詠夕れもん
2025-12-21 13:56:12
4257文字
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狛日版週ドロライ「声」

未機パロです。たまに一時的に目が見えなくなる日向くんの話です。(現実の医学的根拠に基づく理由・症状ではなく、才能関連のファンタジーなものです)

眠りの奥底から浮上しかけている時、黒い海を漂っている様な気分になる。
何も見えない暗闇の中、微かに自分が揺られる感覚はどこか心地良い。その揺れが次第に確かな感触となり、それに導かれるように自然と瞼が持ち上がって、現実の光を受け止める。それがいつも迎える朝だった。
この日も同じように目覚めようとして――しかし、確かに覚醒した筈の身体は、「いつも通り」を享受することに失敗した。日向創は覚醒しきっていない頭でそれを理解して、半身を起こした後に重く溜息を吐いた。予想していたことではあったが、こうならないに越したことはないのだ。
そう遠くない距離から衣擦れの音が立ったのを耳が拾う。傍らに敷いた客用布団で寝ていた人間が身を起こした音だというのは、誤った認識ではないだろう。自然とそちらへ顔を向けた後に、そんなことをしても今の自分には意味が無いのだったという事実に思考が追いつく。
目を向けることに意味がない。何故か、という理由は単純なものだ。今確かに開けている筈の日向の目は、何の光も受け止められていないから、というだけ。そしてそれが周囲の異常ではなく、自分自身の異常に因るものであることも、日向はよく理解している。

「おはよう。やっぱり見えない?」
……ああ、見えない」

特に慌てた様子もなく差し向けられた問いを肯定して、小さく頷いた。
自分の視力が失われるのは、これが初めてのことではない。
日向がかつて希望ヶ峰学園で「得た」才能。その代わりに一度は失くした筈の自我をあの修学旅行を経て取り戻した後も、それは日向の手元に残り続けた。ただその行使には心身に大きな負担をもたらすため、頼りにすることはなるべく控えている。だが、一度壊れかけ、平穏とは今もまだ程遠いこの世界ではどうしてもそれに頼らざるを得なくなることもあった。
それでも普段であればその代償は重くはあっても体調不良と呼べる範囲でおさまるのだけれど、短期間で過剰に使用した後には時たま、休息を求めた脳が一時的に感覚を遮断することがあるのだ。その対象が決まって視覚になるのは、恐らくそこから受け取る情報量が膨大であるからだろう。
本来ならばそこまでの状態にならないよう調整できるのが一番なのだけれど、特に絶望の残党との交戦時のような差し迫った事態ではそんなことは言っていられない。仕方が無いので、遠方での戦闘作戦後は必ず誰かと臨時拠点の同じ部屋に寝泊まりする、支部近郊での突発的な交戦後は宿舎の自室に誰かを泊めることで症状が出た際のフォローを依頼している。他人に負担をかけるのは心苦しいが、視覚情報があることを前提に生活することに慣れきってしまっている日向には、こうなってしまった時に日常生活を自分一人で滞りなく過ごすのは困難だった。
目の前にいる(であろう)男にそれを依頼したのは、そういえば今回が初めての事だ。

「へえ、……

再度衣擦れの音が立ち、他人の気配が近付く。顔の少し前あたりの空気が揺れたような気がした。眼前で手を振って、本当に日向の目が見えていないことを確かめているのだろう、と何となしに予測を立てる。その予測が間違っていないことを、狛枝が続けた言葉が直ぐに証明してみせた。

「本当に全く見えてないんだ」
「あのな、わざわざそんな嘘吐いてどうするんだよ」
「いや、別に嘘だと思ってた訳じゃないんだけどさ。……で? ボクは今日一日、キミの召使いとして何をすれば良いのかな?」
「召使いって……別にそんなこき使うつもりはないぞ」

わざとだろうが、いっそどこか皮肉じみた言葉選びに苦笑する。現実に目覚めてから数年、彼が今も日向の存在を良くは思っていないだろうということは普段の言動から身に染みて理解しているので、今更一々とりあったりはしない。日向の事情を理解している人間で他に頼める人間が今回はいなかった中、彼に拒否されなかっただけでも御の字というものだ。

「基本的には大人しく寝てるから。外だったら色々頼んだだろうけど、今日は俺の部屋だからトイレくらいは手探りでも行けるし。あ、飯だけは用意してもらえるか? キッチンの戸棚の下段にレトルトとかストックしてるから、どれでも良いから適当に温めてくれたら良い。……その、悪いけど、食べる時も手伝ってもらえたら助かる」
「それだけ?」
「とりあえずは。他に頼みたいことができたら呼ぶから、後はリビングで好きに過ごしてくれて構わない」

手狭ではあるが宿舎はリビングと寝室の区切りが一応ある。壁一枚隔ててすぐ隣に位置しているので、扉越しに呼びかけるのに大した問題はない。
規模にもよるが、戦闘の翌日はある程度の確率で「こう」なることが予測されるので、突発的な交戦の後でも日向には必ず休暇が割り振られるようになっている。介助を依頼する人間についても同様だった。視力の回復に必要な時間はいつも一日くらいで、穴を空ける時間も他人に不自由を強いる時間もまだそれで済んでいるのは幸いと言えるのかもしれない。こんな役目を与えられて狛枝にとっては災難だろうが、四六時中日向に付き添う必要がないだけせめてマシだと思ってくれるといいのだけれど。
そんな風に考えていた日向は、狛枝からかけられた問いをすぐに理解できなかった。

……そばにいなくて、良いの?」
「?」

疑問符を浮かべた後、数拍。今の問いは一人では日常生活もままならない今の状態に対する遠回しな揶揄かと推測を立てたが、しかしそれはどうにもしっくりこなかった。揶揄とするには、狛枝の声色はあまりにも静かだったからだ。せめてその表情が伺えれば彼の意図は読みとれたのだろうか? よく分からないまま、ぎこちなく日向は首を傾げた。

「お前だって一日様子を見てないとってのは窮屈だろ? 俺も別に、わざわざこんな時に誰かの助けが必要なことをするつもりもないし」
「違うよ。必要だからとか、そういう話をしてるんじゃなくて、」

ベッドの端が自分以外の何かの重みで沈む感触が伝わると共に、僅かに軋んだ音を立てた。
ひらけないままの視界は、まだ微睡みと同じ黒い海の中にいるように錯覚する。波も経たない静かな闇の中で、狛枝の声はどこかやわらかく日向の肌へと触れた。

「そんなに不安そうにしてるのに、そばにいなくて良いのかって訊いてるんだけど」
…………

狛枝の問いかけに、日向は思わず言葉を失った。
……不安じゃないのか、と気遣われたことは一度や二度のことではない。ただ、それに対し日向はいつも否と返していた。幸いなことに、強がって何ともない振りをすることだけはいつの間にか得意になっていたから、一度否定してしまえばそれ以上追及されることはなかった。
けれど、彼の言葉は違う。問うという段階をすっ飛ばして、不安がっていると断言されたことなんてこれまで一度もなかった。彼の中では疑問ではなくもう確信になっているのだ、と理解しながら、しかしそれを肯定することは憚られて日向は眉根を寄せた。

「大袈裟だな。一日大人しくしてれば治るんだし、不安だなんて別に……
「あのさあ、そういうのって無駄な問答だって思わない? ずっと声が震えてる癖に今更取り繕おうとか、浅はかにも程がある」

精一杯の虚勢すらあっさり遮られて、挙句の果てに詰られる。それでもその音は依然としてやわらかさを伴っていて、貶されたことに対する不快感が湧いてくることはなかった。
ただ、狛枝の言葉が正しく日向の内心を捉えている以上、日向は押し黙る他になくなってしまった。確かに彼の言う通りだった。こうして何も見えないまま真暗な世界を享受せざるを得ない時間、日向の胸の中ではいつだって自分自身すら上手くかたどることができなくなって、形容しがたい不安が鈴を鳴らしているのだから。勿論それを音に乗せたつもりなんて、なかったけれど。
言葉を返せなくなった日向の、暗闇の中で漂うばかりの意識の中に、狛枝の声だけが存在をはっきりと主張した。

「ボクを誤魔化せるなんて思わないで。皆と違って、ボクはいつだってキミのことを疑ってるんだから」
「いや、お前が俺を信頼してないことぐらいは流石に分かってるって」
「っ、そういうことじゃなくてさあ……
「は? ならどういうことだよ?」

同意を示したはずなのに否定されて、訳が分からない。困惑の渦中に投げ込まれて疑問を浮かべた日向の、頬のあたりに誰かの温度が寄せられたのを感じた。誰か、なんて言ってもここには日向と狛枝以外には誰もいないのだけれど。
肌が触れるとまではいかないけれど、仄かに輪郭を認識できる距離。微かに呼気の混じった狛枝の声がすぐそばで響いて、耳元に口唇を寄せられているのだと気付いた。

「キミは特別強くなんかなってない。どうせ強がってるだけなんだろうって、……ボクが疑ってるのはそれだけだよ。日向クン」

そう、答えを返されて。言われている意味はすぐに理解できても、彼の内心は少しも紐解くことができなかった。
だって、やはり糾弾するような言葉を口にしている癖に、彼の声はやわらかいままで――生ぬるさすら感じられるくらいだったから。日向を疎ましく思っている筈の狛枝が、どうしてそんな、やさしげともとれるような音を落としているのかまるで分からない。そもそも、こんなことに気付いたとしても気付かなかった振りをする方が余程彼にとっては得になるだろうに。わざわざ踏み込んでくるのは理にかなっていなくて、まるで狛枝らしくなかった。
……何よりも。彼が日向の名前をかたどった声には朧げに、甘さを思い起こさせるような何かが滲んでいて。その音に、世界を捉えられないままに揺らぎかけていた自分の輪郭を繋ぎ留められたような心地になってしまったのは、どうしてだろうか。機能を失っている目の奥がじくりと熱を訴えてきたのを誤魔化すために、日向はシーツをぐしゃりと握りしめた。

…………お前って本当に、嫌な奴」

せめて肌が触れていなくて良かったと思う。触れられていたら、容易く変化を悟られてしまっていただろうから。
ただ、そう思いながらできる限りの棘をこめたつもりの声色には、言葉の内容に反して隠し切れない安堵が滲んでしまっていたので、結局のところ触れていようがいまいが大した差はなかっただろう。その予測を肯定するように、耳元に小さく笑うような呼気が落ちた。