景生
2732文字
Public CP無し
 

電灯

※花+足+堂 ※近未来刑事物パロ


 歪んだ巨大な唇に出入り口を阻まれる。欠けた歯の隙間から何かが覗いていた。暗くて見えないので目を凝らすと、後ろから風が吹いてきて背中に何かが刺さった。
 振り向くと草原が広がっていた。
 青々しい草木の絨毯に半裸の男が駆けている。後ろに聳え立つ荘厳の山々が花村を見下ろして、何かを語るように雲と共に唸った。空が曇る。雨になる。雷が鳴る。
 叫び声を耳に当てられる。
 椅子に手足を拘束されて、固定された頭で横目を向ければ麒麟が首を捻ってこちらを下から覗き込んでいた。長い睫毛が何度も瞬きをすると、林檎の香りが鼻を掠めた。急に腹が空いてくる。何か無いかと訊ねれば鼠がやって来て、ちゅうちゅう鳴いた。麒麟も鳴いた。
 いつの間にか本を読んでいた。文字の上を小さな兵隊が列になって行進している。何かを歌っていた。よく聴けば自分の名前を連呼している。ところでこれは何の本だろう。気になって表紙を見ようと本を閉じれば、ぶつりと音がして声が止み、頁の隙間から赤い液体が流れた。
 視界が点滅する。四角い線が幾重にも離れたり近付いたりして目の前で踊っている。眺めていると急に空から蠅叩きが降って来て花村の真横を落ちた。踊る相手は居ないのかと、どこからともなく声がする。居ませんと白状すれば陶器の人形が現れて花村を突き飛ばしてきた。転けたが痛みは無かった。しゃぼん玉の中に入ったからだ。
 ゆらりゆらりと揺れていると、球体の中で花が咲いた。次々と咲き誇るそれは花村をぎゅうぎゅうに押し込めて、圧迫して、もがいて叫ぶ花村の口に侵入する。蔓の這いずった胃がくすぐったくて笑っていると、急に世界が暗転した。
 目が覚める。頭が動く。煙草の匂いがする。
 目の前には見慣れない男が居た。
 ここは何処だろう。
「お。やっと起きたね。大丈夫? ──あ、ねえ、堂島さん、堂島さん。目ぇ覚めましたよ、この子」
 誰かを呼ぶ声を聞きながら、花村は景色を眺めた。周囲にはドローン型の投影機が飛び交って、その中の一台は花村にレンズを向けて無機質な眼差しを送ってくる。撮影されているのだと分かり、花村は訝しげに目を細めた。
 錆びた鉄板の壁に囲まれた部屋に、黄ばんだ配線に埋め尽くされた天井。糸のように垂れたコードがあらゆる場所を経由して、薄暗い部屋を右往左往に通信している。その中でも一際太い配線が、花村の座る椅子の背後で細かなモザイクに点滅していた。砂埃の敷かれたタイル張りの地面。そこから少し浮いて設置された、一人用の機械染みたその椅子は、部屋中に置かれた古いコンテナボックスに囲まれている。中には音盤らしきものが入っているようだった。
 見憶えのあるような無いような、曖昧な感覚が花村の瞼を動かす。取り戻そうとする記憶が掴めない。水中で蹲っているような、不明瞭でぼやけた感覚だった。
 深々と腰の落ちる椅子から徐に身体を前に起こす。沈み込んで停止していた筋肉に信号が渡ると、跳ね返るような閃光が眼球の真裏を通った。頭を押さえ、反射する眩しさに目を閉じる。身体中を巡る血液が逆流するような、虫唾の走る感覚に口元を隠していれば、目の前の男が肩に触れてきた。細く並んだ指は器用そうに花村を支える。
「無理しちゃ駄目だよ。すぐに担架が来るから」
 そう言って鼻を掠める嗅ぎ慣れない匂いに、花村は込み上げるものを抑えられなかった。これは何の匂いだろう。知っているようでぴんとこない。探し当てようと彷徨う思考は男の叫び声によって掻き消された。
「僕のスーツ!」
 指の隙間から漏れ出た液体は堰き止められずに男の覗き込んだ身体に落ちていく。異物の見当たらない透明な水が喉を抜け切ると腹の圧迫感が消えた。背中の重みが楽になり、目を開けるとびしょ濡れになった男が恨めしそうにこちらを見ている。床に出来た水溜まりを見て、先程まで腹に詰まっていたものが何だったのか考えさせられた。よく見れば何か小さなものが薄い膜の中で蠢いている。確かめるのが怖くて目を背ければ、赤い灯が一瞬、部屋を走って鈴が鳴った。
 外の空気が入り込み、開いた扉から男が入ってくる。後ろ手に開けられたままの扉の隙間から発光される点滅が警光灯であることに気が付いて、彼等が何者であるか察せたような気がした。回転灯がちらつく度に花村は眩しさに目を細めるが、男が扉を閉めたので景色が落ち着いた。
 外の喧騒が隔たれると入ってきた男の声がよく耳に届く。厚い胸板に覆われた振動が、真っ直ぐに伸びた背筋を通って室内に毅然と響き渡ると、目の前に居た若い男が濡れたスラックスを気にしながら立ち上がって振り向いた。
「堂島さん、担架はどうしたんです」
 堂島と呼ばれた偉丈夫は首を横に振る。
「事情が変わった。その子は保護する」
「元々その予定でしょう」
「馬鹿野郎。〝俺等〟で保護するんだよ」
 足立、と若い男の名前を呼んで堂島は睨み付ける。男は浴びた視線から逃れるように顎を引いて彼を見た。
「ええ、何でまた急に。上の指示ですか、それ」
「後で説明するから黙っとけ」
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ」
 揉め事の気配を感じながら、花村は未だ夢遊する意識の中で彼等の声を耳に取り入れていた。受動的に頭を働かせることは出来たが、思考を巡らすような、手足を動かすような、口を開くような、自発的な機能は依然として沈黙している。伸びて来る腕を拒むことは無論、出来ない。
 堂島の腕が脇の下を通ると、ぐったりともたれ掛かっていた椅子から持ち上げられた。触れる瞬間に声を掛けられたが返事は出来ないので、出来得る限りで反応を示してみた。それを彼は視線で理解したようで「すまないな」と謝ってくる。人に抱え上げられたのは初めてだ。がっしりとした逞しい腕は安定感があったが、この頼り甲斐のありそうな男から何処となく不器用なものを感じるのは、背後から追って来る若い男への無遠慮な怒鳴り声のせいだった。
「足立! ぼけっとするな、さっさと付いて来い」
「いやだって、堂島さん──ああ、まったく」
 視界が揺れる。急激な疲れに瞼が重くなってくる。花村は迫り来る眠気に耐えながら、彼等の行動を視界に収めた。部屋の奥の古いエレベーターに運ばれる。一台のドローンがすかさずやって来たが、足立と呼ばれた若い男がそれを阻むように花村達の前を陣取ると、徐に懐から何かを取り出して、それをひょいと投げてやった。瞬間、部屋中を交差していた複数のドローン達が一斉に動きを停止して、重いレンズを地面に向けて次々と落ちていく。エレベーターの扉が閉まるのと同時に、花村の瞼も閉じていく——