紫よか
2026-01-29 11:25:46
3820文字
Public FE蒼炎暁
 

心のゆく先

セネリオ×ラティ 暁の女神ペアエンド後

 商人に紹介されたのは、今は誰も暮らしていない山小屋だった。

 中に入ってみれば、そこは家具もそのままで、埃を薄く被ったベッドや机と椅子、天井には穴ひとつ無い。良いところであった。駆け寄るように入った少女、ラティは台所に積もった埃を指でそっと拭うと、「掃除が必要ね」と微笑んだ。

「きっと、今までこの山を越えた者たちが少しずつ荷物を置いていったのでしょう」
「そうね、ふもとの村の人たちも。そういう人たちのために家具を置いていったんだわ」
「僕たちが住んで良いのでしょうか」
「売られてたのだから、買ってしまった私たちのものよ」
「はあ、確かに、そうですね」

 遅れて入ってきた長くしなやかな黒髪の少年、セネリオはくるくると嬉しそうに部屋を回って見るラティに顔をしかめた。

「ラティ、埃が舞います」
「ふふっ、だって何だかわくわくするんだもの」
「まったく……

 セネリオはため息を吐いて窓を開けた。キラキラと埃が日の光に照らされて輝く。その中で踊るラティは、まるで光の粒子の中にいるようであった。

 よく見てみれば、彼女はとても可愛らしいのかもしれない。
 セネリオは一瞬そう思い、すぐに首をほんの少し傾げた。人間の可愛い可愛くないの基準など、彼は今まで考えたこともなかった。だからよく分からなかったので、首を傾げて頭から放り投げた。いらない考えは、いらないのである。

 戦後、蒼炎の勇者アイクは親友ライと共にこのテリウス大陸を去った。その後数年経ち、セネリオとルシェは自分たちの戦の道具──魔法を生きるための最低限にしか使わないと決意し、今までの居場所であったグレイル傭兵団から去った。彼らはもう戦わない。誰かのためにも誰かを傷つけない。隠居生活のために、今いる場所を去ったのである。
 ゆったりとした旅であった。静かで、穏やかで、誰もかつて軍師と一兵士であった自分たちを知らない場所を探す旅路。その果てが、この山小屋だ。
 旅の仲間にお互いを選んだのは──お互いが似ているからだろうか。……いや、違った。二人はけして、似てはいなかった。だからこそ、である。心の鏡の中に映るのが自分ではなくお互いなのが、二人は心地が良かった。けして自分のことが好きではない二人は、お互いがそばにいることで──やはり、心地が良かったのだ。

 そう、なんとなく。
 寄り添って、二人で歩いて行こう。
 そう決めたのはどちらからなのかすら覚えていない。セネリオとラティはそんな仲であった。

 セネリオは腕まくりをし、壁際に立てかけられていたはたきを手に取った。柄は少し古く、握るときしりと音がした。使われていなかった時間の長さを、そのまま教えてくるようであった。

「掃除を始めましょう。どうせ床に落ちますから、まずは上から」
「はあい、軍師さま」

 軽くからかうように返事をして、ラティは雑巾を水に浸し、ぎゅっと絞った。その仕草がひどく慣れていて、無駄がない。傭兵団での生活にあったことなのだろう。自然だった。
 ……妙だ。
 天井の埃を落とした後に床の掃き掃除をするセネリオは、ちらりと視線を投げる。
 雑巾が棚を滑るたび、ラティの白い指先がしなやかに動く。その指先がほんの少し赤くなっていることに気づき、彼はほんのわずか、眉を寄せた。

……冷たい水は、あまり使わない方がいいですよ」
「大丈夫よ。これくらい」

 そう言って笑う彼女の声は軽い。だがその軽さが、なぜか気にかかる。

 彼女にこんな気持ちを抱くようになったのは、いつからだろうか。もうずっと前から、セネリオはラティに行き場のない感情を抱いている気がした。

 ラティは棚の奥から、古い小さな木箱を見つけて声を上げた。

「見てセネリオ。何か入っているわ」
「不用意に開けないでください。捨てなさい。虫の死骸かもしれません」
「ふふ、相変わらず慎重ね」

 言いながらも、彼女は一度手を止め、セネリオの方を見る。その『一瞬』が、セネリオの胸の奥で小さく音を立てた。

 ……彼女、ラティはいつもそうだ。セネリオは考える。

 勝手に進んでいくようで、要所では必ずこちらを見る。
 可愛い。という言葉がまた浮かびかける。

 セネリオは箒の動きをほんの少しだけ強めた。その言葉は、自分には必要の無い言葉だと。アイク以外に向ける感情としては、なおさら。
 だが──。

「埃、ついていますよ」
 気づけば、彼はそう言っていた。ラティの頬に、小さな灰色の跡がついていた。
「え? やだ、どこ?」

 彼女はきょとんとし、指で頬をなぞる。その仕草があまりも無防備で、セネリオは一瞬言葉を失った。戦時下、拠点では見られなかった表情だ。

……ほら」

 代わりに、彼はまくっていた袖を戻し、ほんの軽く、その頬に触れた。
 触れてから、自分で驚く。
 セネリオは、ラティと共にいることに、何の抵抗もなかった。

「あ、ありがとう」

 ラティは少し照れたように笑い、今度は逆にセネリオの袖を引いた。

「あなたも埃だらけ」
「それは掃除をしているのですから、当たり前です」
「ふふ、真面目」

 ラティはそう言って、手でぽんぽんと彼のゆったりとした服の裾をはたいた。……距離が近い。近すぎるはずなのに、不快ではない。
 セネリオは視線をそらし、静かに息を吐く。この感情に名前をつけるつもりはない。ただ、今はここに置いておけば良い。
 山小屋の中で、二人は無言のまま掃除を続けた。埃は静かに少しずつ消え、代わりに生活の気配だけが降り積もっていく。

「このくらいで良いでしょう」
「終わり? やった。おつかれさま、セネリオ」
 二人はふうと息を吐く。日が沈むのは、思っていたよりも早かった。山の影が小屋をすっぽりと包み込み、窓の外は深い藍色に染まっている。
……暗くなりましたね」

 セネリオがそう言うと、ラティは薪を抱えたまま振り返った。

「ええ、早めに火をつけましょう」

 暖炉は使われなくなって久しいようで、灰は冷たく、石の内側にはうっすらと煤が残っている。セネリオは膝をつき、灰を掻き出しながら、その静けさを確かめるように指先を動かした。
 戦場では、火は合図であり、戦いの始まりだった。
 だが今、ここで必要なのは、ただの暖かさだ。
 彼はラティが差し出してきた薪を受け取る。細い指、少しだけ冷たい。

……こうして、空気の通り道を作るんです」
「さすが。何でも知っているのね」
「何でも、というわけでは……

 否定しかけて、言葉を飲み込む。
 こういう時、ラティは決まって微笑む。それが評価なのか、ただの相槌なのか、セネリオには分からない。
 炎魔法は使わずに、火打ち石を打つ。乾いた音がして、小さな火花が散った。
 もう一度。三度目で、ようやく薪に火がともる。ぱちり、と小さな音を立てて、ようやく炎が生まれた。

「あ……

 ラティがほんの少し声を上げる。その横顔が、火に照らされて柔らかく揺れた。
 暖炉の火はまだ小さく、しかし確かにそこにあった。
 揺れる橙色の光が、壁を、床を、二人の影をゆっくりと伸ばしていく。
 二人は、火は嫌いではなかった。──少なくとも、この火は。

「あたたかいわね」

 ラティは暖炉の前に腰を下ろした。その仕草は無防備で、どこか幼い。セネリオは隣に座り、外套を脱いで膝に置いた。
 炎の音だけが、小屋の中に満ちている。
 静かだ。だが、寂しくはない。

……ここ、悪くはありませんね」
「でしょう? ね、住めそうでしょう」

 彼女はそう言って、彼を見ないまま笑った。

……あ、そうだセネリオ。見て」

 ラティがゆっくりとした仕草で取り出したのは、先ほどの木箱であった。

……捨てろと言ったでしょう。火の中に入れてしまいなさい」
「入れないわ。ふふ、ちょっとだけ見て」
……?」

 彼女はこれまたゆっくりと木箱の蓋を開ける。と、同時に、弾かれる金属音。一定のリズムで叩かれる旋律。これは、小さなカリヨンオルゴールであった。

「これは……
「ね? すてきな秘密の忘れ物よね?」

 ラティは微笑む。今度はセネリオの顔を見て。セネリオはこういう時、どんな顔をして良いか分からなかった。だから、わからないなりに──

……そうですね。良い物だと思います」

 短く応えた。
 
……ふふ」
「何ですかその笑いは。良い物を良いと言って何が……
「あら、からかったわけじゃないわ。嬉しかったのよ」
「嬉しい?」
……そう。あなたとこうやって隣に座って、秘密を共有できたのが嬉しいの」
……

 やはりこういう感情を、可愛いと呼ぶのだろうか。セネリオはまた迷う。ラティといると、彼は自分がどこかおかしな気持ちでいっぱいになるのを感じた。
 でも今は、暖炉の火の中に薪と共に心を押し込めた。火に濡れる心のどこかで思う。

 ──こんな日が、きっとこれからも続いていく。

 それが願いなのか、ただの事実確認なのか。彼自身、まだ分からなかった。

「夕食にしましょうか」
「ええ、一緒に作りましょう?」
……もちろんです」
「ふふ」
「また笑う。……嬉しいですか?」
「ええ、とても」