詠夕れもん
2024-08-13 00:42:52
4994文字
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狛日版週ドロライ「無自覚」

未機パロです。付き合ってて一緒に住んでます。

自身の歩調に合わせてゆらゆら揺れる黒い水面がぼんやりと映す自分の表情は、自分が思っていたよりも眠たげに見えた。

「狛枝、奥つめてくれないか」

ソファに腰かけ手元の文庫本に目を落としていた狛枝は日向を無言で一瞥した後、特に何を言う事もないまま左に少しずれて、右端に人ひとり分の空間を作った。そこに腰かけ「悪いな」と謝意を伝えても「別に」と素っ気なく返ってくるばかりで、今度は手元から視線を寄越すことも無い。読書に集中している時の彼はいつもこんなものなので、日向も特に気にすることなく片手に持っていたマグに口をつける。瞬間、コーヒーに砂糖を入れるのを忘れていたことに気付いたが、もう一度キッチンまで足を運ぶ億劫さ加減とこの味を天秤にかけ、日向は躊躇いなく後者を受け入れる判断を下した。ソファの前に鎮座するローテーブルへマグを置き、もう片手で持っていた文庫本に目を落とす。
日向が読む本の殆どは狛枝が読み終わった本だ。狛枝の好きなものが知りたいと日向が言って、なら、と狛枝が回し読みを始めたのは、二人の交際が始まってそう日が経っていないころだったように思う。狛枝が読むジャンルは比較的ミステリーが多いものの基本的にはかなり雑多で、その面白さが日向にも理解できるものばかりでは決してなかったが、今のところ回ってきた本は全て最後まで目を通している。自分が曲がりなりにも好意というものを……恐らく、多分、きっと、一応は、……向けている相手なので、その彼が見ている世界を少しでも共有してもらえたら、なんて単純な理由で始めたものの、狛枝への理解が深まっているのかどうかは今のところよく分からない。ただ、こうして横並びにただ紙の擦れる音だけを響かせる時間は、嫌いではなかった。
そんな訳で今日も今日とてその一環で読みかけの本をリビングまで持ってきたものの、なんだか直ぐに開く気になれず、幾度か表紙を指先で撫でた後にテーブルの上へ避難させた。まだそこまで遅い時間とは言えないが、眠気か何かだろうか。先程も何だか自分の顔が眠たげに見えていたことだし。そんなことを普段よりぼんやりとした心地で考えながら、ソファに片膝を立ててそこに頬を乗せるような形で隣の狛枝をなんとなしに見つめた。
真一文字に口を結んだ状態で文字を目で追うその横顔はとても癪だがきれいだと評するには充分な造形をしていて、本当にこいつは口さえ開かなければ、と思わずにはいられない。ただ日向は見た目に関する自身の好みが『きれい』より『かわいい』寄りであることをしっかり自覚しており、であればそこからは確実に外れるであろう目の前の男の何が好きなのかと突き詰められると大変どうしようもない理由に辿り着くであろうことも理解しているので、その点については自分の中で明確な言葉にしないようにしていると同時に誰も問いただしてくれるなと思っている。祈っていると言っても良い。
真横で恋人がぼんやりとしながらもそこそこ失礼なことを考えていることに気付く素振りのない狛枝はじっと紙面に視線を注ぎ続けている。もしかしたら読書に没頭していて日向の視線にそもそも気付いていないかもしれない。しかしそんな予想は、不意にそのくすんだ色の虹彩がこちらを捉えたことで否定された。

「日向クンってさ、たまにあざとい時あるよね」

狛枝が口を開いたのと彼が本を閉じたのは同時だった。閉じた本をテーブルへと置きながら彼は言葉を続ける。

「ここで言う『あざとい』は本来の意味じゃなくて、近頃よく使われる、天然じゃなくて計算して作られた可愛さ、って意味の『あざとい』ね」
……何で俺がそうなるんだ?」

意味をはっきり説明されても、とても特に自分に結びつく形容には思えない。外見ひとつ取ったって、身長は180に近い数字を叩き出していれば体格だってそれこそ目の前の狛枝と比べたらしっかりしているし、顔の造形だって多少童顔気味と言われたら否定はできないが、吊り目でどちらかといえばきつい印象を与える部類だろう。性格だって、諸々の困難のおかげでそれなりに意志は強くなったと思うが、言い換えれば強気とも捉えられる。周囲との調和は重んじるが、それは可愛げというものに繋がる要素ではない。考えれば考える程、寧ろ自分とは程遠い概念に感じられた。
そう日向は真面目に感じているのだが、狛枝は呆れたように目を細めて、生身の指先を日向の眼前へと突き付けた。

「キミ、まさか自分がさっきまでどういう顔でボクの事見てたか、分かってないとか言わないよね?」
「は?」
……はあ?」

特に何も思い当たる節のない日向が上げた疑問符に、狛枝は更に顔を歪めた。引っ込めた指でこんこん、と幾度か自身のこめかみを叩いた後に、「自覚ないの? 性質悪いな」と呟かれた言葉は問いかけなのか独り言なのか判断がつかないくらいの声量だったが、日向の耳にはきっちり届いた。馬鹿にされているようにも聞こえたが、苛立ちよりも自分はそんなにおかしな顔をしていたのかという不安の方が大きくなる。しかし答えを問うのも憚られた。だってきっと、狛枝の言葉選びからして、辿り着く答えは碌なものじゃない。ならばなんとか煙に巻いて話を有耶無耶にするくらいしか日向がダメージを負わない選択肢はなさそうだが、舌戦を得意中の得意とする狛枝相手に対してどれだけの勝算が見込めるか。
……まあ、そもそも、そんな悠長に考える暇が与えられる筈が無い、というのが現実なのだけれど。

「でもまあ、無自覚っていう方が納得かも」

一人で納得した風に肩を竦めた狛枝は、打って変わって薄っすらと笑みを浮かべてずいと顔を寄せた。反射的に日向は反対側へ仰け反るが、ソファの端に座っている以上大した距離は稼げなかった。狛枝が更に身を乗り出してきてしまえば、鼻先が触れそうな距離にまでその顔が迫るのをもう拒否できない。細められた瞳に浮かんでいるのは、……喜色、だろうか?

「日向クン、甘えたくて堪らないって顔してたよ」
…………

思ってもみなかった言葉に、見間違いでは、というシンプルな反論が浮かんだが、それは言葉にする前に自分の脳内で斬り捨てられた。自分がぼんやりとしていた、もっと言ってしまえば気が緩んでいた自覚のある日向としては自分が無意識下でどんな表情をしていてもおかしくはないと認めざるを得ないし、何より目の前の狛枝凪斗という男の洞察力には信頼が置けるということを日向は身をもって知っていた。知りすぎている、と言っても良い。加えて言えば、狛枝は根本的に自己肯定感の低い男でもあるので自惚れという可能性も除外できてしまう。
だから多分、彼の指摘は的を射ているのだと。……自覚の有無に関わらず、受け入れるしか無かった。

「ついでに言うと」

まだあるのか。そんな内心は恐らく表情に出ていただろうが、狛枝が意に介した様子は全く無い。

「座る時だってさ、いつもだったらボクをどかすんじゃなくて自分がこっちに回り込んでたよね」
……それが?」
「どうせ自覚無いんだろうけど、人肌が恋しかったんでしょ?」

こんな体勢じゃどっちでも変わらないけどね、と続けながら、狛枝の両手は日向が自身の上半身を支えるためにソファについた手に重ねられる。生身の右手と機械の左手。自分が座ったのは、前者の側だった。
勿論日向にそんな自覚は無い。無いけれど、普段ならば、という狛枝の指摘もまた誤っていない。だから否定するのが難しい。けれどこんな状況では、沈黙は得てして肯定を示すことになる。
重ねられた、或いは捕らえられた両手のあたりからじわじわといたたまれなさが湧き上がってきて表情が自然と歪む。それを見て狛枝の笑みが困ったようなそれに変わった。

「あれ、日向クン、もしかして揶揄われてると思ってない?」
「そうじゃないなら何だよ」
「『あざとい』って言ったでしょ。計算ずくのものでは無かった訳だけど、まあその辺はどうでもいいや。要はさ、キミのその行動にボクは可愛げを感じたってことだよ」
……俺の性質が悪いって言うなら、お前は趣味が悪い」
「今更? 趣味が良かったら日向クンを好きになったりしないって」
「お前は俺を褒めたいのか貶したいのかどっちなんだ?」
「まあ、その辺は今はどうでも良いじゃん」

良くない。良くない筈だが、日向の胡乱げな目を狛枝は笑って受け流した。やはり揶揄ってるのでは、と日向は反論の姿勢を取ろうとしたが、しかし瞬きをひとつ落とした後の狛枝の虹彩にひどく甘やかな温度が揺れたのを見て取って思わず言葉を失うことになった。
狛枝の右手が日向の手から離れ、頬の輪郭を確かめるように添えられる。居心地が悪く感じるくらいにやさしい手つきだった。生ぬるい体温が滲むように伝わってきて、微睡むような心地にさせられる。

「そんな事は置いておいてさ、……ね、日向クン。ボクは今、キミの可愛げに免じて思う存分キミを甘やかしたい気分なんだ。ちゃんとキミの望むようにね」

額が重ねられる。いよいよ視界いっぱいに広がった虹彩は甘ったるい温度を宿しながら、その端にはやはり喜色と呼べる何かを滲ませていた。今の話のどこに狛枝が喜ぶ要素があるのかは皆目見当がつかなかったが。

「だから教えてよ。キミはどうやって甘やかされたいのか」



耳元に微かに届く規則正しい寝息は、こちらの眠気をも誘うような気がした。
が、何となく名残惜しさのようなものを感じている狛枝は、闇夜の中でぼんやりとしか判別できない日向の寝顔を見つめ続けていた。

「得意じゃないだろうなとは、思ってたけど」

まさかここまで甘え下手だとは。内心で呟きながら、絡めた手指に少しだけ力を籠める。
――寝入るまで手を握っていてほしい、と。難しい顔をして散々考えた末に日向が出した結論は、拍子抜けするくらいにあっさりしたものだった。まさか熱を持った回答を寄越される、なんてことは流石に狛枝も思ってなかったが、それにしても流石に付き合いたての高校生もびっくりの健全度合いではないだろうか。思わずそれだけかと3回ほど繰り返し確認して危うく日向の機嫌を損ねかけた後、何とか軌道修正に成功して日向のベッドに共に潜り込んだのは30分程前の話だ。同居しているとは言え寝室は分かれていて、ひとつのベッドに二人で入るのなんて身体を重ねるタイミング以外に存在しなかったので、無性に居心地の悪さを感じなくもない。

「それにしても……せめて抱きしめててほしい、くらい言えばいいのに」

万が一にも届くことが無いように零した言葉は殆ど溜息と変わらないくらいの声量で、密やかに寝室へと沈んだ。ただ、詰るような言葉を選んだ一方で自身の口元がゆるんでいることを、狛枝は自覚していた。

(まあ、無自覚とはいえ態度に出せただけ進歩かな)

目の前の日向創という人間の在り方を思えば、それが妥当な評価だろう。彼はいつだって周囲に目を向け他人に献身するばかりで、逆に自分が周囲に寄り掛かることは無い。必要なタイミングで必要な相手に助力を乞うことは躊躇わないけれど、それまで。他人に甘えるとか、そういったことは寧ろ自分に許していないようにすら見えた。ストイックといえば聞こえが良くなるがその範疇は明らかに逸脱している。元から甘え方なんて知らなさそうな性格の上に、絶望の残党だった過去を思えば、自罰的にすらなるのは容易に想像ができた。正確に言えば絶望の残党となっていたのはカムクライズルだが、日向にとってはカムクライズルとしての過去も自身のそれと変わらない。
だから。そんな日向が他でもない狛枝に甘えようとする姿勢を見せた時――頭を鈍器で殴られたくらいの衝撃を受け、息が詰まるようなそれの後にはなみなみと心中が生ぬるい感情で満たされたのだ。
あの時狛枝が浮かべた喜色の根源はくだらない優越感だったのだと分かったら、日向は一体どんな表情になるだろうか? そんな疑問が浮かんだものの、真横から熱烈な視線を受けてからは狛枝が本のページを捲る手が完全に止まっていたことにも気付かなかった彼がそこに行きつくのはいつのことになるのか、狛枝は答えを出せなかった。