ寝る時間?」
「真面目に聞いてます」
「真面目だよ?アラフォーの欲なんてそんなもんだって」
足立は悪びれもせずに笑う。鳴上はそのまましばらく黙っていたが、やがてふいに足立の方を振り返った。
「足立さん」
呼びかけに、足立はちらりと視線を向ける。

……俺は、足立さんを祝いたいんです。ちゃんと。年齢なんて関係なくって、こういうことを、ちゃんとしたいんです。……一緒に暮らしてるなら、なおさら」
それは、ほとんど訴えるような声音だった。
「だから、“ない”って言われると……なんというか、俺のことも、必要ないって言われてる気がするんですよ」
足立が、一瞬だけ笑うのをやめた。表情が、少しだけ動く。
……そういうつもりじゃなかったんだけど」
「わかってます。でも、そう聞こえました」

ソファの上、足立は少し肩をすくめたまま、鳴上の言葉を受け止めあぐねていた。
……真面目だねえ、悠くんは」
そう言って笑おうとした唇が、途中で止まる。流そうとした言葉が、鳴上の真剣な視線に絡めとられて、喉の奥で詰まった。
……あーあ。そうやって見つめられると、逃げられなくなるなぁ」
そうぼそりとこぼすように言ってから、足立は再びソファの背にもたれて、わざとらしく天井を仰ぐ。しばらく間を置いて、やがて、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
……ほんと欲しいものなんてないんだよねぇ。そうだな……強いて言うなら、君がくれるなら、なんでも、かな」
照れ隠しのような、皮肉めいたような言い回し。けれどそこには、確かに“受け取ろうとする意志”はあった。

鳴上はしばらく何かを考えるように黙っていたが、やがて小さく息をついた。
……わかりました」
短く、けれど丁寧に言葉を返す。
「じゃあ、足立さんに渡すもの、俺なりに考えてみます」
その言い方に、どこか静かな決意のような響きが混じっていて、足立は思わず身構える。
「え、なんか怖いんだけど……
「安心してください。ちゃんと喜びそうなものにしますから」

◇◇◇

食後の皿を洗い終えた鳴上が手を拭きながらリビングへ戻ってきた頃。足立はソファに座ったまま、湯飲み片手にのんびりと茶をすすっていた。
そんな足立の前に、鳴上は静かに箱を置く。白地に細いリボンをかけた、簡素だけど上品な包装。贈り物だと一目でわかる。
足立は一瞬だけ瞬きをしてから、警戒するように眉を寄せた。
……え。なにこれ」
「誕生日プレゼントですよ」
……これが君なりに考えた答え、ねえ」
言いながらも、手は慎重に梱包を解いていく。

中から現れたのは──ふかふかと厚手のバスローブと、それに添えられた一式のスキンケアセットだった。
導入美容液、化粧水、美容液、乳液、フェイスパック、そしてボディクリームまで。どれも落ち着いたデザインで、どう見ても“いい年をしたおじさん”に渡すものではなかった。

「ちょ、ちょっと待って。これ、僕に?全部?」
「はい。足立さんは、形に残る物より消耗品の方が嬉しいと思って」
即答だった。しかも、鳴上はそれを気配りとして口にしている節がある。
「いやまあ……それはそうだけど、さ……
「使い切ったらまた渡せますから、俺としても嬉しいです」
何故か妙に嬉しそうに微笑む鳴上に、足立は言葉を失う。

思わず、手に取った容器を指の腹で撫でた。
触れただけで伝わる、高そうな質感。使い方も成分も、まるで知らない世界のもの。
……分かってると思うけど。僕、こういうの、使い方よくわかんないよ?」
「わかってます。なので、俺が使います。足立さんに」
鳴上の声が、ごく当たり前のトーンで響いた。その瞬間、ソファの上の空気がぴたりと止まる。
湯呑へ伸ばしかけていた手が宙で止まり、足立はゆっくりと鳴上を見やった。
……へ?」
「導入から保湿まで、順番に。今夜からお風呂上がりにはバスローブを着てくださいね」

◇◇◇

浴室のドアが開く音がして、しばらくしてから足立がリビングに姿を見せた。
着ているのは例のバスローブ。肌が湯気を含んでほのかに赤く、髪はまだしっとりと水気が残っている。
「ほら、ちゃんと着ましたよっと。……このまま出てっていいの?」
どこか照れを誤魔化すような口調に、鳴上は静かに頷いた。
「ちゃんと着てくれたんですね」
「いや、着てくれたって……君が言い出したんでしょこれ」
足立はバスローブの裾をなんとなく握りつつ、ソファに腰を下ろす。その前には、既に整えられたケアセットが並べられていた。
導入美容液、化粧水、美容液、乳液、パック、ボディクリーム──聞き覚えはあっても、使ったことなんて一度もない代物ばかりだった。

「改めて見ると、圧あるねこれ。……順番とかあるの?」
「もちろん。使用手順も、適量も、調べておきました」
鳴上は、ごく自然な所作で導入美容液のボトルを手に取り、そのキャップを開けた。そして、自分の手のひらに少量を垂らし、静かに指先で温め始める。
足立はその手つきを見て、眉を上げた。
……なんか、準備良すぎない?」
「今日のために用意したので」
ぽつりとこぼされる言葉の温度は変わらない。その真剣さが、かえって足立の照れをじわじわと増幅させる。
「じゃあ、顔、触れますね」
そう前置きされて、足立は一瞬ためらったが、結局、観念したように目を閉じた。
……はいはい。お好きにどうぞ、先生」
「先生じゃありません」
律儀に訂正してきたその返答に、思わず口元が緩む。次の瞬間──頬に、指の腹がそっと触れた。
ひやりとした感触を感じていたら、それはすぐに体温へと馴染んでいく。柔らかな圧とともに、美容液が肌へゆっくりと押し込まれていくような、不思議な感触。

「歳をとってきたからこそですよ。こういうケア、大事です」
鳴上は、まるで世間話をするような軽い調子でそう言った。足立は目を閉じたまま、眉をぴくりと動かす。
……え?今の、もしかして煽られてる?」
「え?違います。加齢で乾燥しやすくなるので、予防は早めにって……
「ああ……はいはい、悪気ないやつだ。悪気なく人を傷つけるやつね……
苦笑しながらも、足立はなすがまま、肌に液体を塗り込まれていく。押し込むでも撫でるでもない、絶妙な触れ方が妙に心地よく、つい呼吸も深くなる。
リビングの空気は静かで、外の冷気も届かない。互いの肌と指先の温度に、少しずつ熱が帯びていく。

◇◇◇

顔への保湿が一通り終わり、最後に乳液をそっとなじませたところで、鳴上の手がふっと離れた。
……はい。顔はこれで終わりました」
足立は目を開け、ぼんやりと天井を仰ぎながら呟いた。
……ふぅ。なんか、想像してたより本格的だったな……
目元にまだぬるさが残り、肌はしっとりとしている。まな板の上の鯉よろしく、されるがままだったとはいえ、ここまで本格的にやられるとは思っていなかった。
これで終わりかと、腰を浮かせかけたところで──

「じゃあ、次はボディクリームですね」
……え、あ、まだあるの?」
「もちろんです。冬は乾燥しますから」
そう言って、鳴上は当然のようにクリームの蓋を開け、指先にすくい取っていた。
「ちょ、ま、ちょっと待って。どこまで塗る気?」
「全身です」
即答だった。迷いがなさすぎて、逆に怖い。
「全身って……これ、今日だけだよね?誕生日だから張り切ってるだけだよね!?」
「脚からいきますね。乾燥しやすいですから」
狼狽える足立を気にした様子もなく、鳴上の手がバスローブの裾に触れた。器用に片脚を露出させて、そのままふくらはぎへと滑り込んでいく。
「わ、つめたっ」
「すみません、今温めますね」
冷えたクリームが肌に触れた一瞬、思わず肩が跳ねる。そしてその直後、熱を帯びた掌がぴたりとふくらはぎに貼りついてきた。
撫でるような、揉むような。なんと言えない力加減で、ふくらはぎから膝裏、太ももへと──クリームが丁寧に、じっくりと塗り広げられていく。

……あのさ、悠くん。なんか……その、さっきより手つきが……
「すみません。面積が広いので、こうして滑らせる必要が」
そう言いながら、鳴上の手は容赦なく膝裏をなぞり、じわじわと太ももの内側へと移動していく。指の腹がバスローブに隠れた内側へ触れるたびに、足立の背筋がひくりと跳ねた。
抗議の言葉が喉でつかえて出てこない。目を伏せたその瞬間──指先が、すっと太ももの付け根をかすめる。
……ちょ、ちょっと」
声は出たが、すでに遅かった。鳴上は何も言わない。無言のまま、一定のリズムで手を動かし続ける。
本当に気づいていないのか、気づいてないふりをしているのか──それさえわからない、素を装ったような所作。その丁寧すぎる手つきは、妙に手慣れているようでもある。
意識が、妙な方向へ引きずられそうになる。この静けさも、この手つきも、保湿の名を借りた別の何かじゃないかと疑いたくなった。

◇◇◇

足立は膝の力が抜けるのを感じながら、どうにか声を絞り出す。
……ねえ、悠くん」
「はい?」
その返事が、今はどうしようもなく白々しく聞こえる。
鳴上の指先はすでに太ももから腰骨のあたりへと回り込み、肌の温もりを確かめるように撫でている。押し付けるわけでもなく、撫で回すでもなく。ただ丁寧に、しかし確実に、際どいところへと触れていく。
一つひとつの動きに悪びれた様子はない。けれど──いやらしい。明らかにいやらしい。
……君、もしかして最初から、こんなつもりで……っ!」
堪らず声を上げれば、鳴上は手を止め──静かに足立の顔を見て口を開いた。

「ええ。そうですよ」
あっさりと、認めた。
……は?」
「だって、足立さん。俺が渡すものならなんでも嬉しいって」
心臓がどくりと跳ねた。それは、数日前の会話──誕生日プレゼントについて話していた時、足立自身が言った言葉だった。
……そ、そりゃあ、ああいう時は……
「言葉のあや、だったんですか?」
そう言って、鳴上はまるで確認でもするように、そっと足立の腰に手を回す。柔らかく、けれど逃げられないような重み。
……違いますよね。なんでも嬉しいって、本気で言ってくれたんだと思いました」
「いや……っ、でも、それって、こういう意味じゃ──」
「じゃあ、俺が触れるのは、嬉しくないですか?」
問い詰めるでも、責めるでもない。ただ静かに確かめるだけの声音。けれどその言葉は、足立の逃げ道を塞いでいく。
目の前の鳴上は、どこまでも真面目な顔をしていた。何を言っても、どう言い繕っても、揚げ足を取られる。否定も、言い訳も、もはや通じないと──足立は、もう悟っていた。

何を言っても逃げられないと悟った足立が言葉を飲み込む。そのわずかな沈黙を逃さず、鳴上の指先がまた動き出す。
今度は、バスローブの前合わせへと、躊躇いもなく手が伸びてきた。
「では、上半身に移りますね」
「いや、あの、もう……これって、さ……っ」
反射的に抗議しかけた足立の声は、胸元に触れた鳴上の掌の温度にあっさり呑まれた。
開かれた襟ぐりから覗いた肌に、ひやりとしたクリームが落とされる。すぐに指の腹がそれをすくい、足立の肌の上を滑っていく。
あくまで丁寧に、押しつけがましさはない。ただ、やけに熱っぽい。鎖骨から胸元、そこからさらに中心へ──鳴上の手は、静かに、しかし確実に境界を越えてくる。
クリームを染み込ませるための動きにしては、妙にねちっこい。
指先は落ち着いているのに、触れられたところがじわじわ熱を帯びていく。

……ちょ、ちょっと待って、そこ、胸──」
「ここも凝りやすいので、よくほぐしますね」
真面目な調子で返され、足立は言葉が止まる。
いつ見たかも思い出せないアダルトビデオで、こんなやり取りを見たような、見ていないような。
「凝るって……これ、マッサージじゃないでしょ?保湿なんじゃ……
「保湿とマッサージは、同時にできると効率的なので」
言い切る鳴上の声には、どこにも後ろめたさがない。その善意100%のトーンが、逆に足立の心拍を跳ねさせる。

「っ……ん、く……っ」
乳首のすぐ近くを、指先がくるりと撫でていく。
かすめるような動きなのに、どう見ても狙っている。わざとじゃない風を装って触れてくるのが、一番いやらしい。
中心には触れていないはずなのに、そこだけが敏感に浮き上がってくる感覚に、呼吸が浅くなる。
「反応、いいですね。期待してましたか?」
「ち、違……っ、そんなんじゃ、ない……!」
否定する声はもう弱い。体を起こそうにも、背中は反り、肩はソファに沈んだまま──逃げ道が見つからない。頭のどこかで警鐘は鳴っているのに、体の方が先に反応してしまう。

これは保湿で、マッサージで、誕生日プレゼントの延長で──そう思い込もうとした、その瞬間。
鳴上の指が、とうとう乳首の先端をやさしくなぞった。
……あ、っ……
甘い声が漏れる。思わず口から出た声に、足立自身も驚いて目を見開いた。
……ちゃんと、感じてますね。よかった」
そう言いながら、再確認するようにもう一度乳首をなぞってくる。
……うん、ちゃんと効いてる」

それはもう、ケアの効果確認なんかじゃない。
狙って反応を引き出した、下心のある恋人の声だった。