紫よか
2026-01-21 20:12:52
2446文字
Public その他
 

梅に鶯、あなたのおと

なものとさん宅の梅ちゃんと鶯丸の話

 風邪を引いた。

 温かくして、水分を取って、安静にしていればすぐ治ると医者はわたしたちに言った。なのでわたしは今、自室で布団にくるまって目を閉じている。おでこに乗せられた濡れタオルが落ちないように仰向けで。
 遠くで鶯のさえずりが聞こえる、もう春なのだ。聞こえるたびに、とん、とわたしのお腹の内側に小さな動き。蹴っている。とわたしはお腹をさすった。きっと、お腹の中のこの子たちは鶯の声を近くで聞きたいのだろう。ただでさえわたしに隔てられているのだから。でもわたしは今上手く体が動かなくて……。怠くて、熱があって、ああ、なんて情けないのだろう。閉じた目をさらにきゅっと瞑る。

「ごめんね……
「何がだ?」
「!」

 いつのまに部屋に入ってきたのだろうか、わたしがはっと目を開けると、柔らかな若葉色の髪の青年が正座してわたしを見下ろしていた。

「鶯丸……
「主、調子はどうだ? まだ顔が少し赤いが……
「うん、まだ熱くて、でも寒くて……変な感じ」
「そうか。水を飲もう、起き上がれるか?」
……うん」

 青年、刀剣男士、鶯丸は、わたしの目をしっかりと見て、ゆっくりと半身を起こすわたしの背中を支えてくれた。濡れタオルが落ちる。この刀に目を合わせてもらうことには、未だに慣れない。あのひとには、ついぞ見てもらえなかったから。……違うってわかっているのに、その綺麗な緑色はわたしには勿体無い気がして、見つめられるたびにドキドキなのかゾクゾクなのか、よくわからない気持ちになる。と、思っていたら、鶯丸はわたしの前髪をかき上げ、その手をわたしの額に当ててきた。ひんやりとした優しい手に、思わず肩が跳ねた。

「ひゃっ」
……さっきよりマシになったか。でもまだ熱いな……
「鶯丸の手が冷たいからそう感じるんだよ……
「ははは、ほら主、水だ。こぼさないように気をつけて」

 彼は前髪を整えてくれて、わたしに水の入った湯呑みを渡す。受け取って少しずつ口にする。ごく、と飲むたびにお腹の中でくるんとふたつ、動く感覚がした。喜んでくれてるのかな。水を飲むのも忘れていてごめんね、とわたしは泣きそうになってしまった。

……して、主」
……なに?」
「先ほどは何に謝っていたんだ?」
「う。言いたくない……
「そうか……

 しゅんと目を伏せる鶯丸。しまった、とわたしは思った。つい素直な気持ちを口に出してしまった。言いたくないのは本当、でも……彼には思いを伝えたい気持ちもあるのだ。素直な気持ちが二つもある。
 彼と共に生きるようになってから、いろいろな気持ちが湧いてくるようになった。悲しみと怒りしかなかったわたしに、あたたかな気持ちが生まれて……それが逆に、怖い。わたしは彼に恋をしている、彼を愛している。わたしにその資格はあるのだろうか。子を宿した今でも未だにわからない。あのひとたちと同じになっている気がして、怖いのだ。でも……でも、やっぱり、鶯丸のことが好き。

「ううん、やっぱり聞いて……
「ああ、聞こう」
……わたしね、自分が情けなくて、怖くて、上手くいかなくて……嫌なの」
「それは、どうしてそう思うんだ?」
「だって……! わたし、この子たちの母親になれるかわからない。いい母親ってものがわからない。あのひとは……今ならわかる、いい母親ではなかった、とと……父の良き恋人ではあったけど、わたしのいい母ではなかった。そんな母親しか知らないの。そんなわたしなんて、この子たちの……かか様にはなれないよ……どうしよう、鶯丸。わたし、体調まで管理できなくて……この子たちに春の鶯の声もちゃんと聞かせてあげられてない」
……

 堰を切ったように鶯丸に思いを吐き出してしまった。涙もポロポロと出てくる。本当に、情けない。
 すると、鶯丸はわたしの頭をふわりと撫で、その手をするりと下げ、わたしの膨らんだお腹も撫でた。ととんと、お腹が動く。わたしの中の、命。このひととの、命。

「鶯丸……
「主は、優しいな。優しくて、臆病だ。……だから主、俺たちを見てくれ。他の誰かではなく……優しい主を愛している、俺とこの子たちをしっかりと見ていてくれ。そうすれば、きっと、怖いことなんてなくなるさ」
「愛してる……
「ああそうだ。愛している、主。主とめおとになれて、俺は嬉しい。主は主だ、他の誰かと比べなくてもいい。俺だって、誰かと比べることもなく、主のことしか見ていないよ」
……ううっ、ふ、ぐ……
「ああ、ああ、泣いたら羊水が塩辛くなってしまう」
「うぅ……え? ……ふふっ、そんなことあるかなあ……
「あるともさ。笑っていれば甘くなるし、茶を飲めば若葉色になる」
「やだそれ、ふしぎ。変なの。じゃあ、鶯の声もわたしが聞けばちゃんと届く?」
「ああ、届くとも……

 ぴゅい、と鶯丸が口笛を吹いた。鶯の鳴き真似だ。やさしいさえずりが、わたしの耳に届く。すると、ぽふぽふとお腹を蹴られる感覚がした。

「あ……この子たち、喜んでる」
「おお、今のは上手くできたと俺も思ったんだ。喜んでもらえて何より」
「ふふ、鶯丸ったら……鶯丸は、良いとと様になれるね」
「さあどうだろう。俺も主も、子の親になるのは初めてだ。いい親になるためには、ふたりで歩まなくてはな。いろいろなことに挑戦してみよう」
……うん。そうだね。……ねえ、また聞かせて、口笛」
「今のより上手くできるだろうか……
「ふふっ。挑戦、挑戦」
「こら、主。……では、鶯丸の鶯の真似、ご清聴あれ」
「うん」

 また聞かせてくれるって。と私は水を飲みながらお腹を撫でた。水はただの水なのになんとなく甘い気がして、それはきっと、今が甘い時間だからなのだろうと、わたしは口の中に広がる甘さをふんわりと受け入れた。まだ体は火照っている。けれど、心は安心感に満ちていた。

 ある春の、幸せな出来事。