くさかべ
2026-01-23 00:28:24
6495文字
Public
 

(2026/2/8サンプル)歳月に名前を探して

2026/2/8開催のVALENTINE ROSE FES 2026 day2発行予定の新刊サンプルです。
スペース:南1え52a/裏地は銀色

「歳月に名前を探して」
30000字前後/たぶんB6/値段未定/全年齢
失踪したヌヴィレットの行方を追うリオセスリ……という話ですが事件性はあまりないです。
大量の設定捏造独自解釈と無理を通せば道理が引っ込むという思い込みでできています。
まだ修正中なのでサンプル公開分も多少の変更が入る可能性があります。

当日は(無事に脱稿できれば)こちらとあと2025年夏のウェブイベで公開した「永遠まで歩いていく」の再録を持参予定です。
いずれもとらのあな様に通販委託予定です。オフイベ初参加ですがよろしくお願いします。

 ヌヴィレットがパレ・メルモニアから失踪した。
 はじめに異常事態に気が付いたのは彼のスケジュール管理を担当しているメリュジーヌのセドナだ。
 定刻になっても最高審判官が執務室に姿を見せないという状況に、まず彼女は焦りと不安を圧し殺して普段どおりの所作を心がけた。セドナがこの職務に就いてからヌヴィレットが始業時刻までに執務室の椅子に腰を下ろさなかったことはほとんどないが、何か問題が起きているとも限らない。たとえば早朝の散歩中にメリュジーヌが困っているところに遭遇したとか、事故現場に行きがかって執律庭が駆けつけるまでの間の指揮を執っているとか。飛躍した想像と願望の入り交じった推測だが、ヌヴィレットがいないとむやみやたらに騒ぐよりは建設的で理性的だ。
 それに誰にとっても運の良いことに、ヌヴィレットの本日の予定には朝一番に公爵リオセスリとの打ち合わせが入っていた。
 セドナから見て――これは他のメリュジーヌたちも同じ意見だろうが、ヌヴィレットは彼との時間をとても大切にしている。約束の時刻までにはなんとしてでも駆けつけるだろうし、遅れるようなら必ず連絡を入れるだろう。もしも、もしもの万が一があったとしても、こういったトラブルの相談相手としてこれ以上ない適任であるリオセスリがやってくる。
 そう考えたセドナはいつものように執務室の扉を閉め、いつものように持ち場に立ち、執務室をノックしそうな職員が近付いてきたらリオセスリとの予定を盾にしてそれとなく遠ざけ、落ち着いていずれかの到来を待っていた。
 セドナが期待していたもののうちいちばん最初に、そして唯一やってきたのはリオセスリだった。
 ヌヴィレットのものより少し重く、ゆったりとした足音を聞きつけた瞬間ほっと肩の力が抜ける。彼女としては平静を保っていたつもりだが、やはり緊張してしまっていたらしい。
「やあ。おはよう、セドナさん」
「おはようございます、公爵様!」
 セドナはいつもどおりの挨拶を心がけたつもりだが、リオセスリはわずかに眉を上げた。正面で彼と相対している者しか気が付かない、ほんの小さなサインだった。
 そして穏やかな微笑みを崩さず、「時間にはちょっと早いが、執務室の中で待たせてもらってもいいかい?」とセドナが誰も近寄らせなかった扉を指差す。
 もちろん、と頷いた彼女はリオセスリを扉の内側に招いた。座すべき主のいない執務室に。
 リオセスリは驚いたようすも見せず、セドナが静かに扉を閉めるのを待っていた。かちゃり、と錠の落ちる音が静かな室内に響く。ここまでやりきった、これでもう大丈夫、という安堵にその場に座り込みそうになるのをセドナはドアノブを掴んで耐えた。
――ヌヴィレットさんから連絡は?」
「今のところありません。昨晩の終業時はいつもと変わらないご様子でした」
 端的にまとまった回答にふむ、とリオセスリは顎をさすった。
「部屋はもう検めたかい?」
「いえ、まだ何も。何かあっても、公爵様がいらっしゃるまでにはおいでになるかと思っていたので……
 怜悧なアイスブルーの視線が室内を走り、ふと執務机の上に留まる。基本的にヌヴィレットの執務室は整理整頓が行き届いているが、彼は時たま雑然とした机上をそのままに帰宅することがある。翌日もすぐ使うのにすべての資料をもとに戻すのは非効率だというのが本人の言だ。事実ではあるだろうが、そこに資料を戻すのを億劫がる気持ちがあることを周囲も察している。情報は丁重に取り扱うが、見た目の印象ほど彼は神経質でも潔癖でもない。
 果たして本日も机の上にはいくつかの書類が重ねられていた。一番上に載せられているのはリオセスリとの会合で用いる資料がファイリングされたバインダーだ。
 折り目正しく綴じられているはずのそこから、紙の切れ端がのぞいている。リオセスリは迷わずそれを引き抜いた。
 少し乱れた筆蹟に目を通し、彼はセドナにも伝わるように大仰に肩をすくめる。
「セドナさんは良いニュースと悪いニュースが両方あるとき、どっちから聞きたい?」
「ええと……良いニュースが好きです」
 戸惑いながらおずおずと答えるセドナに、リオセスリは「ははっ」と軽妙な笑い声を上げた。
「そりゃそうだ。朗報、少なくとも今ここにヌヴィレットさんがいないのは本人の意志であるらしい」
 セドナはぱちぱちと瞬いた。口元に手をやって首を傾げる。
「あまり良いニュースにも聞こえませんが……それじゃあ、悪いニュースとは?」
「行き先もいつ帰ってくるのかも書いてない」
 リオセスリは指に挟んだ紙の切れ端をぴらぴらと揺らした。セドナの大きな目が蝶のはばたきのようなそれを追い、走り書きを読み解く。
 ヌヴィレットだけが使う特別な配合のインクの色。見慣れた筆蹟。ほんのりまとわりついている水元素の残り香。メリュジーヌの感覚から判断しても間違いなくヌヴィレットの直筆だ。
 急いで書いたのだろう、インクはところどころ掠れているし文字自体も乱れがちだったが、内容は十分に理解できる。
 まとめればそれはこんな伝言だった。
『個人的な事情で大変遺憾だがしばらくパレ・メルモニアから離れざるを得なくなった。自分の意思であり事件性はない。できる限り早く戻るつもりだが、帰還がいつになるかは分からない。迷惑をかけてすまないが委細よろしく頼む』
 指先で揺らしていた紙の端をふと口元に寄せたリオセスリは、どことなく非難げな、あるいは目の前に仕事を山積みにされた勤め人のように口の端を下げ、紙切れが挟まれていたバインダーを見下ろした。
「誰に何をよろしく頼んだつもりなんだろうな、これ」
 誰かと問われればその筆頭は間違いなくあなただと思いますが、とセドナは言おうか迷い、メリュジーヌ特有のかわいらしい手でぽふりと自分の口に封をした。


 リオセスリはアクアロードを走る船に揺られていた。公爵という立場は専用船を手配することも許されているが、特にその必要がなければリオセスリは移動に巡水船を使うことにしている。目をつむっていても脳裏に再現できるほどに見慣れた、昼下がりの陽光にきらめく水面と、青く煙る美しい山々の風景が過ぎていくのをぼんやりと見送る。山の頂に見え隠れする膨大な水を圧縮したキューブはどこか非現実的で、崩れ落ちた水路の退廃的な雰囲気も相まって、幻想的な光景だと観光客は一度は見惚れる。
 フォンテーヌ廷とポート・マルコットを結ぶナヴィア線のガイドであるエルファネの案内は、愛らしい声に落ち着いた口調が耳に心地よく、内容もバリエーションに富んでいて常連客も飽きさせない。しかし彼女は乗客の中にリオセスリを見つけるとほんのちょっぴり渋い顔をする。常連中の常連であるリオセスリにまだ聞かせたことのない話はなんだったか、必死に考えているらしい。
 別に同じ内容を聞かせてくれていいのに、とリオセスリは思っているし実際そう伝えてみたこともあるが、頷いたものの彼女はどこか不服げだった。アイベルほど仕事にまじめではないと本人は言うが、彼女もとても真摯に職務に取り組んでいる。
 なので彼女がこちらを気にしているときは、時たま以前聞いた話をリクエストをすることにしている。エピクレシス歌劇場についてだとか、科学院についてだとか。今日は初めてフォンテーヌにやってきた観光客が多く乗っているようなので、彼らに向けた解説をしてやってくれと言うと、それもそうよねとエルファネは頷いた。彼女の解説に聞き入る乗客たちの背を眺めていると、終点となる、円柱をくり抜いたような駅舎が見えてきた。
 ポート・マルコットに到着した船は少しの休憩のあと、折り返しの運行に向けて準備を始める。リオセスリはメリュジーヌのガイドに楽しげにはしゃぐ観光客を見送って最後に船から降りた。従業員用のベンチに腰かけて喉を潤しているエルファネに声をかける。
「お疲れさま、エルファネさん」
「お疲れさま。今日はもう要塞に帰るの?」
 朝からフォンテーヌ廷を訪ねるときは他の用事も片付けて、夕方に帰りの船に乗ることが多い。それを知っているエルファネは少し不思議そうに首を傾げた。リオセスリはそれに軽く肩をすくめる。
「あんまり早く戻ると看護師長からもっとちゃんと日に当たってきなさいって叱られちまうからな。もうちょっと散歩してから帰るよ」
 エルファネはそれが良いと思う、と頷いた。巡水船のガイドたちは急病人への対処のため、看護教習も受ける必要があると聞く。陽光を適度に浴びることについての人体への効能も知っているのだろう。
「巡水船の調子はどうだい? 音からして、そろそろエンジンオイルの交換時期が近いと思うが」
「特に問題はないわ、いつもどおり。オイルの件は整備の担当者に伝えておくわね」
「警備用のマシナリーも?」
「ええ、朝から変わりなく」
 こくりと素直に頷くエルファネに、リオセスリも目を細めて安心したように微笑んだ。
「ポート・マルコットに配備されてるマシナリーは一部かなり年季が入ってるからな。交換用の部品の数がもうない機種もある。おかしいと思ったら早めに修理に出すよう言ってやってくれ」
 リオセスリはメロピデ要塞の管理人であるが、それは同時にフォンテーヌ最大のマシナリー工場を預かる立場を指す。そして、現在港を警備するマシナリーの多くはメロピデ要塞謹製のものだ。自分の工場から出荷した製品が不具合を起こさないよう気にかける姿勢も当たり前、と誰しもがそう思うことだろう。
 それから二、三の話題を盛り上げたリオセスリは、エルファネの仕事の邪魔にならないようその場を退散した。
 ルキナの泉まで続く整備された広い歩道を歩いていく。
「巡水船もマシナリーも異常なし。……エネルギー供給に綻びはない、か」
 考えごとをするなら散歩をしながらがちょうど良い。リオセスリはパレ・メルモニアで見たそっけない走り書きのことを思い出していた。
 セドナとともに手紙を見つけたあと、すぐさま執務室はヌヴィレット行方不明事件の対策会議の会場になった。
 彼がなぜ、どこに姿を消して、そしていつ戻るのか定かでない以上、パレ・メルモニアに彼の不在を伏せておくのは無理がある。とはいえ全職員に通達しては混乱を招くことは明白で、リオセスリはセドナの意見をもとに状況を把握するべき上級の職員を選別し、詳細な運営は彼らに任せた。
 メロピデ要塞のことはそこに住まう者たちが主導権を握るべきであるのと同様に、パレ・メルモニアのことはそこで働く者たちが対処すべきだ。リオセスリがしたことといえば、上司の不在に対する彼らの不安感を薄めるべくいくつかの助言にも満たないコメントを差し入れ、会議の雰囲気をちょっとばかり調整した程度にすぎない。針路が明確になれば水はなめらかに流れていく。ヌヴィレット不在のフォンテーヌ廷を守るという目標に熱の入る職員たちの話し合いを尻目に、彼の捜索に動き始めるマレショーセ・ファントムの担当者と連絡先を確認したリオセスリはパレ・メルモニアを早々に辞した。
 今朝執務室を訪ねるまでにも、ポート・マルコットに戻るまでの間も、街は滞りなく動いていた。巡水船やマシナリー、国中の機械を稼働させるためにヌヴィレットが管理しているプネウムシアエネルギーの供給に問題はないようだ。
 つまり、彼はプネウムシアの制御に影響を及ぼすような状況にまでは陥っていない。それがまったくの無傷なのか、ある程度怪我なりなんなりの不調に襲われているかまでは定かではないが、おそらく無事と呼べる状態ではあるのだろう。
 噴水やひとびとのようすに異常がないことを確認しながら歩いていると、フォンテーヌの象徴のひとつであるルキナの泉が見えてくる。そのまま豪奢な噴水を通り過ぎ、背後にそびえるエピクレシス歌劇場の裏手に向かう、というのがリオセスリの普段の帰路だ。しかし今日の足取りは北を向き、ウラニア湖方面へと続く物寂しいあぜ道を進んでいく。
 誰にも伝えていない目的地は異様な巨大さを誇る、青く幽玄としたしだれ柳だ。



 ウィーピングピローのふもとを、一度ヌヴィレットとふたりで歩いたことがある。律償混合エネルギーが失われてからというものフォンテーヌでは代替としてプネウムシアエネルギーが用いられているが、それをヌヴィレットが管理していると聞いたのもそのときのことだった。
 ロマリタイムフラワーがほしいというシグウィンたちの付き添いで水の上に上がり、なぜか彼とふたりで釣りをして時間をつぶした。釣り糸を垂らしたのはウラニア湖にほど近い浅瀬で、あたりをうろつくヴィシャップたちがふしぎそうに首を傾げていたのがどうにも記憶に残っている。
 そもそも澄んだ浅瀬には魚一匹泳いでもいなかったのでいくら針を揺らめかせても何も釣れるわけがないのだが、まあ、ヌヴィレットとふたり横に並んでとりとめのない話をするのは妙に心地が良かった。
 もとよりちょっとした雑談を交わす程度には親しみのある間柄ではあった。けれど今までそこにはいくばくかの礼儀正しいよそよそしさがあったように思う。それも仕方のないことだ。リオセスリもヌヴィレットもいつも業務上の複数の課題を抱えていたし、何より水の上下共通の大問題として、フォンテーヌに伝わる予言――そして彼らしか知らない、要塞の地下深くに封じられている正体不明の何かへの対処が求められていた。
 今となっては秘密は暴かれ海に還り、おそれるべきものはなくなったが、発見当初は猛獣が潜んでいるかもしれない暗闇の中を手探りで進んでいるような緊張感があった。それから解放された今から当時を振り返ると、関係者それぞれよくぞ走りきったものだと呆れのような感心を覚える。もう一度やれと言われてもごめんだ。
 問題がなくなったわけではないが、少なくともリオセスリは首元に突きつけられていた刃を無事折って以前より身軽になった。ヌヴィレットの心境にもなにかしらの変化が訪れたようで、形容は難しいが得るものがあったのだろう、というのはリオセスリにも伝わってきた。
 そうしてやわらかさと深みの増した表情と声で、一度引いた線を丁寧に取り払ってこちらに近付いてこようとするものだからリオセスリもつい心をくすぐられ、彼に向けて足を踏み出してしまった。あけすけな打ち明け話でなくても、場のコントロールを考えなくていい他愛もない話をするだけでずいぶんと距離は縮まるものだ。そして話していてたのしいだけでなく、くつろいでいられる沈黙をともに過ごせる相手というのはめったにいない。
 まさか自分にとってヌヴィレットがそういった相手になるとは思っていなかった――だってそうだろう、なにせ彼はあの公平無私と名高い最高審判官様だ!――リオセスリは、この終わらない釣りを果たしていつ切り上げるべきかとちょっと真剣に悩んだ。少なくともヌヴィレットはそろそろ仕事に返した方が良いと頭では分かっているのだが、物わかりのわるい少年の自分が、そろそろ引き上げないかという提案を腹の中に閉じ込めてしまって喉まで声が上ってこない。
 結局、かごにどっさりとロマリタイムフラワーを詰め込んだシグウィンから声がかかるまで、不毛でゆたかな釣りの時間は続いた。
 満足げな小さな背中の後を追い、岸辺に係留した船に戻る道をたどる。
 数歩あとを無言で歩くヌヴィレットの足取りがいつになく重いようなので、振り返って顔をのぞきこんだ。
「なにか気にかかることでもあるかい?」
……君にまだ時間の余裕があるようであれば、少々付き合ってほしい場所がある」
 彼にしてはめずらしく、おずおずとこちらを伺うようにして差し出された提案に、なにをそんなに遠慮することがあるのだろうとリオセスリは小さく笑って是を返した。

(後略)