詠夕れもん
2024-12-07 18:05:03
3022文字
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狛日版週ドロライ「鈍感」

未機パロです。痛みに鈍い日向くんと自分の感情に鈍感な狛枝の話です。

前方へ駆け足に遠ざかっていく足音と、背後からゆるいテンポで近付いてくる足音。そのふたつを日向の耳は同時に捉えていた。

「今度は一体どんな罵詈雑言を浴びせられたの?」

かけられた言葉に振り返る。柔和な表情を湛える狛枝が拳みっつ分もあろうか、という至近距離で足を止めていた。曇天をはめこんだような虹彩は、しかしそれとは裏腹に何があったのかをすっかり理解しているとでも言いたげな眼差しをこちらへ向けている。

……別に、何か言われたわけじゃない」
「言われたわけじゃない、ね。じゃあ、化物を見るような目でも向けられた?」

揚げ足を取るように付け加えられた問いには、答えを返さなかった。それは肯定を示す反応に他ならなかったが、それでも言葉というかたちをとって明確に示す必要性も感じない。
目の前の男が確証を持ったように問うてくるのは、過去に一度や二度では済まない回数、そういった場面を目撃されているからだ。
絶望の残党を制圧する際に駆り出される回数をカウントしたならば、恐らく自分は未来機関の中で最上位に位置する。この身に残った才能を行使することが、最も安全で手早く、確実だから。ただ、その様が周囲の――例えば日向の人となりや背景をそう深く把握していない機関員やその場で巻きこまれた一般市民の目にどう映るのか、なんて点は、指示する側には鑑みられていなかった。
無秩序や理不尽を圧倒的な暴力でねじ伏せる様は、例えば銀幕に映し出される映像の中の出来事であれば痛快な気分を得て終わることができたのかもしれない。けれどそれを為すのが生身の温度を持って直ぐ近くで呼気を落としている人間だったならば。……例えそれが救いの手だったとしても、最も強く揺さぶってくるのは恐怖だろう、と、『普通』の尺度を理解している日向は分かっていた。大衆は得てしてそれを当人にぶつけたくなってしまうということも、全部。それこそ化物と直接的に形容されることもそう珍しいことではないが、それも健全な人間の思考からくる行動としてはあまり間違いだとは思っていない。
沈黙を返すばかりの日向を、狛枝がどう捉えたのかは分からない。ただその視線が少しだけ下に降りて、ふと中途半端な位置で止まった。

「左腕、結構深く切れてない?」
「え、……ああ、本当だ。天井が崩れた時に咄嗟に庇ったから、その時かもな」

戦闘前に放り投げていた荷物が丁度足元にあったので手に取ろうとしたが、それより先に狛枝が掠め取る。彼はやや粗雑にその中身を漁って無地のタオルを引っ張り出したが、しかしそれでとめどなく血を流し続けている日向の腕を圧迫する動作は存外丁寧だった。
ぎゅうと両手に力を込めながら、狛枝は再び日向の目を真直ぐ見つめる。ひどくもの言いたげな視線だったが、しかし今度はそれを言葉にしようとはしない。妙な居心地の悪さに身動ぎしたが、ある種腕を捕らえられているとも言えるこの状況では大した抵抗にはならなかった。

…………
…………
…………何だよ」

沈黙に根を上げたのは日向の方で、眉を顰めながら端的に問う。問われた狛枝は、じっと推し量るような目をこちらに向けて、それからそっと口を開いた。

「日向クンは随分と鈍くなったものだと思って」
「鈍い?」
……まあ、当然自覚は無いよね」

小馬鹿にしたような声色をつくっていたが、しかし狛枝の表情は笑みを浮かべようとして失敗したような、形容しがたいなにかを浮かべていた。その口唇が、確かめるように、暴くように、糾弾するように、……それでいてどこか祈るように、言葉を並べてみせる。

「これだけの傷口に触れても顔色一つ変えない。それどころかボクが指摘するまで傷の存在にすら気付いてなかった。……あのプログラムの中で、流れ弾が掠めただけで真青になってたキミがだよ?」
…………
「人に化物だって言われたり、そういう目で見られた時だってそう。キミがなんてことないって顔しているのは強がりでもなんでもないよね? そう思われても仕方ない、それが当たり前だ、って全部割り切って受け入れてる」

傷口を押さえる手に更に力が込められたのを感じたが、それでも日向の神経は鈍い痛覚を僅かに訴えるだけで、警鐘を鳴らすような信号は発してこなかった。それが常軌を逸した反応なのだと、日向はようやっと思い至った。

「キミがここまで自分の痛みに鈍くなったのは、一体誰のせいなんだろうね?」

息が空回る。けれどそれは、自分のまともな人間性がどこか歪になっていることに気付かされた所為でも、はっきりと指摘されるまで気付くことができなかった所為でもない。
ただ、目の前の鈍色が自分こそ痛みを覚えているとでも言うかのように僅かに揺らいでみせたから。……そんなのはおかしい。おかしいはずだ。

「っ、何でだよ」
「何が?」
「今の俺が異常だったとしても……お前だけは傷ついたりしないはずだろ。だって、」

狛枝がずっと求めていたものは、揺らぐことなく絶望を打ち砕く希望に他ならないのだから。そんな彼が今の日向の在り方を見て、……どこかさみしさの入り混じったような痛みを覚えてみせるのは、どう考えたって矛盾している。
そう思うのに、その意味を追い求めるのが何だか急に怖くなって日向は言葉を詰まらせた。けれど狛枝はその言葉の先を理解したと言わんばかりに小さく息を落としてみせる。目の前の男の聡さに助けられたことも陥れられたこともこれまで幾度となくあったが、今この場でそれに感謝するべきなのか苛立つべきなのかはよく分からなかった。

……そうだね。キミがボクの求める希望に近付いているのであれば、賞賛こそすれ傷つく道理はない」
「なら、」
「多分ね、そうなっているのががキミじゃなければ手放しで喜んでたと思うよ」

日向の言葉を柔らかい声色で、それでもはっきりと遮って、そして狛枝はどこか困ったように笑ってみせる。普段はその内にある心情を表に出すことをコントロールしている節のある男がこんな顔をしてみせたことが、果たして今まであっただろうか。

「でも、それが日向クンだったから。キミがこれまで持っていた筈の人間性を放棄しようとしているのを見ると……これっぽっちも胸は躍らないし、それどころかどうにかして引き止めないといけないとまで思ってる」

何でだろうね? なんて、途方に暮れたように彼は呟いた。冗談でも何でもなく、本当に彼は自分がそう思うに至った理由が理解できていないのだ。その虹彩に湛えられた熱情が、真直ぐそれを差し向けられた日向からしてみればその奥に揺らぐものの正体を悟るには容易いようなものであったにも関わらず。
まるで自覚のないその鈍色を受け止めて飲み込んだ時、……まともに機能することを忘れていた痛覚が何故か唐突に胸の奥を深く突き刺してきて、思わず日向は顔を歪めた。

「狛枝」
「何?」
…………いたい」

端的な訴えを、彼は果たしてどこまで正しく理解したのだろうか。ただ、日向の言葉に眦をゆるませてあからさまな喜色を示してみせたこの男が、それでもやはりその意味をまるで理解していないという現実に目眩がして、衝動的に押さえられていた腕を振り払う。出血のおさまったそこが痛みを主張しているかどうかは、胸の痛みに阻害されて正しく判断することが叶わなかった。