紫よか
2026-01-21 20:14:47
2633文字
Public その他
 

恋する月色フロイライン

はこさん宅のエリカちゃんと花のうちよそ。鯰尾くんは出てきませんがずおえりちゃん要素あります

「大変だわ、どうしましょう……
「誰かに蹴飛ばされてないと良いけど。……来た道、戻ってみよ?」
「ええ……

 人混みの中、私は困った顔をしていた。加州さんも困った顔をしていた。
 ほんの少しばかり目に難のある私は、たまにとても意地悪な人に出会う。利き手に杖を持って、そうでない方の手で加州さんの手を握って、地面に敷かれたブロックの上を気をつけて歩いていても、そういう人に出会う。先ほど出会ったばかりだ。
 私の前に急にぐいと方向を変えて、どんと肩を当てて、舌打ちをしてきた人に、よろめいた私は何も言い返す暇も無かった。加州さんが手を引いてくれなかったら、そのまま転んでいたかもしれない。
 なんとか立つことはできた。できたのだけれど、髪飾りを落としてしまったことに今気づいたのだ。きっと先ほどの意地悪さんとぶつかった時に落としてしまったのだろう。お気に入りの花の形の髪飾り。やっぱり付けるのは本丸の中でだけにとどめておいた方が良かったかもしれない。私は悲しくて悲しくて、ふうとため息を吐いた。

……主、ごめん。そんな顔しないで」
「やだ、加州さんのせいじゃないわ。大丈夫、見つかるわよ」

 本当に、加州さんのせいではない。私は目を細めて、私よりいくらか背の高い加州さんの赤い瞳を見つめた。上手い言葉が見つからなくて、彼の手をぎゅっと握ることしかできなかった。

 その時だった。

……ああ、見つけた! あの、これ、あなたのですよね?」

 鈴を転がすような声が後ろから聞こえた。私たちが思わず振り向く(加州さんは少し警戒していた)と、ふわふわと黒色のスカートをはためかせこちらに駆け寄る小柄な女の子と、その横に付き添う同じく黒い装束……とても強そうな、へし切長谷部さんがいた。
 その女の子の姿に、私は思わず目を見開いた。薄くぼんやりとした私の視界からでもわかる、満月のように輝く金の髪。近づいてきて私を見上げるのは、私の好きなトーンの灰色がかった淡い青色の瞳。肌の色も透き通るようで、異国の人だろうか。……まあ! なんて可愛らしい!
 そんなその子の手には、私の髪飾りが握られていた。

「あ、ええ! 私のです!」
「本当? よかった……さっきぶつかられていたのを見て、本当はその時に声をかけられたらよかったのだけれど……この人混みだったから。遅くなってごめんなさい、でもあなたが見つかってよかった」
「大切なものだったの。本当にありがとうございます。…………
「いいえ、どういたしまして。……? どうかしました?」

 目が上手く見えなくても、視線というものはなんとなく感じる。すらすらと私の国の言葉を話してくれる彼女をちらちらと見る人々の視線は、どこか冷たい。きっと、彼女がこの国の生まれではないからだろう。……私の推測、だけれど。彼女のどこか他とは違う顔立ちを見ているとそんな気がする。

 でも、でも……、でも、やっぱり! ああ、言いたい!

「あなた、お人形さんみたい! 髪も目も肌も服も、とっても可愛らしいわ!」
……えっ!」

 その子は、目をまん丸に見開いて私を見た。加州さんは「こら、口説かない」と私をたしなめ、長谷部さんは私から目をそらした。

──それが、私とエリカさんとの出会い。

 ある日のこと、私はエリカさんにアフタヌーンティーにお呼ばれされていた。エリカさんの本丸は、空気が澄んでいて、どこか上品な甘い香りがする。そんな気がする。日本家屋であるところは私の本丸と同じなのに、珠のような果実の実った果樹園や、ガラスでできた温室とか、色々と違っていて、すてきな異世界のようだ。

 お庭で、ハーブティーをいただく。ふくよかでとってもいい香り。注いでくれたのは、エリカさんの近侍の長谷部さん。加州さんは、私たちより少し離れたところに立っている。ぴしっとしていて、相変わらず素敵だわ。……じゃなくて! エリカさんの長谷部さんは、怜悧な瞳がとても格好よくて、女の子ならみんな好きになってしまいそう。
 エリカさんは、遠い海の向こうの国の生まれで、審神者になるにあたり我が国の人になってくれたらしい。『お嬢さん』を『フロイライン』と呼ぶあの国。私は生まれたこの国から出たことがないし、戦争中のこの国は閉じられているから、簡単に旅行はできない。だから、異国という響きだけで憧れてしまう。生まれた国のことを話してくれたエリカさんの淡い色の瞳は、何だかほんの少し憂いを帯びていたから、深追いせずに憧れだけにとどめておいた。
 それよりも、もっと楽しい話をしたい。何を話そうかしら。そうだわ、あの話をしよう。

「エリカさんエリカさん。エリカさんって、好きなひとはいるの?」
「ええっ? き、急ね、花さん」
「うふふ、私こういう話大好きなの。どう? いる?」
「え、ええと……

 エリカさんはティーカップの縁をなぞって、小さく俯いてしまった。その色白の頬には薔薇色が差している。

……長谷部さん?」
「は、長谷部はちがうわ」
「ふうん、違うのね?」
「あっ、花さんったらいじわるな顔」
「うふふ。だあれ? だあれ?」

 長谷部さんではないらしい。なら誰だろう。私みたいに相手が刀剣男士だったらおそろいで嬉しいけれど、刀剣男士ではないかもしれない。それでも、この戦時下という厳しい状況で、恋をすることはとても尊いものだと私は思う。だから、恋の話は好き。

 あっ! 加州清光だったらどうしようかしら。わかる、しか言えなくなってしまいそう。

 エリカさんは月色の髪を指先でくるくると弄り、細い整った眉を下げて困ったように笑った。そして私にこう言った。

「ないしょ!」
「まあ! そんなあ」
「ふふっ、ないしょ。でも、わたしも、恋しているの。花さんと花さんの加州清光のように」
「あ、バレてる……
「うふふ。お二人、すてきだと思うわ」

 エリカさんが私の中で少しミステリアスな女の子になってしまった。けれどいたずらっぽく笑う桜色の唇も、淡い勿忘草色の瞳も、可愛らしいことには変わりはない。
 さて、この可愛らしいフロイラインの心を射止めたのは誰だろう? でも、恋する彼女はとても楽しそうに笑うから、きっと誰でも素敵だ。

 私は彼女の王子様に想いを馳せながら、シロップ漬けのさくらんぼの挟まれたケーキを口にした。