あさかわ
2026-01-30 12:21:55
9168文字
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妖怪使いの男

くらさんの素敵な作品からこねた話です。
妖怪オークション会場にうまいこと潜入する二人。

 ねずみ男がひげをつまんで笑った。俺が何度も腕時計を見ているのに気がついたのだろう。
「んなに身構えなくても大丈夫だってぇ! 兄さんは仁義を通せば悪いようにはしないお人でね……ま、やましい心当たりがあるなら知らねえけど」
「うるせえよ」
 悪態をついたそばからまた時計を見てしまう。古い民家の玄関は未だに白熱灯で、光源が心許ない。バックライトが付いているスマートウォッチに買い換えて正解だ。
「本当にいるんだろうな。妖怪使いなんて」
 俺達のように妖怪を使って商売をする男がいるらしい。新参者で力の弱い妖怪ばかり捕らえるこちらと違い、海千山千強力な妖怪も飼い慣らすとはねずみ男の談。
「ここらの妖怪と半妖はみぃんな知ってるよ。兄さんのシマで妖怪絡みの商売をするなら、筋を通さねえと。だから俺が連絡役になってんだ。何度も説明しただろ。覚えてくれよ」
……てめえ」
 馬鹿にした態度に唸り声が出た。ねずみ男が両手を顔の前で振る。

「暴力はなしなし! 俺を叩き出して兄さんの心証悪くしたかねえだろ。それにほら、監視の目があちこちにある」
 ねずみ男がビルの隅に視線を投げる。黒猫が闇に溶けるように座って金色の目を輝かせていた。
 この町に来てからずっと何かに見られている。ネコ、カラス、この前はコンビニの窓にネズミが張り付いていた。『店長』の俺や他の社員も同じ有様で、神経の細いバイトは免許証を奪っておいたのに逃げ出した。

 本社を離れて『部長』と妖怪を売買するビジネスを始めてから業績は右肩上がりだった。それがこの町に来てから動物たちの監視の目が付き、客足も遠ざかり始めた。一体どういうことかと首を傾げたところに、ねずみ男と名乗る半妖が現れたのだ。
「妖怪売買のビジネスをブルーオーシャンだと思ったんだろうけどね。大抵の事には先人がいるもんさ。ずーっと監視が付いてるだろ? 妖怪使いの兄さんにお墨付きをもらえるまで大人しくしておくんだね。あの人のお気に召さなければ終わりだよ」
 常に視線を感じる生活は神経をすり減らすのだ。部長は連絡役だというねずみ男に事業の詳細を話し、どうすれば商売できるのか問うた。その答えが今日の販売会だ。
 約束の時刻まであと十分。妖怪の売買など慣れた仕事だが、今日は違う。
 妖怪使いとか言う胡散臭い男に部長から店長まで全員顔を見せて、ビジネスの説明をしてオークションに参加させる。他の店長たちが嫌がって俺に案内役のお鉢が回ってきた。

 ねずみ男という胡散臭い半妖が俺の腕をつつく。汚れの詰まった指が闇の向こうをさした。
「お出ましだ」
 カランコロンと聞きなれない奇妙な音がする。電灯の下に二つの人影が現れる。
 一人は着物に羽織を肩に掛けた男。黒の着物の下は赤い襦袢で、左手に煙草を、もう片方に隣の子供を括った縄を持って悠々と歩いてくる。素足に引っかけた下駄が聞きなれない音の元だった。左の目と耳に傷があり、大きく空いた胸元には一際大きな傷跡がある。縄を片手に悠々と歩きながら煙草をふかす姿はカタギには見えない。
 もう一人は不気味な子供だ。葬式の死者みたいな真っ白な着物で、顔を綿布で覆っている。手や体を荒縄で縛られて妖怪封じの札がベタベタ貼られている。素足のままペタペタと歩いてくる。男がこちらを見て緩く笑った。
「御免ください」
 愛想のよい口調が逆に恐怖をあおった。
「ここで合ってるかい? 化け物の子供を買う場所ってのは」
「ハイハイその通り! お待ちしてましたぜ、兄さん」
 ねずみ男が揉み手しながら前に出る。男の隣にいる子供は一言も発さず立っている。男は俺を一瞥して、ああと声を上げた。
「あんたが荻野さんか? 俺のことは使いっ走りから聞いてると思うが」
 男の隣にいる子供は一言も発さず立っている。俺が黙っている間にねずみ男が勝手に会話を進めていく。
「ちゃんと伝えてすべて整っておりますよ。いやぁ水木の兄さんにご足労頂きありがてえことだって涙流して喜んでましたぜ。へへへ、ところで、それは?」
 男が煙草の煙を吐き出す。

「商品だ。妖怪を売り買いする場に手ぶらってのは気が引ける」
「よかったねえ荻野さん! ほらっ! ……早くありがとうっていいな」
 ねずみ男に背中を叩かれ渋々頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
 妖怪使いだか知らないが、得体のしれない相手に頭なんて下げたくない。しかし、後ろ暗い商売で培った山勘が事を荒立てるなと警告する。
「商品をお持ちくださったということですが、その妖怪は一体……
 俺の問いに男がニッコリと笑った。
「ああ、これは灰皿」
 灰皿? 俺の疑問を感じ取った男が機嫌よく煙草を揺らした。
「昨今はポイ捨てにうるさいからね。愛煙家には生きにくいご時世だ。おい、灰皿」
 子供が施しを受けるように両手のひらを男に向ける。男は子供の手に煙草を押しつけた。

「っ……!」
 じゅっと肉の焦げる音がする。俺は息を飲む。子供は吸い殻を受け取ると手を引っ込めた。そうされるのが当たり前という動作だ。俺たちが捕まえて脅せた小さな妖怪たちとは違う、本物の調教を見た。
「これは傷の治りが早いから灰皿にうってつけなんですよ。今は力を封じてますが、札を剥がせば用心棒にもなります」
「それは……素晴らしいものをお持ちくださりました」
 俺も他の社員も完全に飲まれていた。男がこの場を支配している。なるほど妖怪使いというのも納得だ。
「灰皿一つくらい増えたって構わんでしょう。このまま中に入っても?」
「は、はい」
 俺は慌てて姿勢を正し、男を入口に案内した。
 敷地の境には妖怪をのけるための結界が張られている。大金かけた安全装置で、社員の許可がなければ妖怪は入れない。水木という男が連れてきた灰皿の子供は肉を焼かれても飼い主に従っている。問題なかろう。水木は下駄を三和土に揃え中に上がる。赤い鼻緒がいやに目についた。



 昭和に建てられた屋敷は立派だが、交通の便が悪く相続人は持て余していた。それを部長がタダ同然で買い叩いた。古びた屋敷は妖怪のオークション会場には雰囲気も立地もうってつけで重宝している。
「今夜のオークションには我が社の主力商品を多数取り揃えています。水木様にご満足いただけるか分かりませんが」
「お招き感謝しますよ。俺も商売を独占しようとは思わないが、同業者から一言は欲しかったんでね」
「それは……失礼しました。同業者がいるとは露にも思わず」
 広間に通して布をかけた檻を指し示す。他の商品はまだ納屋の中だ。
「こちらが本日の目玉商品です」
 布を取りさると水木が目を眇めた。
「油赤子か。これがアンタらの売れ筋か?油を舐めるだけの弱い妖怪だ。確かに捕らえるのは容易だろうが」
 腑に落ちぬ、とばかりに水木が腕を組む。
「我が社で扱っているのはすべて小柄で妖力の少ない妖怪です」
「他の商品も? ここには置いていないようだが……
「必要な時だけ倉庫から持ってきます。脱走の危険もなく管理が容易ですので」
 水木が檻の中を眺めた。二日前に捕らえたばかりの油赤子は生きがいい。多くの客が満足するだろう。
「灰皿にも用心棒にも、監視役にもならない。弱い妖怪ばかり集めて商売になるのかい?」
「妖怪に法律は関係ないでしょう」
 水木が片眉を上げる。俺はどこまで話していいのか目線で部長に指示を求めた。それとなく、と部長が右手で合図する。

「子供くらいの大きさで法に引っかからない。ストレス発散なんかに需要があるんですよ。子供をね、今はちょっとつねるだけでも大ごとになるでしょう。これは傷の治りも早いし飼う世話も軽い」
 自分より確実に弱くて小さくて矮小な自尊心や加虐欲を満たしてくれる。面倒な世話も少ないし飼うのにうってつけ。
 俺が檻を叩くと油赤子が悲鳴を上げた。
「ひぃ、ごめんなさい! お願いです、打たないでぇ!」
 檻の隅で身体を丸めて震える。この反応が客に受けるのだ。

「妖怪相手なら刑法なんて関係ない。なるほど、なるほど」
 水木が顎の下を撫でてくつくつ笑った。灰皿の子供が身じろぎして、水木が縄を引く。水木は煙草を取り出しライターで火をつける。
「それは考えつかなかったなァ……監視やら用心棒になる力がある妖怪しか眼中になかった。弱い方が都合がいいと……よぉく考えましたね」
「水木さんとは商売道具の種類が違うでしょう。競合はまったくありませんのでご心配なく」
「安心しました。これで、心おきなく仕事ができそうだ」
 交渉成立。俺は安堵の息を吐く。妖怪使いのお墨付きが貰えれば商売も持ち直すだろう。水木がうまそうに煙草を吸って、右手を灰皿に向けた。
「おい、灰皿」
 灰皿役の子供が手のひらを差し出す。先ほどと同じ仕草だからと誰も警戒していなかった。
「思いっきりやっちまえ」

 何を、と問う時間はなかった。水木の煙草が手のひらではなく妖怪封じの札に触れて、閃光とともに激しく燃えた。
「なっ!」
 灰皿の子供が荒縄を紙切れのように引きちぎる。まずいとか、ヤバいとか考えるより先に全身を恐怖が襲った。灰皿の身体からバチバチと電気が弾けている。油赤子の入った檻を掴んで棒切れみたいに柵を折った。
「み、水木さん!」
 助けを求めて水木を見る。男は子供から檻を受け取ってケタケタ笑い出した。
「人だろうが、妖怪だろうが喰い物にしてタダで済むとは思わねえよな。じゃあ後は任せたぜ、鬼太郎」
 鬼太郎。鬼太郎と言ったかこの男。それは妖怪を扱う者たちの目の上のたんこぶであり、恐怖の対象。金に糸目をつけず結界を施したのもこういった手合いを入れぬためだったのに。
「お前たち」
 怒気を含ませた少年の声が部屋を満たす。あれば俺が招いた鬼だ。
 ガキの頃、妖怪物知り博士の同級生が言っていたっけ。昏夜に鬼を語るなかれ。闇夜に化け物の話をしてはいけない。化け物がいると噂をすればその声を聞きつけて本当に化け物がやって来てしまうから。
子供が——鬼太郎が、面布を引き剥がしギョロリと不気味な右目で睥睨する。
「覚悟しろ」
 逃げる間もなくこめかみに鋭い痛みが走った。振れる視界に赤い鼻緒の下駄が映る。玄関で違和感を覚えたのはあの下駄だ。宙を飛び回る下駄に雷、悲鳴の怒声ともつれて打たれて倒れ伏す同僚。化け物の蹂躙を焼き付けて俺の意識は耐えた。



 懐を探る感触で目が覚める。ねずみ男が俺の懐から財布を飛び出し、買ったばかりのスマートウォッチを外す。
「ありゃりゃ、時計はダメになってら。荻野さん、手酷くやられたねえ。兄さんと鬼太郎、両方怒らせちまったなら仕方がないか」
 スマートウォッチを放ってねずみ男が笑った。よろよろ顔を横にすると他の店長も部長も倒れて伏して、ロープで縛られていた。
「あんたら、闇バイトの斡旋から振り込め詐欺まで手広くやってたんだって? これから警察に引き渡すから洗いざらい吐いちまいな」
「お前……鬼太郎の仲間だな。俺たちを騙したな」
 ねずみ男がロープを俺の手にかける。

「人聞きの悪いこと言わないでくれって。俺はあんたら警察に突き出して報奨金貰うだけ。そうそう、兄さんが本社の方にあんたらがやったこと告げ口してたから、下手に逃げて私刑にされるより警察の牢屋に入っていた方が幸せなんじゃねえかなぁ」
 拘束されて逃げることができない。殴打された頭が痛くて起き上がることも難しい。ねずみ男がしゃがんで俺の額をピタピタ叩く。
「兄さんから言付けだぜ。ムショから出ても、ネズミもネコもカラスもみんな見ている。やましいことをしたら本社にも顧客にも居場所をバラして法の外に放り出してやるってさ。因果は巡るってことだ。おお、こわ」
 水木なら出来るだろう。あちこちで見られる恐怖は背中に貼り付いている。ネズミが一匹壁の隙間から這い出して俺の前に座った。小首を傾げ、見ているぞとばかりに髭を動かす。
 パトカーのサイレンの音が聞こえた。徐々に大きくなるサイレンとねずみ男の下手くそな鼻歌。俺は目を閉じて視界からネズミを追い払った。



 鬼太郎は後始末をねずみ男に任せて裏山に入った。少し斜面を登ると、ひらけた場所に明かりが灯っている。たくろう火が明かりかわりになって屋敷から逃げてきた妖怪たちを照らしている。
「鬼太郎おかえり! ほら、鬼太郎が悪い人たち全部やっつけてくれたよ」
 まなが油赤子を抱きしめている。身体が小刻みに震えているが、怪我はなさそうだ。
「おお、戻ったか! ようやったの!」
 まなの肩に乗った目玉が片手を上げる。
「みんなのおかげです。水木さんとねこ娘は?」
「悪い人たちを縛り終わったから、警察に電話するって。もうすぐ戻るんじゃないかな」
 鬼太郎が悪徳業者を昏倒させている間、水木は納屋から妖怪たちを逃してくれた。外で待っていたねこ娘と砂かけばばあの案内で裏山に避難し、まなや目玉、たくろう火などが保護して落ち着かせる。それぞれがうまく役割を果たしたようだ。
「鬼太郎ぉ……怖かったよぉ」
 鼻をすする油赤子の前で鬼太郎は片膝をついた。

「助けにくるのが遅くなってすまない。結界の中に入るのに手間取った」
 力の弱く小柄な妖怪を捕らえて売りさばく人間がいる。助けて欲しいと知らせが入ったが、妖怪たちを閉じ込めた場所には結界が張られていた。無理に入ろうとしても外からはどうにもできない。どうにか中に潜り込んで内側から破るしかない。
「水木さんの作戦大成功だったね!」
 妖怪を売りさばくオークション会場に潜入することになった。鬼太郎が妖力を制限した状態で売り物に扮し、誰かが連れて中に入る。では誰が売りに行くのか。ねずみ男では小物過ぎる。砂かけばばあやねこ娘では見た目で怪しまれる。そこで白羽の矢が立ったのが水木だ。

「鬼太郎をけして裏切らずある程度は自分の身を守れ、平静を装い敵陣に乗り込む度胸がある、口がうまくて裏社会の人間に見えそうな……まさに水木が適任じゃったな!」
 目玉がパシンと膝を叩く。森の住処で悩んでいたところに水木がおでんを持ってやってきた時に天啓を得た。
 それから『妖怪使い』という話をでっち上げ、動物の監視で悪徳業者に信じ込ませた。監視のために、ネコたちはねこ娘が頼んでオヤツで手を打って貰った。まなも手伝うと言って、希望するネコの尻を黙々と叩いていた。ネズミとカラスは短期とはいえ四六時中の仕事に難色を示したが、鬼太郎が通訳をして水木が交渉し、カラスは新しい砂場、ネズミはソーセージとトウモロコシで承諾して貰った。
 町の動物たちが心なしか毛色が良くなりふっくらとしたのだが、気がついている人間はいないだろう。
「着流し姿で下駄のさばきもこなれておって、おおよそカタギに見えなかったのう。まったく適任じゃ。本人もぶいしね育ちの頭でっかちもやし小僧なんぞ一ひねりと息巻いておった」
「ぶいしね?? って何?」
曇りなき目でまなが問う。
「びでおしねま、の略じゃろうな」
「ビデオ……??? 水木さんに聞いてみようかな」
 鬼太郎はそっとまなを止めた。
「まな、それは聞かない方がいい。世代ギャップで水木さんが重症になる」
「まなちゃん……びでおを知らんのか」
「ごめんなさい、親父さん。ビデオって観葉植物の名前とか?」
「かっ……ぐう!」
 無知の刃が目玉の胸に深々と突き刺さった。胸を押さえる目玉をまなが心配そうに見つめている。

「鬼太郎、戻ったのね。警察に通報は済んだわ。逃げ遅れた妖怪もいない」
「ねこ娘、ありがとう」
 ねこ娘の後ろから水木もやってきた。
「後始末はセンセイがやってくれるってさ。大方報奨金を独り占めしたいんだろうが、警察の聞き取りなんて面倒だからなぁ」
「ひっ!!」
 水木の姿を見た妖怪たちが団子になって後ずさる。ただ事ではない。鬼太郎は額を押さえ水木に問うた。
「何をしたんです?」
 水木はあごを一撫でして視線を上に投げた。
「屋敷からの避難は迅速第一だろ? だから、こう」
 水木が顔の横に手を上げて、威嚇するように爪を立てて見せる。妖怪たちがブルブルと震え、油赤子はまなの腕にもぐりこんだ。
「天ぷらにして食っちまうぞ!と脅して追い立てた。納屋にいた見張りはぶん殴って昏倒させたが、応援が来たらまずいからな」
 人間不信に陥ってた妖怪たちは蜘蛛の子を散らすように逃げただろう。効果はてきめんだが、心に傷が残ってしまったようだ。
「それは……もう少し手心と言うか……
 まなのおかげで妖怪たちは落ち着きを取り戻したが、水木から距離を取って団子になっている。この養父ここぞとばかりに脅しつけたらしい。
「俺は敵じゃない。いい人間です、なんて説明してる暇はないだろ。即時避難を考えたら一番確実だったんだよ。まずはゲゲゲの森で暮らしながらどうやったら事件に巻き込まれないか学ぶべきだ。じゃないともっと怖い人間に喰い物にされちまうぞ」
 妖怪たちがまなの周りに集まる。人間が怖いが水木はもっと怖い。でも、まなという子は優しくて怖くない。鬼太郎の頭に北風と太陽の童話がよぎった。
「まなちゃん、助けてえ」
「よしよし、みんな怖かったね。悪い人間にだまされないよう親父さんのところで勉強しよう」
……うん!」
 まなに頭を撫でられて妖怪たちが落ち着きを取り戻している。砂かけばばあが水木に声をかけた。
「水木殿、少しよいか。例の部長が買った物件のことなのじゃが」
「はい、何でしょう」
「あの男、地面師で他の土地にも手を出していたようでな……これを見て欲しい」
 砂かけばばあが水木にスマートフォンや書類を見せて話し始めた。
「無事解決してよかったのう」
「そうですね」
 見上げる目玉を手のひらに乗せた。組織が瓦解すればしばらくは金銭目的に妖怪が捕らえられることはないだろう。鬼太郎が小さく笑うと目玉は嬉しそうに頷いた。



「全員揃っているな。鬼太郎、俺は帰るぞ」
 後ろからとげのある声がした。まさかと思い鬼太郎が振り返ると眉間に皺を寄せた石動が立っていた。
「石動? お前、なんでここに」
「手伝いを頼まれたんだよ。水木さん……お前の父ちゃんだって?」
 石動は水木を一瞥して苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あの人にタクシー乗せられて、回らない寿司屋に連れて行かれた。メニュー表に値段書いてなくて怖ええし、勝手にお任せで頼むし」
 石動が夜空を見上げため息を付く。若いんだから沢山食べなさい、と昭和のごり押し論法を展開した水木に、値段が分からない料理が大量に並べられたらしい。石動が思い出したのか身震いをしたが、鬼太郎は回らない寿司に何の感慨もない。
「店の雰囲気が高級過ぎて焦ってるうちに、手品道具で妖怪封じの札を作って鬼太郎の手伝いをする約束をさせられて……おい、その生温かい顔をやめろ」
「あの人らしいなと思って」
 水木がにこやかな顔で持ってきた黒い妖怪封じの札は、石動が作ったものらしい。紙は手品に使われるフラッシュペーパーという発火しやすい素材で、煙草の火種でも容易に火が付く。更に鬼太郎が屋敷に潜入している間、石動は妖怪たちの用心棒として雇われたようだ。

「おいしいものが食べられる店なんだろう。好きなだけ食べろと言われたら、たらふく食えばいいのに」
「値段が分からない大トロ噛んでも味がしねえよ」
「ふうん。人間はよく分からないな」
 石動が鬼太郎に冷ややかな目を向けた。お前に分かってたまるかと視線が訴えかけてくる。
「鬼太郎、お前。水木さんに怒られるぞ」
「え?」
「手のひらに煙草を押し付けて敵を信用される作戦。食事中にずーっと小言言っていたからな」
 鬼太郎は傷一つ残っていない手を握った。妖力封じをしていても知らない妖怪を相手は警戒するだろう。売り手の支配下にあると示す必要があった。確かに水木は難色を示したが、どうしてもと説き伏せたのだ。
「石動くん、色々手伝わせてすまないね」
 砂かけばばあと話しを終えた水木が、ひょいと手を上げてやってきた。

「っす……
 石動が身体をこわばらせ一歩後ろに下がる。
「お札だけでも助かったのに、周りの見回りまでしてくれて。鬼太郎はちゃんとお礼をいったのか」
……いえ」
「友達にもお礼は言った方がいいぞ。親しき仲にも礼儀あり、だ」
「「友達じゃないです」」
 鬼太郎と石動の声が見事にかぶった。水木は瞬きをして思い出したように石動に話を振る。
「石動くん、今度また食事に行こうか。肉とかどうだい。ツテがある鉄板焼きの店があってね」
 げっと発し石動が飛び退いた。
「そういうの、いらないんで! 失礼します!」
 くるりと背を向けて全力で逃げていく。鉄板焼きの店というのは石動の鬼門らしい。
「鉄板焼きくらい行けばいいのに」
 水木が肉と言っていたから、豚玉お好み焼きや焼きそばが食べられるのだろう。
「彼は慎ましい性格だなあ」
「好き嫌いが多いだけではないですか」
 石動は粉ものが嫌いなのだろう。贅沢なやつだと文句を言うと水木がくすりと笑った。
「そう怒るものではないぞ。彼には随分助けて貰ったんだから。……鬼太郎、手を見せてくれ」
 鬼太郎が手を差し出すと水木が鬼太郎の手のひらを確かめるように触った。

「煙草、熱かったろう。ごめんな」
「いえ別に。妖力封じの札を剥がせばすぐに治りますし」
「治るからいいというものではない。お前を犠牲にしたくなかった」
 犠牲だなんて大仰な。必要なことだと言おうとして、やめた。鬼太郎の手を触る水木は眉を寄せて口を頑なに引き結んでいた。
「次はもっといい案が思い付くように頑張りましょう」
 鬼太郎の言葉に水木の表情が緩む。その顔に安堵して盛大に口が滑った。
「あまり気にしないでくださいね。今までの依頼の中で会った瞬間、殴りかかってきた人間もいましたし、煙草程度で驚いてくれてよかったです」
「ほう……鬼太郎、ちょっとそこに座りなさい」
「え」
「出会い頭に殴られたなんて初耳だなぁ。不届者はどこのどいつだ」
「あの、水木さん」
 ほら見たことかと石動が嘲笑する幻聴が聞こえた。
 自分を蔑ろにするなと説教を受ける鬼太郎の背中に、夜半の月と見守る者たちの生温かい目線が降り注いだ。