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来羅
2026-01-24 23:00:45
2318文字
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トワウォ
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喧嘩(風信)
ワンドロライ第28回。
冰室に顔を出した途端、よく来たと言わんばかりの阿七に迎えられて提子は思わず立ち止まった。
いつもは賑やかな冰室もこの時間の客はまばらで、最後の客がちょうど席を立ったときだ。逃げるように立ち去ったその客の苦笑と、ほっとした顔の阿七と、いつになく冷え冷えとした冰室の空気に回れ右をする。
こういう空気を、提子はよく知っていた。
「提子!」
けれども気づかなかった振りをして逃げる前に鋭く呼ばれた己の名に、びくりと背筋を伸ばして反射的に「はい!」と返す。呼んだ男はカウンターで苛々と蓋をしたままのペンをノートにトントンと叩きつけて煙草を吹かしていた。
見つかってしまったのならば諦めるしかない。
肩を落とす提子に、阿七がやれやれと大きく息を吐く。提子が来るまでひとりで対処し続けていたに違いない。その大変さに同志として深く深く同情する。
「信哥」
「灰皿」
「はい?」
「灰皿、代えて」
ご立腹の頭馬は凛々しく整えられた眉を顰めて、顎をしゃくった。
ステンレスの灰皿には吸い殻が二本。
たったこれだけで、とは言ってはいけない。
怒れる男に逆らう術などないことを提子は身を持って知っている。
けれども黙って灰皿に手を伸ばした提子を、信一が呆れた顔で止めた。
「俺のを代えてどうすんだよ」
「え?」
「あっち」
「はい?」
「あっち、代えてやって」
極力視線を向けず、ペン先だけで示した先にいるのは、いつもの涼しげな眼差しを剣呑と細めてどろどろとした暗雲を背負う男。目の前の灰皿は確かに、吸い殻が山盛りになっていた。どんだけ吸ってんだ、この人は。
「
…………
大佬、」
新しい灰皿を差し出せば、ちらりと視線を流した龍捲風は小さく頷いた。そうして少しだけ皮肉げに口角を上げる。
「ありがとう、提子」
「いえ」
信一とのやり取りなど、聞こえていたはずなのに完全無視だ。
ダン、とカウンターで何かを叩きつける音がした。もちろん、振り返れるはずもない。
「阿七」
鋭く呼んだ龍捲風に、はいはいと慣れた返事をする阿七は心臓が強いと本当に尊敬する。提子はすでに涙目だ。早くここから出たいと尊敬する兄貴分とボスとをいったりきたりさせながら、大人しく隅に寄った。
「アレにココアでも入れてやってくれ」
灰皿の礼だろうか。たぶんそうだろう。
けれどもその視線は阿七に向いたまま、龍捲風は言った。
「甘い物でも取れば少しはアレも静かになるだろう」
ビキッとこめかみに怒りが浮かぶ音がした気がした。
余計な一言だ。でも龍捲風の言葉だ。余計な一言だということはしっかりわかってやっているに決まっている。わざと煽ったのだ。
案の定、阿七、と叫んだ信一は髪を掻きむしらんばかりに苛立ちを露わにした。
「いらねぇって伝えて!」
「ああ、まるで子供の癇癪だな
……
と伝えてくれ、阿七」
「~~~〜〜~阿七! 客じゃない奴は早く帰らせろって!」
「残念だが、オーナーがどこにいようと従業員に指図される謂われはない、と阿七、」
「従業員の邪魔するオーナーがどこにいるんだよ!」
「阿七」
「阿七!」
ぎゃんぎゃんと喚く男ふたりは阿七を挟んで言い合っている。
醜い。あまりにも大人げない。
その矛先はすぐに提子にも及んだ。
「提子、お前も領収書持ってないだろうな?」
「ない。俺が持ってるわけないでしょ」
「だよな。ほら、やっぱり俺の邪魔すんのはひとりしかいない。邪魔だから早く帰れって。本っっ当にズボラなんだから!」
うっと言葉を呑んだ龍捲風は、これに関しては反論する余地がないのか、ひくりと唇を引くつかせた。
「
…………
提子」
喉の奥から絞り出すように呼ばれて、龍捲風へと駆け寄る。背中から裏切るのかとでも言いたそうな視線が飛んできたが、この場合はボス優先だ。いや、いつでもボス優先のはずなのだが、今日は特に優先だ。
苦虫を噛み潰した顔で溜め息をついた龍捲風は、疲れたように席を立った。
「提子、信一を見てやっていてくれ。帳簿の締めに追われて、昨日もろくに寝てないんだ」
「わかりました」
「頼んだぞ」
信一までは届かない小声でそれだけを言うと、龍捲風は振り返ることもなく冰室を出て行った。残された信一を見やって、阿七とふたり顔を見合わせて笑う。
帰れと急かしたわりに、信一はまるで置いて行かれた子供のように唇を引き結んでいる。
「信一」
阿七がアイスティーのお代わりを注ぎながら、仕方のない奴だと頭をくしゃくしゃに撫でた。提子は見なかったことにしてそっぽを向く。
「お前も今夜は早く帰ってココア飲んで寝ろ」
「
……
だって」
「俺にはココアは作れんよ」
「
…………
大佬、熱あんだよ」
「そうなのか?」
「そ。なのに無理しようとするからさ」
休んでほしいのに、見つからない領収書探して夜中に掃除はじめちゃって。
その上、俺の夜食とか。どうでもいいだろ。
俺には無理するなって言うくせにさぁ。
留まることを知らない愚痴は、きっとまだ入り口を出てすぐのところにいる人影にも届いている。信一は気づいていない。
まったくこの人たちは。
溜め息をついて、提子は頭を掻いた。
似た者親子なのだ。相手が心配で愛しくてしかたがない。
ちょっと羨ましくて、そしてだいぶ面倒くさい。
「提子」
「はい」
「大佬のこと、ちょっと気にかけてやって」
「わかりました」
お道化て敬礼した提子は、こう見えてできる男なので、その言葉の裏に隠された龍捲風への薬湯の差し入れの中に、こっそりとココアの粉を追加したのだった。
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