やまだ
2026-01-20 20:13:19
1697文字
Public 羅小黑戦記
 

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2021.03.24 だっこと師弟

「師匠、だっこして」
……ん? うん」
 わざわざ断りを入れてくるのは珍しい。シャオヘイはくっつきたいと思えば遠慮なくムゲンの膝に飛び乗ってくる子だ。
 つい今まで黒猫に戻って森の中を駆けまわっていたはずだったが、飽きたのだろうか。腹が減ったか、遊び疲れて眠くなったのかもしれない。まだまだ、やっと片手で数えて余るほどしか生きていない子どもは、彼にできるなりの精一杯で世界を満喫している。
「おいで」
 瞑想を解いて腕を広げる。何やら神妙な顔つきのシャオヘイは、跳ねる朝のように勢いよくムゲンの懐へ突進してきた。
 どんな遊び場を見つけてきたのか、小さな体が若草と土の匂いにまみれている。とん、とん、と叩いてやるごとに甘えてまるくなる背には木満れ日が降りかかっていた。
「どうした?」
「ん……ちょっと、調べてる」
「何を」
「ね、もっとぎゅっとして師匠。ぎゅーってやって」
 生真面目に引き締められてなおまるい顔が、ムゲンの腹から覗いている。シャオヘイがいったい何を求めているのかわからないままムゲンは瞬き、そして胡坐の上で言われたとおりに子どもを抱き直した。気まぐれな雲を抱きかかえる気分で腕を回す。
「苦しくないか?」
「平気! わかったからもういいよ」
……何が?」
 へへへ、と雲のような白髪の子は歯を見せて笑った。
 ムゲンの腕からするりと抜け出て、自由になった体でシャオヘイは改めて胴にしがみついてくる。
 苦痛はないが、ぎゅうぎゅうと短い手足で締めつけられる、その意図が読めない。ひとまずそこだけずり落ちかけている尻の下に手を添えてやる。
「シャオヘイ、どうしたんだ。新しい遊びか?」
「違う」
……こういう修行をさせた記憶はないんだが」
「もー、それも違うって! なんでわかんないの?」
 口ぶりは拗ねるものだったが、ムゲンを仰ぐシャオヘイの目は笑みを浮かべてよく光っていた。上気した頬もぴかぴかしている。さあ訊け、わからないと言え、教えを乞え、と、半笑いで少し尖った唇が声を紡がないくせに雄弁だ。
 こんな様子を見せられては、笑いをこぼさないほうが難しい。
「シャオヘイ。降参する」
 前髪を掻きあげ、額を撫でてやると、子どもの頬はよりあざやかに色を増した。
「さあ、おまえは何をしているんだ?」
 ムゲンが尋ねるとシャオヘイの口元はいよいよ大きく広がった。
「あのね、あのね、ぼく、師匠のことだっこしてあげてる!」
「私を?」
「うん」
 大真面目にシャオヘイは頷いた。
 ムゲンの背に腕を回すどころか、手足を使っても腹にしがみつくのが限界のような子だ。そんなシャオへイの、彼なりの精一杯が、ムゲンの衣に柔らかな皺をいくつも刻んでいる。
 つられてムゲンの笑みも深くなる。ふ、と溺れた笑声は皺だらけの布と、それを握りしめるふっくらした手の上に落ちた。
「そうか。随分久しぶりだから、わからなかったな」「でしょ? 師匠いっつもだっこしてくれるけど、されたことなさそうだもん。でっかいし」
「そうだな」
「ね、師匠。ぼく、師匠にだっこされるの結構好き」
「うん」
 先に難しげな顔でねだられた懐抱は、どうやら改めて自分の気持ちを確認するために必要な儀式であったようだ。
「だからぼくも師匠にやってあげる。ね、うれしい?」
……そうだな」
 へへっと笑ったシャオヘイの体を、ムゲンは再び腕に抱えこんだ。苦しいとはしゃぐ子の纏うみずみずしい空気をふかぶかと吸いこむ。
 つくづくこの子といると、胸中の泉に心地よいさざめきの止むことがない。
「師匠」
「うん」
 あたたかく柔らかな体はすっかりムゲンに体重を預けてご機嫌だ。ふわふわとした髪をムゲンの胸に擦りつけて、得意そうにシャオヘイは笑う。
「ぼく、だっこしてもらうの好きだけど、してあげるのも悪くないね」
 ふ、と笑って腕の拘束を少し強くする。シャオヘイを、抱きしめる。
「そうだろう」
 全身で信頼を伝えようとしてくれるぬくもりと重みを抱えこむのは、まだ当分は、ムゲンだけが味わうことのできる特権なのだ。