【スタゼノ】夜から夜へ

スタゼノワンドロワンライ 第238回お題「初恋」
紛争地の通訳の女学生と夜空を見て、ゼノを思い出すスタンリーの話。

 紛争地からの帰国命令が下った時、俺は少々ややこしい状況の中にいた。というのも現地住民との通訳を買って出てくれた若い女学生(彼女は軍通訳の補佐として働いていた)の父親が、どうぞ娘と結婚してくれと、とある夜の宴で言って来たからだ。
 とうの少女はいつもより着飾って、その通った鼻筋を赤くして、父親の言葉を聞きながらスカートの裾をつまみただ俯いていた。薄暗い明かりの中で、俺の愛する男のような真っ黒な瞳を細めて。
 それを見て、俺はどうしたものかね、と思った。この国では、多くの女は幸福に生きていけない。だからこそ、父親は娘の幸せを俺の祖国でと狙ったのかもしれない。けれど軍の規則でこの国での結婚は部隊命令で禁止されていたし、配偶者ビザは事実上発行されないか稀だった。第三国を経由したとしたってそれは数年待ちだろうし、そもそも許否リスクも高かった。米国の事情に詳しい家族のことだ、それを知らないわけではないだろうに、その父親はどうぞ娘を頼みます、と俺に言ったのだった。
 俺は仕方なく笑い、鯉を背開きにして焼いたものを食べ、生憎恋人がいるから無理だと言った。でも国に来るのなら皆を歓迎するとも言った。それくらい俺とその部下は彼ら家族に世話になっていたし、その言葉に嘘はなかった。でも、いくら米軍に協力した実績があったとしたって、この国の人間は入国制限やビザ発券制限が続いている。だから、俺の言葉はやっぱり嘘っぱちだった。
「お父さん、もうよして」
 俺が酒を飲み干した時、娘は宴の席から立ちそう言った。すると父親はもう何も言わず、ただ小さくため息をついた。
 俺は娘に待ち受ける運命を知らない。俺達が去った後、彼女がどうなるのかを知らない。連邦政府に協力した彼らが平穏に生きていけるのかどうかを知らない。俺達は、いくら求めたって、そんなことは知らされない。
「今日は星が綺麗です。スナイダーさん、お好きでしたよね」
 娘は俺よりもずっと流暢で美しい英語でそう言うと、しんと静まり返った夜の外へと俺を誘った。俺はそれになんとなくあぁ、別れの挨拶をするんだな、と思って、それに応じた。
 空には数え切れないくらいの、星座なんてもう分からないくらいの星があり、俺はそれを恋人に見せたいと思った。彼ならば空を埋め尽くすほどの星から、一等光るものを見つけ出すだろうから。
「突然父がすみません。私のことを思ってのことで……
 俺が煙草を砂漠迷彩のジャケットから煙草を探していると、娘はそんなふうに謝った。俺はそれに、彼女くらい頭が切れたら、俺の祖国じゃ誰よりも自由に生きられるだろうに、と思った。この国の女達が望むように、人生を切り開くだろうに、と思った。
「いや、こっちこそ悪かったな。あんたにも好きな男くらいいるだろ」
 じゅ、と、取り出した煙草にオイルライターで火をつける。でも、娘はまた俯き、そしてそんな人はいません、と呟いた。俺はそれを聞いて、まずいことを言ったか、と思った。それくらい、この国での恋とは強い意味を持っていた。
「あれがスライヤー、プレアデス星団です」
 俺が黙り込んでいると、娘は話を切り替えるように言った。まるで、俺が星が好きでたまらないみたいに。でも、俺は否定しなかった。星を見ると、誰よりも恋しい男が側にいる気がしたから。
「雨季の到来、旅の季節、恋の象徴、それから美しい乙女として詩に読まれて来た星です」
 娘は暗い中微笑み、それから「……そして、私の名前の由来」と呟いた。
 そうだ、彼女はスライヤーと言った。聡明で、美しく、そして俺達に協力してくれた娘。俺はそんなスライヤーを助けてやることも出来ず、この国を出る。俺の任務が終わっても、彼女には過酷な運命が待ち受けているかもしれないのに。
 ――夜から夜へ、君が恋しい、僕の命を全部あげてもいい、君のためなら。
 ――僕の腕の中にいて、君を恋しく思う、恋しくてたまらない、僕の魂は君のもの。
 ――僕の中に入って、僕の中で生きて
 スライヤーは黙りこくった俺の前で、まるでこれが最後みたいにそんな歌をうたった。透き通った声で、天使のような声で、俺に自分のことを覚えていてくれと、そんなふうに訴えるような声で。でも、俺はそれに誰よりも愛する男を思い出し、彼との初恋を思い出していた。この国で一番長く時間を共にしたスライヤーにすら伝えたことのない、そんな恋を思い出していた。
 俺はもうすぐこの国を出る。任務が終わりを告げたから、上がそう決めたら、無理矢理協力させた現地民を捨てて自国に戻る。愛しい男の待つ国に戻る。そんなのこれまでもよくあった普通のことなのに、俺はどういうわけかつらくてたまらなかった。普通の少女を幸せにしてやりたかった。無理だって分かってるのに、自分にはそんな力はないっていうのに。
……いい歌だな」
「今、女の間で流行ってるんです。都会ではよく歌われていると聞きました」
 スカートの裾の埃を払い、スライヤーは家に戻ろうとする。俺はそれを見送り、しばらく煙草を吸い、空を見上げた。愛しい男と繋がっている、そんな空を見上げた。
 俺は彼を愛している、不幸な娘を見捨てても、彼を愛している。心の底から、馬鹿みたいに、彼を愛している。



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