来羅
2026-01-31 23:04:56
1973文字
Public トワウォ
 

鍋(風信)

ワンドロライ第29回。




「本当に良かったのか?」
 問うた龍捲風に、信一は一瞬ポカンとした顔をして首を傾げた。
「なにが?」
「夕飯だ。誘われていただろう」
 若い衆らに飲みに誘われている現場に出くわしたのは、たまたま煙草を買いに出た先でのことだった。思わず足を止めて身を隠してしまったのは、決して後ろめたさではなかったはずだ。
 間髪入れずに「俺はパス」と断った信一は、残念そうに追い縋る声にも耳を貸すことなく軽く手を振って背を向けたので、龍捲風は慌ててそこから立ち去ったのだ。
 今夜は鍋でもしようか、と龍捲風が言ったのは今朝のことで、それが信一のノーの言葉になったのはおそらく言うまでもない。
「飲みに行ってきても良かったんだぞ?」
「やだよ。もう今日の俺は鍋の気分なの」
 相変わらず地獄耳なんだから、と頬を膨らませる信一は勝手知ったるキッチンであれこれと漬け汁に使う調味料を取り出している。
「ニンニクは?」
「たっぷり!」
 醤油に炒めたニンニクをたっぷり入れて、豆板醤と胡麻ペーストを少し、それが信一の最近お気に入りの配合だ。
 厄介事を片付けた礼にともらった鶏ガラで煮だした白濁のスープに、肉と野菜をあふれんばかり入れて、最後にクレソンをどっさり乗せればそれはもう『我が家』の味で、他では食べられないのだ、とは信一の言。
「どこで食べても同じだろう」
「それが違うんだよなー!」
 なんでだろ、と肩を竦める信一はいつもそう言って龍捲風が手ずから作る鍋にいつも頬を緩ませる。
 その顔を見せられれば、龍捲風もそれ以上は口にすることができないのだ。
 この年頃の若者は、もっと若者同士でつるんで家族とは離れていくものなのではないだろうか。
 そんな知識としては頭にある『普通』に心の奥底がもやもやとする。
 龍捲風自身、家族というものとは縁のない人生を送ってきた。親を早くに失い、唯一家族と呼べた叔父一家は青天會により失った。友人や義兄弟、部下には恵まれたと心底思っているが、それは家族ではない。
 では、信一は──。
 そこまで考えて、龍捲風の思考はいつもストップする。
 信一との血の繋がりはない。けれども息子のように慈しんいるつもりだ。愛しているつもりだ。
「そろそろかな?」
 コンロの上でぐつぐつと煮える鍋を掻き混ぜて、信一が身を乗り出す。
「生煮えだと腹を壊すぞ」
 笑う龍捲風にぺろりと舌を出す信一は、まだかまだかと落ち着きがない。
 まったく可愛いものだと、苦笑して、龍捲風はぞわりとした何かに頬をひくりとさせた。
 可愛い。
 可愛らしい、と思う。
 親なら『普通』の感情だ。
 息子というものは可愛い。愛おしい。
「先に乾杯しよ」
「何にだ」
「えー、理由いる? 大佬が今日も美味しいごはん作ってくれてありがとう、の乾杯!」
 眩しいまでの笑みに思わず目を細めていた。
 大佬の作るごはんが一番好き。
 信一がたびたび口にする掛け値なしの賛辞に気持ちが浮つく自分にはもう気づいている。
 かちりと合わせたグラスを煽る喉元に吸い寄せられるように目が行って、素知らぬ振りで視線を外すのも、もう。
「ん、やっぱり大佬の鍋が格別」
 湯気の向こうで舌鼓を打つ信一が取り箸で次々と追加の肉を投じていく。呆れるくらいの食べっぷりは、けれどもこの部屋、龍捲風の作るものに限られている。日頃の信一はそこまで大食らいではないし、酒の席ではつまみを腹に入れるくらいで浴びるように酒ばかり飲んでいるのを龍捲風も知っている。
 ここだけなのだ。
 龍捲風の目の前で、龍捲風の作るものを食べているときだけ。
 ぞわり、ぞわりと血が沸き立つ。
 よくない兆候だ。わかっている。
 信一が仲間よりも龍捲風を最優先にするたびに、他では見ることのない姿を見せるたびに、満たされてしまうこの感情はおそらく『普通』ではない。もっともっとと欲張りたくなる餓えは当然ながら『普通』じゃない。
「信一、野菜も食べなさい」
「はぁい」
 こっそり鍋の端に避けたレタスを見咎めれば、嬉しそうに口を尖らせる信一が、大佬も、と皿によそった。
 その紅潮した頬が。
 その蕩けるように緩んだ瞳が。
 決して言葉には出さない信一の想いにあふれている。それを龍捲風はとうに気づいていた。知っていた。
「信一」
「ん?」
「響鈴巻もあるが、食うか?」
「食う!」
 はしゃぐ信一はいつも以上に子供っぽい。
 龍捲風はそれでも窘めることはない。
 ひりひりとした想いは胸の中に閉じ込める。
 『息子』というものは可愛い。
 『息子』というものはいつだって愛おしい。
 信一の好物ばかりを並べる食卓、甘やかして側に引き留めてしまいたくなるこの下心は、決して表に出してはならないのだ。