少しだけ、時間の流れが遅くなったかのように感じる。もう何度も経験しているこの感覚に、しかしいつまで経っても日向が慣れることは無かった。
遮蔽物にしていた瓦礫に足を掛けて日向が大きく跳躍したのと、向こう側からの射撃音が止んだのは殆ど同時だった。虚を突かれた様にリロードの手を止めてこちらを見上げる残党二人の様子を目に留めて、それから視線を少し先に乗り捨てられていた車の影へと身を隠していた男へとすれ違い様に移す。視線が交錯する時に、かちりと何かが嵌まる音が鳴ったように錯覚した。その鈍色が切迫した空気を無視するかのように僅かに解かれて、それから直ぐに後方へと移っていく。真下から二度銃声が響き、その後に後方からどさりと何かが倒れる音を聞き届けながら背中に吊っていたライフル――機関から支給された武器ではなく、交戦の最中に敵から奪ったものだが――を手に取り、右手側のビルへと片手で構えて撃った。その着弾を見届けることなくライフルを通り過ぎた後方へ放ってから、再度視線を落とす。些か頼りなげにも見える右手と無機質なつくりをした左手がライフルをキャッチしながらも、そちらへは視線を落とすことなく日向を見上げている鈍色と再度視線が絡まる。かちり。また頭の中で奇妙な音が鳴って、同時に一瞥した先の虹彩が緩められたのを何となしに認識しながら日向は前方へと視線を戻す。背後で重い銃声が鳴り、左手側の老朽化したビルが上から崩れ落ちていく轟音が一帯を支配した。瓦礫が落ちていった真下では、残党の後続部隊が慌てて準備を整えようと動いていた筈だ。
日向の着地地点は、計算違わず睨み合っていた残党二人の頭上だった。リロードは間に合わないと踏んだのか彼らの手にはナイフが握られていたが、それらの切先が日向の肌に触れるよりも、宙で大きく体勢を変えた日向の足先が一人の頭を蹴り飛ばし、もう一人の側頭部に勢いよくぶつけ合わせる方がずっと早かった。その二人は折り重なるように地面へと倒れ込んでいく。
ただ日向も、ともすればこのまま無様にうつ伏せに倒れ込む様な姿勢になったが、寸でのところで片手を地面につく。自重を腕一本で受け止めきってから、両足を地面へと降ろした。
ひとつ息を吐いて、耳を澄ませる。崩落の音はおさまり、静寂が辺りを支配していた。どこかで敵が息を潜めるような音は、届かなかった。
「…………、」
ふと力を抜いた瞬間、頭の中がぼんやりと熱をもっていく。交戦が始まってからどれくらいの時間が経っていただろうか。日向の脳に刻まれた才能は、日向が自分を取り戻しても失われることはなかったけれど、それを使用することが無理な稼働であるということはもう充分に身をもって知っている。
だが、安全が確保されたとはいえやるべきことが終わった訳ではない。先ずは情報共有を、と、懐の通信機へと手を伸ばしたが、その手が不意に掴まれ制止される。
「やるから」
端的に告げられた言葉は平坦だったけれど妙な力強さがあって、日向はいつの間にかこちらに駆け寄ってきていた狛枝へと振り返り、その静かな視線を受け止めてからおずおずと頷いた。
瓦礫だらけで決して良いとは評することができない足場の、比較的平坦な場所を選んで腰を下ろす。背を預けられる瓦礫があるのも丁度良かった。
狛枝の報告は簡潔で、通信の終わりを示す小さなノイズ音が鳴るまではそう時間がかからなかった。それから彼はすぐ傍の、まだ息のある残党を手際よく拘束しはじめる。その背中をぼんやりと見つめながら、日向はふと口を開いた。
「……お前、怖くないのか?」
「何が?」
「戦闘中、いつもこっち見てるだろ」
日向が何かを伝えたくて彼へ視線を投げた時、それが受け止められなかったことは今まで一度も無い。それはつまり、狛枝がいつでも日向の視線を受け取れるようにこちらを見つめ続けているということに他ならないだろう。未来予知のひとつやふたつができるようになった、なんて話でなければ。
それに彼自身の聡さが相まって助けられることもは多いけれど、彼自身が周囲に気を配らないのは危険すぎる。
「信頼されてるってことは、分かるけど……不安にならないのかって」
「別に? あの状態のキミが気付けないことにボクが気付けるとも思えないし……」
それに。と、立ち上がりながら小さく零して振り返った狛枝は、何だか含みのある微笑を浮かべていた。
「半分は見惚れてるだけだったりして」
「おい、茶化すなよ」
「茶化すとは心外だなあ。強ち冗談でもないんだけど」
「……それなら尚悪い」
「まあまあ、落ち着きなよ。ただでさえ長時間頭酷使してるんだから、無意味に怒ったりして余計なエネルギー使わないで。ほら、もう眠いんじゃない?」
「うるさいな……別に、眠くない……」
力なく否定したが、正直なところ脳が休息を求めて次第に意識が微睡んでいっているのは事実だった。それを指摘されるとその感覚が形を成したかのように速度を増していく。消耗した日向が睡魔に抗えなくなるのはそう珍しいことではないので、こちらへ足を伸ばした狛枝はすぐ隣へと腰を下ろし、慣れた調子で日向の頭をその肩へと寄せさせる。
その感触に従うのが何となく癪で、何とか絞り出した声は子供が拗ねた時のような響きを伴っていた。
「第一……見惚れてたって、いうなら」
「うん?」
「……なんで、あんな……さみしそ、な、顔……してて、」
――目が合った時には、安堵を示すかのように眦をやわらげてみせるのか。
問いただしてやりたかったけれど、限界が来る方が先で、視界が閉じていく感覚を他人事のように受け止めながら日向は意識を彼方へと引き渡した。
「……聡いっていうのも考え物だな」
戦場の空気などすっかり忘れてしまったかのように静かな寝息を立てる日向に自分が着ていたコートをかけてやりながら、狛枝は溜息を吐いた。
……目が離せない、というのは事実だ。常識を超えた力で立ち回る姿を見ていると、戦場が上等な舞台に変貌してしまったような錯覚に陥るのも、嘘ではない。
ただ。彼を見つめ続ける一番の理由は、不安に他ならない。だって、規格外の力を見せつけられる度に――自分が彼をそばに留めておける力など何ひとつないということを痛感するから。狛枝が受け取るべきものを受け取れなかったら、すぐ日向は狛枝を安全な場所に置いてけぼりにして、ひとりで危険に相対しようとするだろう。……狛枝は、自分の事を日向にとっての枷であり安全装置でもあると認識している。狛枝がある程度彼の意図を汲みとって請け負うから日向の無茶の頻度は減るし、自分以外の守るべき対象があるから日向は絶対に安全を疎かにしない。彼が単独で行動していたら、平気で無理を通そうとし始めることは想像に難くなかった。
だから、狛枝は絶対に日向から目を離すことはない。その視線が自分に投げかけられた時、その意図を取りこぼすことが無いように。言葉では示されない彼の期待に応えられるように。平静を装って必死に解を求め、ことりと頭が小さな音を立てて正しい答えを導き出した時、……どれだけ自分が安堵しているかなんてことはできれば彼には気付かれたくはないのだけれど、きっとそれは無理な話なのだろう。
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