pkmn無題 ヤニスバタグで書いたもの



 新しく仕立てたスーツは文句のない出来だ。金を置くと一通り枚数を確認し、店主は「……たしかに」と言った。暗い毒色を忍ばせたなめらかな生地をなでながら、横髪を払うとこの店独特のほこりっぽい空気が舞った。暗いえんじ色のカーテンを手でよけると、その光沢のある艶めきに反し、重たく厚い布地であることがわかる。座る椅子一つにも店主のこだわりが見えた。在庫の置き方さえ気を配っている。「お似合いです」とニコリともしない店主は、肩や裾をもう一度白手袋の手で整えてくる。鏡の前に立って直されている間、黙ったままだったが、やがてそっと口を開いた。
……身寄りのないガキがここまで台頭たいとうしたのが気に食わんやろ」
 それを聞くや否や、苦々しい顔で店主は俯いた。
 ──かつて路地裏の子どもだったころ、この店を通った。ちょうど金持ちらしき男が店の裏口から出てくるところだった。男は子どもに財布が盗まれると思い、体を丸めて横を通り過ぎようとしていた。そんなことはしない、とはっきり言ってやりたかったが、ミアレの裏事情は残念ながら疑われるような行為でいっぱいだった。まだ自身の恩人と崇める人とこのときは出会えていなく、世の儚みをあまり理解していなかったころだ。
 そこで店主とばっちり目が合った。彼は自分を見て深くため息をついた。ここらの住人はみんな同じ反応をした。だから慣れていたし、店主の顔を覚えるつもりもなかった。なのに、その日ばかりはひどく苛ついていて、悔しくてたまらない日でもあった。初めてジプソに会った日だったからだ。ジプソたちは絡んできて、逃げる自分をしつこく追った。ジプソはジプソで、逃げられることに地団駄を踏んでいたのだから、互いの第一印象は最悪と言って良かった。今ではもう時効だが、当時は若いし青いしプライドもあったから、他のどんなことでも勝てたのに、ジプソにポケモンバトルで負けたのが腹立たしかった。その己の弱さを、関係のない店主に鼻で笑われた気がしたのだ。そのとき。店主の口にくわえられたタバコの、煙のたなびき方をよく覚えている。
 カラスバは出来立てのオーダーメイドのスーツを着たまま、店の外のベンチに座る。店のドアを開けた状態で、店主がまだ鼻筋をひくつかせてこちらを見ていた。もう関わることはしたくない。そう言われているようで、カラスバは腹の底から笑いたくなった。
「もう一つ頼みたいんやけど」
 金はあるから、なぁ。とカラスバはわざとらしく鷹揚おうように言った。その口元に浮かんだ笑いをより強調するように、胸元からシガレットケースを出す。かつて店主が吸っていたメーカーと同じものにした。別にあえて揃いを買って、吸えることをアピールしたかったわけではない。あの裏口で吸っていたタバコの副流煙が、カラスバの頭に妙にに残っていたからだ。
 火をつける。少し待つ。炎が灯るように息を吸う。喉を通り、肺へ空気が流れ込む。その直後、ゆっくり煙が降りてくる。あのときの悔しさと闘争心を思い出す。
 ──初心に帰る、とでもいえば、聞こえはいいだろうか。
「同じ色のと、違う色のを作ってくれへん?」

「そんなこと言ってきたんか」
「ええ。本当にカラスバ様そっくりでした」
 瓜二つの人間が来たと連絡があったのは午後のティータイムを過ぎた辺りだった。ひと休憩しようとジプソとカフェに入ると、贔屓ひいきにしているオーダーメイドの店から急ぎの要件だと伝えられた。
「それで……オレがあらかじめ頼んでたスーツも持っていきよったし、さらに別で注文もしたと」
「申し訳ありません。あまりに瓜二つだったので……
「ええよ、ドッペルゲンガーなんやったらしゃあないですわ」
 ジプソがパソコンを見ながら、静かに告げる。
「異次元ミアレに関わる者でしょうね。いや、異次元の……カラスバ様、と言うべきでしょうか」
「そうやなあ」
 後ろ頭をかくと、ますます店主がうなだれ、身を縮こめる。「あーアンタのせいやないから、な!」と元気づけるようにわざと明るく振る舞って、カラスバは試着室を眺めた。
 ……店主と同じタバコを吸い、この店への嫌味をちくりと刺していく。カラスバが心の底で本当にかすかに、ちらりと思っていたことだ。ただ表に出すほどでもないとすっかり忘れていた。ケースから覗くタバコの銘柄まで同じ、であるならば、そのカラスバはやはり自分自身なのだろう。自分の陰の部分と称したらいいのか。
「そのうちジプソの影も現れて、レストランで文句言うようになるんちゃうか」
「それは非常に困りますね」
「あるんか、文句が」
 いえ、ないですが。と咳払いをしつつ、ジプソは店主が結局同じ型のスーツをこれ以上作るのは大変だからと、別のオーダーメイドを考えることにしたらしい。カラスバはこのジャケットもパンツも気に入っているが、ときどき顔を出す会合や仕事には、もう何タイプが違うパターンがあるのもたしかにいいかもしれない。
……誰にやるつもりなんやろうか、異次元のオレは」
 もう一人の自分は、心の奥底にじりじりと滞留している煙のような思いまで、実現するつもりなのだろうか。自分と同じ、あるいはそれ以上の力を持つ者に着こなしてほしい。そういう願いが。
 店である程度の話し合いを済ませ、ジプソは事務所へ戻るという。カラスバは、先日異次元のカラスバが座ったというベンチに腰かけた。店とほど近いそのベンチからは、当然ながら誰かが座ったぬくもりなど失われている。ただそこに、自分の残留思念でも残ってやいないかと視線をさまよわせ、なにもない宙を睨みつけながらシガレットケースを取り出した。
 火をつける。少し待つ。炎が灯るように息を吸う。喉を通り、肺へ空気が流れ込む。その直後、ゆっくり煙が降りてくる。これからの未来を考える。きっと先日ここを訪れたというカラスバは、自分の中になけなしで残るかたまりで、受けてきた理不尽や罵倒を受けて少なからず成長してきた実体だろう。理性で抑え込んでいる現状で、そうして自由に振る舞える影が羨ましい。だが、過去は過去だ。自分に似た謎の異次元から来たカラスバについて、
「いつか、その服を渡せば満足するんやろうな。やっと心を許した証として」
 と残し、白煙を吐いた。