慣れないことをした気疲れに逆らうように、黒鋼は肩で風を切って歩いていた。その横を少年が生真面目そうな顔でついていく。三人分の衣服を包んだ手元の荷物は少々かさばったが、問題はそこではなかった。
「ったく、こういうのはあいつの方が向いてんだろうが……」
黒鋼の不満を聞いた小狼は、自分の衣類が入った荷物を抱え直すといくらか足取りを早めた。
「確かにファイさんの方がこういうのは慣れてますけど、今回は借り受けたお屋敷を整えてもらってるので……」
彼にその気はないだろうが、自分たちは居住空間の調整に向いていないと直接言っているに等しい。ただ反論はなかった。あの魔術師はへらへらと胡散臭いが、交渉能力や日常の細々とした気遣いに優れているのは事実だ。
これ以上隣を歩く少年に何かを言うのも憚られて、黒鋼は鼻を鳴らすに留めた。承諾もなくこの旅に放り込まれてから、良くも悪くも自分らしくもない感情を飲み込むことに慣れ始めている。
「……あ、帰ってきたみたい」
「おかえりー!」
「おかえりなさい!」
このところ目が覚めていることも多くなってきた少女が、魔法生物を肩に乗せて危なっかしく玄関まで出てきた。荷物を受け取るつもりだったようだが、当然黒鋼も小狼も渡すはずがない。じゃれつくモコナを躱しながらぞろぞろと居間まで進むと、相変わらずへらりとした魔術師が顔を出した。
「おかえりー、黒たんってばちゃんとお買い物できた? 送り出したはいいけどオレ心配で心配で」
「ガキ扱いすんじゃねぇ!」
「小狼君もありがとねー」
「態度違いすぎだろ!」
「モコナお洋服見たーい!」
目まぐるしい応酬に慌てる小狼とサクラを宥めつつ、ファイが荷物を広げる。
「わーサクラちゃん見て見て、かわいいの買ってきてくれたみたいだよ」
「これ小狼が選んだの?」
「えっ、いやその……」
「小狼照れてるー!」
「照れてるねぇ」
そのまま騒がしく会話を続ける彼らを横目に、台所へ向かう。水を一杯飲み干したところで、ふと囁くような少女の声が耳に入った。
「あの、ファイさん……」
「大丈夫、ぎゅーってすれば問題ないよー」
おそらく小狼たちに見つからないよう、それでもどこか不安そうな様子が隠せていないサクラがファイを見上げている。小声でやりとりをしてから、ファイは自然な笑顔を見せるとぱちんと片目を瞑った。
半ば無意識に目を眇めてから、使った食器を洗うために流しに向かう。姫の言動から察するに何かしらあったようだが、魔術師があのように返しているあたり問題はないだろう。黒鋼はそう結論づけた。
「うわーすごい雨だったねぇ」
「ツイてねぇ……」
「どこもかしこもびっしょびしょ、絞ったら水出そう」
髪を伝って額に流れる水滴が鬱陶しい。思わず頭を振ると、なぜか魔術師が楽しそうに声を上げた。
上着にしまい込んでいた買ったばかりの食材はなんとか無事のようだ。もっとも買いに出た自分たちは、住居まであと少しというところで運悪く通り雨に遭遇しこの有様だが。
「小狼君とサクラちゃん大丈夫かなぁ、どこかで雨宿りできてるといいけど」
「姫だけならともかく、小僧が居るから大丈夫だろ」
少しは息抜きを、とモコナと共に昼食後自ら送り出した子どもたちの話をしながら、ファイがタオルを持ってくる。受け取って身体を拭くものの、埒が明かない。黒鋼は諦めて羽織っていた衣服を脱いだ。
「黒みー、ちょっと早いけど先お風呂入ってきちゃったら?」
同じように裾から水を滴らせているファイを見て、眉を寄せる。このままではどうにもならないのはわかっているだろうに、魔術師は帰ってきてから上着を脱ごうともしていない。
「どちらが先に入るにしても脱げ。床も濡れんだろうが」
ファイは少しの間逡巡したのち、ぐっしょりと湿った布地に手をかけた。
「あー、まぁ黒たんならいっか」
ケガを隠しているのかと一瞬考えたが、血の匂いはしない。そもそも黒鋼にとっては歯がゆく感じられるくらい、直近は刀を交える機会から遠ざかっている。
芽生えた不審が形になる前に、躊躇いの理由はすぐに知れた。魔術師が上着を脱ぎ、長さのある薄手の上衣を取り去る。その下のスラックスと呼ばれる着衣は、ベルトによってかなり引き絞られていた。裾の長さは違和感がないが、締め付けを緩めればすとんとそのまま落ちてしまいそうだ。要するに、胴回りの寸法が全く合っていない。
太腿近くまである丈に隠れて気づかなかったが、想定以上に引き締められた布地は、中心の折り目以外にも不格好な皺が寄っている。そこでようやく黒鋼はあの姫が口ごもった理由に気づいた。
二人が予想したように、あの日購入した衣服を選んだのはほとんど小狼である。若いが旅慣れており、なかなか見る目もある少年の選んだものに間違いはなかった。魔術師の身体の貧相さを加味していないという、一点を除いて。
荷物を受け取った際それを察したサクラは、小狼に悟られぬようファイに尋ねた。そしてファイが返した通り、「ぎゅーっとして」なんとか誤魔化した結果がこれなのだろう。
当の本人は、黒鋼の視線を気にした様子もなく髪の水気を取っている。
「おまえ、先風呂入れ」
「いいの?」
「その薄っぺらい身体で風邪でも引かれたら面倒だ」
「あは、ひどいなぁ」
乾いた笑いを貼りつけたファイが廊下へと消えていく。不規則に残る水滴を見て、黒鋼は反射的に舌打ちをした。
今までもこれからもあの魔術師は不都合を隠し、こうして何も言わずに過ごすのだろう。隠しきれなかった痕跡があっても、そのうちこいつは自分で拭い去る。今日それがわかったのは偶然にすぎなかった。誰かが暴かなければ、あれはずっとそうして生きていくのだ。
日本国に、自ら決めた主君の元に戻る。それが旅の初めから変わらない唯一の目的だ。ここに居るのはあくまで目的地へ辿り着くまでの同行者でしかない。何を望もうと何を抱えようと、自分にはなんら関係がないはずだ。それなのにあの作り笑顔が妙に癪に障る。
不快感を打ち消すように、黒鋼は両腕を組み目を閉じた。身体が冷える気配はない。風呂場からは雨だれにも似たシャワーの音が聞こえてくる。
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