John
2024-11-04 00:27:41
2676文字
Public 武新
 

すれちがい

武新。
生前時空。
カプは武新のみですが、なんでも許せる人向け。

田中 たなか新兵衛 しんべえは、丹虎 たんとらの離れの茶室で武市 たけち瑞山 ずいざんと差し向かいで座っている。
義兄弟の ちぎりを交わした仲である彼らは、寒く せまい茶室に2人きりで身じろぎもせず、 りんとした正座を くずさない。
今は会話もない。
この料亭の茶室は、土佐の郷士 ごうし白札格 しろふだかくから異例の京都留守居役 きょうとるすいやく加役 かやくされた武市が寝起きする一間 ひとまである。
時刻は、京を かこ やまに日が隠れる頃合い。
昼は明るい茶室には、一切の色を塗りつぶす夕紅 ゆうくれないが侵入している。

新兵衛は未だ『仕事着』に着替えてはいない。
大柄な身体に和服と はかま面頰 めんぽおめてはいない。
武市はまっすぐに新兵衛を見続け、新兵衛は自らの膝頭 ひざがしらあたりを見続けている。

ふと、新兵衛は盗む様に義兄を見る。
墨絵に似た うるわしさは、糜爛 びらん黄昏色 たそがれいろを圧倒し、純白 じゅんぱく闇色 やみいろの涼やかな印象を損なっていない。
むしろ、ぎらりと陽光を弾く鋭い金の瞳が、常にない決意を秘めた貪欲 どんよくさに見え。
新兵衛は丹田 たんでんから たかぶる心地がした。

今宵もまた、新兵衛は西日よりもどろりと赤い血に全身塗れる手筈 てはずとなっている。
義兄の敵、 かん ぞくを斬る。

新兵衛が残酷な仕置 しおきを眉ひとつ動かさず為遂 しとげげる。
それは全て、誓いを交わした義兄の為であった。

国を憂いてった。
だが、今となっては。
すきなく筋肉で おおわれた巨体の人斬り、田中新兵衛にとって、それは真実であっても第一ではない。
彼は武市瑞山という惚れた男の為に、己の全てを捧げる腹を決めている。

京の町人は、斬奸状と共に示される酸鼻 さんび さらしものに、恐怖しながら歓喜していた。
物価の高騰 こうとう、海外からの圧力、そういった不安を慰撫 いぶする生贄 いけにえの首が掲げられれば、喜んでその物語へ酔った。

そして武市の率いる集団内も変質している。
人を斬って初めて、一人前。
そんな空気が集団の内に出来れば、剣の修練 しゅうれんへ血道をあげていた者たちは我も我もと流れへ身をまかせる。
一種の熱狂、ぱっと広まる流行病 ころりの様なものだが、病中の人間は己の異常さに気付きもしない。
いや、むしろこの闘争本能/加害欲こそが正常なのか。
生きた人の肉を刃で裂き、止めを刺す経験が得たいと、こぞって武市の門下生は天誅へ加わりたがった。

事態はすでに、始めた2人の手を離れ。
それ自体が夜毎 よごと徘徊 はいかいし人を喰う怪異のように、 にえの犠牲者を生み、河原へ死体を投げ出している。

「以蔵は遅いな」

ぽつりと、独り言の様な義兄の低い声が、夕暮れの茶室に とおる。
一拍遅れて意味が頭へ染み込んだ新兵衛は、はっと顔を上げ。
目を見開き大きな声を出して提案する。

「先生、私が探して来ましょう」
「いい、もう少し待とう、田中君」

墨龍のあっさりとした言葉に、自分が嫌悪されたような含意 がんいを感じてしまい、新兵衛は視線を膝頭へ戻す。
本日の『仕事』には以蔵も参加の予定であった。
現場の指揮、どの つじにどれだけ待ち伏せ、獲物をどう追うかなどは、このところ新兵衛に任されている。
ただ、以蔵は放っておいても、めの一手であったり あみを破ろうとする獲物を逃さず仕留めたりなど、手柄 てがらげていた。
人斬りの天才と ささやかれる男は、近頃常に酒気を帯び、花街で寝起きしている有様だ。
以蔵が勝手に使う金を、武市が後から工面 くめんして渡してやっている事を新兵衛は知っている。
今日、このまま以蔵は放って仕事をしましょうと言っても、武市が承知しないだろう事も新兵衛は さっしている。
それらが、新兵衛は憎い。

「っ! ……『仕事』の前に、身体を温めます。木刀をお借り致します」

邪念を払いたかった。
武市への思慕、以蔵への嫉妬。
なんとも愚かな、小人たる己の心を しずめるにはやはり刀を振るうしかない。
そう思い至ると新兵衛は狭い茶室の入り口を露地 ろじへ出る。

「田中君……?」

背後から武市の声が遠く聞こえる。
新兵衛は寒風の中、顔色一つ変えずに諸肌 もろはだを脱ぐと、氷の様な飛び石へ素足でしっかりと仁王立ちする。
刀掛 かたなかけから飴色の木刀を鷲掴 わしづかんだ。

一刀毎に、己の醜い心を打ちえる。
そして、やがて無心に、ただ刀を振るうためのみ刀を扱う。


武市は長身をかがめておっとりと茶室を出た。
義弟の一心 いっしん練武 れんぶを視る。
己では至れないほど おおきく見事な筋肉が、残照 ざんしょうに染まり べにを帯びて、汗が きらめいている。
その躍動 やくどうに、武市は見惚れた。

武市は、心密かに、新兵衛の肉体と武へ憧憬 しょうけいがあった。
このような隆々とした おおきさを自分も得たいと思うが、それは何を極めても無理な事である様だった。
背は高いが、厚みの出ない質である。

それが、己の手の内にある。
甘美な陶酔 とうすいである。
武市には、今目の前で汗と あけに染まる新兵衛が、これまでにないほど美しいものと思えた。

……

無言で、手を伸ばす。
背中へ手を触れ、それから声を掛けて茶室へ戻らせるつもりであった。
だが、武市は触れるより早く別の気配へ気付き、手を そでの内にしまう。

「寒いき、出とうなかったわい。 はよう済まして あつうぃのんを一杯やりたいのう」

欠伸をみ殺す無精髭の襟巻 えりまき、岡田 おかだ以蔵 いぞうだ。
彼は次に、め付けるような半眼で口元に皮肉な笑みを作った。

「はっ、新兵衛は気合いはいっとるのう。湯気が立っちょる、寒い日にるしょんべんみたいじゃ」
「きっ、さま……! 先生の前で」
「いい、田中君。茶室へ戻ろう」

武市にとっては、本当になんでもない軽口なのだ。

「ぐ……かしこまりました」

だが、田中君は私のことをそうは思っていないのだろうな、と武市は理解していた。