詠夕れもん
2025-01-12 22:30:56
4257文字
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瞼の裏では反転(狛日)

2025/1/12 スーパーブレイクショット! 2025冬の無配でした。
未機パロです。付き合ってるし同居してます。
web掲載にあたり改行を調整しております。

狛枝の頭にふとその疑問が湧いたのは、何の事はないふとした切っ掛けに因る。

「日向クンってさあ」

ソファにかけたまま、それまで文字を追っていた文庫本から目を離して声を掛ければ、きゅ、とシンクの水道を止めてから日向が振り返る。丁度食器を全て洗い終わったタイミングらしく、ペーパータオルを取って手を拭いながら言葉の続きを待つ彼に、狛枝は軽い調子で問いかけた。

「ボクのこと好きなの?」
……は?」

きょと、と目を丸くして、それから日向は微妙な渋面らしきものをつくって、逆に問いを返してきた。

「今更訊くことなのか? それ」

今更。そう、確かに彼の言う通り今更な話だ。何故なら、ふたりが交際と呼べるものを始めてから経過した時間はもう年単位になっているのだから。その当初から狛枝は日向の恋人を自認しているし、向こうも同じように思っているということも分かっているし、周囲の近しい間柄(狛枝の、というよりかは、日向の、と言うべきだろうが)の人間もふたりの関係性をそうだと認識している。
その前提を踏まえると、狛枝が投げつけた問いは倦怠期に入りコミュニケーションが疎かになったカップルにおける「本当に好きなの?」という猜疑心交じりの少々面倒な問いにも聞こえる可能性があったが、狛枝の意図はそこにはない。そして恐らく、日向もそれを理解している。だからこそ、呆れや鬱陶しさとは別のかたちで渋面を作ってみせたのだろう。

「いや、思い返してみれば『好き』とか『愛してる』みたいなの、キミに言われたこと無いなって思って」

そんな事実に気付いたのは、本当に今更と言えるかもしれない。普段はあまり手に取ることの無い恋愛小説を気まぐれに選んでみて、その話が佳境に差し掛かったところで紡がれた、シンプルな愛の言葉。こういうものは一般的には読者の共感を呼ぶものなのだろうけれど、狛枝にとってはひどく遠い世界のなにかに感じた。それは何故かと頭を捻らせて、……そこで漸く、自分がそういった言葉を受け取ったことが無いからだと気付き、先の問いに辿り着いたという訳である。
返された言葉を受け止めて、それから日向は少し困ったように眉を落として、肩を竦めてみせた。

……まあ、確かに、俺も言った記憶はないな」
「だろうね。そう思ったら順当な疑問じゃない? で、実際のところ、どうなの?」
…………

再度問うと、日向は増々難しい顔をして考え込んだ。真剣な顔つきで落とされる沈黙は明らかにちょっとした戯れの類ではなく、本気で彼が悩んでいることをはっきりと示している。その反応に不安になるというよりかは若干癪に障るような感覚が走って、狛枝は口の端を曲げてみせた。

「あのさあ、ここ、そこまで悩むところなの? もしかして日向クンって好きでも何でもない相手に足を開く物好きだったってこと?」

挑発的な物言いには言葉こそ返ってこなかったが、明け透けで品の無い言葉選びに対して日向ははっきりと眉根を寄せた。それでも生真面目に思案を続けた後、小さく溜息を吐いて、彼はぼそりと呟いた。

「何て言うか、……あんまりしっくりこないんだよ。『好き』も、『愛してる』も」

水滴を拭った後のペーパータオルをやたらと綺麗に小さく折りたたみ続ける自分の手元に落とされた日向の眼差しは、その目に映っているであろう真直ぐな折り目とは対照的にゆらゆらと揺れている。きっちりと重なった角を、どこかもどかしそうにその指先がなぞった。

「今だってお前の事はよく分からないし、振り回されてばっかりだし、何度言っても無茶ばっかりするし、よく分からないし、変な所で意固地だし、気まぐれすぎて腹立つことも多いし、面倒くさがりの癖によく分からない所でやたら行動的だし……それに、よく分からないし」

どれだけ『分からない』を強調したいんだこいつは。なんて突っ込みは置いておくにしても、その随分な評価に対して、恋人としては憤りのひとつでも感じるべきなのかもしれない。けれど狛枝は日向の、しっくりこない、という言葉がすとんと胸に落ちて納得できてしまった。それが自分が真っ当な恋愛感情を抱かれる程まともな人間ではないという自己評価からくるものなのか、日向が惰性や妥協といったくだらない何かで関係を持つ程不誠実ではないという信頼に基づくものなのかは、よく分からなかったが。
ただ。と、日向の言葉が続く。手元に注がれていた視線がこちらを見据えた。その虹彩は揺らいだままで、けれどそれを隠すことはなく。

「俺はお前から離れられない……とは、思う」
「そこは『離れたくない』じゃないんだ?」
「そうだな。『離れられない』の方がしっくりくる」

とことんつれない言葉を選んで、ただ、それでも彼は薄く笑みを浮かべてみせる。どこか自嘲するようなそれに、少しだけ喜色と呼べるようなものを滲ませて。

「俺はもう、お前の隣にいない自分を想像できなくなってる。もし、いつか俺がどれだけお前から逃げたくなることがあっても、きっとそれは変わらないだろうから……『離れられない』が妥当だろうな」
「逃げたくなる可能性はあるんだ?」
「それは否定できないな。全く」

それなりに酷い事実を悪びれた様子無く肯定してみせた日向の眦はやわらかくほどけている。散々な事を言っている癖にその虹彩には生ぬるい温度が波うっていて、その波が彼の言葉をその内容とは裏腹に甘ったるいものにしてみせた。形容しがたい、日向本人にすらきちんとその意図をほどききれない、持て余す様ななにかが自分に向けられている。その事実は不思議と狛枝の胸中をぬるく満たしていった。或いは、はっきりとした愛をかたちにされるよりも、やさしく。そんな受け取り方をする自分を認識して、向こうが向こうなら自分も自分であんまりだと思うが、だからと言って感情の動きなんて自分で制御できる訳がない。早々にまともな方向への軌道修正は諦め溜息を吐いてから、狛枝は僅かに笑んだ。

「そっか。まあ、そういうのも悪くないかな」

別に模範的な関係性に倣おうとしていた訳ではないが、何だか手元の小説から途端に興味が薄れてしまい、栞も挟まず閉じたそれをテーブルの上へそっと置いた。そのまま立ち上がり、シンクへ寄り掛かる日向の元へ歩みながら、狛枝は僅かに首を傾げてみせた。

「でも、ちゃんと答えが返ってきたのは意外かも」
「?」
「てっきり言い返されると思ってたから」

大して広くない宿舎の一部屋では、ふたりの距離が埋まるまではあっという間だった。目の前で疑問符を浮かべた日向の頬を指の背でなぞると少しだけ擽ったそうに眦が震える。

「そんなの俺だって言われたことない、って具合にね」

直接的な言葉をこれまで口にしたことが無いのは何も日向に限った話ではない。記憶を辿る限り、狛枝もそういった言葉選びをした覚えは一切ない。あのプログラムの中で、日向の中に才能という名前の希望の存在を期待していた頃はその希望という幻想に対して好意を言葉にしたかもしれないが、ただの日向創という個人に対して差し向けたことはないはずだ。自分たちが交際を始めた時の会話だって、狛枝が何の気なしに投げかけた「付き合ってみる? ボク達」という軽い提案に対して日向が二、三度瞬いた後に「良いぞ」と、食堂のメニューを選ぶ時と同じ軽さで応えただけなので、まともな告白なんてものはお互いしていない。日向が狛枝相手に率直な好意を向けることについて微妙な感覚を抱いていたのと同様に、狛枝も日向への執着をどう言い表すべきなのかは分からないまま宙に浮かしつづけていたので、はっきりとした言葉を使うことはできないままでいた。
だから、狛枝が当然の権利のように行使した問いかけも、突き詰めれば棚上げ以外の何物でもない。自分が言ったことが無いと自覚していた日向が、逆に言われたことが無いという事実を自覚していないとは思えなかった。
しかし。狛枝の想定とは異なり、日向は吊り気味の瞳をきょとりと丸めて、それから。

……いや。言った事あるぞ、お前」

なんて、全く身に覚えのないことを口にしてみせた。

…………は? いや、全然記憶に無いんだけど。それ、いつの話?」
「えっと、……確か、お前が俺に付き合ってみるか、って言った日の前日。あの時のお前、完全に寝ぼけてたし、覚えてないだろうけど」

数年前の記憶を何とか辿ろうとする。あの時は確か夜中まで酷い量の仕事をこなして何もする気力が無く、けれど空腹をおさめないと寝る気にもなれなくて日向の部屋を訪れたのだったか。とんでもない時間の来訪にも関わらず、悪態のひとつふたつくらいで済ませた日向にきちんと世話を焼かれたような気はするが、正直詳細は覚えてない。

「あのな」と、微妙な面持ちになった日向が、その輪郭をなぞっていた狛枝の手をそっと取った。「自分を好きなのかも分からない奴に付き合ってみるか、なんて言われて同意する程、俺は酔狂じゃないぞ」

さも当然の様に言われた言葉が正論かと言われると微妙な所だったが、今はそんなことはどうでも良い。彼のその言動に恐らく嘘は無い。ならば、狛枝は日向に直接的な好意を口にしたことがある、ということだ。それも自分の理性を置いてけぼりにした場面で。……そんなの、天地がひっくり返ったって取り繕えるわけがない。狛枝の理性がどれだけ小賢しく日向への感情を複雑なものと捉えていたところで、その本質は実に明瞭なのだと、日向が暴露した事実がはっきりと示している。それが悪いということは別に無いのだけれど、ただ只管に居たたまれなかった。
けれどどう足掻いたって否定することは叶わない。その事実を受け入れるくらいには、狛枝も大人になって分別がつくようになった。ただせめて、と、問いを重ねる。

「その時のボク、何て言ったの」

知らないままでいるのは、何だか自分の理性が本格的に負けたような気分になって非常に癪だった。相手は狛枝自身の感情なので勝つも負けるも無い訳だが。
その問いにばつの悪さが多分に含まれていることは伝わっているだろう。狛枝の反応を見て取った日向は可笑しそうに破顔して、それから、珍しく意地の悪さを示すように目を細めた。

「教えない。……いつかお前が面と向かってあの時以上の殺し文句を言えるようになったら、教えてやっても良いけど」