詠夕れもん
2024-11-21 00:21:20
6418文字
Public
 

泡沫に希う(狛日→七)

未機パロです。狛枝がプログラム内で七海の幽霊に会う話です。日向くんは最後ちょっと出てきますが、殆ど狛枝と七海の会話です。狛日はくっついてはない。無自覚両片想いくらいの気持ちで書いてます。

不意に目が覚めたのは、夜更けと言って差し支えない時間だった。真暗な部屋の中、時間を確認するためにロックを解除した端末の光は少しだけ目に痛かった。

……喉、乾いたな)

重い身体をゆらりと起こし、冷蔵庫の中身を確認するが生憎空っぽだった。今回のプログラムの点検は簡易的なものとはいえ、自分の用意の悪さに溜息をひとつ吐いてから、隅にかけてあった深緑の上着を羽織る。プログラム内は気候が調整されている上に、そもそも設定されているのは常夏の島なのだけれど、昼間の暑さに慣れていると夜の気温には上着があった方が丁度良かった。
コテージからレストランまではそう距離はない。備え付けられているプールを迂回してロビーの扉をくぐり、窓から差し込む自然光を頼りに階段を上がる。上階は海に面した部分に壁が無い構造上、登るにつれて光量が少しずつ増していった。

………………?」

階段を登りきったところで足が止まる。がらんとした中に人影を見かけたからだ。
こんな時間に? ぼんやりとした灯りの中、訝しげに眉を顰めてそちらを見つめて、……その輪郭を捉えた時、狛枝は自分の目を疑った。
人影が振り返る。その動作には大した時間はかかっていなかった筈だが、自分の逸る気持ちの所為なのか、なんだかやけに勿体ぶっているように感じられた。その足が止まると同時に髪飾りが、揺れる。

…………七海、さん?」
「あれ? もしかして……と思ったけど、見えてるんだ。久しぶり……で、良いのかな? 狛枝くん」

眠たげな瞳がこちらを捉えた。独特の間で紡がれるやわらかな言葉が、嫌に重たく胸に圧し掛かる。手のひらに汗が滲む感覚がして、その不快感を握りつぶすことで誤魔化した。
……今目の前にいるものは幻覚だと決めつけるのは一瞬で済むのに、そうではないと、何故か狛枝は直感的に理解してしまった。

「どうして、キミが? ……というか、キミはあの七海さんなの?」
「七海千秋は私しかいないから、『あの』が何を指すのかわからないけど、……えーっと、私はコロシアイ修学旅行を皆と一緒に過ごした七海千秋だよ、って言えば良いのかな? と言っても、私はコロシアイの最中に死んじゃってる訳だから、七海千秋の幽霊、って言うべきかも」

うらめしやー、なんちゃって。と、彼女はおどろおどろしさの欠片も感じさせない間伸びした声で続けてみせる。あからさまに冗談です、というポーズだが、狛枝の立場からしてみれば他でもない七海からの「恨めしや」は全く笑えない冗談だと彼女は理解しているのだろうか。理解した上で敢えてそう言ってみせたのであれば、いくらか自分は七海千秋という人間への認識を改める必要がありそうだが、生憎とそこに深入りする勇気は持てなかった。

「プログラムに『幽霊』はいくらなんでも非科学的すぎない?」
「そうだね。まあ、本当のことを言うと、ただのバグだよ。新世界プログラムの中に『死』っという概念は元々無くて、それを江ノ島盾子のアルターエゴが無理やり組み込んだものだから、私の『死』……というか、消去の処理の際に不具合が出ちゃったんだと思う。そんなこんなでコロシアイから脱落した私は、その後一度だけ日向くんと話すことができたけど、それ以外は誰に見えることも無くて、人や物に干渉することもできなかったから……まさしく幽霊って感じだね。ただ皆が点検にきたり実際にプログラムを運用してたりする様子をずっと眺めてただけ」

ふつり、と彼女の輪郭が一瞬揺らぐ。存在そのものを不安定にさせるような、電子的な揺らぎだった。しかしそれに取り乱すような様子もなく、七海は穏やかな調子で言葉を続けた。

「ただようやくセキュリティに引っかかったみたいで、実はあと数分くらいの間に完全に消去される予定なんだ。ここで狛枝くんに見つかったのは、キミの才能にあやかったのかもしれないね」

……果たしてそれを、幸運とするべきなのか不運とするべきなのか。狛枝は答えを出せず、ただ口を噤む。彼女のことを疎んじている訳では決してないが、それでも彼女にもう一度会いたかったかと言われると、多分自分は素直に首を縦に振ることができない。
七海もきっと、それを分かっている。だからきっと狛枝の「幸運」ではなく「才能」にあやかった、と言ってのけたのだ。

「ねえ、狛枝くん。折角だし、『成仏』するまでの間、お喋りにでも付き合ってくれないかな」
……その相手に相応しいのはボクじゃないと思うけど。あと数分なら、日向クンを叩き起こして戻ってくるくらいの時間は、」
「ううん。私と話すべきなのは日向くんじゃなくて、狛枝くんだと思うよ」

狛枝の言葉を遮ったのは相変わらずのやわらかい声色で、それでもその中には確固とした何かがあるように思わされた。けれど彼女がそう断言する理由はよく分からない。
……いや、あるにはあるかもしれない。何と言ったって、彼女を死に追い立てた始まりは狛枝にあるのだから。彼女は自分を糾弾するに充分すぎる権利を持っている。

「ああ、さっきの『うらめしや』は強ち冗談でもなかったってこと? そういう事なら恨み言の一つや二つ、大人しく聞くけど」
「違うよ。そんな理由じゃない」

しかし、七海はあっさり、狛枝からしたら唯一と言える理由を否定してみせた。緩くかぶりを横に振って、彼女が一歩前に踏み出す。ふたりの距離は依然として遠いが、七海が丁度影になっていたところから月明かりが差す場所に出たことで、頼りない光源が華奢な少女の輪郭を縁取ってみせた。

「多分、私に一番縛られてるのは……日向くんじゃなくて、狛枝くんだと思うから」

記憶の中と変わらない声色。穏やかで、けれど芯になにかがあると思わせるような。春を思い起こさせる色彩の瞳が真直ぐこちらを射抜いてみせた。

…………本気で言ってるの?」
「うん」
「ッ、日向クンは、」

何故だか自然と声が上擦った。握った拳に力が入る。目の前の少女は欠片として敵対の意志など見せていないというのに、かたちの無い焦燥感が胸の奥を走って、頭がなんだかぐらぐらする。もしかしたら、頭に血が上る、という言葉はこういう感覚を表しているのかもしれない。

「日向クンは、未だにキミを夢に見て泣いてる時があるのに? ……そんな彼よりボクの方が、キミに縛られてるって?」
「そうだよ」

またも静かに断言してみせて、しかし、そこで七海は首を傾げた。両腕を胸の前で組み、いかにも悩んでます、というポーズをとってみせる。

「うーん……でも、確かにちょっと語弊があるかもね。狛枝くんは別に、私そのものに縛られてる訳じゃない。というか私自身には特に関心もないだろうし。だから正確に言うなら、狛枝くんは『日向くんの中の私』に縛られてる、ってなるのかな」

その指摘に、胸の奥が潰されるような感覚が生まれた。奥歯を噛みしめてそれをやり過ごす狛枝に、七海は重ねて問いかける。

「ねえ、狛枝くんからしたら、日向くんにとっての私って、どんな存在に見えるの?」
「それは、…………

彼女の問いを、形容できる言葉はある。けれど本人を前に口に出すのは憚られた。しかし、口籠った狛枝を見て七海はやわく眦を解いてみせた。それがどれだけ彼女を貶めるようなものでも構わない、とでも言いたげに。
その虹彩に促されて、狛枝は何とか言葉を続けた。

「まるで……呪いみたいだ」
…………

その言葉に七海は肯定も否定もしない。驚いた様子すらなく、彼女はただ無言で先を促す。狛枝は言葉を続けながら、ゆっくりと彼女に向かって歩みを進めた。

「意志を継ぐ、って言えば聞こえはいいよ。でも、それと選択肢を奪うってことにどれくらいの差があるんだろうね? 実際、日向クンが七海さんをどういう意味で大事に想ってたかなんて知らないけど、キミの存在が日向クンにとって何よりも深い傷になってるってことくらいは分かる。そんな七海さんの意志を背負った日向クンが、……キミの想いの奴隷にならないって、どうしたら言えるの?」

問いかけと共に、彼女の目の前で足を止める。狛枝からすれば随分と低い位置にある七海の瞳は、しかしその体格差に怯える素振りの一つも見せることは無かった。

……狛枝くんの不安は、全く分からないとは言わないよ。でも、敢えてはっきり言わせてもらおうかな」

そう彼女は前置きをしてから、狛枝の眼前にびし、と指を突きつけてみせた。

「それは違うぞ、……なんて。どう、似てる?」
「え、……っと、いや、全然」
「むむ、流石に日向くん関係で狛枝くんから及第点を貰うのは難しいかあ」

本気なのか冗談なのか分からない、普段通りの調子で七海は肩を竦めてみせる。どこか張り詰めていた雰囲気を一瞬でぶち壊してみせて、それから彼女はにこやかに笑んだ。

「大丈夫だよ」

突き付けていた手指を崩して、七海は両手を胸の前でゆるく組んだ。それはまるで祈るようなかたちだった。……もしかしたら事実、そうであってほしいという、彼女なりの祈りが込められているのかもしれないけれど。

「傷になったっていうのは、否定しないよ。でも……癒されない傷なんてない」
「癒されたとしても、傷痕は残るでしょ」
「人を縛るのは痛みだよ。痕じゃない。でも、痛みはいつか忘れられる。狛枝くんだって、今はもう左手の傷痕に縛られてはいないでしょ?」
……思い返すことが、無い訳じゃないよ」
「それは他の過去だって一緒じゃない? 全部等しく、思い出になってるだけ」

大丈夫、と、彼女はもう一度呟いた。狛枝にも、七海自身にも言い聞かせるような声色で。

「日向くんが独りだったなら、もしかしたら狛枝くんの言う通りに、私は日向くんにとっての呪いになっていたかもしれないけど……でも、そうじゃない。みんなだっているし、それに、狛枝くんは何があったって日向くんの隣にいるでしょ?」

そんなことを当然のように言われると、なんだかひどく居たたまれない気持ちが湧いてくる。ただ全くもってその通りではあるというか、日向の方は知らないが、少なくとも、きっと自分が日向という存在を手離すことはもうできないのだろうということくらいは、流石に自覚している。

「それは、まあ、……否定は、しないけど。でも、それに意味があると思うの?」
「あるよ。日向くんにとっての狛枝くんなら、猶更ね。……心の中にある傷を癒せるのは、それに寄り添ってくれる人だと思うから」
「それは……根拠というよりかは、願望に聞こえるかな」
「そうだね。でも、それが手の届かない願いだとは思わないくらいには、私は日向くんのことを知ってるつもり。狛枝くんは、どう?」
……参ったな。そう煽られたら乗らないわけにはいかなくなるや」

ふつり。また七海の輪郭が歪む。二度、三度、不規則に。彼女は何も言葉にしなかったが、何となく、彼女が示していた時間が近いのだろうと察した。

「ねえ、七海さん。最後にひとつ訊いても良い?」
「うん。何かな?」
「キミは、……恨んでる? ボクのこと」

狛枝の問いを受け止めて、眠たげな瞳が一度、ゆっくりと瞬いた。

「ううん、ちっとも。……でもね」

ひとつ、微かな息を落として。それから七海は、いっそ清々しいと感じるような笑みを浮かべた。

「狛枝くんのことは……ほんのちょっとだけ、きらいかな」
……良かった。今日キミに会えたのは、ボクにとっては幸運だったみたいだ」

彼女の答えにへらりと笑ってみせれば、向かい合う七海の笑みも深くなった。
――瞬間、階下から破裂するような衝撃音が響きわたった。勢いよく階段を駆け上がる音が続いて、思わず振り返る。

「っ、狛枝、無事か!?」
「日向クン?」

薄暗い中でも血相を変えていると伝わってくるような険しい顔をした日向の目が、五体満足――左手をとっくの昔に失っているので、正確に言えば「五体満足」な状態は自分にはもう存在しないのだが、義手があるので一旦五体満足ということにしておく――な狛枝の姿を認めてやわらいだ。

「なんとも……ない、みたいだな」
「うん、この通り」
……良かった」と、小さく呟いて、それから日向は肩を撫でおろした。「モニタリングしてた九頭龍から、お前がレストランに入った瞬間にレストランごとロストしたって叩き起こされて、来てみたら扉は全然開かないしで……。何があったんだ?」
「何が、って……

見た方が早いだろうと振り向いた先に、もう七海の姿はなかった。微かな痕跡ひとつ、そこには残っていなかった。夢か幻覚をみていたのだと言われてしまえば納得してしまえるくらいに、何もない。
……それでも。あの柔らかな輪郭は、それでいて虚像とするには些か鮮烈すぎた。

……七海さんの幽霊に会った」
「七海の、幽霊?」
「うん」

再度振り返った先で、日向は明らかに困惑を示していた。その奥にどんな感情が宿っているのか、この距離では分からない。踏み出すことに少しだけ恐怖を覚えたけれど、それでも狛枝はひとつ息を呑んでから足を踏み出した。

「正確に言えばバグらしいけど。七海さんの存在って、実はずっとプログラムの中に残ってたみたい。キミが今入ってくる直前まではここにいたけど……セキュリティに引っかかって、ボクが来た時には消えるまであと数分ってところだって言ってたから、多分、そういう事だと思う」
…………そうか」
「あっさり信じるんだ?」
「お前がわざわざそんな嘘を吐く理由があるか?」
「無いけど。なら、訊かないの? 彼女が何を言ってたのか、とか」
「言うべきことがあるならお前は俺に隠したりしないだろ。そうじゃないってお前が判断したなら、無理に聞こうとは思わない」

ゆるやかに日向が笑んでみせたタイミングで、丁度彼の傍らに狛枝の足は辿り着いた。薄ぼんやりとした自然光の中で、その虹彩が普段より僅かに揺れて見えるのは、多分、錯覚ではない。

「日向クン、ちょっと手貸して」
「いきなりどうした? 別にいいけど」

了承を得て、目の前に差し出された両手を握る。その感触を受け取ったのは生身の右手だけだが、手のひらにひどく汗が滲んでいるのが伝わってきた。彼の焦燥を端的に示すような感触をしばらくの間受け止めて、それから、小さく狛枝は日向に問いかけた。

「日向クンにとってさ、……七海さんって、どういう存在?」

七海と違って狛枝と殆ど目線の変わらない日向の虹彩が、ほんの少しだけ丸まった。それが揺らぐ様を見つめるのは息が詰まるような感覚を呼び起こしたけれど、それでも視線を逸らすことなく彼の答えを待った。
日向の口唇が何度か、薄く開いては閉じる。彼にしては珍しく、言葉に迷っているようだった。幾度か繰り返された後、きゅ、と、一度強く唇を引き結んで。それから日向は、息を落とすように密やかに告げた。

「今はまだ、ちゃんとした答えはだせないかな。……ただ、いつか……

吊り気味の瞳を崩して、彼は笑んでみせる。それが強がりだということがはっきり伝わってくるくらいにその枯草色はどうしようもないくらいの痛みを訴えていて、けれど、その笑みはどこか、七海の祈るような素振りを思い起こさせた。

……あいつは俺にとっての祝福だったって、言えるようになりたい」

狛枝の手がそっと握り返される。その力はひどく弱弱しく、まるで彼に縋られてでもいるような心地になって、……その感覚が間違いでなければ良いと、それこそ祈るような気持ちを覚えたが、その祈りはどこに向けるべきものなのか、狛枝には答えを出すことができなかった。