不意に寒気を覚え。覚醒の引き金を引くと、その乾燥した空気に少し咳き込んでしまった。
起きた時に僅かな気怠さ感じたのは、きっとアルコールを躰に吸収させた上の朝だったから。
まだスマートフォンのアラームも鳴っていない時間に目が覚め。見慣れない豪華な装飾と、広いベッドに一瞬驚くも。
昨晩の経緯を思い出し今ある状態は誤りではないと理解する。全て理由があって起きていることだ。因果関係は明瞭だ。
「
……朝か」
寝巻代わりのガウンは当たり前だけどいつも着ている寝巻よりサイズが大きく。少し着乱れてしまっている。
そういうサービスがあるだけありがたいとは思うけれど、正直このタイプの寝巻は苦手だ。
昨晩は何時に眠ったのだろうか。ベッドの前にあるモニターは、寝る前にずっと眺めていた化石に関する調査の動画を流したままになっており。
離れた小さなテーブルの上には、店主から貰った安酒の缶がホテルの部屋の備え付けのコップと一緒に置いてあった。ちゃんと全部飲み切ったんだった。
あれくらいの量で二日酔いになることはないけれど。やっぱりお酒を入れて眠ると、後が来る。
店主が言うようにお水もしっかりと飲んだんだけど、それでもある程度お酒が残るのは仕方のない事。
寝酒なんて、ほとんどしないのに。中身は炭酸だし家に持ち帰るまでに落としたら大惨事だと思い、いっそここで飲んでしまおうと封を開けた。
「お腹空いた」
ツマミになるものは全く買わずに酒だけ飲んだせいで空腹が余計に辛い。
考えてみればあまり昨晩は食事をちゃんとしていない。ユイマンの事もあり、何かを呑気に食べようなんて思いもしなかった。
店主に諭されユイマンと一晩距離を置いて眠ることで。どうすべきだったかを冷静に振り返ることができ、結局は私が悪かったのだと自己嫌悪する。
豊姫の登場に我を忘れて噛みついてはしまったが。あいつらは許さないにしてもユイマンを責めるのは間違っていた。
彼女は自分の務めを果たしたし、今回の務めは労働の中でも逸脱した行為ではなかった。通常の業務の上の適切な行動だった。
私の割り切れない思いが結局は暴走してああなってしまったとしても。今後も彼女が会社を辞めない限りはこの苦しみは続く。
苦しみたくないからどうか仕事を辞めてくれないかと言うのは、それも違うだろう。私が学芸員として論文の発表や研究を続け経験を積むのと同じように、ユイマンだって仕事を覚えて更に進んで行こうとしている。
あれだけ私のせいで傷ついても、足を止めずに。その足を私のエゴで止めるのはーやはり違うだろう。
ユイマンの為ではなくて、私自身の為に。楽になりたいからとその場所から離そうとするのは伴侶ではないとユイマンは言っている。
スマートフォンの灯を付けると、ユイマンからは返事がなかった。私も今夜は家に帰らないと言ってホテルのサイトと夜景と、領収書の写真は送ったけど。既読になっていないという事は無視しているのかもしれない。
彼女が先に家に帰った時私がいなかったら気にするだろうからと送ったけど。呑気にホテルに宿泊している私を見て、呆れているのかもしれないな。
乗換案内のアプリで家までのルートを検索すると、始発はもうすぐ動き出すという時間帯だった。下着も服も、昨日のままで。化粧もホテルの備品で落とした状態だと本当に醜いだろうが。早朝でこんな人で溢れかえっているのなら誰も気にしないだろう。
頭は十分に冷やした。帰って来た彼女と顔を合わせた時にちゃんと謝れるかは不安だけど。逃げたところで何が解決するわけでもない。
ユイマンは怒らない子だからこそ。一度怒り出すと、根が深いし。怒るにはちゃんと理由がある。
カーテンを開けてホテルの風景を見下ろすと、人で溢れかえっている筈のこの街も流石にこの時間ではまばらだ。店主もちゃんと家に帰ったのだろうか。
既に仕事を初めて荷物を運んでいる配達員の姿や、明らかに朝帰りの人を見降ろし。その中にユイマンがいないかを探しても見つかる筈もなく。
彼女に会うためには私は家に帰らなければならないと、ベッドサイドに置いてあった眼鏡を探し掛け直す。
帰ろう。私たちの家に。
昨日ユイマンを探して歩いた後のシャツはよれており下着も汗を吸っていて着直すのは辛いが。家に帰るまでの辛抱だ。袖を通し、ボタンを留め醜い躰を少しでも隠そうと努力をする。
鞄を抱えてホテルの廊下に出ると、時間帯のせいかまだ廊下に出ている人はおらず私だけが静かな廊下を歩いていた。
泊まったことのないホテルだったが、エレベーターに乗るとアフタヌーンティーやスイーツビュッフェなどもレストランで経営しているらしく。宿泊客でなくても色々と楽しいことが経験できる場所のようだ。
異国料理のフェアなどもあり、ユイマンを連れて行ったら喜ぶかなと考え。そうして彼女に何でも結びつくのだと自覚する。もし許してもらえたら、食べに行こうか。
エレベーターでフロントの階に辿り着くとフロントには短髪の受付の女性が立っており。おはようございますと挨拶をしてくれた。
「
……チェックアウトを」
カードキーを渡すと、それを受付の人が受け取る。
「かしこまりました」
確かこの人は昨晩も私の受付をしてくれた人だった。夜勤でもうすぐ仕事終わりという所だろうか。
深夜のチェックインであっても丁寧にホテルのフロントは対応してくれ。私が素面であったのも相まって遅くまでお疲れ様ですとその人は労ってくれた。
ホテルの仕事というのは不規則で、特に夜の時間帯のシフトは体内時計が狂うと聞く。それでもグレードの高い、企業の名前を冠するホテルのフロントは。
整った身なりと無駄のない接客、多言語を駆使し。その客をもてなすというから到底真似のできない職業だ。
自分に与えられたモノをこなすのが仕事ならば。誰も彼も内容は違ってもそれをして報酬を得ているのだろう。それを責められれば、やはりいい気分にはならないだろうな。
「磐永様、特に追加料金はございません。ありがとうございました」
朝帰りと飲んだくれの死屍累々を素通りして駅に向かい、自分の家の最寄り駅を目指す。この街は夜も酷いが、明け方も酷い有様だった。
職場の近くもそれなりに凄惨な現場はみてはいるが。人が集まるところというのはそれなりにそういう光景を目にしやすいだろう。
ガラガラの電車の中昇り始める朝日を眺めつつ、メッセージアプリを起動するもユイマンの既読はつかないままだった。
ホテルのチェックアウトの時間はもっと遅いから別に寝ていてもいいけど。いつも早起きのユイマンが起きないなんて、珍しいな。
それともやっぱり怒ってるから見ないだけなのかな。空腹と胃が沈むような気分の中、乗換駅は迫るので眠らないようにとスマートフォンの電子書籍を読む。
紙の本が好きだけど軽い読書ならこちらの方がいいし。ユイマンがこれ以上本を増やさないでと目を光らせているため、最近はこちらの方で買うことも多いがメモリがいつも一杯になってしまう。
世の中読みたい本が溢れてるのに容量が限られているなんて、残酷な話だ。
乗換駅に辿り着き電車を降り、最寄り駅に到着する方の路線に乗り換える。電子書籍は途中だけど最寄り駅に辿り着く前には読み終えられるだろう。
研究や化石の話ではなく神話を分かりやすくまとめた書籍。読めば読むほど神話は多く残っており、また世界中で類似した話もあって面白い。
化石や鉱石もいいけど神話の分野もやっておけばよかったと思う。講座を開いて説明してくれるような先生も招いていると聞いた事があるし。
電子書籍を読み終え。後は何か読みたい本はなかったかと思うけど、特にめぼしいものはなかったのでいったん電子書籍を閉じる。そうして少しは世の中の事を知っておかなければと、ニュースのアプリを起動させると。
政治の話や有名スポーツ選手の話題のほかに。目を引く記事がひとつ、あった。
「
……」
電車の中で挙動不審になるわけにはいかず声を殺してその記事をタップすると。そこには、私の父の会社がどこかの大企業と提携を結んだことが記載されていた。
別段父の会社がどこかの会社を買収したり、提携することは珍しくないしどうでもよかったが。
今回提携した会社は、私が縁談を断った会社だった。正確には妹の方を欲しがられた、という方が正しいけれど。
豊姫の言葉が蘇り。あの時豊姫がいたのはやはり何かあったのだと、悟る。提携が結べるという事は何かしら利益があるモノを与えられたという事であれば。
やはり妹は
―そうなのだろう。私が逃げた手前、妹の相手が良い相手であることを祈らない訳にはいかない。
そうでなければ私は、どこまでも醜い姉のままでしかないのだから。
何かもどかしい気持ちが収まらず早足で家に帰り鍵を開けると、まだユイマンは帰って来ていなかった。
その状況に、安堵している自分がいて。そうしてすぐに靴を脱ぐとユイマンを迎える準備をする。着ていた服と下着を脱いで洗濯機の中に入れると、新しい下着と服をクローゼットから取り出し室内用の格好に着替える。
そうしてそのままお風呂のお湯張りのスイッチを入れて。お風呂の栓を閉める。
ユイマンがお風呂に入りたがったりお腹を空かせて帰って来てもいいようにと。鍋に缶の中身を入れて温かい飲み物の準備を始めた。
ご飯がないから、パンでもいいかな。とにかく、何かをしてないと気持ちが休まらなかった。ユイマンと私が喧嘩している間にもしかしたら妹は婚約したのかもしれない。
醜い姉の私はないものとして扱われているか。それとも、戻って来いと言われるかわからなくて。
その不安の中ユイマンが傍に居てくれたらと思うのは自分勝手だけど。それでも彼女に甘えたいと思ってしまう自分を認めざるを得なかった。
トマトベースの豆のスープが温まり始めパンを切っていると、不意に鍵が開く音がして私ははっと顔を上げる。
ガスの火を止めて玄関まで迎えに行くと。ユイマンがそこに立っており、ぎゅうと鞄の紐を掴んだままだった。
「ユイマン
……お帰り」
私も帰ってきたばかりだけど、無事であった彼女を迎える。本当に何もなくてよかった。
ユイマンは無表情で私を見つめていたが。何も語ることはなくそのまま靴を脱ぎ中に家に上がろうとする。
彼女は、あのホテルでどんな夜を過ごしたのだろうか。
私はあまり眠ることができず店主がくれた安酒を沢山飲んで無理矢理眠った。寝酒は寝つきが悪くなるのはわかって。
それでも酒の力に頼らなければ眠ることは出来ず。そこまであの店主が見越すとは思ってないが、結果的には感謝すべきだろう。
元はコンビニの酒だけどあの店主の出す酒は、不思議な力でもあるのだろうか。
「ご飯もあるしお風呂も用意してるよ」
私を通り過ぎるユイマンに声だけは掛ける。ホテルのお風呂は狭いし、着替えもないままならさっぱりしたいかもしれないから。
お腹も空いてるかもしれない。謝らなけらばならないけど、その前にユイマンを癒したかった。
あの時ちゃんと彼女の希望を聞いて食事しに行けばこんなことにならなかったのに。私の鬱屈した気持ちが彼女を不愉快にした。
「嫌ならまた私外に行くから。本当にごめんなさいユイマン」
「
……ご飯なんていらない」
こんなことで機嫌が直るわけなんてないのに。今から外に出るのも逃げでしかないのに。
「阿梨夜の馬鹿、わからずや、石頭
……」
不意に部屋着の裾を引っ張られて、彼女は精一杯の悪態を吐き。そして私の肩に頭を擦り付けてきた。
自分の方が強く腹を立てた時、きまりが悪くなると。下の子というのはいじけたように甘えてくるから、ずるいと思う。拗ねた表情で甘えて、相手に縋り付く。
妹も幼い頃は癇癪を起こしては、私が宥めるうちに泣き疲れて寝てしまい。私がそのまま寝かしつけた事もあった。
自分の感情が処理し切れず、爆発させなんとかしようとする。それは私には昔から苦手な事で今も苦手だ。
我慢強いしっかりしたお姉さんとは言われても。爆発させられないまま耐え続けるといつか、火山のように取り返しのつかないことが起きそうで心配にもなる。
「いくらでも聞くよ」
手を彼女の頭の上に乗せて妹を宥める時のように、柔らかく撫で続けた。爆発させる対象はユイマンにではない。
血縁達にぶつける感情は冷静な怒りでなければならない。血縁を憎めども。血縁も私を憎んでいるだろう。
「あのね、ホテルって綺麗だけど布団が薄くて、お風呂も狭くて
……寒くて眠りにくいの」
「お風呂入る?」
「先に阿梨夜のご飯食べてその後一緒にお風呂がいい」
私に対しての悪態はあの程度で。すぐに自分からきっかけを作ってくれる彼女の優しさはいつも敵わない。きっとこれからも。
「その後、一緒にベッドね」
「
……うん」
今日一日はずっと彼女の傍に居て。ちゃんと話し合おう。彼女の少し酒で焼かれた声を聞いて、私の中の罪悪感は軋んだけれど。
血縁にも血筋以外求められることのない私が、彼女から求められた時。醜さで死んでいた心は蘇る。
Corpse Reviver終
次回、Old Fashionedに続く
参考文献
槇野 汐莉(2025) . 『BAR の灯りに誘われて』. マスターはBARにいる
バー・セキレイのマスター(2024) . 『究極!バーのマナーブック 改訂版』. マスターはBARにい
新宿プリンスホテル(
https://www.princehotels.co.jp/shinjuku/)
神話を現パロでやると、なんか阿梨夜さんの方が本当に好きな相手といられたのかもしれないとか思ったり
…
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