John
2023-11-28 19:05:26
1633文字
Public 武新
 

落花流水

武新。
カルデアの二人、シミュレーターでの一幕。
全年齢程度ですが、二人が閨を共にしている示唆があります。

そこは えんがある畳張 たたみばりの部屋と、庭の景色が再現されていた。

雨戸や障子を開け放てば庭が一望できる。
庭の様相は違うが、生前暮らしていた自宅に近い、と武市は思った。
郷愁 きょうしゅうが胸をぎる。

設定は うららかな春の陽気に定められていて。
かすみがかった空は暖かな日差しが柔らかく。
陽光に かわいた縁側は日向の香りをさせ、少し日が入り込んだ畳は藺草 いぐさの匂いを立ち上らせている。
華やかにそれらを圧して、果樹園と言って差し支えないほど庭一面に植えられた桃の花が甘く香っていた。

風が花をさざめかせる。
明るい外に比べて暗い室内から庭を見る武市の目には、桃色が一面に咲き誇る一つの四角い絵画のように見えたが。
さざめきは吹き込む暖かな風として、彼我 ひがの世界に へだてがない事を示していた。
香りとともに花びらが舞い込む。

その、まさに春爛漫 はるらんまんといった景色をよそに、眠りこけている大柄な和装の男がいる。
赤毛の髪を結ったまま、座布団を二つ折りにして枕の代わりにした男は。
はかまこそいているもののずいぶん春の陽気に緩んだ寝顔で、襟元 えりもとの合わせも すきがある。
すこし離れた枕元には、陶器の壺に似た徳利と、お猪口が盆に乗せられ置かれていた。

どうやら田中君は、桃の花を さかなに飲んで、暖かな陽気に眠くなり。
そのまま春眠を味わっているようだ、と武市は理解する。

田中新兵衛はもともと本日休暇で、武市は別行動で仕事があったのだが。
思いの他、早く片付いた武市は新兵衛を探し当ててこうして逢いに来たのだ。

しかし、さてどうしたものか、と武市瑞山は思う。
少し考えてから、そろりそろりと新兵衛に忍び歩きで近寄った。
アサシンクラスの義弟には、今の己の気配など直ぐ気付かれるだろうと武市は考えたが。
思いの外、心地よい眠りは深い様子で。
武市はその無防備な顔を覗き込む。

穏やかな寝息、桃の花びらがその髪と ほほを飾っている。
微笑ましくて思わず武市の息に笑いの乱れが乗った。

「ぅ、は!?」

その瞬間、義弟ははっと目覚めて間近の気配を見上げた。

「別にそのまま眠っていて構わなかったのだが」
「い、いえ。これはとんだ粗相 そそうを! 先生、いつから」
「つい先ほどだ」

あたふたと起き上がった新兵衛は、さっと居住まいを正してしまい。きっちりと武市の目の前で正座する。
その様子に、義兄は随分と惜しい心持ちがした。

春眠暁 しゅんみんあかつきを覚えず、処処啼鳥 しょしょていちょうを聞く……

武市は漢詩の読み下し文を そらんじ始めた。

確かに惰眠に身を任せた己の恥に相応しいそれだが、真意がわからず、ただ後を引き受けて新兵衛も諳んじてみせた。

「えぇ……夜来風雨の声、花落つること知る多少。ですか? 春暁 しゅんぎょうですね」
「そうだ。この詩には様々な解釈がある、が」

武市は、珍しく白く麗しい顔にうっすらと笑みを浮かべて、言葉を続けた。

「少々主流の解釈からは外れるが。夜来風雨の声を激しい性愛の交歓 こうかんに、落花を上り詰めた後の気怠 けだるさへ例えて読むというものがある」

昨日の夜は思うざま花を散らし、激しく乱れたのだから。
暁の訪れに気付かず朝寝も当然だ、と。
私はあまり好きな解釈ではなかった。
そう武市は続ける。

「だが、今、君の寝姿を見てこの解釈も悪くはないと思えた。昨晩、落花した後の君が眠る顔も随分といものだった。今も折角、可愛らしい寝顔だったというのにな。田中君、もっとゆっくり見せてくれ」

二人きりだからか、随分 ずいぶんと艶めいた話題を持ち出されて。
起きたばかりのまだ隙の残る偉丈夫 いじょうふは、肌を花に負けないほど染めて、朱を顔色に表した。