yeahfunfun
2026-01-24 08:23:29
1668文字
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6/28『Sketch』サンプル


彼の顔をスケッチするのが好きだった。スケッチブックなんて大層なものは持っていないから、いつもその辺にあるチラシやノートの切れ端に描いていた。動いている物をスケッチするほど腕が立つわけでもないし、モデルになってくれと言うほどのことではない。というか、自分は彼がかしこまっていない時の方が好きだった。
好ましい、愛しいと思うのはいつも彼の気が抜けている時で、描きたいと思うのもそういう彼だった。そもそも、自分は絵を描きたいから彼を被写体に選んだのではなく、彼の姿を残したかったから絵を描く事にしたのだ。
だから、と言ったらいいか、全てに綺麗な因果が繋がっているわけではないのだけれど、いつも自分は彼の寝顔を描いていた。大まかな輪郭からとって、黒い、まるい、可愛らしい巻き毛を軽やかに。彼がひとたび動くと途中で止める。パースが崩れてしまうし、描き途中だったとしてもこの時の彼の愛らしさを自分が覚えていればそれで良かった。
描いていることを彼にバレたくなかったけれど、あまりに可愛らしいものが出来上がるから、それを破るも捨てるも出来なくて決まって一つのクリアファイルにまとめて挟んでいた。彼のいろんな角度、いろんな表情の寝顔、たまに寝相。
俺の、いっとう愛しいきみ。寝顔はいつもの表情よりあどけなくて、そういう所を見られる事を君は嫌がるけれど。俺は、好きだった。

そのクリアファイルを、置いてきた事に今、気づいた。彼と一緒に住んでいた部屋。自室と広めのキッチン、リビングにはソファ、南向き。忘れ物はないと、痕跡は全て消せたと思っていたのに。捨ててくれ、とも取りに行く、とも連絡する事はもうできない。彼の連絡先は既に全て消してしまった。
出て行ったのは、迷惑だと思ったからだ。彼と、彼の恋人に。
“それ”を知ったのは、秋の終わり頃。寝食を共にしていたのに全く気づかなかった自分をひらひらと舞う落ち葉が笑っていた。
彼の会社に弁当を届けた。好物しか入っていない弁当。待つほどの暇がない日は珍しい。特に重要な会議があったらしく、届けると言ったらホッとした顔をしていた。あまり食事に対して興味のない彼が弁当に入れて欲しいおかずを教えてくれるのは嬉しかった。その日の弁当も、自信作だった。
風神と雷神のように並んでいる受付嬢のうちの片方は、そう思わなかったみたいだけれど。
「ご友人ですか?お弁当なんてまるでねぇ」
ちら、と隣の相方に目配せしながら吊り目の彼女が言う。
一緒に住んでるんです。」
勘違い、というか少し嫌な視線を投げかけられる事は珍しくない。自分はもう慣れたけれど、彼が傷つくのは嫌だ。
「あら!じゃあ大変ねぇ」
自分はこの大袈裟に動く彼女と初対面なのだろうか。弁当を届ける事はたまにあるから、彼と自分の関係を知らない人はあまり居ないはずだ。
「いえ、俺は基本在宅で仕事をしてるのでそんなに」
「違うわよ!」
少し大きな声で遮られてぎょっとする。受付の相方は困り眉でこちらを見ている。赤い口紅を塗った彼女の口は止まらない。

「彼、社長の娘さんと婚約してるんでしょう?」

「え」
「ちょっと、それただのうわ「あら知らなかった?それはごめんなさいねぇ」
血の気が引く、とはこういう時の言葉なのだと実感した。視界がぐにゃりと曲がって、ニヤケ面の受付嬢の顔も崩れた。
彼女はまだ何か得意げに話していたけれど耳には入ってこなくて、ろくに挨拶もせずに自動ドアを潜った。相方の方に呼び止められた気がしたけれど、止まる余裕も意思もなかった。ただ、混乱していた。
彼とは、付き合っているわけではない。自分も彼も相手が性的対象ではないこと確認してから同棲を始めた。性愛や恋愛が尊い事だという事は二人とも理解していたけれど彼に抱かれるとか彼とキスをするとかいう想像が自分には出来なくて、彼はそれを受け入れてくれた。愛の深さがセックスに依存するわけじゃない。『運命』という言葉が似合うと勝手に思っていた。
そう思っていたのは自分だけだったのだ。