もうすぐバレンタインである。恋人にチョコレートを送る日でもあり神である天堂にチョコレートを捧げる日でもある。まだイベントまで日数はあるが献金の代わりに透明な箱には神への供物が届き始めている。
時間が空いたのでふと足が向いた黎明の家にもその行事は訪れ始めていた。
黎明のファンからの贈り物なのだろう。卓上に積まれ並べられた紙袋や包装された箱からは甘い香りがしている。
「右に置いてるのは安全そうだからユミピコ、食べちゃっていいよ」
動画の編集に追われているらしい黎明は画面から目を離さずそう言った。
よく見れば卓上で二つに分けられている。ネットで見かける過激なファンによる異物混入が頭をよぎったが黎明の目の正確さを疑うまでもない。
ちょうど空腹だった天堂は、勝手知ったるキッチンに入り、置いてある茶葉で紅茶をポットに淹れてから、チョコレートを開封していく。どうせ黎明は食べない。捨てられるくらいなら天堂の腹に収まった方が良いに決まっている。
どれもそれなりの値段なのだろう。宝石のように綺麗に詰まっている箱からひとつ取り出しては食べ、紅茶を飲み、それを繰り返す。箱を五つほど開けた後、もう一度紅茶を淹れてから長椅子に戻る。
ふと飛び込んできた紙袋は天堂の目を惹くパッケージだった。獅子神邸で真経津が持ってきたバレンタインの催事カタログを一緒に見ていて食べたいと思っていたチョコレートだ。すこし離れているが右側に置いてある。
さっそく開けて、ひとつ口に入れた。
キャラメルの味がする。他にも好んでいるものが多くて、機嫌良く半分まで手をつけた時である。
「ああ!?」
黎明の悲鳴じみた声が響いた。
蹴飛ばすように席から立ち、天堂の座っている長椅子まで迫る。
「ユミピコ、ちょっとそれ見せて!」
天堂が摘んでいた箱を黎明は確認して、大きく目を剥いた。
それから天堂を見た黎明は何か言いた気に唇を開閉させては、顔を赤くさせたり白くしたり忙しない。普段、完全には読ませないはずの心中も、焦りでその中身が透けて見えた。怒り、矜持と動揺。と何か、わからない感情だったがあてはつく。好意と似通ったそれ。
「……想い人からのものだったのか」
よく女を取っ替え引っ替えしているのは知っていたがこれほど必死になる相手がいるとは思わなかった。黎明の冷えていく感情を目の当たりにして、さすがに罪悪感が疼く。
項垂れた表情が読めない。
「……帰って、帰れ」
「ああ、わかった」
確認を怠ったのは黎明とはいえ、天堂にも、取り返しのつかない間違いであることはわかっていた。
あの黎明に人間を想いやれるような感情があったとは、少々驚いたが、賞賛すべきだろう。潰してしまったら神として、恥である。まあそんなものを感じたことはないので便宜上はそう思うことにする。
詫びに値するには全く同じものを用意するしかないだろうと思った天堂は、その相手からもう一度渡してもらうほかないと断定し黎明の周りを探したが中々一致する姿が浮かび上がらない。隠そうと思って徹底している黎明が相手では天堂だけでは限界なのかもしれない。そう至って空いた時間で獅子神邸に向かった。
合鍵で入り込んだ家にはしかし、村雨の姿しかない。卓上に着き、恐らく獅子神の作ったケーキを半ホール前に置いて口にしている村雨は、天堂を見て開口一番にもうないぞ、と言い張った。メガネの奥から分ける気などさらさらないという強い意志が滲み出ている。
「構わん。供物を求めにきたのではない」
「珍しいこともあるものだな」
「獅子神たちはどうした?」
「書類の提出が今日だったと真経津を銀行に送っていった」
思案したのは一瞬で、村雨の前の席に着く。
情報収集は対象が多い方が良いがいないのであれば仕方がない。ケーキを独り占めする強欲で神には不遜な男ではあるがその目は確かであるので役には立つだろう。
「おいマヌケ神、今、私に対して無礼なことを考えたな……?」
「貴様のその読み違いはあまりにも愚かだ。神の考えは客観的に見ても貴様には相応しい評価だろう?」
つい喧嘩腰になるが口論をしに来たわけではない。さらに言い募るつもりである村雨を手で制して、聞きたいことがある。と切り出した。
「黎明の想い人を知らないか?」
寸前まであった苛立ちが急速に凪いで村雨が何とも言えない表情をした。次いで苦虫を噛み切ったような顔に変え、珍しく発する言葉を惑ったかと思えば、選ぶようにゆっくり声を吐き出す。
「…………あなたは、その、叶の相手を…気になって、……いる、のか……?」
「ああ、とても」
「…………なぜ?」
簡潔に経緯を話せば、頭を抱えた村雨から嘆息と共にマヌケすぎる、とこぼれ落ちた。もちろんこの神に向かっての暴言であるはずがないと思ったが一応、きっちり反しておかねばならないだろう。
「事故だ。しかし、これは神でも反省すべき事柄だとわかっている。非を受け入れているのだからさっさとその馬鹿にしきった顔を神の眼前から引っ込めろ」
村雨は鼻で笑う。天堂の言い分を、まるで一蹴するように。
「まあ、その確かに叶もすこしマヌケではある。しかしそれ以上の愚か者でマヌケはあなただ。今後常に神の前にマヌケをつけて名乗った方が良い」
「神を愚弄する気か、貴様」
「まずあなたをマヌケだと言ったのは誤ってチョコレートを食べたことではないと理解しろ。なぜわからんのだ……」
すこし思案した村雨は、まるで幼子に言い聞かせるよう優しく声色を変える。
不気味であるし、神に対して何も知らぬと言い立てられているようで大変不遜で不快である。
「黎明の想い人やらが見つかったとする。うまくいって恋人ができてあなたはいいのか」
「何の問題がある。あの黎明が唯一の愛を知ったのだ。喜ばしいことだろう」
「あなたのことは二の次になるぞ。恋人が最優先だ。あの趣味の悪い遊びも今後一緒にできるか……」
「なぜそんなことになる」
天堂には本当にわからなかったので眉を寄せて、首を傾けた。一瞬、虚を突かれたように黙した村雨は、天堂をじ、と探る。隠す気もない天堂にその発言を心から思っているとよくよく理解したのか、村雨は今日一番、呆れた顔を晒し、諭すのを諦めたように肩を落とす。
「………あなたは本当に恋人より自身が叶に選ばれると思っているのだな」
「当然だろう? 神より優先することはない。黎明もそう思っているはずだ」
当たり前のことだった。神が選ばれないわけがない。天秤にかけるまでもなく、愛より神の方が重いだろう。
「……傲慢なマヌケ神め。もうあなたに言えることはない」
「何を妄言を吐いている。一番重要なことが残っているだろう。さっさと相手を教えろ愚か者め」
「自分で考えろ、大マヌケ神。
……あなたたちは似ているが違う人間だということを理解しろ」
「貴様、神相手に説く気か?」
「私は、あの男の相手を知っているのだぞ? あなたより叶のことが理解っているということだ。そうだろう?」
得意げなツラが腹立たしい。
しかしケーキを再び口にし始める村雨からこれ以上何も聞き出せないのがわかって、天堂は足を踏み鳴らしながら、獅子神邸を後にした。
天堂弓彦という神さまは傲慢である。神なのだから、当然で正しいという顔で好き勝手に振る舞って何もかも踏み荒らす。
自身のことを棚に上げて、黎明はそう思っているし、認めたくはないが同時にその傲慢さにあてられている。らしい。そのせいで、自分の中にはあるわけがないとせせら笑っていた感情に振り回されている。
天堂は出会ってから変わらない。突然家に来ては咎人を探しにいくぞと言い、手伝いが必要だから呼び出される。合鍵があることを利用して、黎明が不在時でも勝手に部屋に上がり込み、テラリウムにちょっかいを出しては、帰るのが億劫になったのか、人の寝台の真ん中を占領して眠っていたりする。
まるで否定される、断られるという選択肢がないのだ。黎明の中で神さまは当然優先されるべきものだと思っているのである。そんなことはない。そう憤りながらも断ることもなく付き合っている事実に愕然として、神さまの暴走のまま振り回されている己が腹立たしく、けれどふと気づいてしまった。
友人と咎人と善人しか神さまの世界にはいなくって数多の人間へと天堂は平等に興味を示さない。まだ内側にいる友人は見るけれど、天堂がその傲慢さを向けるのは黎明だけだということに気づいてしまったのだ。たぶん、黎明以外の友人であったなら断られても仕方がないと諦めるだろうし、時折、譲ることすらあって他の選択肢も探す。ただ黎明相手にはそう思うことすらない。
その瞬間、もうだめだった。恋情という熱を帯びた痛みと苦しみが毒のように黎明の内側を侵食し溶かしていく。頭がおかしくなった。
だって神さまは自分しか愛していないくせに特別だと勝手に黎明へ知らしめる。
その優越感はひどく甘美で永遠に浸っていたかったけれど同時に絶望を連れてくる。
天堂は黎明をいちばんにしてくれない。黎明にはそれを当然だと決めつけて求めるくせに天堂の中で別に黎明は優先されないのだ。むかつく。本当に何様なのだろうか。
こんなに見てやってるのだから、黎明をいちばんに見るべきだろう、愛しているなら愛されれなければならないし、この苦しみと痛みに値するものを返してくれないのが黎明は我慢できない。
天堂に渡すつもりだった食べかけのチョコレートを口に含んだ。まずい。まだ半分はある。捨てようとしてやめた。舌打ちする。
どうしてこんな思いをしなくてはならないのだ。あの傲慢な神さまは黎明のその感情を何一つ理解しないのに。出来ないのに、何故、あんなのに黎明から告げなければならないのか。
天堂といるのは楽しいがそれ以上の何かがあるわけではなく、刹那的で享楽的な上澄を共有出来るだけで良かったはずなのに、愛を請わなければ黎明は天堂の中で皆平等に与えられるそれしか受けられない。嫌だ。ただそう思ったから散々葛藤して矜持をかなぐり捨てて、買ったチョコレートだった。
この隠しきっていた想いを晒せばすこしだけ神さまの中で価値が上がる。見る量が変わる。その自信が黎明にはあった。
それなのに天堂は何も知らずに黎明が用意していたチョコレートに口をつけてしまったのである。
あの時一瞬惑った。この場でたった二文字を告げれば。
だが読めてしまった天堂の、何ひとつ黎明に向かないその関心に、言葉に、心肝が冷え切って、怒りで喉が詰まった。捨てたはずの矜持が擡げる。なんでこんなやつに言わなければいけない。オレを見てくれないのに。
頭の中で勝手に浮かぶバツの悪そうな表情に歯噛みする。黎明の恋情に、気づくな。気づいてくれ。どうして気づかない。尊大に愛を説くくせに自身に向けられるそれに、興味がない。必要がない。神さまは神さまだけで完結している。
本当に腹立たしいのにいつまでも考えている。病気だ。狂っている。目の前ではとっくに編集し終わった動画が無為に流れていた。
口の中に残り続ける苦い味を噛み締めていれば玄関の開く音がする。誰かなんて分かり切っていた。廊下まで出たところで黎明の頭を勝手に占拠する奉じたくもない神さまと遭遇する。
天堂が持っている紙袋は嫌というほど見覚えがあった。店内で散々、睨み合っていたのである。一瞬の期待は言葉を交わさずとも消失した。観なくともわかる。どうせ、詫びに買ってきたのだろう。
「………これしか用意できなかった」
「いらねー、代わりになるもんなんてないだろ」
本当に口にした通りだ。自嘲気味に唇を歪ませる。あの時、天堂がこの味を好きだろうと想像して、喜ぶと思って選んで決めたのは黎明で、もう渡せないチョコレートが入ったひとつの箱が、それだけが唯一だった。
天堂は恐らく、黎明の相手を探してもう一度、渡してもらおうとでも思っていたのだろう。
勘違いを正す気もない。困ればいいと思うが神さまには無駄なようだった。その片鱗も出さないのは、時間さえあれば相手を見つける自信が天堂にあるからだろうか。
全能であると振る舞う神さまのくせに、黎明の想う相手が眼前に映る自分自身だと気づかない愚かさを内心嗤いながらも強く苛立つ。
「……黎明、おまえは神と恋人ならばどちらを優先させる?」
「は?」
あまりに突拍子もない問いだった。何を今更。
きっと黎明は天堂を優先させる。出会った時すらも、病のような爛れた感情を抱いた今なら絶対に。天堂はわかっているだろう。そう信じているのだろう。だけどその確信を読ませる気はない。
「恋人だろ、当たり前じゃん」
観た。天堂の中にそこに何か、ひとかけらでも、黎明と同じものがあればいいと思っているのに、なにひとつ期待してなかった。ああやっぱりそうだよな。
「……そうか」
天堂は踵を返す。
廊下にはひとつ紙袋が残された。
天堂からぱたりと連絡が途切れた。
あの時の会話のせいだろうか。それともいまだにいもしない相手を探している故に顔を合わせるのを躊躇っているのだろうか。そんなわけがない。
天堂にとっては瑣末なことで、あの程度で気にするような男ではなかったはずだ。神を自称する自己愛の塊である。だからなんだと涼しい顔をして、いつも通り押しかけてくるものだと黎明は思っていた。何か都合が悪いだけだ。
しかし、一週間と過ぎていくとさすがに意図的でないかと疑いが生じた。
その状況でこちらから連絡するのも腹立たしく、しかし募る焦燥に負けて、獅子神邸に向かう。天堂の予定を把握しているので予測すればいる日は何となくあてはつく。
案の定、獅子神邸で天堂は半ホールのケーキを抱え、村雨と共に食べていた。
黎明の来訪に気づいた獅子神は申し訳なそうに眉を寄せて、手を合わせる。
「あー叶、わりぃ、オメーの分残してねー、天堂が半分は絶対食うって訊かなくってな……」
「聞け、黎明。神は悪くない。この愚か者が先日、神にひとかけらも渡さず独り占めしていた。本来であればワンホール捧げるべきところを慈悲深く譲ってやっているのだ」
「あれはそもそも私のものだったのだからマヌケ神に譲らなければならない謂れは無い。あなたも供物をもらいにきたわけではないと言っていたではないか」
「ふん、慎み深く遠慮しただけだ。それを汲んで神にも分け与えるべきだろう? 思いやりを知ったなどとは口先だけではないか」
神さまは変わらず神さまであった。ほんっと馬鹿馬鹿しい。村雨と言い争いながら消費されていくケーキを冷ややかに眺めながら投げやりに言った。
「別にいーよ。今甘いもん食いたくねーし」
二箱も同じものが未だに机にあって甘い香りが鼻につく。やっぱりあれも他の人間からもらったチョコレートと共に処分すれば良かった。
「叶さん、叶さん」
手招きする真経津に促されて近くの長椅子に座る。
「うまくいった?」
「晨くん、わかってて訊いてるだろ」
無邪気に笑う真経津にしかし、腹は立たない。ただ含みのある表情が気になっていれば、声を潜めて、真経津は耳元で囁く。
「……天堂さん、最近、他の人と遊んでるよ」
口の中で舌を打った。
連絡が来なかったのもそのせいだと思えば、苛立ちが募っていく。どうして黎明がいるのに他者に時間を割くのだ。
顔を上げた黎明は無意識に天堂を探していて、その視界の中へと収めた神さまの形はあまりにもいつも同じで漫然とした鈍痛が胸の内から広がっていく。
「叶さんのは痛くて苦しいんだね」
「見える?」
「ううん、隠すの、上手だね。ボクがそうかなって思っただけ」
訪れた教会は、閑散としていた。いつもは懺悔しにくる人間や信者たちがぽつぽつと彷徨いているのに、この寒さのせいか足が遠のいているらしい。門を通り、礼拝堂へ。冷たい空気は室内にも入り込んでいて、静寂さを余計際立たせる。整然と並ぶ長椅子の真ん中を通り過ぎて、さらに奥の住居スペースに入る。人の気配がないと廊下は長く伸びていているようにも思えて、天堂の私室がやけに遠く感じた。
中にいるのだろう。鍵は空いていた。
部屋主は卓上にノートパソコンを置き、キーボードを破壊する勢いで叩いて熱心に何か探っている。
「……ユミピコ〜何してんの」
「最近、少々立て込んでいた、天罰を再開している」
画面から顔を上げないことが気に入らなくて、隣に座り、横にいるとうまく合わないその片目をわざわざ覗き込んだ。
「立て込んでたって?」
「この辺りにいた放火魔が教会でボヤを出した。ボヤで済んだのが気に入らなかったのか一度足らず二度もその聖域を燃やし……」
一瞬だけ目が動いて黎明を見た。勝手に心臓が騒ぐ。むかつく。
「へえ、そいつどうなった?」
「そこにいる。欲しいか?」
天堂が指差した先に身じろきすらしない物言わぬ袋がある。死んでいないか、あれ。黎明に死体を観る趣味はない。
ああでも、どうやら真経津に担がれたようだった。なんとなくそんな気はしていたけど、黎明は言い訳がないときっと動かなかったから、背を押してくれたのだろう。
卓上に頬杖をついた。黎明を見ない顔を横から眺める。美しい相貌が画面の中で顕になる咎人の所業に歪んでいく。ずれがないよう整えているはずの赤い唇も歯を食いしばって、ひん曲がっていれば台無しだ。
「ユミピコ、ひどい顔になってるぞーいいのか、慈悲深い神さまがそんな顔して」
「ああ゛?」
意識が黎明に向いたことが嬉しくって、顔を作るひとつひとつの綺麗な造形にはひどく似つかわしくない歪みにけらけら笑う。
その表情が不意に消えた。まるで咎人に懺悔を誘う時のようだ。生憎、黎明は咎人ではないのであの愚かな人々のように怯えることなんてないはずだった。
「……黎明、神に偽りを吐いたな」
「なんだよ、いきなり」
「お前は神より恋人を優先するなど不敬なことを言っていたが、そんなはずがない」
深淵に等しい黒い瞳が真っ直ぐ黎明を捉えている。動く紅に目が吸い寄せられた。
「愚か者が神を前にしても偉そうにごちゃごちゃと喚いていたので、少々考えてやったがやはり神の目の方が正しい」
ゆっくりといつもと同じ声が、淡々と事実を述べるように、発せられる。ずっと聞いていたい。聞きたくない。嫌だなあ、こんな些細なことで完全に統制している頭の中を乱される。
「お前は必ず神を優先させる」
嬉しそうに、無邪気に、気に入っているものには愛されて当然だと身勝手に神さまは笑みの形を模った。
それがとても綺麗で恋しくて憎らしく、天堂のその傲慢さは黎明の心をなんどでも殺している。
「……ユミピコさあ、なんでオレが優先するかわかってる?」
「黎明は神のものなのだから当然のことだろう?」
いつからおまえのものになったのだ。気に入ったので勝手に自分の所有物に加えているのか。だがこの神さまは心からそう思っている、しそのことが黎明にとって大変喜ばしいことで頭を垂れ泣いて感謝を述べるべきである、くらいに決めつけている。
呆れたようなひどく投げやりな気持ちになって、黎明は怒りも矜持も放棄した。あれほど躊躇わせた言葉が息を吐くように飛び出す。
「違う、おまえが好きだからだよ」
「知っている」
嘲笑が落ちた。知らない。わからないくせに。これはオマエが思っているものと違うものだ。だって天堂の世界はきっとお花畑の中で無防備に眠ることのできる優しい優しい愛しか受け入れないだろう。
苛立ちに押される。胸ぐらを掴んで噛みつくように口づけた。この狂った感情の一片でも知って同じように苦しめばいい。この内側から溶けていくような、肺腑が焼けるような痛みが伝わればいい。
そう強く強く呪い、押し付けていた唇を離して、殴られる覚悟をした。けれどいつまでも衝撃はなく、すぐそばの澄んだ目がやけに柔く緩んでいることに気づく。
「………お前の、それは美しいな」
見ている。黎明を。望んでいたように見ている。深くその中を探して、自分と比べて、唐突に天堂は理解したように思えた。
黎明と同じようで何処か違った感情が黒い目の奥で煌めくように輝いた瞬間、赤い爪先が愛おしげに黎明の頬を撫でる。
「そんなに苦しむほど私に焦がれているのか」
黎明、と呼ぶ声色がいつもと違う。眼差しが違う。仕草が違う。わかる。それが黎明を狂わせてきた恋情であると、ずっと抱えてきたからわかるけどどうしてこんなにも、黎明とは別のもののように思えるのだろうか。
優しく髪をかき分けた指先が黎明の額を晒して天堂の唇がそこに一瞬だけ触れた。
「黎明、神はおまえとは一緒に苦しめない。何故、苦しむ? おまえを想うのはこんなにも愉快で心地よいのに」
神さまの恋は、透き通っている。
黎明がどれほど怨嗟を吐いたってコイツが受け取るのは呪いじゃない。祝福になる。
たったひとつの瞳の中がずっときらきらしている。心臓も一緒くらい跳ねて早いのがわかる。わかってしまう。よく見える目が黎明に心底知らしめる。この神さまはさっきの、あの瞬間から本当に黎明を想っている。
目の前の神さまの恋心がとても欲しかったのに、差し出されているのにどうしてだか苦しいのは変わらない。天堂の指先が、唇が、触れた時、確かに喜びと焦げつくような熱を感じたのに、全然、足りないのだ。
一方的だったから痛くて苦しいのではなかった。結局、満たされないなら叶っても変わらない。
「ずるいな、ユミピコだけ」
楽しそうで。
「案ずるな、黎明、すぐにそう思えるはずだ。神がお前を救ってやるのだから」
救われるなんて黎明の矜持はゆるさないけれどいくら拒絶したってこの神さまは傲慢だから勝手に価値を見出して勝手に黎明を拾い上げる。
天堂は自分が神さまであることと同じように、その夢想のような愛で黎明の底を埋められると心から信じている。
ノートパソコンを閉じた天堂はおもむろに立ち上がる。
「黎明、行くぞ、咎人の場所がわかった」
「ユミピコ、それ、初デートの誘いだったら最悪だぞ」
喜んでついてくるだろうと。天堂の顔にはそう描いてある。気が抜けて、表情を崩す。
可笑しくて仕方がない。
「ならばおまえの家だ、神に捧げるものがあるはずだ」
「とっくに捨てたに決まってるだろ」
視線を逸らし歯噛みする黎明を神さまは見透かしたように笑ってる。読み合えるって最悪だ。
「あれがいちばん神の好みだった」
「そんなの当たり前じゃん」
だって観ていた。この神さまをずっと。狂うほど魅せてくれるから。観るだろう。これからも。永遠に。
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