詠夕れもん
2025-04-06 17:06:45
3053文字
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狛日版週ドロライ「瞳」

未機パロです。自覚済狛→←無自覚日です。

今日の食堂は普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。とはいえ別に何か特異な出来事があった訳ではなく、単に自分の休憩の時間が大幅にずれ込んでしまっただけの話なのだけれど。注文受付終了間際にどうにか駆け込んで頼んだ蕎麦を半分ほど食べ終えた頃にはもう、自分と、それから同じように昼食をとるのが遅れたらしい狛枝が向かい合って座る隅のテーブル以外に人は居なくなっていた。
気まぐれに手を止めて、目の前の男を一瞥する。朝食かと疑いたくなる量のサンドイッチを黙々と食べる狛枝との間で交わされていた会話も区切りが入り、気付けば沈黙と入れ替わっていた。今更その静けさを気まずく感じるような関係性ではないけれど、自身の手元へと視線を落とすその目を見てふと疑問が浮かんだ日向は一度箸を置き、それを素直に口にした。

「お前、最近目を合わせなくなったよな」
……そうかな?」

思い当たる節はないとばかりに小首を傾げた狛枝がちらりとこちらに目線を配るも、はっきりとこちらのそれとは結ばれなかった。僅かにだが、こちらの目からは逸らされている。取り繕えているつもりなのかは知らないけれど、そのわざとらしさから彼の変化が意図的なものであるという事だけは理解できて、口元を曲げる。

「しらばっくれるなよ。これまでどれだけお前と顔を突き合わせて話したと思ってるんだ」
「あはは、……日向クンも話すときに目を見るタイプだもんね」

彼が返した言葉を、否定はしなかった。人の目から意図を読み取ろうとする傾向が自分にあることには自覚がある。自分に向けられている感情を、意志を、思惑を。その全てを取りこぼすことはしたくなくて。
それでも、目を逸らして逃げたくなるような気持ちになることも時にはあって、……かつての狛枝が正にその対象だった。彼はいつだって対峙するときにはじっとこちらの目を見据えてきた。その度嫌でも目に留まる、その鈍色が希望を追い求め明暗を折り重ならせる様は、その時の自分にはまるで理解できるようなものではなくて、見つめる度に身が竦むような思いになったのをよく覚えている。理解できない、理解してはいけない。理性が鳴らす警鐘のままに逃げてしまえれば良かったのだけれど、しかしあの時の日向にはそれができなかった。分からないものを受け止めるのは怖かった。しかし、そこから目を離すのはもっと怖かったから。
現実世界で彼が目を覚ましてからは、その恐怖心は随分となりを潜めたと思う。その瞳から危うさの潜む信念が消えたわけではないけれど、彼はそこへどこか躊躇いや戸惑いのようなものを滲ませるようになった。それに日向自身、狛枝の思想に全くの無理解ではいられなくなってしまったから。向こうは兎も角自分の変化はきっとろくでもないものだと言えるだろうけれど、それでもそのくすんだ虹彩を正面から見据えると、どこか安堵に似たまるい感触を胸の内に覚えるようになったことについては、どうだろうか。
――そんな感覚を、ここしばらく受け止めた記憶が無い。不意にそう気付いて、先の疑問に辿り着いた。毎日隣の席に座っているし、同じ案件を割り振られることも多い。会話が発生する頻度は他より寧ろ多いくらいで、それが直近で減ったなんてことはなかったし、日向に変化はない。となれば、その原因は自然と狛枝にいきつくことになる。
こういうものは最早癖や習慣の類だ。意図的に変えようと思っても易々と変えられるものではない。それをやってのけるということは、きっと相応の理由があるはずだ。にも関わらず、狛枝はコーヒーに口をつけた後に軽薄を装った笑みを浮かべてみせる。

「まあ、ボクみたいな愚図と常に目が合うのなんて、いくらボクと似たような愚か者の日向クンでも気分悪いだろうし、合わない方が清々するでしょ」
「お前のそういうの、久しぶりに聞いたな……

きっちり日向を貶めてくるあたりは相変わらずだが。思わず苦笑を浮かべながら、日向は緩やかに首を振った。

「なんというか……物寂しいって思ったけどな。俺は」
…………キミって、人をその気にさせるのが上手いよね」

どこか皮肉じみたものを声色に潜ませながら、狛枝はカップの中の水面へ視線を落とした。

「おい、貶すつもりで言ってないか、それ」
「どうだろうね?」

曖昧に笑ってみせた狛枝の顔は依然として上がらない。黒い水面に反射する虚像は、向かい合う日向の位置からは見えなかった。

「そうだな……じゃあ、怒らないって約束してくれる?」
「は? 怒るって何でだよ。随分大袈裟だな」
「ね、日向クン。良いから」

念押しする声は思いの他真剣だった。目の前の男に対して安易な承諾は危険だと分かっているが、それでも何かを企んで、ということではなさそうだった。だからどうにも拒否する気持ちにはなれなくて、分からないままに日向は頷いた。

……分かった。約束する」
…………

狛枝が微かに眉根を寄せて口の端を噛んだ後、一度目を閉じて小さく息を吐く。少しの間の後、ゆっくりと瞼を上げた彼は、真直ぐこちらへ視線を向けた。

…………?」

微かに青みがかった鈍色の中に今までにない温度が揺らいでいるのを見て、日向は疑問のままに目を細めた。角の無い、やわらかな波だ。ぬるいと形容するには過ぎた熱がその波を満たしている。その温度は彼が希望と呼ぶものに傾ける熱量に近しかったけれど、けれどそれとは決定的に何かが相違していると直感的に理解できた。だって、彼がそれを語る時の熱には、いつだって確固とした鋭さの中に込められていたから。こんなやわらかく、曖昧で、どこかぼやけたかたちで現れたりしない。
そこに浮かぶものが何なのか、日向にはまるで理解できない。久方ぶりの感覚だったけれど、不思議と恐怖心が浮かぶことはなかった。それどころか、なんだかその熱がこちらに伝ってきたように指先へと焼けるような感覚が走る。普段より少し耳障りに感じてきた心音をできるだけ無視しながら日向はゆっくりと狛枝の虹彩に浮かぶ波を紐解こうとしたけれど、しかしそれを遮るように狛枝の両手がこちらへ伸びた。
両の頬を捉えた手に微かな力で引かれる。抵抗せずされるがままの日向を見て僅かに目を細めた狛枝が、腰を上げて大きく身を乗り出した。額が重ねられ、視界いっぱいに影の落ちた鈍色が広がる。眼前に迫ったその熱を受け止めきれず日向が息を詰めた一瞬の後に、口唇にひとの温度が触れる感触を覚えた。
コーヒーの匂いが微かに鼻先を擽る。自分が何の反応もできないまま、どれくらいの時間が経っただろうか。ひどく長い時間そのままだったような気もするが、息が詰まったまま、しかし苦しさを覚えることは無かったからきっと体感程大した時間は経っていなかっただろう。想像より温度の高い身体が離れて、それから、狛枝は困ったように眉を落として小さく笑った。

「こうしたくなるって分かってたから、避けてたんだけどな」

なんて、愚痴っぽくこぼしながらもその虹彩に喜色が注がれていくのを見て取ってしまえば、流石にその意図が何ひとつわからないとは言えなくなってしまう。
ただ、それでも、日向にはまるで理解が追いつかなかった。彼の愛する希望というものからは程遠い日向にこんなやわらかな熱を傾けてくる狛枝の変化にも、……それを受け取った胸の内に、随分と熱っぽい重さを孕んだなにかを募らせはじめている自分自身にも。