詠夕れもん
2025-01-30 23:50:03
3204文字
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狛日版週ドロライ「痕跡」

未機パロです。同居してますが付き合ってはないです。狛枝は完全無自覚です。

割り当てられた宿舎の一室に帰ってきた日向は、ちょっとした違和感に小首を傾げた。
部屋が明るい。それ自体は特に何の問題もない。自分に振られているのは二人部屋で、ルームメイトがいる。向こうが今日は先に帰宅しているのは知っていた。
ただ、誰かがいるにしては嫌に静かだ。人の気配がない、と言った方が良いかもしれない。多少の生活音すらなく耳が痛くなるような静けさ。しかしそこに覚えた違和感は、リビングの扉を開けることで直ぐに氷解した。数拍遅れて、小さく呟く。

……珍しいな」

日向の視線の先では、ルームメイト――狛枝凪斗が、リビングの中央に鎮座するソファに腰かけそのまま横たわる姿勢をとっていた。明らかに眠っていると分かるその様は、数年同居を続けているがこれまで見た試しがない。気ままに夜更かしをしている様子はあるものの、だからといって殊更ルーズな訳ではない。その辺りの線引きは寧ろ几帳面にしている印象だったので、意外に思って無意識に足を止めた。
ただ、この数週間彼が比較的規模の大きい復興作業につきっきりであったことを思えば、この状態もそう不可思議なものではないけれど。非力とは言わないが、特段肉体労働に向いているという訳でもない狛枝が体力を著しく消耗した結果糸の切れた人形の様に寝落ちた、というのは実に納得性がある。
そんな眠りを邪魔するのは気が引けるが、ソファの上で十分な休息が取れるとは思えない。ベッドで眠りなおす方が結果としては彼のためだろうと判断して、その傍らへ足を向ける。膝を折って距離の縮まったその相貌を目に止めると、先程の比喩表現とは全く別の意味で人形めいた印象を受けた。すっかり見慣れた顔であるし、口を開いた時のやかましさ(声量が、という意味ではなく、その内容の鮮烈さが、という意味で)があまりに印象強いため普段は気にも留めないが、こうして黙っていればきれいな造形をしているということを改めて認識する。
こいつは口を開くことでどれだけ損をしているんだろうか、なんて考えたところで、日向はその眦の辺りに引っかかりを覚える。その感覚に導かれるままにまじまじとそこを観察し、程なくして見つけたものに対して目を丸くした。

(泣いた、跡?)

微かにだが、その目元が濡れている。部屋の灯りを僅かに反射するその跡は、涙が流れた痕跡と解釈するのが最もそれらしいだろう。……目の前の男の気質を思うと、そうであると断定するのは途端に難しくなってしまうが。
狛枝らしくないその姿に思わず一瞬怯む。何だか見てはいけないものを盗み見てしまったような心地になって、有体に言えば気まずかった。こういう時に自分が顔に出やすいタイプだという自覚はあるので、起こしてやって何事もなく寝室まで誘導してやれる自信が余りない。かといってやはりここに放置する訳にも。なんて、思考がループしかけたタイミングで狛枝の瞼が小さく震えた。数拍の間を置いて、重たそうにそれが持ち上がる。

…………
…………

気まずい。とても、非常に、物凄く、気まずい。声を掛けてもいないこのタイミングでは寝顔を覗き見られていたと誤解されても弁明のしようがないし、先程見て取ってしまった事実に対する気まずさにこの状況が上乗せされて、全てにおいて上手く取り繕える自信がない。何ならパニックに片足を突っ込みかけているというのをどこか客観的な思考が認識していた。
ただ、諸々の困難を乗り越えてきた結果か、こういう時に腹を括る覚悟がすぐできるようになったのは不幸中の幸いと言うべきなのだろうか。誤魔化すという選択肢を早々に放棄して、ひとつ息を呑みこんでから、日向は狛枝へ率直に問いかける。

「夢見でも悪かったのか?」
……なんで?」

焦点の定まりきっていない虹彩がぼんやりとこちらを捉える。覚醒しきっていないという事実を如実に表す様な間を置いて問いを返してきた声は、普段のよく回る口が垂れ流す言葉の数々と比べると随分とやわらかく響いた。

「その、お前、……泣いてたみたいだから」

ぱち、とひとつ瞬きを落として、それから狛枝は緩慢な動作で生身の片手を自身の目元へ寄せる。その指先が僅かに残っているであろう濡れた感触を拭って、本当だ、とその口唇が小さく紡いだ。
その後に直ぐ彼の言葉が続くことはなく、ふたりの間を一度沈黙が支配する。ゆらゆら揺れる鈍色は思い当たる節を探して考えを巡らせているのか、それとも単純にまだ微睡んでいるだけなのかは日向には判断できなかった。このまま黙りこくっていたらまたすとんと寝入ってしまうのでは、とも思ったけれど、実際のところきちんと思考を回していたらしく、焦れったくなるような空白の後ではあったが狛枝は回答を寄越した。

…………むしろ、良い夢だったんじゃないかな」

そう告げた声に、喜色を伝えるような温度は宿っていない。言葉の内容を鑑みると明らかな矛盾だった。しかしその事実に気付かないかのように続く彼の言葉は、やはり同じ矛盾を孕んだままだった。

「ボクが今まで幸運と引き換えになくしたものが、全部あったんだ。つまらないけど穏やかで、あの中のボクは満足していたし……多分、幸せだった」
……? なら何で、」

誤魔化したり、嘘を言っているようには見えない。しかしその分彼の矛盾はますますはっきりとした輪郭を持つことになった。現実では手に入ることの無い幸福感で積もった感慨に涙が滲んだ、という事ならばまだ理解できたが、それにしては彼の声色は余りにも冷めすぎている。
その乖離の理由を突き止めることができない日向を、漸くはっきりとした目で見つめて、それから狛枝はほんの少しだけ笑みを浮かべてみせた。

「キミが」

いなかったから。息を落とす様に続けられたその言葉には、胸の奥を揺らす様なさみしさが入り混じっていた。

「変な話だよね。夢の中のボクは日向クンって存在を知りもしなくて、当然日向クンがいないことに何かを思ったりする訳がない。あのボクは間違いなく、純粋に幸福だったのに」

その言葉通りであるならば、彼が先程端的に告げた結論はどう考えてもおかしい。事実、彼自身変な話だとまで言っていてその不合理を理解している癖に、しかし狛枝はその答えを正しいものとして導いた様子でいる。
彼の言葉を飲み込み切れずにいる日向の思考を他所に、狛枝の右手がこちらへと伸ばされる。自身の涙の跡を拭った指先が日向の眦を擦った。僅かに濡れた感触を、そこに潜むさみしさを伝えるかの様に。
息が空回るのを感じた。だって、こんなの、まるで求められているかのように錯覚してしまうから。自分が求められているのであれば応えたくなる性分だというのは自覚している。それだけならまだしも、自分は、目の前のひとに対して何時からかこころの隙間を委ねるようなやわらかい心地を覚えてしまっていた。そしてそれをどういう言葉で形作れば良いのかも日向はきちんと分かっていて、だから、求められているなんていう感覚は都合の良い錯覚でしかない。
……事実を歪めてはいけない。狛枝の意図を正しく把握するべきだ。そう理性がはっきりとした警鐘を鳴らし続けるまま、日向はせめて狛枝の湛える鈍色から正しく何かを読みとろうとして、

「それでもボクは、キミがいいって思ったんだろうね」

そこに揺れているのが先程までは欠片も浮かんでいなかったはずの喜色だということに気付き、思わず言葉を失った。視界が僅かに歪んだように思えたのが錯覚なのかどうかは、もう今の日向には判断がつかなかった。
そのまま日向が思考をまっさらにしてしまったことに気付く素振りのない狛枝は、自分が何の気なしに導いたであろう結論を噛みしめるかの様に、穏やかにまだ微かに濡れたままの眦をゆるめるばかりだった。