John
2022-12-17 23:59:42
3748文字
Public 武新
 

龍巣の滝

武新、現パロ(というか架空未来パロディ?)でファンタジー風味。
龍の武市と人間社会人の田中。
全年齢程度の入浴シーン、つまり局部の描写がない裸のシーンがあります。
モブ女将キャラ、台詞ありで出て来ます、あくまで武新のみで振る舞いは情報提供者かと。

その日、田中新兵衛はとある温泉宿に泊まっていた。
温泉の季節かと言われれば、そんなこともない夏の盛り。
暑い季節にあえて鍋を食べて汗をかき、スッキリするような良さはある、と彼は笑顔を浮かべる。
よく晴れた夏の夕べ。
ぬるめの露天風呂に胸の上まで浸かって、ほぼ暮れて星が見え始めている空を眺めながら。
彼はつかの間、俗世の垢を落としていた。

「こや、生き返っなー」

田中新兵衛、三十一歳会社員。
趣味は筋肉を鍛えること。
地元は鹿児島県だが、東京に出てすぐに言葉遣いを意図して標準語に擦り合わせている。
しかし、自分以外に誰もおらず。
気持ち良い露天風呂を独り占めして手足を思うざま伸ばしているときは、ついお国言葉が出てしまったりもする。
筋肉以外は何処にでもいそうな、生真面目な男である。

この宿は、温泉があるとはいえ加温式のさほど泉質も珍しくないものであり。
田舎の山間部で、東京からは飛行機とレンタカーの手配がなければ来れないような場所が災いして、世界的な感染症の流行による観光客の減少、その影響をモロに被っていた。
その騒ぎは数年前に収束へ至って、今やそんなこともあったと言えるほどの過去だが。
減った客足が戻らないと、フロントの従業員は笑顔で悲しいことを言っていた。
人知れぬ隠れ家的な場所として気に入り、常連となっている新兵衛は、大規模ホテルというより民宿と言ったほうが正しいこの場所の経営者夫婦……女将と旦那とも顔見知りで。
ついにこの夏、温泉のシーズンオフであるこの晩の宿泊客は新兵衛ただ一人だと二人から聞いて、苦笑すると共に一抹の悲しさを覚えた。
それでもかつては、近隣の市町村からの常連がそれなりに付いていた宿なのだ。

と、露天と浴場を仕切る擦りガラスの向こうに、人の気配がある。
宿屋の人間だろうか。

「ああ、すまない。ヒトがいたか。ご一緒しても良いかな」

ガラガラと戸をあけて、ずいぶん身長の高い、すらりとした男が入ってきた。
新兵衛も輪をかけて背が高いのでわかるのだが、あまり高い建てつけで作られていない、戸の鴨居に頭を当てそうで見ていてヒヤヒヤする。
まあ男湯だから男が入ってくるのは当たり前である。
だが、今夜は自分しか泊まっていないはず、飛び入りでチェックインが入ったのだろうか?
ともかく、宿の共有露天風呂なのだから、独り占めしたいので出て行ってくれ、などといういわれはない。
新兵衛に断る気持ちは微塵もなかった。

「そりゃあもう、驚きましたが、どうぞ。今日は私しか泊まっていないと聞いたもので」
「そうか、私は……地元のモノでね。失礼するよ」

そう言って掛け湯をしてから、彼は湯船へそろりと入る。

「都会から来たのかね」
……ええ、東京から。地元は鹿児島ですが」
「ほう、都会はどんな様子かね、ここより色々あるので飽きないだろう」
「色々ありますけれど、騒がしくって。こういう場所に来たくなるんです」

すらりとした男は、思いの外、気さくに新兵衛へ話しかけて来た。
新兵衛は、旅先のそういった交流を嫌っていない。
喜んで男の話に応じた。
隣同士に浸かって、今や濃紺の内に砂金のような星の瞬く夜空を見上げながら話していたが。
ふと新兵衛がよくよく見れば、相手は白く肌理の良い肌をした男前である。
役者でもしていたと言われても納得しそうな整った容姿と弛んでいない腹。
艶やかな漆黒の短髪。
目元にシワを刻んでいるためそれなりの年齢を重ねた、自分より年上の男性なのだろうが……

つい、その目を間近で覗き込み、新兵衛はギョッとした。
煌めく金眼をしていたのだ。
物珍しいからというだけではなく。
目が合った瞬間、思わず身震いしてしまうほど、なぜか本能的に恐怖を覚える冷たい瞳だった。

「ん? ああすまない、驚かせたか。これは、珍しいよな。よく驚かせてしまうんだ。あまり気にしないでくれ」

新兵衛が何にギョッとしたのか気づいた……武市と名乗った男は、自分の目線を手で遮り、慌てたように言った。

……あ、いや。これは失礼した。判りました気にしません」

取り乱すべきではなかった、新兵衛はそう思い、本能的に沸く感情を即座に押さえ込んだ。

……君は面白い男だな」

珍しい容姿というのは不便もあるだろう、それにこれ以上、注視して好奇を露わにするのも失礼、と思う、そういった奥ゆかしさが新兵衛の性格にはあった。
気にしない、と聞いて、武市はかざした手を再び湯船に下ろして、嬉しそうに笑顔を浮かべた。
横目でみれば、先ほど恐怖を与えて来た同じ顔とは思えないほど、それはとても晴れやかな。
同じ男でも見惚れる、麗しい笑顔だった。

思いの外、楽しい夕べを過ごして、新兵衛は取っている部屋に浴衣で戻る。
食事の配膳に来た女将に、他の客と湯で会ったと伝えたところ。
そんなはずはないという答えが返って来た。
地元の温泉だけ浸かって帰る客へ、今は湯殿を解放するなどもしていない、と。
勝手に侵入した不届きものか、と新兵衛が色めき立つが、女将は。

「お客様、なんとも夢物語のような話ですが……

と前置きして、こんな話を新兵衛にした。

ここの宿の温泉が、沸かし湯であることはお客様もご存知ですね?
実は、日照りで水不足の際に、龍神様が掘れと指示して水が出た、枯れずの井戸水が元なのです。

その昔、村人は水瓶も溜池も干上がり、ほとほと困り果てて。
山間の滝壺まで水を汲みに行ってなんとか命を繋いでいましたが。
ついに畑も枯れ果て、その、龍が住むと言われていた滝壺に、人身御供を捧げて雨乞いをしようなどという話になりました。

しかしそれを、滝壺から現れた龍そのものが止めたのです。
怪しい金の目をした麗しい男に変化した龍は、村人たちを引き連れ村まで降りると、場所を示して井戸を掘れと指図しました。
かくしてその場所からは、いくらも掘らない内に水が湧き。
男は村人たちの目の前で雄々しい龍の姿に戻り、帰っていったと。

その後、水道なども通り。
今や、かつてここが人里だった面影もなく。
現代になって役を失った井戸でしたが。
成分的に温泉として登録できるとわかって。
せっかくのものを埋めてしまうのも忍びなく、こうして心身を癒すために今も使わせていただいているのです。
この水が湧き出なくなったことは、ついぞありません。
枯れずの井戸なのです。

そこまで語り、女将は一息置いてから眉を顰めて現実的なことを述べた。

「まあそんなのじゃなく、ただのいたずらかもしれませんが。見つけたら捕まえましょう、人間なら足があるでしょうし」

しかし、新兵衛は。
あの男は人間ではない、と言われた方が、納得が行く気分になっていた。

「女将、幽霊ではないんですから……その、滝壺は今もあるんでしょうか、私は行ってみようかと思います」
「獣道のような場所を少し登山する羽目になりますよ」
「体力には自信があります、場所さえ教えていただければ」
「滝の名前は『龍巣の滝』と言います」

翌日、特に予定もなかった新兵衛は、山道を登り。
峻険な谷川の細い流水が作り出す青い瞳のようなこぢんまりした滝壺へ無事たどり着いた。
宿の周辺には、特に名の知れた観光地はなく。
この滝壺も道が整備されているでもなく、訪れるのは初めてだった。
それなりに常連として泊まっていたが、そんな昔話も知らなかったことを、新兵衛は少し恥じた。
おそらく、ただのんびりしに来ている相手に、求められてもいないのに語るのは。
野暮ったい話だと、語られずにいたのだろう。

かくしてそこには。

「また会ったね、田中君だったか」

黒いスーツが夏とは思えぬ涼しさの、そこだけ異世界のような男がすらりと立っていた。

「妙な、ことを。言っていたら気にしないでいただきたい。貴方は……龍の神さんなんですか」
「だとしたら、どうするかね」
……
「いや、意地悪はよそう。どうにも最近さびしくてね。ついちょっかいをかけてしまった」
「貴方は」
「もう私のいる意味も、私の言い伝えも、忘れ去られようとしている。私のようなモノには、ニンゲンの信仰や感謝の念はとても甘い……甘露のようなものでね」
「食べないと死にますか」
「死にはしない、だが、ただなにもなく意識が紡がれ在ることは拷問に等しい。もうさすがに、疲れてしまった。そろそろ天に帰るかなと思ったところに、君がいるのをみつけてしまって」
「美味しかったですか、私の心」
「極上だった……君は本当に変わっている、私が怖くないのか」
……私が来年もくると言ったら、その、天に帰るというのはやめてくれますか。天に帰るは、死ぬという、そういうのでは、やはり……
「ヒトの死とは違うが、ただの力に戻って自我をなくすことなので。ヒトからみたら似たものか。だが、来年も君がくるのなら」

待っていよう。そう武市は言った。
武市の金の目が、まばたきもせず新兵衛をみて、微笑を描いている。
蝉が鳴いていた、それよりもなお、やかましく。新兵衛の鼓動は高鳴っていた。