千代里
2026-01-29 07:52:52
8359文字
Public 君ふれ短編
 

君ふれ・クガネ編・7話


「皆様。この度は、長らく大変お世話になりました」
 深々と頭を下げる所作は、東方風のお辞儀だ。頭という急所を差し出すことが、最大の礼儀を尽くすという意味に繋がるのだろうかと、ユキハネは取り留めもなく思う。
 今、この場にいるのはユキハネだけではない。彼女の師匠であるフェリキシー、そして友人のケイとミィハも揃って、ムヒョウのお辞儀にそれぞれの礼を返していた。
 リムサ・ロミンサの下層部にある、大きな波止場。東方行きの船が停泊すそこでは、今まさに降神祭の荷物を船に乗せている真っ最中だった。
 そして、彼らに便乗する形で商いに来ていたムヒョウとヒョウセツも、程なく船上の人となり、東方に帰る予定となっている。
「フェリキシーさんのおかげで、西方でも大変良い商いができました。報酬には、いくらか色をつけさせてもらいましたので、よかったらこのまま受け取ってください」
「そいつはどうも。またこっちに来るときには、俺の名前で冒険者ギルドに依頼を出せば、運が良ければ手伝ってやるよ」
 ムヒョウから渡された貨幣に、ざっと目を通すフェリキシー。指先で抜け目なく枚数を数え、当初よりいくらか多い額が入っていることを確認する。
 こちらの行動に見合った、あるいはそれ以上の心づけをしてくれる依頼主は貴重だ。ムヒョウはフェリキシーに感謝しているようだったが、フェリキシーとしてもムヒョウと縁ができたのはありがたいと思っていた。
「そして、ケイさんたちには既に渡しましたね。余り物を渡すような形になってしまい、少し申し訳ないのですが」
「ううん、全然そんなことない! むしろ大歓迎だよ!」
 ムヒョウがケイたちに送ったのは、店で扱っていた調味料や乾物の在庫だ。
 船を使ってまた持ち帰るよりは、現地にいるケイたちに譲り渡した方が、身軽に帰ることができる。ケイだけでなく、ムヒョウにとっても、これはありがたい取引だった。
 ムヒョウが差し出した手を、ケイはがっちり受け取りしっかり握手する。単なる在庫のやり取りだけでなく、ここ数日の商売の手伝いをしている間に、二人の間では深い絆が結ばれていたらしい。
 そして、ケイやフェリキシーたち以外にも、もう一人、依頼のために行動を共にしていた人物がいた。
……あの、さ」
 報酬の受け渡しが終わったのだから、依頼はこれで完了だ。あとは、それぞれが別れの言葉を述べれば、重なった縁はゆっくりと解けていくはずだった。
 そのような状況であると分かっていてなお、ヒョウセツの辿々しい言葉が潮騒を縫って響く。
「ユキハネ。本当に……クガネには、あんたの故郷には来ないのか」
 ヒョウセツの見つめる先。彼の視線を受け止め、ユキハネは、ゆるゆると首を横に振る。
「オレは、ユキハネのおかげで、魔物を前にしても怯まなくなった。最初は腰を抜かしてばっかりだったオレも、ちゃんと刀を抜けるようになった。だから、できるなら、これからも……
 そこまで言いかけて、ヒョウセツはぶるぶるとかぶりを振る。
「いや、そうじゃないんだ。オレはただ、ユキハネともっと――もっと、一緒にいたいんだよ」
 それが友達としてなのか、師弟としてなのか。ヒョウセツ自身もはっきりと分かっていないのだろう。だが、彼がどれほど真剣なのかは、その言葉を聞けば容易に想像できた。
 それでも、ユキハネは首を横に振る。
「私の居場所は、ここなんです。ヒョウセツさん」
 彼の誘いを聞いて、何日も考えた。知り合いに相談し、自分自身に問いかけた。
 だが、最終的に導き出した答えは、先日故郷を意識して、ミィハと語り合った時と同じだった。
「私は、エオルゼアの冒険者の私でいたいんです」
 ほんの十数日間の付き合いだというのに、こうして別れの言葉を口にするだけでも、ユキハネには大変な勇気が必要だった。
「この場所にいたら、私は……冒険者のユキハネ・ハタオリでいられます。ですが、クガネに着けば、きっと今までの私とは、違う私にならなくてはいけなくなる」
 これは臆病で卑怯な言い訳だと、ユキハネも自覚していた。
 結局のところ、自分はウルダハのあの店で縮こまっていた頃と何も変わっていないのかもしれない。新しい場所へと一歩を踏み出すのを怖がり、誰かのせいにし続けていた頃の自分から変われていないのかもしれない。
 杖をぎゅっと握りしめる。それでも、フェリキシーと共に走り回った日々を思い返すと、そんな自分を心の中のもう一人の自分が認めてくれた気がした。
「クガネで生きるユキハネを……小さい頃に住んでいた家で、親戚と一緒に暮らす私を、今の私には想像すらできないんです。そんな場所に一人で行くのは、期待よりも不安が大きくて……ごめんなさい」
 彼の申し出は、ただ純真にユキハネを慕ってくれたからこそのものなのに。こんな形で断ってしまって、彼には合わせる顔がない。
 差し伸べかけていたヒョウセツの手が、ぱたりと落ちる。
……落胆させてしまったでしょうか)
 ヒョウセツには、ユキハネを罵る権利がある。誘いを断られたと、悲しむ権利がある。
 だから、どんな言葉でも甘んじて受けよう。ユキハネがそんな覚悟を決めたときだった。
……そっか。だったら、オレが代わりに、ユキハネの家族を探すよ。それなら、ユキハネが不安になる必要もないだろ?」
……え?」
 顔を上げると、鼻の下をこすりながら、笑顔を見せる青年と目が合った。残念だとい気持ちを顔の端に過らせながらも、それでもヒョウセツは笑ってみせている。
「そして、もし家族が見つかったらさ。オレがユキハネに手紙を送る。家族の人にもちゃんと話をしておく。ユキハネが帰ってきたとき、あんたを受け入れるための場所を用意しておけば、あんたも少しは気が楽なんじゃないか?」
……ヒョウセツさん」
 未知への一歩を踏み出すのを恐れるユキハネの代わりに、彼は踏み出しやすいように土地を均し、灯りを灯し、先を照らしておくと言ってくれている。それがどれほど困難なことか、彼だって分かっているだろうに。
「どうして、私にそこまでしてくれるんですか?」
「そりゃ、まあ……オレが、もっとユキハネに元気になってほしいからさ。それに、お世話になった礼もあるしよ」
「それなら、お父様からいただいていますよ」
「オレが、ユキハネに返したいんだよ。な、いいだろ?」
 ヒョウセツの勢いは、冷たさを感じる名前とは裏腹に、リムサ・ロミンサの太陽に負けないくらい輝いているものに見えた。すでに差し伸べられた手は落ちていたはずなのに、気がつけば、いつのまにか手を引かれるようにして、ユキハネは頷いていた。
……頼んでも、いいのでしょうか」
「おう! オレの知り合いにも、そのまた知り合いにも尋ねてみるぜ。クガネは広いけど、店同士の繋がりは強いからな。きっとすぐに、良い連絡ができるだろうさ!」
 全く根拠のない発言だ。それでも、東に焦がれる気持ちを完全に捨てなくていいと言ってもらえた気がして、ユキハネは感謝の吐息と共に深く深く頭を下げたのだった。
 
 ***
 
 ヒョウセツとムヒョウが海を渡り、降神祭も終わりを迎え、リムサ・ロミンサには緩やかに日常が戻ってきた。
 ケイとミィハはいつものように、冒険者ギルドで依頼を受けながら、ミィハお手製の錬金薬を売り歩いている。ユキハネとフェリキシーは連れ立ってミィハたちの依頼に協力することもあれば、二人だけで依頼を受けることもあった。
 そうして、ヒョウセツたちのことも話題に上る日が少なくなり、ケイがムヒョウからもらった調味料の貯蓄が半分ほど無くなったころのことだ。
「ユキハネ。お湯加減はどうだった?」
 ミィハたちの家のバスルームからひょこりと顔を出したユキハネは、ケイの呼びかけに「ちょうどよかったですよ」と答えた。
 ケイは乾かしたバスタオルを詰めた籠を机に載せ、その中の一枚をユキハネへと渡す。
 外はあいにくの雨だった。朝から降り続いた雨は、やむどころか、ますます勢いを増している。今日、四人は朝から昼過ぎまで、港からミストヴィレッジまでの護送任務を請け負っていた。ひどい悪天候となったので、そのまま一同はミィハたちの家に移動し、このままフェリキシーたちも泊まることになったのである。
「お風呂ありがとうございます。とても快適でした。でも、本当にあんなにお湯を使ってよかったのですか」
「全然構わないよ。ミィハも、いっつもたっぷりお湯を使ってるもの」
 ミィハたちの家があるミストヴィレッジは、上下水道が完備されている。しかし、汚れを落とすためのシャワーならともかく、体を温めるバスタブを求める冒険者は少ない。
 そんななか、ミィハの家は珍しくバスタブが完備されており、ユキハネは先ほどまでお湯を張り、体の汚れを洗い落としていたのだった。
「ミィハさんは、清潔なのが好きな方ですものね」
「うん。それもあるし……まあ、色々とね」
 ケイが言葉を濁したのは、ミィハの体質に関わることだったからだ。
 フェリキシーはミィハの痛みを感じない体質を知っているが、ユキハネはまだ知らないらしい。年下の彼女に気を遣われては、ミィハも居心地が悪いだろうと、ケイは言及を避けていた。
 ミィハが清潔好きなのは不衛生な環境下で風邪を引いたり傷が化膿したりしても、痛みで気がつけないからだ。いわば自衛手段の一つであるのだが、綺麗好きな彼自身の好みでもあるのだろう。
「東方も湯船に浸かる文化があるので、なんだか懐かしかったです」
「そうなの? ってなると、ヒョウセツさんたちは滞在中は物足りなかっただろうなあ」
「エオルゼアでは、あまりのんびりと湯に浸かる風習はありませんものね」
 湯治の文化自体はあるが、毎日のように湯に浸かる文化は西方には少ない。温泉はあるものの、それは特別な保養として扱うものだ。
 そもそも人が浸かっても問題ない温度のお湯を日々用意するだけでも、普通ならそれなりの手間なのである。
「そういえば、ヒョウセツさんたちからユキハネに手紙は来たの?」
「一ヶ月ほど前に一度。クガネに無事着いたって連絡でした」
「へえ。船の旅ってそんなにかかるんだ」
「実際には、もう少し早く着いてると思いますよ。手紙が船に乗って、海を渡る時間も含まれますから」
「あ、そっか。荷物の整理とかもあるし、クガネに着いた瞬間、手紙が俺たちに届くわけじゃないものね」
 話しながら、ケイはユキハネに追加のバスタオルを渡す。濡れたローブの代わりにケイたちが貸してくれた部屋着に着替えたユキハネは、素直にそれを受け取り、肩から滑り落ちる髪の水気を拭き取った。
 ユキハネの風呂が終わったのを聞きつけて、今度はミィハとフェリキシーが互いに先風呂を主張し、最終的に家主特権でミィハが風呂場へと消えて行った。
「あいつも相当の風呂好きだな。ケイ、タオルよこせ。先に拭けるものは拭いちまいてえ」
 残されたフェリキシーが、不貞腐れたように唇を尖らせる。
「どうぞ、好きなだけ持って行ってよ。ユキハネ、髪の毛乾かすの手伝うよ。ちょっといい?」
 ユキハネを居間にある客人用の長椅子に座らせ、ケイは暖炉前で寛いでいたカーバンクルを呼び寄せる。
「何をするんですか?」
「炎と風の魔紋をうまく組み合わせると、温風が出せるんだ。温度を下げたら、ちょうど髪の毛を乾かすにうってつけなんだよ」
 普段は髪が長いミィハのために使っているが、近頃はユキハネの髪の毛も伸びてきていた。出会ったばかりはショートヘアだったが、今では背中を半ばは覆うほどの長さとなっている。
 カーバンクルが放つ温風は、濡れて少し冷えてきた髪を心地よく乾かしていく。その後ろで、今度はケイがブラシを持ち出し、
「よかったら、髪の毛いじってもいい? 長いと、草に絡まったり敵に引っ張られたりしちゃうでしょ」
「それもそうですね。お願いします」
「よーし。じゃあこの前見た雑誌にあったやつにしよっと」
 ケイに髪を任せながら、ユキハネはぼんやりと暖炉の炎を見つめる。
 先ほどヒョウセツたちの話をしたためか、ユキハネは彼との別れの一幕を思い出していた。
 無事にクガネに着いたという手紙はあったが、その後の音沙汰はない。もちろん、ケイに話したように、クガネから海路を遥々超えてエオルゼアまで手紙が届くには、どう甘く見積もっても二週間は要するだろう。
(冒険者ギルドや運送を手掛けている方に手紙を預けて、船が出る日に荷物と一緒に手紙を持っていく。それから、無事に港に着いてから、税関に手紙を預けて、さらに分配していく……となると、どうしても後回しになってしまいますよね)
 だからこそ、急ぎの書簡は専用の業者に頼んだり、危険を承知でエーテライトを使って移動する人々に託すのが通例だ。だが、その分値段や手間賃は跳ね上がる。
 財産に余裕があるわけでもなさそうなムヒョウに、たかだか私的な家族探しの手紙のためだけに、そのような負担をかけさせるわけにはいかないし、かけてほしいとも思っていなかった。
 あれこれ悩んでいる間に、ケイが髪の毛をまとめてくれたようだ。二つに分けた髪の束のうち、一つがお団子にまとめられたのがわかる。続くもう一つとケイが指を伸ばし、
「ひゃっ」
「あ、ごめんっ。痛かった?」
「す、すみません。痛くはなかったのですけど、ちょっと、びっくりして」
 ユキハネの角に、ケイの指がこつんと当たってしまったのだ。思いがけない接触に、一瞬どきりとしてしまったのである。
 ユキハネが角を隠すように手で覆っているのを見て、ケイがあわあわしていると、
「アウラ族にとっちゃ、角は耳の代わりなんだとよ。ユキハネ、てめえも最初に言っておけよ」
「ご、ごめんなさい、ケイさん。普段は少し触ったくらいでは気にならないのですが、ぼーっとしていたので、つい」
 揃ってペコペコと頭を下げている二人を、フェリキシーは呆れ顔で観察していた。ユキハネが「もう大丈夫」と言ったのを皮切りに、ケイが再び髪を纏め始める。
「実は、前からちょっと気になってたんだよね。そっか、アウラ族にとってはここが耳なんだね」
「はい。角に響くようにして音を拾っているのだと、前に学者の方が話していました」
「でも、耳なら奥に向かって穴が広がっているからそうそう怪我しないけど、角は外に出てるよね。折れたりしないの?」
 心配そうに尋ねるケイ。触ってはいないが、彼の憂いが混じった視線が少しくすぐったい。
「そうですね。ケイさんの言うように折れてしまうこともあります」
「折れるの!? じゃ、じゃあ、折れた後はどうなっちゃうの……?」
「少しずつ、また生えてくるんです。ただ、折れている状態だと、聞こえは悪くなるそうです。他にも、小さい時は、布を巻いて角が伸びる角度を調整したり、変な形に伸びないように矯正することもあるんですよ」
 ユキハネは生まれつき角の形が良かったようで、そのような矯正はした覚えはない。だが、人によっては子供のうちに形を整えておかないと、大人になった時に形が歪む例もあるらしい。
「俺、ユキハネの角が折れないように注意するね」
「そう簡単に折れるものではないですから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
 言っている間に、ケイは髪の毛をまとめ終えてくれたらしい。差し出してくれた手鏡を覗くと、首元で二つのお団子が揺れていた。二つに分けた髪の毛を、それぞれ丸くまとめてくれたのだ。
「ユキハネの角は細いけれど、ヒョウセツさんのツノは大きくて太かったよね。ムヒョウさんもユキハネのよりも大きかったし、男の人は角も大きいの?」
「男性の方は、女性に比べると角も大きい方が多いですね」
「ユキハネと比べると、体格もかなり違うよね。あれは、ヒョウセツさんが特別大きいってわけじゃないってこと?」
 言いつつ、ケイはちらっとフェリキシーを見やる。フェリキシーもかなり長身の部類だが、ヒョウセツもムヒョウも彼より遥かに背丈が高かった。
「はい。アウラ族の方は皆、彼らくらいの背丈なんです」
「へえー、いいなあ。俺も、フェリキシーやヒョウセツさんみたいにでっかくなりたかった」
「君は、ミコッテ族の男性としては平均的な身長だ。無いものねだりをしても、逆に持て余すだけだぞ」
 ガチャリと風呂場の扉が開き、ミィハが顔を出す。少し濡れたアイスブルーの髪がぺたりと頭に張り付いていて、いつもより彼の頭部は小さく見えた。
「おかえりミィハ。でも、大きな角ってなんだかカッコいいって思わない?」
「僕にはよくわからない感覚だが……ユキハネもそう思うのか?」
「はい。私も、昔は立派な角の若様のお話が大好きでした。綺麗な角のお姫様を、悪代官から助けるお話だったんですよ」
 エオルゼアでも度々、勇者や英雄が見目麗しい姫君を助ける物語が語られるが、東方でもその文化は変わらないらしい。立派な角という形容は、アウラ族が多い東方らしいものだ。
「ヒョウセツさんは、立派な角の若様になるのかな?」
 ケイの問いかけは、単なる話題の延長線のものだったのだろう。だが、フェリキシーは無造作に雨雫を吹いていた手を止め、ユキハネの顔色を伺った。
 ――ヒョウセツは、ユキハネを好いている。
 ――しかも、おそらくは男女の仲という意味で。
 ク・ハナから告げられた忠告を、フェリキシーは忘れていなかった。
(ユキハネは、あいつのことなんざ何とも思ってねえはずだ)
 フェリキシーは、若者たちの細やかな感情の機微など自分にはわからないと自負している。ユキハネくらいの年頃の時は、色恋よりも自身に力をつけることを優先していた。冒険者となってからも、そのような甘やかな存在とは一線を引いて距離を置いていたつもりだ。
 そして、ユキハネも自分と似たり寄ったりだと思っていたのだが。
(だけど、ユキハネがもしあいつに何かしら思うところがあるなら――
 思考はそこで途切れる。ユキハネが唇を開いたからだ。
「ヒョウセツさんの角は立派だと思いますが、若様ではないと思いますよ」
「若様って、どこかの家の息子さんって意味じゃないの?」
「東方では、お殿様……王様みたいに偉い人の子供という意味もあるんです。ヒョウセツさんは素敵な方でしたが、若様とは呼べないかと」
 それを聞いて、フェリキシーは思わず口を挟んでいた。
「若様だろうがなかろうが、あいつが単なるガキであることには変わりねえだろ」
 言ってから、フェリキシーは苦虫を噛み潰したような顔になる。この言い方では、ヒョウセツに対してやっかみを抱いているようではないか。
 ぶんぶんとかぶりを振り、フェリキシーは勢いをつけて立ち上がる。
「ミィハ、風呂借りるぞ」
「好きに使ってくれ。ケイが、そのあと入るんだったな」
「うん。でも俺はシャワーだけだから、浴槽はご自由にどうぞー」
「俺も、いちいち湯を溜めるようなことはしねえよ」
 濡れたタオルを肩にかけ、フェリキシーは勢いよく浴槽の戸を閉めた。居間の気配が遠くなると、心を刺していた苛々が少し静まったように思う。
(気を揉んだところで仕方ねえだろ。結局はあいつが好きなようにすりゃいいんだ)
 普段からそう主張してるはずなのに、いざ手を離れるかもしれないと考えると、その先が気になってしまう。自分には関係ないと切り捨てるには、ユキハネの存在はあまりに長くフェリキシーの隣にありすぎた。
……あいつにとっちゃ、何が『正しい』選択とやらになるんだろうな」
 自分のことならば簡単だった。自問自答をして、己の中でこうと決めたものに向かって突っ走ればいいだけだったのだから。
 だが、ユキハネのことはそういうわけにもいかない。彼女の中で決まったことに、口を挟むのは何か違うことぐらいはわかっている。何より、ユキハネにこうあるべきだ、と押し付けることをフェリキシー自身が嫌っていた。
 シャワーの取手を捻ると、熱いお湯がざっとフェリキシーを覆っていく。流れていくお湯の音が、今は彼の曖昧な懊悩すらも飲み込んでくれた。
 
 
 それからさらに一ヶ月後。ユキハネの元にヒョウセツから手紙が届く。
 興奮のあまりか、跳ねたような筆跡で綴られていたそこには、ユキハネの親戚である叔母夫婦が見つかったという知らせが記されていた。