詠夕れもん
2024-12-21 10:23:55
5838文字
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狛日版週ドロライ「動揺」

未機パロです。狛枝の気持ちを盛大に取り違えていた日向くんの話です。

九頭龍がつくった胡乱げな瞳がこちらを射抜き、そして彼はやたらと大仰な溜息を吐いた。すべての業務を終え、帰り支度を始めたふとしたタイミングの出来事だった。

「いい加減アレ離れした方が良いんじゃねえか、テメーは」
「アレって、お前なあ」

随分な言い草だ。思わず苦く笑うが、彼のいう所の「アレ」が何を――もっと正確に言えば誰を差しているのかは明白だ。加えて言えば、彼がどういう意図をもってそう言っているのかも、何となくは分かる。けれど、日向は敢えて自分からの言及は避け、具体的なところを直接彼に問うた。

「どうしたんだよ、いきなり」
「テメーらを見てれば誰だって思うだろ。まあ、元を正せばあのヤローの問題だけどよ、テメーがなあなあで許してるってのも問題って言えば問題だろ」
「ええと、一応訊くけど。問題って言ってるのって……
「決まってんだろ。狛枝の、テメーに対する態度の話だよ」

予想はしていたけれど、やはりそういう話か。苦笑を崩さぬまま肩を竦めると、それを咎めるように九頭龍は鼻を鳴らした。

「何の話だかわかんねえとは言わせねえからな」
「いや、流石に俺だってそうは言わないって」
「分かってるならいいけどよ、……いや、良くねえのか?」
「はは、耳が痛いな」

自覚がありながら是正する姿勢が無い方が尚悪い、と言いたいのだろう。否定は、できない。それはちゃんと理解している。
それでも曖昧な態度を崩さない日向を九頭龍はなおもきつい眼差しで見つめている。顔の造形だけでいったら彼のそれは可愛らしいと形容できる筈だが、それを補って余りある圧力のようなものがその瞳にはあった。その貫禄は流石に超高校級の極道と称されただけはある、と言える。その中に敵意があったら思わず背に震えのひとつでも走ったかもしれない。実際のところ彼の眦をきつくさせているのは日向への、或いは狛枝への心配なのだろうから、日向にとっては気圧されるようなものではないけれど。

「実際、このままでいていいとは自分でも思ってねえだろ?」
「それはまあ、そうだけど」
「まさか、切っ掛けなんてモンを待ってるなんて言わねえよな?」
「そうじゃないけど……でも、これがいつまでも続く訳でもないと思うんだよな」
「はあ? 本気で言ってるのか? ……狛枝の執着がいつか自然におさまるって、テメーはそう言いてえのか?」

執着。そう形容されたのを、日向はほんの少しだけ目を伏せて飲み込んだ。話題の中心となっている狛枝凪斗が日向に差し向けているものを正しく言葉で表すのは難しいけれど、一番近しい言葉を選ぶなら、それが適切かもしれない。
嫌悪に近しい目を向けられることも、厳しい言葉をかけられることもそう珍しいことではない。それでもその後、彼は決まって自分こそが傷つけられたとでも言うかのように目を逸らしてみせる。そんな態度をとりながら、ふとした時にはなんだか遠い世界でも見つめるようにこちらを見つめていることもあれば、複雑そうに唇を噛みしめながら、どこか不安げに日向の袖を握ってみせることもある。彼の、ありとあらゆる行動に一貫性はなく、滅茶苦茶で、理不尽とも言えるかもしれない。そしてそれはたった一人、日向創だけに向けられるものだった。他の人間に対しては当初周囲に危惧されていたよりずっと適切に、上手く彼は立ち回れている。必要以上に踏み込まない。踏み込ませない。干渉しないし干渉させない。どこか軽薄な態度を装うその姿は、ある種の壁であり、彼なりの防御手段でもあるだろう。そんな彼が日向相手にだけは建前を全部手離してみせる。ひどく不器用で子どもじみたそれは、確かに健全であるとは言い難かった。何かの働きかけがなければ変わることは難しいのでは、と思われるのも、無理はない。
けれど。日向はゆっくりと、しかし確かに、九頭龍の問いに対して頷いてみせた。

「ああ、そうだ」
「何だ、随分と自信があるじゃねえか」
「自信って程のものではないけど……。でも多分、あいつのアレは、ずっと続くようなものじゃないと思う」
…………

訝しげな眼が突き刺さる。けれど彼は口を挟まず、無言で言葉の先を促した。

「狛枝が俺にああいう態度をとるのは、多分、あいつにとって俺がノイズだからだよ。あいつがこれまで持っていた……信念って言えば良いのかな。それを考えたら、俺の存在を上手く許容できないのは当然だと思う。ただあいつはきっと、あの信念をあのまま貫いてちゃいけないんだって分かってる。……でもさ、あいつはそれにずっと縋って生きてきたんだ。すぐに変われっていうのも酷い話だろ」
「つまり、狛枝にとっちゃ今はモラトリアムみたいなモンで、それに片がついたらテメーへの態度も変わるって?」
「まあ、そういう事になるんじゃないかと思ってる」

日向の回答を受け止めて、九頭龍は大きく口を曲げた。納得がいかない、とその表情が如実に語っている。どこか言葉に迷うかのようにその虹彩が一度こちらから逸れたが、それでも再び真直ぐ日向を見据えるまでにそう長い時間はかからなかった。

「なあ日向、オレはテメーの観察眼については信頼してる。特に人の内面とか、そういうのを理解するってんなら、右に出る奴はいねえだろうよ」なんて前置きしながら、ただ、と彼は強い声色で付け加えた。「それでもどうしたって信用できねえことがある。一つだけな」
「随分勿体ぶるな。何だ?」
「自分が他人にどう見られてるかって事だよ。そういう話になった途端、テメーは途端にポンコツになりやがる」

そう零して、彼は再び大きく息を吐いた。これみよがしに。そう言われても全く思い当たる節が無く、その言葉の意図も上手く掴めなかった日向としては再度苦い笑みを落とすしかなかったのだけれど、それを見た九頭龍は増々眉間に皴を寄せるばかりであった。



波の音。瞼の向こう側から刺さる日差し。コテージのベッドで目を覚ました日向は緩慢に腕を持ち上げて、何度か手を握っては開く動作を繰り返した。
上半身を起こし、傍らの窓に備えられたブラインドを押し上げる。窓に微かに反射した自分の輪郭は毎日目にしているものよりも些かまるい。こうしてアバターという形で高校生の自分を眺めてみることで、この数年でそれなりに姿かたちも変わったのだと再認識する。
プログラムに自身が入るのは、実に5年ぶりのことになる。コロシアイ修学旅行を乗り越え、その最中で脱落した面々を目覚めさせるまでは幾度もこの中に身を沈ませたが、それが終わった後には外からのモニタリングや調整に徹するばかりだった。現実のジャバウォック島と気候やら何やらはそう変わらないものに設定されている筈だが、それでも久方ぶりのこの世界の空気は何だか新鮮に感じた。
偶には自分でも点検してこいと放り込まれたタイミングで一緒に入ることになったのが狛枝だったということが偶然なのか作為的なものなのか、それは分からない。先日の九頭龍との会話があった手前、少しの気まずさを覚えながらもきっちりタイを締めた。
コテージの扉を開けると直接陽の光が降り注ぐ。少し目を細めてそれを暫く享受して、――ふと、背中をうすら寒いなにかが走るのを感じた。

……、?」

瞬きの間に、嫌な感覚に導かれるように脳裏に一つの光景が蘇る。――テーブルの下に広がる血の海。その中で伏したまま動かない、十神の姿が。

「っ、え、」

何故今更、あの時の記憶が思い起こされる? あのコロシアイで自分たちは多くの傷を背負ったが、けれどそれを自分たちは正しく過去にできている。あれを思い返して心を揺さぶられるような日々は、随分前に終わりを迎えた筈だ。……それなのに、その幻覚は指先を震わせた。
芋蔓式に頭の中へ投影される景色が移り変わる。熱の海に放り込まれる花村が、力なく扉にもたれ血の気の引いた小泉が、九頭龍を守りながら刃の雨を受け止めた辺古山が、不気味に吊るされた澪田が、粗雑に磔にされた西園寺が、恍惚の表情で彼方へ飛んでいく罪木が、歪に作り替えられた身体を破壊された弐大が、死の淵で小さな友人たちに微笑みかける田中が、痛々しい傷跡と苦悶の表情を晒した狛枝が、跡形もなく潰された七海が。スライドショーでも起こっているかのように淡々と目の裏を過っては瞬く間に消えていった。次第に震えが大きくなる。強く手を握りしめて耐えようとするが、寧ろ入れすぎた力が震えを増大させているようにも感じられた。同時に、足の先から自分の身体が温度を失くしていく。
動転して硬直したままの日向の耳に、扉が開く音が届いた。辛うじて目だけを動かし、コテージから出てきた狛枝の姿を捉えた。その視線が日向の方を向いて、そして一瞬で異常を悟られたのかその眉が顰められる。

……日向クン?」

足早にこちらに向かうその姿に向かい合うべきか逃げるべきか、日向は即座に判断を下すことができなかった。まだどこか不安定なままの彼に今の自分を晒していいか分からなくて、けれど、四肢が鉛でも括り付けたように重くなって、動かない。……動かなかった。狛枝の足が日向の目の前で止まる、その瞬間までは。

「っ?」

吸い寄せられるように手が伸びて、狛枝の上着の胸元を震える手が握った。そのまま力が抜けて目の前の身体にしなだれかかる。日向の身体を受け止める狛枝の体躯は些か頼りないつくりをしているように見えたが、それでも倒れることなく人ひとり分の衝撃を受け切った。
狛枝が息を詰めて、小さな疑問符をあげる。縋った先の身体はひどく強張っていた。丁度頭を預けた胸から早鐘を打つような速度の鼓動が伝わってくる。突然の事に狛枝も動転しているのかもしれなかった。
もう一度、戸惑いを滲ませた声で呼びかけられる。

「日向クン、」
「ッ……悪い、少しで良い。少しで良いから、」

このまま。続けた微かな声は、彼に届いただろうか。突如襲われた感覚をやり過ごすのに精一杯だった日向には分からなかったが、少なくとも狛枝は日向を引き剥がす様な真似はしなかったのは確かだった。
触れている身体の生ぬるさと、頭の中を駆け巡る記憶が歪に交錯する。もしかしたら彼に縋るような真似は状況を悪化させるだけかもしれないけれど、それでも何故かそうせずにはいられなかった。……そしてその選択は、結果的には誤りではなかったらしい。速い心音と、少しだけ熱く感じる体温が、次第に過去の投影をやわらかく解いていく。

……生きてるんだよな」

当たり前の事実を、それでも明確な形にしないといけない気がした。確かめるように呟くと、それだけで日向の身に何が起こったのかが目の前の男には伝わったらしい。少しの間を置いて、ふと彼が口を開いた。

「昔のアバターを使った影響かな? 当時の記憶とか感情とかが今のキミに影響して、フラッシュバックしたのかも」

推測を伝えるだけのそれは、しかしなんだかやけに優しく響いた。いや、やさしい、というのも少し違うかもしれない。もう少し正しく形容するならば、……甘ったるい、とでもするべきだろうか。
話の内容は兎も角、その声色に潜む意図がよく分からずに日向は顔を上げた。せめて表情のひとつでも伺えば何かわかるかもしれない、と。
すぐ先にある狛枝の顔を見上げて、そしてそのまま日向は瞠目した。

……こま、えだ」

小さく呼びかけた声は変に上擦っていたが、最早日向はその自分の声を認識できていなかった。
何故。……何故彼は、眦をゆるめてこちらを見つめているのか。肌の色素が薄い分、僅かにその目元が紅潮している事実が嫌でも目に付く。それに何より、その鈍色の虹彩が揺らめく様は確かな熱っぽさがあって、それがまるでいとしさでも湛えているかのように見えてしまったから、日向はその視線に捕らわれでもしたかのように目が離せなくなってしまった。
……自分がどう見られるか、その一点においてだけは日向の目を酷評した九頭龍の言葉が蘇る。狛枝の日向に対する執着は彼が自分の思想の歪みと折り合いをつけるまでの一時的なものだと思っていたなんて、もしかすると自分はこれまでとんでもない思い違いをしていたのだろうか?
いや、でも、これが自惚れであってくれれば。そんな風に願ってみるけれど、こんな距離でこんなものを差し向けられてしまえば、どれだけ自分の間が抜けていたとしても、確かにその意味を理解できてしまう。その理解が胸の奥を侵食するように落ちていった後、少し遅れてぶわりと音を立てるような速度で体温が上がる。それでいて頭は真白になっていて、つい数分前とは全く異なる方向で完全に日向の頭はパニックに陥ってしまっていた。
日向の動揺は当然狛枝にも伝わっただろう。それを見て、ほんの少しだけ彼は眉を落とした。

「あー……ボクも昔の自分に引っ張られてるのかな。この頃のボク、意図を隠すのは得意だったけど、感情を隠すのは上手じゃなかったから。いや、でも、これまで碌に人に頼ってこなかった日向クンがいきなりこんなことしてきたら取り乱すのもやむなしって言えると思うんだよね」

言い訳がましい言葉を、最終的には日向に責を押し付けるような言葉を、どこか喜色を潜ませたような声で呟いて、それから彼は日向の後頭部にそっと手を添えた。現実にはもうない、生身の左手。それがゆるい力で促すままに、日向は再び狛枝の胸元へ頭を預ける形になった。

「ね、日向クン、まだしばらくは気付いてないフリしててよ。正直ボクもまだ、よくは分かってないから」
……今の、よく分かってない奴がして良い顔か?」
「あは、ごめん。鏡が無いから自分じゃ判断できないや」

とぼけているようにも聞こえたが、それは案外彼の本心なのかもしれなかったけれど、未だ混乱の最中にある日向にはどちらなのか判断できなかった。
旋毛のあたりにやわく人の体温が触れる感触がする。それで分かってないとはどういうことだと糾弾のひとつでもしてやりたくなったが、それは多分藪蛇だ。どうするべきかもまともに判断できない思考のまま日向は口を噤むことを選んだけれど、思考を滅茶苦茶にかき回されるような衝撃に、もういっそいつかのように思考を放棄して気絶のひとつでもしてしまいたかった。