みすみ
2026-01-26 01:41:37
3332文字
Public
 

熱は下がったはずなのに

デイキャンプ後arhmシャアム

 デイキャンプから帰ってきたアムロとハマーンから土産を受けとり、熱が下がったとはいえもう少し安静にするようにとふたりに強く勧められたシャアは、おとなしくベッドに戻り横になると、あっというまに眠りに落ちてしまった。
「ん……
 ドアを隔てた廊下から聞き慣れた声が聞こえ、シャアは目を覚ました。天井をぼんやりと見ているうちに暗い室内に目が慣れてくる。寝起きで重く怠い身体をのろのろと起こした。一日中寝ていたせいかじんわりと頭が痛い。
 いつからか枕のすぐそばではナイチン・ゲールが丸くなって眠っていた。呼吸に合わせて穏やかに上下する愛猫の小さな身体に思わず笑みがこぼれる。
 愛猫をじっと見つめ始めてからどれほど経っただろう。ナイチン・ゲールの耳がぴくりと動いた。寝室のドアが静かに開くのと同時に、ひとりと一匹はそろって顔をそちらに向けた。
「なんだ、起きてたのか?」
「アムロ?」
 そこには廊下の照明を背にして、一度帰ったはずのアムロが立っていた。以前シャアが渡した鍵を使って入ったのだろう。頭では理解できたが、シャアは驚きでアムロの名前を呼ぶことしかできない。確かにシャアはアムロに「私がいてもいなくてもいつでも自由に出入りしてくれ」と自宅の鍵を渡したが、シャアが知る限りアムロが使ってくれたことはいままで一度もなかったのだ。
 アムロはぽかんとするシャアもお構いなしに寝室の照明をつけ、携帯を持った右手を上げる。まぶしい、と文句を言う暇すら与えられない。
「さっきカミーユからも熱が下がったと連絡があったぞ」
 廊下から聞こえた声は、カミーユと電話をするアムロの声だったようだ。
 徐々に明るさに目が慣れてきた。ぱちぱちと瞬きをする。一度家に帰った時に着替えてきたのか、アムロの服装は先ほど玄関で見たデイキャンプ帰りの服装とは違っていた。
「シャア、食欲は?」
「いまはあまりない」
 寝起きで話したせいか咳き込むシャアに、アムロはいつのまにかサイドテーブルに用意されていたピッチャーからグラスに水を注ぎ「ひと口でも飲んだほうがいい」とグラスを手渡す。冷たいグラスを両手で受けとりながら、砂漠で彷徨いオアシスを見つけた時こんな気持ちになるのだろうか、と馬鹿馬鹿しいことを考えた。渡された水は夢のように美味しかった。水を飲み干してから、ずいぶんとのどが渇いていたことに気がついた。
 枕もとの椅子にアムロは座った。ベッドの上からアムロのひざの上に移動したナイチン・ゲールは、しばらくシャアとアムロの顔をじっと見比べたり、撫でるアムロの手を舐めたりしていたが、気がつくと再びすやすやと眠ってしまった。
「アムロ、君は? キャンプはどうだったんだ? 楽しかったか?」
「ちょうどいまカミーユにも同じことを聞かれたばかりだ」
 アムロに「もう一杯飲むか?」と尋ねられたシャアは首を横に振る。すかさずシャアから空になったグラスをとり上げたアムロは、サイドテーブルにグラスを置くと腕を組んだ。
「楽しかったよ。ハマーン・カーンもなんだかんだで最後まで付き合ってくれたしな。カミーユもまた今度行きたいと言っていたし、お前たちの休みが合った時に改めて計画を立ててくれ」
 サイドテーブルには、ピッチャーとグラスの横にアムロとハマーンからデイキャンプの土産としてもらったばかりの河原の平らな石が転がっている。アムロは石をちらりと見ると目を細め、もう一度「楽しかった」と繰り返した。
……ハマーンとずいぶんと仲を深めたようだな?」
「別に普通だったと思うが」
 少し考えてから、アムロは首をかしげた。「もしかして」と口を開く。この後アムロになにを指摘されるのか予想がついてしまったシャアは身構えた。
「もしかして、お前、妬いているのか?」
「うっ」
「シャアがハマーン・カーンとふたりで行けと言ったくせに」
 咄嗟に目を逸らしたシャアに、アムロは別に延期にしてもよかったんだぞ、と言外に告げる。
「それは、ハマーンがすごく楽しみにしていたようだし」
「ああ、まあ、それは、うーん」
 珍しく複雑そうな表情で歯切れの悪い返答をしたアムロをシャアは不思議に思いながらも深追いはせず、「それに」と言葉を続けた。
「それに、君も楽しみにしていただろう、アムロ」
「俺?」
「前日までわくわくとテントやカレーや釣りの準備をしていたじゃないか」
「そりゃあ……キャンプの前に準備をするのは当たり前のことだ」
「私も君が作ったカレーが食べたかった」
「俺の作るカレーなんてお前はいつでも食べられるだろ」
 アムロ本人は周囲に世話を焼かれてばかりいると思っているようだが、アムロがそれを受け入れるのは自身の内側に入れた人間に限られる。基本的には淡々と他者の手助けをする側の人間で、面倒見がいいという評価を得て慕われることが多いとシャアは知っている。
 今日だって、無意識のうちにキャンプに慣れていないハマーンを先導したに違いない。あっというまにテントを張り、てきぱきとカレーを作るアムロの姿が目に浮かぶ。
 じわじわと不満そうな表情に変化していくシャアに、アムロは噴き出した。シャアにはアムロの笑いのツボがいまだにわからない。
「ハマーン・カーンとお前は似ているな」
「興味深いな。あまり耳にしない評価だ」
「案外素直で不器用なのに本人に自覚がないし、優秀すぎて周りにもそのことに気がつかれにくいところがかわいい」
 笑いのツボもわからないが、かわいいと感じるポイントもわからなかった。
 ここで初めてシャアは気まずさを感じた。ふたりは今日一日でなにを話したのだろう。発熱していたため今朝アムロに電話をする際には深く考えることができなかったが、かつて付き合っていた女性といま想う男性をふたりきりで日帰りとはいえキャンプに送り出すのは配慮に欠ける選択だったかもしれない。アムロがあまり気にしていないという点も、ひそかにシャアにダメージを与えた。
 少しは気にしてほしかった……と考えながらシャアが黙り込むと、アムロは大きなあくびをした。「さすがに疲れたな」と呟く。
「明日の朝食は食べられそうか?」
「まさか泊まっていってくれるのか?」
 しかし落ち込みかけていたシャアの気持ちは、アムロの問いかけで一気に浮上した。
 ベッドの上をゆっくりと移動したシャアは、アムロと向かい合うようにベッドの端に座る。ナイチン・ゲールがひざの上で眠っているためアムロが動けないのをいいことに、身を乗り出して息がかかる距離まで顔を近づけた。
 アムロからは、アムロの家のシャンプーとボディーソープの甘く華やかな香りがした。いつもよりはっきりと。
「君に風邪が移るかもしれない」
「いまさらじゃないか? もちろんシャアが嫌なら帰るぞ」
「嫌なものか! 泊まっていってくれ!」
「人間、素直がいちばんだな」
 この男なら即実行に移しかねないと焦るシャアとは対照的に、アムロは訳知り顔でしみじみとうなずく。
 ナイチン・ゲールをそっとひざから下ろしたアムロは、シャアのひたいに貼られたまますっかり生ぬるくなってしまった冷却シートを剥がした。ひたい同士をぴったりと合わせ、シャアが戸惑っているうちに満足そうに離れていく。
 ――ち、近い。
「あむろ……
「自分から近づく時は余裕そうな顔なのに、どうしていつも俺から近づいた時は照れるんだ?」
 猫のようにしなやかな動作でするりと立ち上がったアムロが、今度はシャアのつむじを見下ろしたかと思えば頬を押しつけ、赤くなっているであろう耳に触れて笑う。「変なやつ」と、アムロの優しい声とあたたかい息がシャアの乱れた髪にかかった。
「私が変になるのは全部君のせいだ」
「だからいつもちゃんと責任をとってるだろ」
 身体が熱い。胸がどきどきする。まるで子どものように堂々とすべての責任を押しつけたシャアに答えるアムロの声は笑いすぎて震えていた。
 かわいいのは君のほうだ。こういうところがずるいのだ。シャアはもうずっと、アムロのことばかり考えてしまう。出会った時からずっと。