山道を抜けると、数日振りの街だった。街では補給ができ、宿で雨風を凌ぎ温かい布団で眠ることができる。あまり大きくはないが、しばしの休息を得るには十分だった。
「取ってきたぞ」
四人を代表して今夜の宿を申し込みに行ったアイゼンが戻ってくる。その手には鍵が2つ。
「随分繁盛しているらしくてな。この2人部屋2つで最後だった。ラッキーだったな」
アイゼンはそう説明すると2つある鍵の一方をフリーレンに渡し、さっさと部屋へと移動し始める。通常なら部屋割りはフリーレンとそれ以外の3人のはずだ。3人部屋がなければ1人部屋が2つと2人部屋が1つ。今までの旅ではそう決まっていた。
「ちょっと待ってよ。ラッキーじゃないだろう! それなら他の宿も当たってみるとか!」
「この街には宿はここ1軒だけだそうですよ」
慌ててヒンメルが引き止めると、すかさずハイターがその案を封じる。ハイターは当たり前のようにアイゼンの後ろについていこうとしていて、動じているのはヒンメルただ1人のようだった。
「なら街の人に頼んで泊めてもらうとか!」
「どこもそう余裕はない。4つベッドがあるんだ。十分だろう」
「でもフリーレンは女の子なんだ」
「私は別にいいよ。どうせいつも野宿なんだし」
「いや、でも……」
ヒンメルはなおも異議を唱えるが、アイゼンばかりか当人であるはずのフリーレンですら頓着していない。これではまるでヒンメルが我儘を言っているかのようだ。実際この旅のほとんどは野宿で、その時は安全のために皆同じ場所で寝起きしているのだから、何もおかしなことはない。けれど好きな女の子と突然の2人部屋に動じない程ヒンメルはできた人間ではなかった。
ヒンメルは横目でちらりとフリーレンの様子を窺ってみるが、やはりフリーレンが気にする様子はない。ここは覚悟を決めるべきか、と思っていると、ハイターが大きなため息を吐いた。
「ヒンメル、ちょっと」
ちょいちょいと指で示される。それに応じると肩を組まれ、ロビーの隅へと連れられてしまう。反対側にはアイゼンもついてきていて、逃れられないようにがっちりと両側をホールドされてしまった。
「ヒンメル、あなたこのままではいつまでもフリーレンと進展しませんよ」
「チャンスだ。一発漢を見せろ」
「そんな卑怯なことできるわけないだろう!」
つい叫んでしまって慌ててフリーレンのいる背後に視線を向けるが、興味がないのかこちらを見てもいなかった。助かったような悔しいような微妙な心境だ。
ヒンメルがフリーレンに片想い中というのはこのパーティーでは周知の事実だった。ヒンメルも隠すつもりはなく、自分に可能な限りの愛を表現しているので当の本人が気づいていないのが不思議なくらいだ。これに気づかないのなんてエルフくらいだろう。この鈍感さが生殖本能に乏しいエルフの特性によるものだと知っていても、ここまで無頓着だと時々悲しいやら寂しいやら虚しいやらなんともいえない気持ちになるのも事実である。けれど好きだからこそ、無理強いしようとは思わない。
「落ち着いてください。別に脈がないってわけじゃないはずです。フリーレンにその発想がないってだけで」
「だったら余計に無理やりなんて」
「何も最後までしろとは言ってません。ちょっと匂わせるだけで十分効果があるでしょう」
「相手がその気になるまで待つってのは確かにイイ男ではあるが、あの手の相手に対しては悪手だぞ」
両側から詰め寄られ、ヒンメルも些か心が揺らぎ始める。一方でエルフの長い人生においてはこの旅路も刹那の瞬きに過ぎないだろうとわかっていた。自分がフリーレンの心に爪痕を残すためには、安易にそういった行為を求めるべきではないとも思う。
ヒンメルがうんうん悩んでいる横でハイターとアイゼンが「今がチャンスですよ」「俺はいけると思うぞ」と唆してくる。
「ねぇ、いつまでこそこそ話してるの? さっき見かけた魔道具店が閉まる前に見に行きたいんだけど、先に荷物置きに行ってもいい?」
気づけばフリーレンがすぐ後ろに立っていた。聞かれて困る話は終わっていたが、話題が話題だけに居た堪れない気持ちになる。すると宿屋の主人にも「他のお客様のご迷惑になりますので」と遠回しに追いやられ、結論が出ないままに一旦部屋へと移動することになった。
既に鍵を持っているフリーレンはそそくさと割り当てられた部屋に入っていく。ヒンメルは未だ踏ん切りがつかず、ハイターとアイゼンの後ろをついていく。
「おい、なんでお前もこっちに来るんだ」
「まだ話がついていないじゃないか!」
「お前が何かするにしろしないにしろ、俺たちがフリーレンと同じ部屋でもお前はいいのか」
「ダメに決まってるだろう!」
「じゃあもう話はついてるじゃないか」
アイゼンが雑な結論でヒンメルを廊下に追い出す。
「ついてない!」
「ついてる!」
扉を挟んでギリギリと攻防を繰り広げていると、荷物を置いたフリーレンが部屋から出てきた。
「部屋割り決まった?」
「もちろんさ!」
ヒンメルが咄嗟に応じる。アイゼンがすかさず「こいつが」と続けようとしたところで、ヒンメルがそれに被せるようにして続けた。
「その部屋は君1人でゆっくり使ってくれたまえ」
「2人部屋なのに?」
「女の子なんだ。そのくらい当然の権利さ」
「それはありがたいけど、そっちは3人でどうやって寝るつもり?」
「いつも野宿なんだ。壁と天井があれば十分さ」
「せっかくあるんだからベッドで寝た方がよく眠れると思うけど」
ヒンメルとフリーレンが会話する後ろで、アイゼンとハイターがやれやれと肩を竦めている。「なら床で寝るのはヒンメルで決まりだな」とか「フリーレンは野宿でも熟睡してますけどね」なんて小声で毒づいているが、ヒンメルにとってはもう決めたことだ。
「3人がそれでいいなら私はどっちでもかまわないよ。ありがたく使わせてもらうね」
フリーレンにとっては部屋割りなど本当にどうでも良かったのか、それより余程魔道具店が気になっていたのか。然程抵抗することもなく話を終わらせ、うきうきと出掛けていく。とても魔王退治の旅の途中とは思えない呑気さだ。それを言うなら色恋に現を抜かしているこちらも十分呑気だが。
見えなくなるまで見送ると、アイゼンとハイターの呆れた視線がヒンメルに突き刺さる。
「良かったのか」
「当たり前じゃないか」
「後悔しても知りませんよ」
一時の欲に負けているようでは勇者になどなれない。ヒンメルは自分の選択を誇りに思っていた。けれどその夜、床の硬さと冷たさを感じながら、やっぱり少しだけ後悔した。
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