詠夕れもん
2025-03-02 23:41:40
4589文字
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狛日版週ドロライ「笑顔」「指先」

未機パロです。大分狛→日です。一瞬だけモブがいますが他カプ要素はありません。

体温には重さがある。
そんな風に思うようになったのは、やはり、死というものを何度も間近で見た末にその冷たさを覚えてしまったからだろうか。
理由は兎も角、昔は特に厭う事の無かった人の温度というものに対して今の自分は忌避感を抱くようになったことを日向は自覚していた。他者のやわい温もりに触れると、その内に在るものの重さを嫌でも感じ取ってしまって胸の奥が沈んで潰される様な息苦しさを覚えるから。
そんな自分に気付いてから、日向は今までよりほんの少しだけ、他人と距離をとるように努めていた。といっても、自分も周囲も子どもではないのでそこまで警戒する必要は無い。ただふとした拍子に意図しない接触が起こる可能性はない、と断言できる距離が確保できればそれで良かった。

……なので、この日に自分が救助した市民は第3支部に引き渡してたんですよ。そこだけ修正すれば収容人数の齟齬が無くなると思います」
「あ、……本当ですね。すみません、日向さん。助かりました」

そう、例えばこうやって身を寄せて他人のモニタを覗き込む時に肩や腕が接触したり、指し示す手指が掠めたりしないような距離を保つだけの話だ。
先日の交戦およびそれに伴う救助活動の結果を取りまとめていた同僚は、実績の数値が一致したことに肩を撫でおろし傍らに立つ日向を見上げた。折っていた腰を戻した日向は緩く首を振って、それから僅かに目を細めて返す。

「いえ。それじゃあ提出までよろしくお願いします」
「はい。ありがとうございました」

話に片が付いたところで隣の島の自席に戻った日向は缶コーヒーへと手を伸ばす。が、それは明らかに空であることを示す軽さだった。既に腰かけてしまっていたため若干億劫ではあったけれど、仕方ない。ほんの少し口元を曲げた日向は早々に再度立ち上がりフロアを出た。
各階に一つずつだけ用意された自動販売機は隅にある自分のフロアと真逆の突き当りに設置されている。せめて中間地点にあるエレベーターホールに作ってくれていれば、なんて心中ぼやくのは果たして何度目だったか。
かといって特段急ぐ気にもなれずゆるい歩調で足を進めていた日向を、誰かの足音が少しだけ早いリズムで追ってくる。何となく耳馴染みのある靴音から自然と日向の頭にはそれらしき人物の顔が描かれ、そしてそれが誤った想像ではないということをすぐ後ろから覗き込んできた鈍色が証明した。

「前から思ってたんだけどさ」
「何だよ、藪から棒に」
「どうせ日向クンも自販機でしょ? どうせやたら長い廊下を歩くだけの暇な時間なんだから雑談のひとつくらい付き合ってよ」

何の情動も見えてこない薄っぺらい笑みを浮かべた狛枝もどうやら日向と同じように飲み物を切らしたらしい。彼の言葉を拒否する理由は特に無い。が、彼が振ってくる話題は何の関係もないところから最終的には日向への嫌味や皮肉に着地することもそう珍しいことではないので、気乗りもしない。けれどどうせ拒否したところで狛枝は好きに話し出すのだということも充分分かっているので、大人しく先を促すことにする。

「良いけど、何だ?」
「日向クンってさ、前に比べて愛想笑いばっかするようになったよね」
……愛想笑いって、お前は俺を皮肉らないと死ぬ病気にでもかかってるのか?」
「否定はしないんだ?」
「処世術の範疇だし、そんなのは別に俺に限った話でもないだろ」

狛枝の言葉を否定はできなかったが、しかし悪し様に言われるような事でもない。確かに以前の自分はどちらかといえば無愛想に寄るというか、感情はきちんと表に出すもののその内容に気を遣うことはあまりなく苦い気持ちや棘もはっきりと表に出していた。加えて言えば言葉尻が多少きつくなりがちというのも、高めの身長と吊り気味の目がきつい印象を更に強めるというのも分かっていたので、こうして多くの人間とやりとりをする必要がある環境では気遣いのひとつやふたつするようになるのが当然だろう。
それを決して褒めているとは捉えられない語調で形容されるのは心外だった。しかし眉を顰める日向を狛枝が意に介した様子は無い。

「あくまで気遣いの一環ってこと? ボクはそんなことされた覚えないけど」
「何でお前に気を遣わないといけないんだよ」
「だって、皆にだってしてるじゃん」

些か言葉足らずだが、ここで言う「皆」は共に新世界プログラムに放り込まれた希望ヶ峰学園77期生のことを指していると判断して間違いないだろう。確かに、気心が知れた仲である彼らに対しても笑みを取り繕うことがないとは言えないけれど、それだって理由はちゃんとある。

「それは、皆が俺の身体を気遣ってくれてるからだよ。あんまり心配かけたら悪いだろ」

かつてカムクライズルプロジェクトに参加し他に例を見ない手術を受けた日向の身体には、いつカウントダウンが始まるか分からない時限爆弾が存在していると誰もが思っている。それは日向自身とて同じことだった。今はもう希望と形容されていた才能はこの身に欠片として残っていないが、それでもあの手術が日向の身体にかけた負担は想像がつかない。自分の身体はいつ突然ガタがきてもおかしくない状態で、そうと同じように認識している周囲の友人たちはよくそれを気に掛けてくれていた。目の前の、プログラムの中よりほんの、ほんの少しだけ目線の差が広がった男を除いて。

「で、何が言いたいんだ? まさか同じように人当たり良くしてもらいたかった、なんて言わないよな」
「あはは、それはそれで面白そうだね」
「お望みならそうして差し上げますけど、狛枝さん?」

取り繕った温度を乗せて目を細めてやる。間違っても知らない仲だなんて言えないけれど、こちらを気遣うような素振りを見せたことのない狛枝に対しての日向の態度は思い返してみればそれまでと全くと言って良いくらいに変わっていなかった。彼にこんな顔を差し向けるのは初めてのはずだ。
正面でそれを受け止めた狛枝は、直前まで愉快そうに笑っていた表情を一瞬で凍り付かせた。そしてすぐさま口元を歪めて不快感を示してみせる。

……うわ、鳥肌立った。二度としないで」
「安心しろ、頼まれてもしないから」

日向の返答は随分と素気ない声色になったが、しかし狛枝はどこか満足げに笑みを浮かべた。考えてみれば何で愛想笑いを向けられたことのない狛枝が日向の変化を受け取ってみせた理由もよく分からないが、観察でもされているのだろうか。だとしたら嫌味のひとつふたつを落とすためだけに結構なことだ。それとも暇なのかと疑いたくなる。間違っても自分たちにそんな時間的余裕は無い筈なのだけれど。

「でもさあ」
「まだ続くのか?」

狛枝が向けてくる些細な棘に感情を動かすことはとっくになくなったが、それでも喜んで聞きたい訳ではないし長々と聞かされれば細やかなストレスも溜まる。別に尻込みするような間柄でもないのであからさまに辟易している様を表に出したが、ただ、彼がそういった日向の情動に頓着する筈がないということも分かりきっている。つまるところ、無駄な足掻きというやつだ。案の定、狛枝は日向の言葉を綺麗に無視して続けてみせた。

「そうやって人当たり良くして見せる割には、パーソナルスペースは前より広がったよね?」

その言葉に日向は思わず足を止めた。それにつられて、狛枝も一歩先で立ち止まって振り返る。周囲には悟られないように上手くやっているつもりだった日向は気付かれていたという事実に目を丸くして、幾度か瞬きを繰り返した。

……あからさまにした覚えはないんだけどな」
「まあ、そうだね。自覚的な変化なのかどうかまでは分からないくらいだったし。多分だけど、他に気付いてる人はいないんじゃないかな」

ならば何故狛枝は勘付いたのかという疑問が当然浮かんだが、その癖、と、彼が言葉を続けたことで日向はその疑問を飲み込むことになる。或いは話が区切られたタイミングで投げかけることもできたかもしれないが、続けられた言葉の所為で浮かんだ疑問は即座に霧散してしまった。

「一人でいるときにたまに人肌恋しいって顔してるから、変な矛盾だなと思って」
…………

狛枝凪斗というひとは、果たしてそれ程他人の感情の機微に敏い人間だっただろうか? そう思わず思ってしまうくらいに、彼の言葉は違わず日向の胸の内を捉えていた。
人に触れるのは怖い。けれど、僅かとはいえ意図して距離を置くことにさみしさのような感情を同時に自分は抱いていた。時たま自分の内側を針でやわく刺されるような感覚。けれどそれは耐え難い程のものでもなかった。だから、胸中で受け流すことで表に出さないよう努めているつもりだったのだ。
そんな揺らぎすら掴みとっていた男が一歩こちらに足を向ける。咄嗟に後退ったが、壁側を歩いていた日向に残された余白はそれ程多くない。直ぐに壁に背中を預けた日向をじっと見つめて、それから狛枝は右手をこちらへと伸ばした。その爪先が日向の頬まで届こうか、というところで停止する。

「こま、」

寄せられるひとの感触の気配に、知らぬ内に日向は目を見張り身体を強張らせる。何を告げたいかもわからないまま呼びかけようとした言葉も息苦しさで中途半端に途切れた。その変化を狛枝は口を閉ざしたまま探るように見つめ続け、……結局日向に触れることの無いままその手を下ろした。
静かな面持ちで日向を注視していた狛枝が眦を緩める。笑みと呼べるかたちをその相貌はかたどったけれど、しかしそこに喜色は浮かんでいないように見えた。ただそれでいて、普段の皮肉っぽさからもかけ離れていた。それ以上の言及をすることも彼の意図を明かすことも無いまま、ただどこかもどかしさのようなものを滲ませた後に再び歩き始めた彼が日向の心中をどこまで理解したのかは、分からない。
隣に並ぶのは躊躇われて、狛枝の半歩後ろを日向も歩き出す。歩きながらその背を見つめていると、ふと手袋に包まれた左手が目に入った。その中にあるのは、人の物ではない機械の手だ。
そんな当に分かりきっている事実を反芻した日向は、どうしてか半ば無意識に自らの手を伸ばした。垂れ下がった指先に自分のそれで掠めるように触れる。触覚の通っていない手に他者が触れていることに、狛枝が気付くことは無い。幾度か躊躇うように擦った後に、意を決して指を絡めた。と言ってもあまり深くしてしまえば流石に気取られるので、指先を交差させるくらいが精々の触れあいだったけれど。
そこには人の温度もなければやわらかさもない。それなのに何だか泣きたくなるくらいの安心感を覚えて、日向はやわらかく口元を緩めた。目的地はもう目の前だ。数秒にも満たないくらいの時間で日向は手を引いたけれど、それで充分だった。
狛枝が迷いなくボタンを押して缶を取り出したのと入れ代わりで日向は自販機と向かい合う。日向を待つことなく踵を返した狛枝の靴音に交じって微かな衣擦れの音が耳に届いたが、背を向けたままの日向はそれが手袋を外した音で、狛枝が何かを確かめるように、表に晒された左手の指先を右手で辿っていたという事実に気付くことができなかった。