しまふみ
2026-01-21 18:41:38
2762文字
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おにいたま夢(のつもりだった)

 ある日、ルシファーは自室のソファに座していた。視線の先には、彼の手のひらにようやく収まる程度の大きさの箱が置かれている。彼はため息をつくと、やおら手を伸ばしてそれを取った。
「一体なんなんだ、これは……。」
 独りごちるルシファーの脳裏に、今日のRAD内授業での記憶が蘇る。魔力の結晶化を行うという児戯のような内容だったはずが、疲れからか式を誤り、このような謎の物体を生成するに至ってしまった。
 その後すぐさま結晶化をやり直し、この箱を鞄に押し込み、何食わぬ顔で一日過ごして、冒頭となる。自室に戻ったルシファーは、問題の箱を前に思案していた。
……。」
 もとは自身の魔力から意図せず発生した副産物。早々に分解し、またその身に戻せばいいものの、依然としてルシファーは手に持つ箱を黙って見据える。というのも、授業の時点では気付かなかったが、この箱、それなりの重さで、素手で持つとじんわりと温かい。さらに注意すれば、僅かな脈動すら感じ――端的に言えば、生きているようだった。
――気色悪いな。
 率直な感想を胸に、ルシファーは箱を耳へ寄せ、今度は静かに振ってみる。その刺激に応える音らしい音こそないが、“なにか”がそこに在る感覚が、確かにあった。ルシファーは箱をローテーブルに戻し、静かに腕を組む。箱には蓋も切れ目も無かったが、なかを暴かれれば最期、そのまま事切れる運命にあるのを、創造主たるルシファーは直感的に理解していた。室内に完全な静寂が落ちる。
 ルシファーはまたひとつため息をつき、箱を持つと、そのままサイドテーブルへ置いた。

 箱は、毎日ただそこにあった。日々を忙しく過ごすルシファーも、ほとんど歯牙にも掛けない。しかし、外出前、就寝前、そういった生活の区切りのタイミングで、ときたま思い出したように手で持って、ルシファーはその存在を確かめた。

 その日、ルシファーの部屋にはその荘厳な秩序を乱す影が密かに忍び込んでいた。サングラス越しに、欲に光る瞳が周囲を舐めるように見回す。その男、マモンはきょろきょろと落ち着きなく頭を動かし、手頃な獲物が無いか部屋内を徘徊していた。
 漁る視線が、サイドテーブルに置かれた箱に止まる。
「おっ、なんだこれ?」
 やたらと格式高い調度品が並ぶなかで、静かに佇むその簡素な箱は、却って存在感を放っていた。訝しみながらマモンが手に取る。持っても、振っても、光に透かしても、“ただそこに在る”、純然たる箱を見て、彼は首をひねった。
……まァ、箱はあくまで入れモンだしな〜? この重さから察するに、なかなかの――
 鼻歌まじりに、マモンはさらに検分を続ける。その指が、箱の開封方法を探っていたところ、突如として静かな声が室内に響いた。
「マモン……俺の部屋で何をしている。」
「ンなぁッ?! る、ルシファーおにいたま……、本日はRADでカンヅメのご予定では……?」
「着替えを取りに戻るのが、そんなにおかしいか?」
 ルシファーは殊更にっこりと微笑むと、震える手から箱を静かに抜き取り、懐にしまう。そのまま流れる所作でマモンに関節技を決め、手早く縛り、エントランスにオーナメントを追加した。

『ルシファーが妙な箱になにかを隠している』
 噂は、吊られたマモンを発信源として、ぽつぽつとエントランスの床に落ちる。半泣きで自重の痛みを嘆くマモンを尻目に、居合わせたサタンが手を顎にあてて頷いた。
「箱か……開けようもないという容れ物にルシファーが隠すもの……興味深いな。」
「しかも趣味の合わない、単なる質素な箱……。」
「なかにあいつの秘密でも詰まってるのなら、面白いと思わないか?」
 興奮気味に推理を繰り広げるサタンに、落ち着いたベルフェゴールの声が応える。
「でも持っていっちゃったんでしょ、確かめようがないじゃん。」
 アンチルシファー同盟としては、なかなかに唆られるネタだったが、謎の解明は難しく思われた。覆しようのない事実に、その場での議論は一旦持ち越しとなる。遠くに、助けを求めるマモンの呻き声が虚しく響いた。

 その後も一部弟たちの好奇は箱に寄せられ、多忙で館を留守にしがちなルシファーは、不本意ながらも日中のほとんどを箱と行動を共にする羽目になっていた。
――詳細不明な以上、こいつが次の面倒事の火種にならないとも言い切れないからな……
 懐に収まりつつも、確かな重みと、いやに嵩張るその存在に、ひっそりと眉を顰める。中身こそルシファー本人にすら分からなかったが、自身を起源とするためか、もはやそこまで気になるものでもなくなっていた。それは、今日もほんのりと温かい。ルシファーは服越しに輪郭を確かめると、そのまま自身の仕事に集中した。

 変化は、少しずつ、しかし確実に訪れていた。奇妙な帯同生活がはじまって一週間ほど経ったある日。ルシファーが自室に戻り、箱を懐からサイドテーブルに移すと、違和感にその動きが一瞬止まる。
――……小さくなった?
 見れば、大きさだけでなく、面のひとつずつが僅かに内側に反っていた。言わば“萎んだ”ような様態に、ルシファーは仮定する。
――魔力が抜けてきたのか?
 すると指先に魔力を込め、彼は戯れに表面を撫でた。しかし触れさせた魔力は滑るように弾かれ、そのまま雲散し、主のもとへ戻る。一連の流れを黙って見ていたルシファーが、吐息で笑った。
「頑なだな。」
 そのまま静かにサイドテーブルに戻し、生活に戻る。その日は就寝までに三度、その存在を確かめた。

 日々、箱の変化は進んでいった。徐々に軽く、冷たく、小さくなっていく。ルシファーは淡々と、出掛けるときは懐に収め、部屋に戻ればサイドテーブルに置いた。視界に入れば素手に取り、その重みと温度と大きさを感覚で確かめる。脈動は、もはやほとんど感じられなくなっていた。振れば手応えのない空虚が残る。嵩が減り、静かに懐に収まる輪郭を、出先でのルシファーは無意識のうちに何度も撫でた。



 ある日の、久々の休みとなった朝。ルシファーが寝起きにサイドテーブルを確認すると、くしゃくしゃになった紙のようなものがその場に転がっていた。ゆっくりと手に取り、その存在を確かめる。
 それは、重さも熱も脈動も完全に失われ、ただ静かにそこにあった。サイドテーブルに戻すと、乾いた音が鳴る。ルシファーは小さく息をついた。

 その日、館の裏庭で、くしゃくしゃの紙くずを埋葬するルシファーの姿が弟たちに目撃される。それを受け、『忙しすぎてルシファーがついにおかしくなった』と、館中がどよめいた。

 夕食の席では、彼の皿にメインの食事が普段よりも多めに盛られていたという。