その夜はピエロもフラもいなかったんで、俺はバルジェロと二人、酒場でメシを食っていた。
「よう、バルジェロにティツィアーノ」
そこに、タヴィアーニ傘下の何某が部下と女を複数引き連れてやってきて、俺たちに酒を勧めてきた。タヴィアーニの下についたときにファミリーの派閥と主要な構成員は全員調べたが、そいつの名前は覚えていなかった。つまりは、覚えておく価値もない木っ端野郎だということだ。
「仲間同士、仲良くやろうや」
「
……いただこう」
バルジェロは、木っ端野郎から受け取ったグラスを呷った。
ここ最近の忙しさで、バルジェロはかなり疲れているように見えた。だから油断したんだろう。そもそも、こいつはあまり策謀が得意ではない。頭が悪いわけではないが、教育を受けていないからか、搦め手には弱いところがある。俺の知識も中途半端だし、もっと頭の切れる仲間が欲しいところだが、そんな奴の当てはなかった。
俺は木っ端野郎の酒を飲むフリをしながら、ヘラヘラ相づちを打ってその場をやり過ごした。
パスタを食い終わったところで、俯いているバルジェロに声をかけた。
「腹も膨れたし、もう帰ろうぜ」
「
……ああ」
バルジェロは顔を上げてじっと俺を見つめた。熱を帯びて潤んだ瞳、上気した頬
――そんな表情で息荒く見つめられたら、どんな女だってイチコロだろう。
これは、思っていたより強い薬を盛られたか。
「なんだ、ティツィアーノ。俺の酒が飲めねえのか?」
木っ端野郎が下品な笑みを浮かべている。
「悪いな。昨日飲み過ぎて二日酔いだったから、今日はセーブしててよ」
俺が適当な理由をでっち上げている間に、木っ端野郎が連れてきた女がしなを作ってバルジェロに体を寄せた。
「ねえバルジェロ、もう帰るの?」
女はバルジェロの腕に抱きついて、胸をぐいぐい押しつけている。バルジェロは女をあしらいもせず黙ったままだ。
「美しいお姉様、その辺にしておいてやってくれ。バルジェロ、なんか体調悪そうだからよ」
「あたしには、そうは見えないけど」
女がバルジェロの頬に指を這わせる。
ただのチンピラだった頃は、大抵のことが暴力で解決できた。だが、タヴィアーニ傘下に入ってからはそうもいかなくなった。マフィアってのは秘密主義で狡猾な奴ばかりで、元締めのドン・タヴィアーニこそ一本気な男だが、その部下には性根のひん曲がった奴も多い。タヴィアーニに気に入られて頭角を現しつつあるバルジェロの力を削ごうと目を光らせてる奴さえいる
――今日ちょっかいをかけてきている木っ端野郎のように。お仲間だってのにバカな奴らだ。
だがバルジェロは、仲間なら信頼すべきだと考えて疑わない。だからこんな見え透いた罠にかかってしまう。
「冷たいじゃねえか、バルジェロ。女の誘いを無下にするなんざ、ヴァローレの男のすることじゃねえぜ」
バルジェロの目に怒りの色が揺らめいた。
さすがにこいつも罠だと気づいたか。ここはなじみの酒場だし、店主がグルってことはないだろう。さっきから困った顔をしているし、あれはシロだ。
となると、なるべく店に迷惑をかけずにこの局面を打開したいところだが。
「
……悪いが、あんたの誘いには乗れない」
バルジェロは吐息混じりにそう言うと、女の腕を払って俺に近づいてきた。そして、俺のマフラーを強引に引き寄せると
――
「んっ!?」
唇が塞がれた。唇で。
突然のことに呼吸を忘れそうになりつつも、俺は混乱で回らない頭を無理やりフル回転させる。
こいつ、俺とデキてることにして女から逃げるつもりか。
笑えないジョークだが、薬を盛ってくるような相手には手段を選んでられねえか。乗ってやるしかねえ。
俺もバルジェロに合わせて、突然のキスに驚くもだんだん酔ってきて夢中になる
――というように振る舞う。目を閉じ、角度を変えて何度も口づけ合った。俺がバルジェロの腰にそっと手を回すと、バルジェロも俺の顎に手を添えてキスを深くし、舌を挿し入れ絡めてきた。
「んっ
……ふ、う、んんっ、んぅ」
唇の端から声が漏れてしまう。不可抗力ではあるが、それはそれで都合がいい。あえて周囲に喘ぎ声を聞かせてやったほうがいいだろう。
「んん
……おい、バル、ジェロ
……ぉ、んっ」
自分でも驚くほど艶っぽい声が出た。口内を蹂躙されるほどに思考が濁っていき、羞恥心が塗りつぶされていくのがわかった。
「
……ふぅ」
ようやくバルジェロが離れ、ひと息つく。俺たちの唇はまだ唾液の糸で繋がっている。これだけ見せつければ、男も女も退くだろう。
ヒューッと、下品な口笛が耳を打つ。
「これは驚いたぜ。まさかお前らがそういう関係だったとはな」
木っ端野郎は下卑た笑いを浮かべ、バルジェロにベタベタしていた女は熟れたリンゴみたいな顔になっていた。生娘じゃあるまいし、照れるほどのことでもないだろうに。まあ、おかげで首尾よくとんずらできそうだが。
「帰るぞ、ティツィアーノ」
熱く潤んだ黒い瞳が、俺だけを見つめている。俺もうっとりと惚けた表情を作ってみせた。
金を払って酒場を出る。晴れた夜空に月はない。静寂に包まれた帰り道に、俺たちの足音だけが響く。
「クソッ
……どういうつもりなんだ。タヴィアーニ傘下の仲間が、なぜ俺を陥れるような真似を」
「上に行くお前が気に入らないんだろ。だから女をあてがって言うこと聞かせようって算段さ」
「
……くだらない」
「まったくだ。ジョークキツいぜ」
荒い息を隠せなくなっているバルジェロに肩を貸す。お灸にしてはちょっと熱すぎたか。これに懲りて、少しは警戒心を持てばいい。所属しているファミリーが同じでも“仲間”とは限らないのだから。
「
……ティツィアーノ、どこへ向かってる?」
「あん? そりゃあ、俺らでも買える花を売ってる店だろ」
「帰ると言っただろう」
「無茶言うなよ。それ、発散しねえとキツいだろ」
キスの最中、張り詰めたバルジェロの息子が俺の太腿に当たっていた。どうやら木っ端野郎が盛ったのは相当強い薬だったらしい。
顔がよくてケンカも強いバルジェロは当然モテるが、どんな女にもなびかない。木っ端野郎もバルジェロの素行を知っていたのだろう。だから強力な媚薬を盛るという手段に出た。バカな奴だ。こいつの自制心は薬程度でどうにかできるものじゃないのに。
ほとんどアジト
――バルジェロの家で寝起きしている俺も、こいつが家に女を連れ込んでるのを見たことがない。俺がいるから遠慮してるという感じでもなかった。あまりにも身持ちが堅いので、もしや息子が役立たずになっちまってるんじゃないかって心配になるくらいだった。あるいは、ヴァローレを離れていた十代の頃、よその町で綺麗なお姉様たちの洗礼を受けたのが心の傷になってるんじゃねえか、とも。どうやらそれらは杞憂だったらしい。
仄暗い安堵が俺の胸をくすぐった。日頃無欲ぶっているバルジェロにも、人並みの性欲があるのだ。
「お前、気づいてただろう」
「あ?」
バルジェロは横目で俺を睨む。目元を赤く染めてもなお、その視線には凄味がある。
「勧められたワインに口をつけていなかった」
興奮で背筋が粟立つのがわかった。
バルジェロが俺を見ている。まるで、これから殺ろうって相手を見るときの目で。何度も何度も想像した
――バルジェロがその目で俺を見る場面を。
だが、今の俺は“ティツィアーノ”だ。
「
……で? アジトに帰ってどうすんだよ」
声がうわずりそうになるのをこらえて、ヘラヘラと尋ねる。
「
……ティツィアーノ」
なんだ、と応じる前に唇を塞がれた。そのまま路地裏に引っ張り込まれて、壁に体を押しつけられた。
「んっ、んぅっ、んーっ!」
やめろ、と言いたくても、熱烈なキスに声が飲み込まれてしまう。無遠慮に侵入してくるバルジェロの舌は俺の唇の裏側をなぞり、歯列をこじ開けると口蓋を舐め上げた。息が奪われ、全身が火照る。逃げても舌を絡められ、静かな夜に淫らな水音だけが響く。
「
……ん
……んんっ」
気がつくと俺も舌を伸ばしていて、俺たちは互いの口の中を思うさままさぐり合った。この瞬間が終わるのが惜しいとさえ感じられた。
「
……っふ」
バルジェロは口を離すと短く息を吐いた。その吐息が俺の唇を撫でる。
俺の体は壁に押さえつけられたままで、弾む肩もがっちり掴まれっぱなしだ。
「帰るぞ」
ギラギラした捕食者の瞳が、俺をまっすぐ見つめている。
「
……へいへい」
軽く応じてみせると、バルジェロは俺が逃げるなんて思ってもいないのか、あっさりと手を離してスタスタと歩き出した。
心臓がひどくうるさい。
アジトに帰ったら、俺たちはどうなるのだろう。何をするかじゃない、それがわからないほど俺は初心じゃない。その後だ。一線を越えても、俺たちは今の俺たちのままでいられるのだろうか。
だが、どうなろうと構わない。バルジェロが欲望をむき出しにするところが見られるのなら。そのためならなんだって差し出す
――俺自身でさえも。
宵闇の中、俺は静かにその背中を追った。
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