詠夕れもん
2025-02-20 16:57:57
5673文字
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狛日版週ドロライ「寂しがり」

未機パロです。互いに自覚が無いです。

意識が鈍く浮上する。半ば無意識に瞼を開けると、明らかに自室の物とは異なる無機質な白い光の中、視界の端で不揃いに切られた小紫の髪が揺れるのが見えた。狛枝が身体を預けているベッドの傍らでクリップボードに挟んだ、恐らくはカルテの類と思われるものに何かを書き込んでいた罪木は、微かな身動ぎの音に反応したらしくこちらに目を向ける。頼りなさそうに垂れ下がり気味の眉の下にあるまるい瞳が少しだけほどかれて、しかし真剣な調子をその虹彩に残して彼女はこちらに声を掛けた。

「良かった、目が覚めたんですね。……起き抜けにすみません、少しだけ質問です。ご自分の名前は言えますか?」
……狛枝凪斗」
「ありがとうございます。それでは、今日の日付を西暦から教えてもらっても良いですか?」
「え、っと……

多少の間の後に続けた年月日を聞き、それから手元に一瞬視線を落としてから罪木は大きく頷いた。

「はい、ありがとうございます。ちゃんとした検査は後で受けてもらいますけど、とりあえず大きな意識の混濁はなさそうで良かったです。おかえりなさい、狛枝さん」
「ただいま……で、いいのかな。これは」

白ばかりが目立つ部屋、自室のものとは感触の違うベッド、そして何より傍らにいる罪木。それだけの材料があれば、自分が目覚めたこの部屋が支部に併設された病院の一室であるということは直ぐに理解できた。
簡単な受け答えをしている内に目覚める前の記憶も紐解けていく。最後に記憶しているのは救助活動の最中、自分が踏み入ったビルの床が崩れて気味の悪い浮遊感を覚えたところだった。……救助活動中に自分が要救助者になるとはとんだ失態だ。下手をすれば始末書のひとつでも書かされるかもしれない。面倒だな、と苦い気持ちを抱きつつ、罪木へ端的な疑問を投げかけた。

「どれくらい経ったの?」
「3日です」
……それなりな割にあんまり痛まないな、どこも」
「頭は強く打たれてたんですが、それ以外はほとんど外傷はなくて。2フロア分落下していて捻挫のひとつもなかったんですよ」

やや不可思議そうに言ってみせるも、罪木の表情に意外そうな様子は見受けられなかった。狛枝がそこそこ頻繁に医療部の世話になる中で、状況にそぐわない軽傷で済んでいる例は一度や二度ではなかったので、彼女もいい加減に狛枝の中にある幸運の作用には慣れたらしい。

「今回は何日お世話になれば良いのかな?」
「今日の検査で何事も無ければ、というお話になっちゃいますけどぉ……念のため一週間くらいはこちらで様子を見させてください。その後もう一度検査をして、問題が無ければ即日退院できると思いますよ」
「一週間、かあ」

ぼやくような狛枝の言葉に、以前の罪木であれば彼女に非はないにも関わらず文字通りの平身低頭になって平謝りして、何なら脱ぐだの脱がないだのなんて話に発展していたに違いない。けれど彼女はちょっと苦く笑ったくらいで謝るような真似はしなかった。彼女の中にあった異常なまでの卑屈さは、完全になりを潜めたという訳ではないが今はある程度の落ち着きを見せていた。

「今日は立ち歩くのは控えてくださいね。部屋の外に用事がある時は車椅子を用意しますので、コールしてください。それと義手ですが、不便だと思いますけど二、三日は着けないでください。それから、念のため頭に負担をかけたくないので、今日は端末もお預かりしておきます。検査結果次第で明日にはお返ししますけど、退院までは最低限の使用でお願いします。それでは、私は検査の準備をしてきますね」

おっとりとした口調で、それでも慣れた様子で注意事項を並べて、それから罪木は踵を返す。どこか不安定なリズムの足音が扉の前で止まり、それを引いた罪木はそのまま病室を後にすると思われたが、踏み出しかけた足を止めてこちらを振り返った。

「あ、狛枝さんが目を覚まされた事は部署の方にはこの後ご連絡しておきますけど、個別に日向さんにもご連絡して大丈夫ですか?」
「日向クンに? 何で?」

狛枝と日向は同じ部署に所属している。部署に連絡がいくのであれば、すぐに彼にも情報は届くはずだ。態々別途日向に連絡をする意味は特に思い浮かばなかった。
そんな狛枝に対し、罪木は僅かに困ったような、同時にどこか申し訳なさそうな笑みを浮かべてみせた。

「日向さん、毎日狛枝さんの様子を見にいらしてたんですよ。といっても面会謝絶だったので、直接確認してもらうことはできなかったんですけど……

面会謝絶とは些か物々しいのでは、と思わなくもなかったが、それこそ狛枝の才能を思えば当然の措置なのかもしれない。狛枝が意識を取り戻すという「幸運」の代わりに偶々傍にいた誰かに何かが起こる、なんて事態は決して馬鹿げた仮定ではない。とはいえできるだけ人を近寄らせないという程度では焼け石に水かもしれないが、それでも対策しないよりは幾分マシだろう。

「今日もついさっき、私がここに着いたタイミングで丁度いらしてたんです。そこまで心配されているなら、日向さんには少しでも早くお知らせしたいなって」
…………そう」

狛枝から拒否の言葉が出なかったのを了承と判断したらしく、罪木は小さく会釈すると今度こそ病室を後にした。
静かに閉まっていく扉から視線を外し、窓の外をぼんやりと見つめながら、毎日狛枝の病室へと足を運んでいたらしい相手に思考を傾けると、窓へと反射する自分の虚像の表情が微妙に歪むのが分かった。

(別に日向クンは、ボクのことを気にする義理もないだろうに)

自分たちの関係は特別良好とは言い難い。それどころか、どちらかといえば上手くいっていないという方が正確だろう。と言っても、その非のほとんどが狛枝にあるというのは狛枝自身を含む全員の共通認識だった。
自分がこれまでの人生でひたむきに求め続けていた希望という概念からは遠く離れた位置にある日向創というひとに、そうと分かっていて尚視線を向けてしまう自分を狛枝は許容できないでいる。自分が関心を寄せ、こころを傾けるものはたったひとつでないといけないのにそう在ることができない自分。そもそもこうして彼に内心が動かされる意味すら把握できていない自分。結局のところ突き詰めれば苛立ちの根源は自分自身にあるのだけれど、その苛立ちの切先を向ける先は当の日向以外に見つけることができなかった。向こうからすればとんだとばっちりだろうが、いつも日向は多少困ったような顔で狛枝の棘を受け止めるばかりだった。彼がプログラムの中でこちらに真直ぐ向けてきていた恐怖や嫌悪感は、最早その記憶の輪郭がぼやけかけてきているくらいだ。

…………

日向が狛枝という存在を今はどう受け止めているのか。それが彼の態度からは碌に見えてこない。だから、足繫く彼がこの病室に赴いていたという理由も何ひとつ分からない。狛枝の胸中に滲んだのは答えではなくじり、と何かが微かに焼けるような感触だけで、その居たたまれなさを誤魔化すように先の無い左手を撫でようとした右手は空を切った。



結果として、日向と顔を合わせたのは狛枝が目を覚ましてからきっかり一週間後の事だった。再度の検査も問題なしの結果となり、病室を後にするため身支度を済ませたタイミングで控えめなノックの音が鳴る。端的に入室許可を伝えるとそっと扉を開けて入ってきた日向を見て、狛枝は笑むのに似た表情を作ってみせた。

「数日寝こけてる間に、日向クンはボクのことなんて忘れちゃったかと思ってたよ」

開口一番の皮肉に対して僅かに日向は眉を動かしたものの、大きくは取り合わず息を吐いて受け流した。

「罪木からお前が目を覚ましたって連絡受けた直後に、隣の支部から応援要請があったんだよ。こっちにはついさっき帰ってきたんだ」

こちらへ歩み寄ってきた日向の顔は些か疲労の色が濃い。制圧なのか救助なのか復興なのか。彼は詳しく語ろうとはしなかったけれど、それなりの強行軍であったことだけは確かなようだった。
そんな日向の左手が、それでも当然の様に今しがた狛枝がまとめた荷物をとるのを目で追いかけながら、狛枝は疑問符をあげた。

「キミはどうして、ボクが起きるまで毎日ここまで来てたの?」

そのまま踵を返そうとしていた日向が半端なところで動きを止め、こちらを振り返る。特筆して何か伝わってくるような感情を浮かべていない瞳が真直ぐにこちらを見やった。

「目が覚めたら部署に連絡来るのは分かってたでしょ。わざわざ毎日様子を見にくる意味なんてないよね」

吊り気味に縁取られた虹彩が数回瞬く。それから空いている手が口元へと向かい、僅かに目が伏せられる。何だかまるで、狛枝に突き付けられるまでそんな簡単な事実にも気付かなかったとばかりにあからさまに思案しはじめた日向へ、狛枝は戯れに問いを重ねた。

「もしかして、さみしかったりした?」

逸れていた瞳が丸まって、それから再びこちらを向いた。余程予想外の言葉だったのか、ぽかんとしてこちらを見つめる日向の顔は出会った頃のようなあどけなさがあって、何だか胸がすく思いになった狛枝は目を細めてその戯れに続きを付け足した。

…………ボクは、さみしかったよ」

他愛のない冗談。その、……つもりだった。
なのに、かたちにした言葉は狛枝の意図しないところではっきりとした温度を持っていて、狛枝はそれらしく僅かに上げてみせた口角が固まるのを感じた。目の前の日向は増々虹彩を絞る。間違っても冗談としては伝わっていないとはっきり分かる反応だった。
互いに言葉を詰まらせたふたりの間に落ちた沈黙は狛枝にとっては耳鳴りがするくらいに気まずいものだったけれど、けれどそんな気まずさに気をやる余裕がないくらいに狛枝の頭は混乱でかき乱されていた。さみしさなんて、本当に、欠片も抱いていたつもりはない。その筈なのに、今の自分の声色には隠しようのない、真に迫ったなにかが揺れていた。狛枝自身がそれにどれだけ無自覚であったとしても気付かざるを得ないくらいに。それなのにどれだけ頭の中で何故、を繰り返してみせたって、その奥で自分が覚えたであろう根源的な感情が何かという答えは上手く辿れる気配が無く、目が回るような感覚に襲われた。
日向はそんな狛枝の内心をどこまで見て取っただろうか。それは分からなかったけれど、ただ狛枝よりも先に硬直から脱した彼は、それでも迷うように視線を彷徨わせてから、やがて左手に視線を落としておずおずと問いを差し向けてきた。

……これだけ見舞いが来てたのに?」

その手に提げていたのは現場から回収された狛枝の手荷物だけでなく、飾り気のない紙袋もあった。花や果物やその他、中には見舞いの品かと疑うような物はあれど、そこに詰め込まれた物が差し入れられたものだというのは明らかだ。事実、この一週間、賑わっていたという訳では決してないが、それでもこの部屋に一度も見舞いが来ないということは無かった。面倒見の良い小泉が何か足りないものはないかと様子を見に来たり、それについてきた西園寺にいつもの調子で学習しないだのなんだのと罵倒されたり、左右田が良い機会だからと義手のメンテナンスをしに来たは良いがメンテナンスにかけた時間よりに余程多くの時間を彼の愚痴を聞いて過ごすことになったり、九頭龍と辺古山にいい加減自分が抱えているリスクを少しでも減らすためにトレーニングのひとつでもしておけと説教されたり。プログラムから目覚めてからも同級生との距離を積極的に詰めたりはしておらず、寧ろそれを測りかね、意図して一歩引くようにしているのだけれど、その割には周囲に気を遣われているという自覚はある。ただ、その理由の一端には誰かさんのお節介が周囲に伝染しているという部分が無い訳がないのだろうというのも、何となしに気付いていた。
結論として、これだけの事実があってなおさみしさを訴えることは確かに疑問を覚えるには充分かもしれないけれど、しかしそれ以前の部分で日向の問いはズレているとも言えた。だって、そもそも狛枝の孤独に対する感覚なんてとっくの昔に麻痺しているといえるくらいに鈍っているという事を、誰よりも狛枝を理解しようと努めていた彼が分かっていない筈がないのだから。だから、突き付ける矛盾はそこであるべきだ。そのズレを思うと、狛枝当人程ではなくとも日向も狛枝の言葉に相当面食らっていて、或い彼も狛枝と同様に自分が差し向けているものや差し向けられているものに対しての自覚が乏しいのかもしれなかった。
――それなら、これは、痛み分けだ。無理矢理力づくで出した結論で自分を落ち着かせて、ならばといっそ開き直って。自分自身よく分かっていないままの感情を狛枝はそのまま飲み込み、肯定した。

「そうみたい」

一度固まった口元が少しだけ緩む。はっきりとしたかたちを得ないままの情動は、それでも飲み下してみれば案外気分が良かった。
普段と比べて随分と角のとれた言葉を受け取って、日向は再度枯草色の虹彩を瞬かせる。輪郭の曖昧な狛枝の感情を、その瞼が降りる度に少しずつほどかれている様な感触を覚えた。勿体ぶった様子は無いけれど決して短くはない時間をかけてその温度を辿っていった末に、彼は勝気な印象を抱かせるつくりの顔をやわらかく崩し、どこか喜色と錯覚するようななにかを滲ませるような呼気を落とした。

……なら、俺も同じで良い」

それは先ほどの狛枝の問いに対する回答なのだろうけれど、回答としてはあまりに意味不明だ。当然どういう意味かと詰問しようとした狛枝の口唇は、しかし荷物を持ち替えて空になった日向の左手が狛枝の未だ血の通っている方の手をとった感触で音にしようとしていた言葉を見失ってしまい、結果的にはぬるい呼気を落とすに留まってしまった。