John
2023-09-05 18:20:11
1449文字
Public 武新
 

彼らはそれをアイラブユーと訳せない

武新のタグに入れておきます。
夜空を観たら、本当に大きくて美しい月だったので書いみました。
SAITAMAで月を観る2人。
某文豪がアイラブユーを『月が綺麗ですね』と訳した、というのは俗説の域を出ず。
その回答に『死んでもいいわ』を使うべきというのも、ネットミームのようなものだそうですが。
そもそも武市と新兵衛は、それがアイラブユーだとすら知らない。
愛であり恋であると名付けてはいないが、肉体関係も執着もある、そんなSAITAMAの2人。
イチャイチャはしているけど、直接的なシーンはありません。

洋館風 ようかんふう建築 けんちくである勤王党 きんのうとう本部 ほんぶのバルコニーに、 めずらしく人影 ひとかげがある。
今宵 こよい うるわしい満月 まんげつであった。

工場からの排煙 はいえん にごりがちなSAITAMAの そらとはいえ、そのえを そこないくすことは かなわないという様子で。
天満月 あまみつつき煌々 こうこうと丸く てんき。
新兵衛の目に、人を狂わせるような美顔 びがん さらしていた。

武州 ぶしゅうの地に亡霊 ぼうれいがごとき薩摩隼人 さつまはやとは、酒肴 しゅこうを手にバルコニーへ胡座 あぐらをかいてどっかりと腰を下ろす。
彼は暗殺仕事に向かぬこの夜、 すでに身を きよめて浴衣 ゆかたを着ている。 さかずきに酒を注ぎ、望月 もちづきを映して くだす。
骨休 ほねやすめにはよか よいじゃ、酒も うまい。
そう思っていると、背後に気配がした。

「田中君、満月を さかなに酒か」
「はっ、先生!」

思わず新兵衛は立ち上がり、背筋をばそうと動く。
それを、片手を上げて武市は制した。

「いや、いい、楽にしていてくれ。君の姿が見えたものだから」

服装はいつもの、宵闇 よいやみに似た洋装 スーツだ。
武市は思わずというように、新兵衛から空へ視線を移す。

「綺麗な月だな……

ただ、その美しさから。
武市は自然とそうべた。

新兵衛は、月の美しさに心が たかぶった所為 せいだろうか。

「先生、私は」

新兵衛の口から武市への忠節 ちゅうせつが言葉になって あふれた。

「私は今でも、貴方の ためになら命も惜しくない。死んでもいい」

続けた言葉は。
忠節とは異なるような色も帯びていた。

新兵衛も武市もその『 いろ』を意識すらしていないようだが、彼らの間は確かに色情 しきじょうびている。
他人が見れば明らかなのに、気づかぬは本人たちばかりなり、というような。

「何度でも、先生の為にならこの身を投げ出せます」

武市は。
新兵衛の何とも つか がたいが、ただ強く おのれに向けられる感情が染み入って。
狂おしく美しい二人きりの宵に、つい、ずっと心に わだかまる事を言葉にしそうになった。

……君は」

君を犠牲にして。
死なせた私を うらんでいるのでは。

義兄は、口を開いたものの。
結局、その問いかけをする事ができなかった。
月光に心乱されていても、武市の心は思い留まってしまう。

……そうか」

悩みを見せた後、そんな逡巡 しゅんじゅんは無かったというように。ただ一言だけ、武市は発する。
沈黙が落ちて。
風の音が二人の間を通る。
月は、地球という星にとってただ唯一の衛星だ。彼らはそれを知る由も無い。
ただ神秘的で美しい夜空の月を見上げ、輝きに、胸の奥が ざわめく心地がするだけだった。

不意に、新兵衛へ歩み寄り、横に腰を落とした武市の手が。
新兵衛の手に触れてきた。
新兵衛は、月のように冴えた白さの、輝くような肌へ触れ返す。

ああ、だが。
死ぬ時たしかに後悔があった。
武市の手を握りながら、月を見て新兵衛は想う。

先生の唯一が私ではない事。
死ぬよりも、それが辛い。