やわらかなひだまりのなか、純白のドレスを纏った花嫁が歩いてくる。雲ひとつない青空に、桃色のブーケがふわりと舞った。見事にキャッチした女性は嬉しそうに笑っている。
随分前に受けた依頼の主がどうしても出席してほしいというので、丹恒と星は結婚式場を訪れていた。見慣れないスーツ姿の丹恒は、主役を霞ませてしまうんじゃないかと思うほどよく似合っている。
「ひとって、なんで結婚するんだろうね?」
「……お前、今ここで言うことか?」
人が近くにいなくてよかった、とため息をつく丹恒を尻目に、星は尚も空を見上げたまま続ける。
「ずっと一緒にいるための約束だとしたら、丹恒と私はずっと列車に乗って一緒にいられるでしょ?“結婚”って、する意味あるのかなぁ……って」
琥珀の瞳は、真っ直ぐに空を見上げたままだ。丹恒は、ふと笑みをこぼした。
「歳を重ねれば、列車で開拓の旅を続けることは難しくなるだろう。どこかに住まいをもち、日の当たる縁側で茶を飲んで、本を読み、一日過ごすようになるかもしれない。俺は……そのとき隣にお前がいればいい。」
丹恒の瞳が、真っ直ぐに星を見つめる。ほんの少し頬を染めた丹恒を見て、星もつられて耳がじんわりと熱くなった。
◇
実際に、日の当たる縁側で、隣り合ってお茶を飲んだことは、数えるほどしかなかったように思う。
丹恒と星は長い永い年月を共に列車で過ごした。やがて、丹恒の身体が思うように動かなくなり、「護衛はできないから」と列車を下りた。
丹恒は、仙舟羅浮の奥地にある森林地帯に小さな家を構えた。小さな湖畔が見える縁側が丹恒のお気に入りの場所だった。春には小鳥たちの歌声を聴き、夏には樹々の間を抜ける風で涼み、秋にはやわらかな月を眺め、冬には陽の光を反射して輝く雪を愛でた。
星は、開拓の旅を続けながら、何度も何度も丹恒の家を行き来していた。一度、旅をやめてここで一緒に暮らしたいと言ったら、丹恒は静かに微笑んで首を振った。
「お前の『開拓』をやめる理由が俺ならば、俺は絶対に自分を許すことができない」
のんびりとした口調だったけれど、旅を続けること以外の選択肢はすっぱりと切り捨てられた気がした。
何度も「おかえりなさい」と「いってらっしゃい」を繰り返すうちに、丹恒は蓮の花の蕾のような卵に還ってしまった。
誰もいない、夕焼けの縁側。
星は小さな盆にふたつの湯呑みをのせる。ぬるいはずのお茶が、喉にじわりとしみる。
列車を降りてもなにも変わらないと思っていた。
ずっと、隣にいられると、
いつまでも、自分の帰りを待ってくれていると信じていた。
「たんこう」
喉の奥から絞り出すような掠れた声が、夕闇の中に消えていった。
◇◆◇
静かな昼下がり。
「ただいま」と不意に彼女が家に帰ってきた。普段、静かな森の音と、自身の出すわずかな生活音しかしないこの家は、一気に賑やかになった。
「あのね、それでね、」と出会った時と変わらない口調で、楽しそうに今回の旅の話を聞かせてくれる。湯呑みに入れたお茶を飲むのも忘れ、目をキラキラと輝かせながら、歌うように話す。丹恒はメモを取り、星の見せてくれる何枚もの写真をめくった。
「丹恒も、一緒に行けたらって思ったよ」
屈託のない笑顔が眩しい。丹恒は少し皺の刻まれた顔で、そうだな、と柔らかく笑った。
眠る時間がだんだんと長くなる。
夜に眠ったはずが、気づけば次の日の夕方だったこともある。
ふと目を覚ますと、目の前に潤んだ琥珀の瞳があった。かさついた手をそっと伸ばすと、頬が濡れていた。
子どものようにわあっと泣き出した星を、丹恒は身体を起こしてぎゅっと抱きしめた。自分の死期についてはすでに告げてあった。心構えをしておいてほしい、と。星は自分と共に、たくさんの友人を、仲間を見送ってきたから大丈夫だと思っていた。
まだ、朝の早い時間らしく、窓の外は霧に包まれていた。嗚咽で震える体は、ひんやりと冷えている。いつから隣で見ていたのだろう。丹恒は星の体を毛布で包んだ。
やかんに水を入れて、お湯を沸かし、茶葉を入れた急須にとっとっ、と注ぐ。ふわりと香ばしいにおいが立ち上った。
「縁側で飲もう」と促すと、星は目を赤くしたまま静かに頷いた。左手で茶器の乗った盆を持ち、右手で星の左手を掴む。
うっすらと霧が晴れてきて、凪いでいる湖面が辺りの樹々を映している。ひんやりと澄んだ空気が首筋を抜けていく。
星と丹恒は縁側に並んで座った。あたたかいお茶をゆっくりと湯呑みに注いで、星に手渡す。あったかい、と星は小さく頬を緩ませた。つられて丹恒もふと息が漏れる。
「ふふ、ちょっと苦いかも」
星はそう言って笑う。丹恒は湯呑みを盆に戻してそっと星の手を握った。
霧が晴れて、樹々の奥からゆっくりと太陽が昇ってくる。生まれたての光に照らされて、星の表情はやわらかくあたたかい。真っ直ぐに太陽を見つめる瞳は、しっかりと前を見据えている。
「せい」
彼女の開拓の旅が、ずっと続きますように──。
丹恒は、そっと星の手の甲を撫でた。
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